義妹に溺れる彼を捨て、私は宿敵の妻となる

義妹に溺れる彼を捨て、私は宿敵の妻となる

Oleh:  青葉凛Baru saja diperbarui
Bahasa: Japanese
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七年越しの愛だった。 けれど年月が経つにつれ、夫となるはずだった男――不破清也(ふわ せいや)は、京極紫音(きょうごく しおん)に対して冷淡になり、苛立ちを隠さなくなった。 それどころか、彼はあろうことか義妹である江藤芙花(えとう ふうか)との関係に溺れ、彼女ばかりを異常なまでに甘やかし、紫音をないがしろにし続けた。 それでも紫音は、積み重ねた歳月への未練を断ち切れず、彼を何度も許してしまった。 しかし、ある時。高熱にうなされ、死ぬほどの苦しみを味わった夜――目が覚めた紫音を待っていたのは、冷え切った空虚な寝室だけだった。 彼はまたしても、「病弱」な芙花の看病に行ってしまったのだ。 その瞬間、紫音の中で張り詰めていた糸がプツリと切れた。「ああ、もういいや」と。 彼女は以前から縁談のあった相手に電話をかけ、プロポーズを承諾した。 そして別れの書き置きだけを残し、あざやかに姿を消した。京極家の令嬢としての誇り高い自分を取り戻すために。 清也は、紫音が本気で離れるはずがないと高を括っていた。「どうせ数日もすれば泣いて縋って戻ってくる」と。だが、一ヶ月経っても彼女は現れない。そこで初めて、彼は焦り始めた…… それからしばらくして開かれた、ある夜会でのこと。 かつて不破家やその取り巻きたちに蔑まれていた紫音は、絢爛豪華なドレスを纏い、圧倒的な美しさで会場に現れた。 そこにいたのは、誰もが羨む高嶺の花・京極家の令嬢であり――政財界の重鎮、拝島律(はいじま りつ)の妻となった彼女だった。 別の男に寄り添う彼女を見て、清也は嫉妬に瞳を血走らせる。「紫音、こっちへ来い!」 しかし律は、紫音の細い腰を愛おしげに抱き寄せ、優雅な笑みを浮かべて言い放つ。「不破社長。私の妻を気安く呼ばないでもらおうか」 ずっと手に入れたかった、愛しい人。この手を伸ばそうとする愚か者がいれば、その腕ごとへし折ってやるまでだ。

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Bab 1

第1話

「――拝島さん。半月後に湊都に戻って、貴方と結婚するわ」

ラウンジバーのテラス席。深い色合いのソファに身を沈めながら、京極紫音(きょうごく しおん)は受話器の向こうの相手に静かに告げた。

すぐに返ってきたのは、磁石のように人を惹きつける、冷ややかで知的なバリトンボイスだった。「紫音。私の記憶が確かなら、君は二ヶ月前にその『愛しい彼氏』とやらのために、私との婚約話を蹴ったはずだが?」

痛いところを突かれ、紫音は唇をぐっと引き結ぶ。

二ヶ月前――彼女は七年間愛し続けた恋人・不破清也(ふわ せいや)を正式に両親へ紹介しようとしていた。

だが、あろうことかその矢先に両親から告げられたのは、京極家と拝島家の政略結婚。彼女の名目上のフィアンセとなったのが、拝島律(はいじま りつ)だった。

紫音は清也のために家と猛衝突し、父を入院させるほどの大喧嘩を繰り広げた。さらには『清也と絶対に幸せになってみせる、私の選択は間違っていない』と証明するための賭けまでして、家を飛び出したのだ。

だが、あれからたったの二ヶ月。清也への情熱は、彼が義妹である江藤芙花(えとう ふうか)に見せる度重なる偏愛によって、見る影もなく消耗してしまった。

とりわけ、今日は酷かった。

今日は本来、二人の大切な記念日だったはずだ。それなのに清也は約束をすっぽかし、この店で芙花と恋人同然の戯れに興じている。

紫音はスマートフォンの縁が白くなるほど強く握りしめると、震えそうになる声を押し殺し、けれどきっぱりと言い放った。「……彼とは、別れるつもりよ」

「手は貸そうか?」

男の声はあくまで冷静だが、そこには隠しきれない強引な色気と侵略的な響きが滲んでいた。

「いいえ、結構よ」紫音は声を潜めて答える。「彼とのことは自分で綺麗に片付けるわ。貴方には迷惑をかけない」

一呼吸置いて、彼女は続けた。「この数年、彼を支えるために私の手腕も資産も注ぎ込んできたの。それらをきっちり回収するには、少し時間が要るわ。だから、待っていてほしいの」

