LOGIN御子柴弥一は結婚当初は妻であるかすみを疎んじていた。祖母の八重子がある日妻にと連れてきた女が彼女だった。弥一は当時大学を卒業したばかりの22歳で、彼女の歳はなんと32歳。そもそも弥一には想い人がいた。なのに、好き好んでもいない、しかも十歳も離れたおばさんとの結婚など受け入れられるわけがない。しかし八重子に逆らえるわけもなく、少しの辛抱と心に決め、従うふりをすることに。だが、始まりこそ最悪だったものの、案外その生活は悪くなく、何より彼女の作るご飯は格別だった。弥一が少しずつ歩み寄ろうとした矢先、彼女が突然姿を消す。そこで祖母から告げられる衝撃の事実。そもそもで俺たち、結婚してなかった、だと⁉︎
View More接待を終えた御子柴弥一(みこしば やいち)はいつもよりだいぶ遅くなったものの、ちゃんと帰宅しようとしていた。
今日の相手は得意先の中でもダントツで厄介な質で、酒好きな上に女好きとあって、そいつの接待には必ず美味しいお酒と華やかな女を用意しなければならなかった。 弥一自身もかなり酒を飲まされた上に、そのルックスから女たちは皆彼をロックオンすると、あからさまなボディタッチをするなどしてアピールしてきた。 残念ながら弥一がそれに釣られることはなく、むしろベタベタ触られたことで彼女たちの付ける香水の匂いが自分からもしていることにかなり苛立っていた。 車の空気を入れ替えようと後部座席の窓を開けながら、 「おばさんには連絡入れてるのか?」 と、助手席に座る秘書の三雲諭(みくも さとる)に問いかける。 三雲はその言い草に苦笑しつつ弥一のほうを振り返ると、 「してありますよ。奥さまより、お帰りの際はお気をつけてとのことでした。」 その返答に、弥一は安心したように座席に座り直すと、ふうと息を吐いた。 ニ年前、御子柴家の絶対的君主である八重子から、自身と十歳も離れた女との結婚を迫られた時は言葉にできないほど嫌で嫌で仕方なかった。 もし、相手の女の見た目が、年齢差を感じさせないような"綺麗なお姉さん"だったのならまだしも、弥一の目には彼女はどう贔屓目に見てもおばさんにしか見えなかった。 彼には長年想い合っている女性がいたが、祖母である八重子はどうしても彼の想い人を受け入れてくれなかった。 八重子の猛反対を受け、弥一と結婚できると思っていた恋人は辛いはずなのにそんな感情はお首も出さず、「おばあさまが認めてくれる女性になれるよう、A国へ行って自分を磨いてくるわ。絶対今よりもっと良い女になって帰ってくるから。」と、言った。 「弥一、あたしの心はあなただけのものだよ。あなたもずっとあたしだけでしょ?」 愛らしい顔でその目を潤ませながら上目遣いに見つめられ、弥一は熱い思いを抱きながら、 「当たり前だ、俺の心はずっと君だけのものだよ。今すぐにでも君と永遠を誓いたのに‥‥頑固なおばあさまでごめんな。」 「あたしたち、絶対一緒になろうね?」 「ああ。」 そう返して、弥一は彼女の唇にキスを落とした。 なんて健気な子なんだろう。 健気で、か弱くて愛らしくて守ってあげたくなる。 今思い出してもあの日彼女の願いを叶えてあげられなかった申し訳なさで、弥一の心はぎゅっと締め付けられた。 彼女がA国に旅立ったその日。 意気消沈で家に帰ろうとした弥一に八重子から携帯にメッセージが届いた。 恨みがましい目でそのメッセージを開くと、 "今すぐこの住所に来なさい。" 八重子から送られてきた住所は、都会から少し離れただけなのに自然を身近に感じられる場所で知られている、海老原市というところだった。 「海老原市?なんでそんな場所に?」 御子柴家は日本にもいくつか別荘を持っていたが海老原市には持ってなかったはずだ。 なぜそんなところに呼ばれるのかわからなかったが、八重子に逆らえるはずもなく、渋々ながらも送られてきた住所に向かった。 