第0616話

瞬は瑠璃の肩を抱き寄せながら、静かに言った。

「千璃、そろそろ搭乗しよう」

「うん」瑠璃は頷いて、君秋の小さな手を取った。

「君ちゃん、一緒に飛行機に乗ろう」

しかし、君秋は小さな唇をぎゅっと結び、どこか未練がましい眼差しを向けてきた。

「でも……パパ、まだ来てないよ。ママ、もうちょっとだけパパを待てないかな？」

瑠璃は瞬の腕の中からそっと抜け出し、微笑みながら君秋に優しく言い聞かせた。

「君ちゃん、もうパパを待たなくていいの。お仕事がとっても忙しいから、きっと来られないのよ」

だがその時、邦夫が口を開いた。

「隼人は仕事なんかしてない。今、病院で父のそばについてるんだ」

瞬の目に、深い黒い光がにじみ始めた。瑠璃は驚いて振り向き、さらに邦夫の言葉を聞いた。

「父は入院した。医者からは覚悟しておくようにと言われてる。もう、長くはもたないかもしれない。でもさっき目を覚ましたとき、ずっと君の名前を呼んでたんだ。隼人は君を煩わせたくないから黙ってたけど……俺は、どうしても伝えたくて来た」

「……おじいさまが、私の名前を？」瑠璃は驚き、思わず確認した。

邦夫ははっきりと頷いた。目には深い憂いと、懇願の色が浮かんでいた。

「父は何も話せない中で、唯一瑠璃という言葉だけを繰り返してた。本当に、君に会いたがってる」

瑠璃の胸の奥に、じわりと痛みが広がった。

瞬は彼女の動揺にすぐ気づき、迷いの色を見せる前に、彼女の手をぎゅっと握った。

「千璃、ここまで来たんだ。……もう、振り返る必要なんてない」

瑠璃は、彼の瞳に宿る決意を感じながら、何かを言おうとした——だが、その時。

「瑠璃……君が目黒家の全員を憎んでいることは、わかってる。でも……君がこの家に来た数年間、父は誰よりも君を大切にしてた。どんなときも信じてくれたし、ずっと味方だった。たとえ記憶を失っても、それだけは君の心が覚えてるはずだ」

邦夫はまっすぐな目で訴えた。

瞬の顔には、とうとう明らかな怒りが浮かび上がった。

「もういいだろう。あんたの目的は隼人のための時間稼ぎに過ぎない」

「瞬」

瑠璃が静かに瞬の名を呼び、その声で彼の怒りは止まった。

「私……おじいさまに会いに行きたい」

その言葉に、邦夫の顔は一気に明るくなった。だが、瞬の表情はさらに沈んだ。

……しかし、彼にはもう