「分かった。――半月後、空港で待つ」

男は短く了承すると、一方的に通話を切った。

紫音はスマートフォンをしまうと、虚空の一点をじっと見つめた。数秒の静寂の後、彼女は決意したようにソファから身を起こし、バーの二階にある個室へと足を進めた。

部屋に近づくにつれ、中からは下品な囃し立てる声が漏れ聞こえてくる。

ドアの隙間から、清也と芙花が人の輪の中心にいるのが分かった。

躊躇なくドアノブに手をかけ、押し開けようとした瞬間――中からこんな歓声が響いてきた。

「うわ、マジかよ!食いついてんじゃん!清也、舌入れてるし!このゲームでここまでやる奴いねぇって!」

「たかがグラス一杯の酒だろ?清也も必死すぎだって」

「お前バカか?酒が問題なんじゃない。大事なのは俺たちの芙花お嬢様だろ。ここで芙花が負けたら、下のフロアで知らねぇ男とチークダンス踊らなきゃなんねぇんだぞ。清也が自分の目の前で、芙花を他の男と密着させるわけないだろ?」

「……でも清也、彼女いなかったっけ?」

紫音がドアを完全に押し開けても、熱狂の中心にいる連中は誰一人として彼女に気づかなかった。

唯一、入口近くにいた数人がぎょっとして、慌てて互いの袖を引っ張り合っただけだ。

紫音は腕を組み、入り口に立ち尽くしたまま、凍てつくような冷ややかな眼差しを注いだ。視線の先では、清也が陶酔した様子で芙花をその腕の中に閉じ込めている。彼の大ぶりな手は、欲望を抑えきれないように芙花の細い腰をまさぐり、這い回っていた。その指先の動きはあまりに猥雑で、強烈な独占欲に満ちている。

……このままここにベッドがあれば、間違いなく最後までヤッていたでしょうね。紫音は冷静にそう分析した。

「し、紫音さん……!?」

誰かが幽霊でも見たかのような素っ頓狂な声を上げた。

その声に弾かれたように、清也が目を開ける。次の瞬間、彼の視線は、冷笑とも哀れみともつかない色を浮かべた紫音の瞳とかち合った。清也の表情が一瞬にして凍りつく。

彼は慌てて腕の中の芙花を突き放すと、人をかき分けて紫音の前まで歩み寄ってきた。その声は、居心地の悪さを隠すように低く、冷たい。

「……どうしてここにいる?」

浮気の現場を見られてなお、悪びれる様子もなく言い放つ彼。紫音は瞳の奥の嘲笑をさらに濃くし、清也の肩越しに視線を送った。そこでは、芙花が勝ち誇ったような挑発的な目でこちらを見ていた。

紫音はふわりと、唇の端だけで笑って見せた。「あなた、今日が何の日かお忘れ?」

今日――

それは、二人の交際記念日だったはずだ。

清也はようやく、紫音がなぜこの場所に現れたのかを理解したらしい。

彼の眉間にバツの悪そうな懊悩の色が浮かぶ。「……芙花の機嫌が悪かったんだ。だから気晴らしに仲間と集まって……さっきのはただの王様ゲームの流れで、みんなが煽るから仕方なく……」

「ええ、分かっているわ」

紫音は彼の言い訳を遮り、穏やかな声で答えた。「たかがゲームでしょう?気にしていないわ」

清也は言葉を喉に詰まらせた。

飲み込むことも吐き出すこともできず、ただ不快そうに眉を寄せる。

彼が気まずさに耐えかね、とりあえず紫音を連れて帰るとみんなに告げようとしたその時――それを遮るように、割って入ってきた声があった。

「紫音さん、ごめんなさい!今日、わたしどうしても辛くて……だからお兄ちゃんに無理言って、付き合ってもらってたの。お兄ちゃんを責めないであげて。悪いのは全部わたしだから」