八重子に呼びつけられた場所に着くと、そこには二階建ての真新しい洋風な家が建っていた。 庭先の花壇には色とりどりの花が咲き誇っているが、そんなほっこりする景色をぶち壊すかのように、真っ赤なポルシェがこれ見よがしにどーんと停まっている。 八重子の愛車だ。 そして、家の横の広々としたガレージにはこれも良く目にする黒色のセダンが停まっていた。 そしてその横にもう一台、白の軽自動車が停まっている。弥一の身近では見たことのない車だ。 訝し気に眉をひそめながら、弥一はその家のインターホンを押した。ありきたりなチャイムの音が響く。しばらくすると、 「鍵は開いておりますよ、坊ちゃん。どうぞお入り下さい。」 と、インターホンから家政婦の望月早苗(もちづき さなえ)の聞き慣れた声が聞こえてきた。先程家の前に停まっていた、黒のセダンの持ち主だ。 その声に弥一は安心したようにドアを開け中に入った。なんてことはない。おばあさまがまた別荘を買ったんだ。 弥一と恋人の結婚を反対してしまったことに対する贖罪か何かのつもりで、この別荘を自分に与えることでご機嫌取りでもしようとしてるのだろう。そう思った。 だが、弥一の機嫌はそんなことで直るはずもなかった。自分の愛している女性を真っ向から否定されたのだ。 あの瞬間の彼女の心痛と、踏みにじられた自身のプライドを思うと未だに腹が立つ。 例え歯向えない相手だとしても、こんな見え透いたやり方に乗ってやるつもりは毛頭なかった。 だからリビングに入る前に、弥一は一度深呼吸すると、敢えて無愛想な表情をその端正な顔に作り上げた。そしてやや乱暴に見えるようリビングへ続く扉を勢いよく開ける。 と、その目に飛び込んで来たのは、予想通り、ソファでその長い足を優雅に組んで座る八重子と、その隣には早苗が家政婦よろしく、ピンと伸びた背筋にお腹の前で行儀良く手を重ねて立っていた。 と、八重子の対面にあるソファにもう一人、弥一に背を向ける形で黒い髪を低い位置で一本に束ねた女が座っている。 弥一が思いがけない登場人物に驚いていると、その女が振り返った。 女は弥一の顔を見ると、その場に立ち上がり軽く微笑むと、「はじめまして。白石かすみと申します。今日からしばらくお世話になります。どうぞよろしくお願いします。」そう言って礼儀正しくお辞儀をした。それぞれにとって勝負となる日となるであろう、土曜日がやって来た。 かすみは加島と共に、パーティー会場であるフレンチレストランで料理に使う肉や魚や野菜など、具材の下準備をしていた。 作る品数は全部で十八品。 パーティー開始時刻である午後六時までにそれらの料理五十人分を、かすみと加島、それからこの店のオーナー兼シェフである小笠原と他二名のスタッフ、計五人で仕上げなければならないとあって、厨房はなかなかの慌ただしさだった。 「小笠原さん、新玉ねぎの皮は剥いて、ピーマンとにんじんと一緒に千切りにしておきました。次はどうしましょう?」 かすみに声を掛けられた小笠原は驚いたように振り返ると、 「もう終わったんですか?」 かすみはふわりと笑うと、 「まこちゃんと一緒でしたから。」 と、何でもないことのように答える。 小笠原はそのかすみの笑顔に釣られて自分もへにゃりと笑うと、 「加島には感謝しないとだな。こんなにも協力な助っ人を連れてきてくれたんだから。」 今回急に入れられたこのパーティーの予約は、相手が名の知れたお金持ちとあって断ることが許されなかった。 小笠原のそのフレンチの店は、スペースはあるものの、クオリティの観点から完全予約制とし、さらに一日の客の上限を三十人としていた。 そんなわけで、いつもより人数も多ければ、ビュッフェスタイルとあって、作る品数も量も多いわけで。 