芙花だった。彼女は片手にカクテルグラスを持ったまま、殊勝な顔で紫音の前に歩み出る。「せっかく来てくれたんだし、紫音さんも一緒に飲まない?このお酒、お兄ちゃんがわざわざわたしのために呼んでくれたバーテンダーさんが作ったの。美味しいよ、飲んでみて?」

紫音の視線は、芙花が無防備さを装って大きく開けた胸元に吸い寄せられた。そこには、生々しい赤い跡が点々と散っている。

さらに視線を上げれば、輪郭が乱れ、少し滲んだ口紅。

……なるほど。衆人環視の中でこれ見よがしにマーキングを見せつけてくるとはね。ここまであからさまな挑発を受けて、黙って引き下がるほど紫音は甘くない。

紫音は口元の笑みをさらに深くした。「あら、そう?」

芙花が何か言い返す隙も与えず、彼女は残酷な問いを投げかける。「じゃあ、その特製カクテルと、『義兄の唾液』と――どっちが美味しかったのかしら?ねえ、芙花ちゃん?」

彼女はことさらに「義兄」という言葉を強調した。

その一言で、場の空気が凍りつく。周囲の人間たちは、改めて芙花と清也の関係を思い出したのだ。

――義理とはいえ、二人は兄妹だということを。

いくら血が繋がっていないとはいえ、清也にとって芙花は戸籍上の妹である。さっきまで二人が人前で見せつけていたあの濃厚な口づけは、インモラル極まりない行為だったのだ。

一瞬にして、芙花を見る周囲の視線に軽蔑や困惑の色が混じり始める。

「紫音さん……酷い、どうしてそんな言い方するの?」

芙花はとっさに目元を赤く染め、声を震わせた。「さっきのは、お兄ちゃんがわたしを助けるためにゲームに参加してくれただけで……それに、わたしだって自分の立場くらい分かってる。お兄ちゃんとそんな関係になるわけないでしょう……」

彼女はすがるように清也の方をチラリと見やり、言葉にならぬ悲痛な表情を作ってみせた。まるで、耐え難い屈辱を受けている被害者のように。

「……もう、いいよ」

数秒の沈黙の後、芙花は全ての理不尽を飲み込むような健気な声で続けた。「元はと言えば、わたしのお父さんがお兄ちゃんを庇って死んだから……だからわたしは不破家に引き取られて、ずっとお兄ちゃんに面倒を見てもらってきたけど。

でもやっぱり、わたしが身の程知らずだったんだね。全部、わたしが悪いの。

安心して、紫音さん。これからはお兄ちゃんとは距離を置くから。どんな辛いことがあっても、二度とお兄ちゃんに助けを求めたりしないから……!」

語尾を震わせ、消え入りそうな声で訴える芙花。

そのあざとい芝居は、個室にいた野次馬たちの良心を揺さぶるには十分すぎた。彼らは思い出す。なぜ芙花が清也の「家族」になったのかを。かつて拉致された清也を救うために、彼女の実父が犯人に殺された――その痛ましい事件を。

命の恩人の娘に対して、清也が過保護になるのは当然の道理だ。

それに、さっきのキスだって、所詮は酒の席のゲームに過ぎない。

――だというのに、目くじらを立てて追い詰める紫音の方が、心が狭いんじゃないか?

周囲の視線に混じる非難の色を、紫音は冷めた目で見渡した。瞳の温度が、氷点下まで下がっていく。「そうね。確かにあなたの命は……」

「いい加減にしろ!」

紫音の言葉を遮り、清也が乱暴に彼女の手首を掴み上げた。彼は鋭い眼光で紫音を睨みつけ、吐き捨てるように言う。「芙花の気晴らしにゲームに付き合っていただけだぞ?たかがそれだけの事で、いつまで根に持つつもりだ。大体、記念日だなんだと騒ぐが、俺は今まで散々お前の相手をしてやってきただろうが」

呆れたように、彼は続けた。「紫音、お前はいつからそんな理不尽でヒステリックな女に成り下がったんだ?」

体の横に下ろしていた紫音の拳が、ぎゅっと握りしめられる。

私が、理不尽……?

恋人である自分の目の前で、義妹とあんな熱烈な見せ物を演じておきながら。

たった一言、問い詰めることすら許されないというの?

心臓を大きな手で鷲掴みにされたような圧迫感。呼吸が浅くなり、胸の奥が軋む。清也を見つめる紫音の瞳から、光が消え――代わりに深い失望だけが残った。

ああ、もういいや。私は今まで、この男に何を期待していたんだろう。

紫音は、荒れ狂いそうになる感情を無理やりねじ伏せ、強制的に冷静さを取り戻した。そして、怒りに燃える清也の視線を受け止めながら、唇の端を持ち上げ、完璧で余所行きの「作り笑い」を浮かべてみせた。

「……ええ。あなたの言う通りだわ」

彼女は静かに、抑揚のない声で告げる。「お楽しみのところ、お邪魔して悪かったわね。ごゆっくり」

それだけ言い残すと、紫音は未練なく踵を返し、その場を後にした。

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第1話
「――拝島さん。半月後に湊都に戻って、貴方と結婚するわ」ラウンジバーのテラス席。深い色合いのソファに身を沈めながら、京極紫音(きょうごく しおん)は受話器の向こうの相手に静かに告げた。すぐに返ってきたのは、磁石のように人を惹きつける、冷ややかで知的なバリトンボイスだった。「紫音。私の記憶が確かなら、君は二ヶ月前にその『愛しい彼氏』とやらのために、私との婚約話を蹴ったはずだが?」痛いところを突かれ、紫音は唇をぐっと引き結ぶ。二ヶ月前――彼女は七年間愛し続けた恋人・不破清也(ふわ せいや)を正式に両親へ紹介しようとしていた。だが、あろうことかその矢先に両親から告げられたのは、京極家と拝島家の政略結婚。彼女の名目上のフィアンセとなったのが、拝島律(はいじま りつ)だった。紫音は清也のために家と猛衝突し、父を入院させるほどの大喧嘩を繰り広げた。さらには『清也と絶対に幸せになってみせる、私の選択は間違っていない』と証明するための賭けまでして、家を飛び出したのだ。だが、あれからたったの二ヶ月。清也への情熱は、彼が義妹である江藤芙花(えとう ふうか)に見せる度重なる偏愛によって、見る影もなく消耗してしまった。とりわけ、今日は酷かった。今日は本来、二人の大切な記念日だったはずだ。それなのに清也は約束をすっぽかし、この店で芙花と恋人同然の戯れに興じている。紫音はスマートフォンの縁が白くなるほど強く握りしめると、震えそうになる声を押し殺し、けれどきっぱりと言い放った。「……彼とは、別れるつもりよ」「手は貸そうか?」男の声はあくまで冷静だが、そこには隠しきれない強引な色気と侵略的な響きが滲んでいた。「いいえ、結構よ」紫音は声を潜めて答える。「彼とのことは自分で綺麗に片付けるわ。貴方には迷惑をかけない」一呼吸置いて、彼女は続けた。「この数年、彼を支えるために私の手腕も資産も注ぎ込んできたの。それらをきっちり回収するには、少し時間が要るわ。だから、待っていてほしいの」「分かった。――半月後、空港で待つ」男は短く了承すると、一方的に通話を切った。紫音はスマートフォンをしまうと、虚空の一点をじっと見つめた。数秒の静寂の後、彼女は決意したようにソファから身を起こし、バーの二階にある個室へと足を進めた。部屋に近づくにつれ、中から
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第2話
店を出て車に乗り込むまで、結局、清也が追いかけてくる気配はなかった。その代わり、紫音のスマホが短く震え、一通のメッセージが表示された。それはあまりに淡白で、それでいて隠しきれない非難の色が滲んでいた。【俺と芙花はそんな関係じゃない。お前の勝手な思い込みだ。今日の態度は酷すぎるぞ、芙花に謝れ】……芙花に、謝れですって?紫音は口元を凍りついたように歪め、嘲笑を浮かべると、スマホを雑に助手席へと放り投げた。清也は知らないのだろう。一ヶ月前から、私の手元には「証拠」が届き続けていることを。