さらには、それだけで大変だっていうのに、今回の客は世間が抱く嫌なお金持ちのイメージの代表格みたいな奴らで、パーティーで出す料理のことや、店内の飾り付けなどに関して何かと面倒な要望を付け足してきては、小笠原を始め、スタッフたちを掻き乱してくるのであった。 そんな中、ついにスタッフの一人である女の子の狩野が、 「オーナー、いくらなんでも情けなさ過ぎますよ!金持ちとはいえ、あんなイキっただけのガキ共相手にいい大人がへりくだっちゃって。情けなさすぎて見てらんなかったです。」 と、盛大な愚痴を漏らす。 小笠原はその自覚があったからこそ、自分よりも五歳も若い女の子にそう指摘されたことが恥ずかしくて、 「なっ、誰がへり下ってて情けないだよ!」 と、動揺したように言い返してしまう。 それを見ていたもう一人のスタッフである深見沢(ふかみざ
「おい、なんだよ弥一。もしかして怒ってるのか?」 電話先で冬馬は茶化すようにそう言った。 弥一は細めた目はそのままに、口元だけで笑ってみせると、 「まさか。それとも、何か俺に怒られるようなことをしたとでも言うのか?ん?」 電話越しにも弥一の冷え切った空気が伝わってくるようだった。 だが、冬馬はそんな弥一に怯むどころか、ニヤリと笑うと、 "どうやらとうとうバレたみたいだな" そう思うと、満足気に舌なめずりした。 彼は今にも高揚感丸出しの声色になりそうになるのを必死に抑えると、 「お前のことを誰よりもわかってるのはこの俺だ。そんな俺がお前を怒らせるようなことをわざわざすると思うか?」 実際には大いにしてやったわけだが、冬馬は一切悪びれる様子もなくそう言った。 弥一はふっと笑ってみせると、 「そういえば何日か前に雪菜から電話が掛かってきていたが、出なかったんだ。もしかしてこの電話はそれと何か関係しているのか?」 普段仲の良い人には決して話さないような喋り方で弥一はそう問いかける。 冬馬はその話し方には反応せず、代わりに弥一が先程言った〈電話は掛かってきいたが、出なかった〉という部分に、反応すると、 「出られなかったんじゃなくて、出なかったのか?」と、敢えて聞いた。 そしてその問いに、弥一が「ああ。」と言って答えると、冬馬はいよいよ感情を抑え切れなくなったようで、携帯電話のスピーカー部分を手でを抑えると、「くっ、ふ、っふ。」と笑いながら、ソファの上で手足をバタバタとさせた。 あの弥一が俺に嫉妬している! そう感じた冬馬は、優越感からくるゾクゾクとした感覚に全身で酔いしれた。 長年、夢見てきた感覚を実際に体験できたことに、彼は笑いが止まらなくなる。 そんな冬馬を訝しんだ弥一が、「で、一体何の要件だ?」と言ったことで、さすがの冬馬も笑いを必死に抑えると、 「ああ、悪い悪い。少しネット環境が良くないみたいで、聞き取り辛かったんだ。」そう言い訳をしてから、 「弥一、長らくお待ちかねだったお前の想い人がついに帰ってきたぞ!で、今週の土曜日、金白で人気なフレンチの店で、雪菜の歓迎パーティーをやるんだ。雪菜はお前を真っ先にそのことを伝えようとしたのに、お前が電話に出ないから、あいつ相当気にしてたん
そう言われた弥一は、直後にはきょとんとした顔をしていたものの、言葉の意味を理解したのか、瞬間、その顔を赤らめると、 「バカかっ!ありえない!」 そう叫ぶ弥一に、三雲は、 「いーや、バカはお前だ!」 「なっ。口が悪いぞっ、三雲!」 お互いさまだ、と三雲は心の中で返すと、 「じゃあ、何でここまでしてかすみさんを探したいんだよっ!好きだからだろっ!」 「違うっ!!」 と、弥一は瞬時に否定し、その後も自分に言い聞かせるように、「違う、違う、そんなんじゃ…そんなんじゃない。」と、ぶつぶつ呟く。 "またこのパターンか"そう思った三雲は、さすがにうんざりした様子で、 「じゃあ、何でだよ?」 