彼らが二人きりで旅行を楽しむ姿、カップル同然に撮ったウエディングフォト、果ては芙花のために嫉妬に狂い、他の男と乱闘騒ぎを起こしている写真まで――そのたびに彼は「出張だ」「仕事が忙しい」と白々しい嘘をついて私をあしらってきた。けれど、もういい。これからは、彼も私への言い訳を必死に考える苦労から解放されるのだ。私が彼を捨てるのだから。紫音はアクセルを踏み込み、かつて「二人の家」だった場所へと車を走らせた。帰宅するなり、彼女は行動を開始した。付き合い始めた頃に彼から貰ったプレゼント、肩を寄せ合って撮った写真の数々、交換日記――それら愛の残骸を全て引っ張り出し、庭へと運び出す。鉄製のバケツにそれらを無造作に放り込み、彼女は迷うことなく火を放った。パチパチと音を立てて炎が上がり始めた、まさにその時だ。背後から男の怒声が響いた。「貴様、何をしている!」乱暴に腕を引かれ、紫音はたたらを踏む。視界の端で、清也が躊躇なく火の中に手を突っ込み、半分ほど焼け焦げた写真を拾い上げるのが見えた。だが、勢いを増した炎は容赦なく広がり、他の思い出の品々を飲み込んでいく。清也の手の甲にも火の粉が飛び、彼は「っ!」と息を呑んで手を引っ込めた。手の痛みが怒りに油を注いだのか、彼は抑えきれない激情を紫音にぶつけた。「一体何のつもりだ!芙花はお前のせいであらぬ汚名を着せられたんだぞ!それでもあの子は『お兄ちゃん、紫音さんと喧嘩しないで。ちゃんと仲直りして』って俺を説得して、ここまで送り出してくれたんだ。それなのに、お前はここで思い出の写真を燃やしているのか!?」清也は苛立ちを露わにし、吐き捨てる。「紫音、お前はいつからそんな聞き分けのない女になったんだ!」
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第3話
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第4話
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第5話
「紫音さん、明日は引っ越しのお手伝いに伺います」帰りの車中で、蘭は紫音の決意が固いことを再確認していた。清也との別れは本気であり、会社における紫音の権利もすべて回収して去るつもりだと。紫音の部下である以上、蘭も彼女についていく腹積もりだ。紫音は静かに頷いた。蘭の車が走り去り、見えなくなるのを見届けてから、紫音は踵を返して別荘へと足を向けた。数歩も歩かないうちに、バッグの中で携帯が鳴り響く。画面に表示されたのは、かつて身を寄せた施設の『園長』の名前だった。通話ボタンを押した瞬間、園長の悲鳴のような声が飛び込んできた。「紫音ちゃん、大変なの!先ほど不破商事の方から連絡があって、養護施設への支援を打ち切るって……!それだけじゃないの、提携病院に入院している子供たちまで、今すぐ引き取れって言われて……どうしたらいいの!?」養護施設、そして不破商事。この二つの言葉が並んだだけで、清也の狙いは明白だった。紫音の表情から温度が消える。彼女は感情を押し殺し、冷静に答えた。「園長先生、すぐに私の方で手配しますから、安心してください」紫音のその一言で、電話口の園長の息遣いが安堵に変わる。不破グループが支援していたのは、先天性の持病を抱え、高度な医療機器なしでは一日たりとも生きられない子供たちだ。一瞬でも電源が落ちれば、それはすなわち死を意味する。そんなこと、清也が一番よく分かっているはずなのに。通話を切ると、紫音は一秒の迷いもなく、長らく避けてきたある番号を呼び出した。「はい、京極州(きょうごく しゅう)です」コール音もそこそこに、懐かしい男の声が耳に届く。紫音はスマートフォンを握りしめ、熱くなる目頭をこらえながら、震える声で呼びかけた。「お兄ちゃん」回線の向こうで、二秒ほどの沈黙が落ちた。やがて返ってきたのは、皮肉たっぷりの声だった。「おやおや、これは珍しい。「真実の愛」と「自由」を求めて家を飛び出したお嬢様じゃないか。どういう風の吹き回しだ?世界一優しくて献身的なフィアンセ殿はどうしたんだ?」胸の奥からこみ上げる悔しさを懸命にのみ込んだが、それでも声が湿るのを止められなかった。「……彼とは別れたわ。お願い、力を貸して」彼女は手短に施設の窮状を説明し、そこがかつて幼い自分が拉致された際、保護してくれた
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第6話
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第7話
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第8話
口火を切ったのは、弟の猛だった。彼の口元には、残酷で投げやりな笑みが張り付いている。「兄貴、こいつが認めないのは当たり前の話だ」猛は退屈そうに言い放った。「俺に言わせりゃ、水責めにでもしてやればいいんだよ。何度かプールに沈めてやって、氷のような冷たさと死ぬかもしれない恐怖をたっぷり味わせてやれば……すぐに泣き喚いて何もかも白状するさ」その口ぶりは、まるで明日の天気の話でもするかのように軽薄で、人の命など微塵も気にかけていない様子だった。雅人は目を細め、瞳の奥に冷酷な光を宿した。彼は短く手を振り、部下たちに「やれ」と合図を送る。黒服の男たちが飢えた狼のような形相で紫音にじりじりと詰め寄る。次の瞬間には、彼女を奈落の底へと引きずり込まんとする勢いだ。「待ってくださいっ!」まさに間一髪というところで、肩で息をする蘭が駆け戻ってきた。彼女は一目で紫音の惨状を見て取った。乱れた髪、皺だらけのドレス、そして痛々しい傷跡。蘭の胸に強烈な自責の念がこみ上げる。彼女は呼吸を整える間も惜しんで、叫ぶように言った。「証拠があります!この動画を見てください。麗華様をプールに突き落としたのは江藤芙花です。紫音さんは無実です!」その言葉を聞いた瞬間、芙花の顔から血の気が失せ、白紙のように蒼白になった。瞳に激しい動揺が走る。だが、彼女はすぐに気を取り直し、蘭を憎々しげに睨みつけた。皆が反応するよりも早く、芙花は蘭に飛びかかり、その手首を万力のように強く締め上げた。彼女は蘭の顔に自分の顔を近づけ、誰にも聞こえないような小声で、しかしドスを利かせて脅迫した。「森下、あんた会社に残りたいんでしょうね?」「余計なことを喋ったら、ただじゃおかないから。会社にいられなくしてやるわよ。後悔したくなかったら黙ってなさい!」その声には明確な殺意と警告が含まれており、逆らえば破滅させると言わんばかりだ。だが、蘭は冷ややかな目で芙花を一瞥しただけだった。私が今こうしていられるのは、すべて紫音さんが目をかけ、支援してくださったおかげだわ。恩人である紫音さんが絶体絶命のピンチにあるというのに、ここで裏切ることなどできるはずがない。蘭は迷うことなく、自分に食い込む芙花の指を一本一本、力強く引き剥がした。そして、毅然とした足取りで雅人と猛の前に進み出ると、スマホ
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第9話
危険を察知した清也は、とっさに芙花を自身の背後に隠した。まるで雛鳥を守る親鳥のように。芙花は清也のジャケットにしがみつき、顔を伏せて小刻みに震えている。清也は沈痛な面持ちで、しかし不快感を隠そうともせず、気まずそうに口を開いた。「雅人さん……今回の件、確かにこちらの落ち度です。ただ、決して悪気があってやったことじゃないんです」「芙花はまだ若くて、何も分かっていないだけなんです。謝罪なら、俺が代わりにさせてもらいます」その声には懇願の色が混じっていた。なんとかして雅人の怒りを鎮めようと必死だ。雅人は冷笑を浮かべ、蔑むような視線を投げかけた。「謝って済むなら、警察はいらないだろ?」「もっとも、こんなくだらない事で警察の手を煩わせるつもりもないがね」清也の表情は強張り、額には青筋が浮かんでいた。彼は奥歯を噛み締め、決意に満ちた眼差しで言い切った。