そう尋ねる三雲に、弥一はキョロキョロと視線を彷徨わせた後に、どうやら体のいい答えを思いついたようで、 「彼女に料理を作らせるためだ!」 三雲はもう呆れてものが言えなかった。なので、顔の表情だけで、気持ちを伝えた。 こんな風に。 (・Д・) そんな三雲の表情に、弥一は狼狽えると、 「な、何だよその顔。こっちはちゃんと答えたんだ、何とか言えよ!」 三雲は疲れたように頭を振ると、 「料理なら早苗さんが作ってくれるんじゃないのか?もしかしてお前の口に合わないのか?」 「いや、そんなことはない。小さい時から食べている慣れ親しんだ味なんだ。」 「なら、早苗さんが作ってくれる料理で十分じゃないか。お前はただ、料理を作る人が欲しいってだけなんだろ?」 「違う!」 「何が違うんだ?」 「そうじゃなくて、彼女に作らせたいんだよ!わかるだろ?」 もちろん、三雲には分かった。むしろ、 "そうまで言っててなぜわからない?" と、それが不思議でならなかった。 「それに、彼女にはわからせてやらなきゃどうにも気が済まないんだよ!」 「はい?」 「彼女は俺をあっさり捨てていった!この俺を、だ!彼女は俺が何者なのかをちっともわかってない!逃した人物の大きさも、どれだけそれが勿体ないかってことも!」 逃した人物の大きさを痛いほどわかっているのは、むしろ自分のほうじゃないか。いや、痛感してるからこそムキになってるのか? そんなことを頭で思いながら、三雲が 「それをわからせてやりたい、と?」 と、聞くと
「申し訳ありませんが、我が社ではー」 「対応できかねます、ですか?」 弥一がそういうと、受付の女性は困った様に眉を下げる。 もしめちゃくちゃに私情を挟んでも許されるのなら、いくらでも目の前のイケメンたちに手を貸してあげたい!だが、会社の上層部からの命令に一介の社員である自分なんぞが逆えるわけもなく、泣く泣く、二人を追い払うのだった。 これでもう六社目だ。 あれから弥一と三雲は、手始めにマップアプリで探偵事務所を調べ上げた。 検索結果に並んだ探偵事務所の中から口コミの良さで選ぼうとする弥一に、三雲は頑なに、とにかく近いところから一つずつ当たっていこう、と言って聞かない。 仕方なく弥一は三雲に従ったのだが、行く先々で皆口を揃えたように、 「申し訳ありませんが、我が社では対応できかねます。」 そう言って頭を下げる。 最初は“何か理由があるのだろうから仕方ないか”と思って大人しくその場を後にしていた弥一だったが、こうも同じように断られるなんておかしい。 そう思い、四社目にして初めて、「理由を教えてもらってもいいですか?」そう聞くと、 「実は今、依頼が立てこんでおりまして。そういった理由から、大変申し訳ないのですが、新規の依頼はお断りさせていただいているんです。」 そう言われた。そして、その次に訪ねた五、六社目でも全く同じ文言で断られ、断る理由も似かよったものだった。 「さすがにおかしくないか?」という弥一に、「そうか?俺は想定済みだったけど。」と、三雲はあっけらかんとした様子で答える。 弥一は足を止めると、 「どういう意味だ?」 そう聞く弥一に、三雲はため息交じりに振り返ると、 「会長はかすみさんの居所を教えてはくれなかったって言ったよな?」 「ああ。だからこうやって、彼女を探すのを手伝ってくれる探偵を探してるんじゃないか!」 「だからだろ。」 「は?」 「かすみさんの居所を調べようとお前が探偵を頼るだろうってなことは、会長なら難なくわかるだろうってことさ!」 瞬間、弥一は口をあんぐりと開けた。 なぜ考えなかった? 明らかにおかしいということはわかっていたはずなのに。なぜ、おばあさまが先回りして妨害しにかかっているという可能性をを考えなかったのだろう。 弥一は、途端に