「雅人さん……どうすれば芙花を許してくれますか。俺にできることなら何でもします。条件を言ってください!」しかし、その必死の誓いも、雅人にとっては紙屑同然の価値しかなかった。雅人は冷徹な表情のまま、背後に控える屈強な男たちに向かって、鋭く手刀を切るように合図を送った。「やれ。その女を突き落とせ」命令を受けた二人のボディーガードが、鬼のような形相で清也と芙花ににじり寄る。清也は警戒心を剥き出しにし、芙花の手を痛いほど強く握りしめたまま後じさりをした。「来るな!手荒な真似をさせるな!」清也は焦りを滲ませながら、なんとか雅人を説得しようと声を張り上げた。「雅人さん、今日は大勢の客が来ているんですよ!こんな騒ぎを起こしたら、西園寺家の顔に泥を塗ることになる。穏便に済ませましょう!」だが、雅人はそんな理屈には耳も貸さない。その表情は氷点下のように冷たく、一切の妥協を許さぬ絶対者の顔をしていた。次の瞬間、ボディーガードたちが飢えた獣のように襲いかかり、芙花の腕を掴もうとした。「いやぁっ!!お兄ちゃん、助けて!怖いよぉ!!」芙花は顔面蒼白になり、目を見開いて金切り声を上げた。その絶叫は悲痛そのものだった。清也はカッと目を見開き、迷うことなく右足を振り抜いた。襲い来るボディーガードの一人を思い切り蹴り飛ばすと、その隙を突いて芙花の手を引き、脱兎のごとく駆け出した。なりふり構わず、必
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第10話
紫音はその箱を両手で恭しく受け取ると、優雅な仕草で雅人の前へと差し出した。その口元には、穏やかで品のある微笑みが湛えられている。「こちらは、麗華様のために選びました。お気に召していただければ幸いです」雅人はその長い指を伸ばし、ゆっくりと箱を開けた。途端に、彼の視線は中身に釘付けになる。そこに収まっていたのは、深海で瞬く星屑のように、神秘的で幽玄な蒼い輝きを放つイヤリング――「ポセイドンの涙」だった。雅人は片眉を跳ね上げ、驚きの色を隠さずに言った。「君、京極州の妹か?」紫音は静かに顎を引き、乱れぬ調子で答えた。「はい、京極紫音と申します。……では、これ以上お引き止めするのも申し訳ありませんので、私たちはこれで失礼いたします」彼女の振る舞いは完璧な礼節に則っていた。先ほどまでの非礼や暴力に対する憤りを微塵も滲ませず、その様はまるで波紋ひとつない静寂な湖面のようだ。雅人は小さく舌を打ち、意味ありげに口角を持ち上げながら、まじまじと紫音を眺めやった。「なるほどね……俺と州は兄弟分みたいなもんだ。なら、あいつの妹は俺の妹も同然だ」「不破との一件、多少は耳に入ってるよ。俺からの忠告だと思って聞いてくれ。……あんな男、君には釣り合わん」紫音は一瞬きょとんとしたが、すぐに平静を取り戻し、揺るぎない眼差しで返した。「ご忠告、痛み入ります。ですが彼とはもう別れました」「近々、家の決めた方と結婚いたしますので、その際はぜひ、雅人様も猛様もいらしてください」そう言って優雅に一礼すると、紫音は踵を返し、凛とした足取りでその場を後にした。遠ざかる彼女の背中を見送りながら、雅人は目を細め、面白そうに呟いた。「面白い女だ。……拝島の奴が、長年忘れられずにいるのも頷ける」横に立っていた猛は腕を組み、からかうような表情で茶々を入れた。「いくら忘れられなくても、向こうにその気がねえんじゃ意味ねーだろ。拝島の片想いもご苦労なこった」猛はそう言い捨てると、小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。「さあな。……案外、そうとも言い切れんぞ」雅人は思案げにそう呟いた。紫音は足早に出口へと向かう。蘭を引き連れて歩くその横顔には、ある種の決意が滲んでいた。彼女はふと立ち止まると、蘭にだけ聞こえる声量で囁く。「蘭、明日から休暇届を出してちょうだい。表向きは
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