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第0840話

Author: 十六子
彼女は隼人の目をまっすぐに見つめ、もう拒まなかった。ただ、そっと彼の手を握り、瞼を伏せた。

「……隼人……」

瑠璃が彼の名を呼んだその瞬間、隼人はもう抑えきれなかった。三文字目を聞く前に、彼の唇が彼女の唇を塞いでいた。

瑠璃の胸はたちまち乱れ、頭の中が真っ白になった。

どうして彼とベッドまでいったのか、記憶が飛んでいるくらいだった。

隼人のキスはやさしくて、触れるたびに過去の温もりを思い出させた。

彼が彼女のブラウスのボタンを外そうとしたとき——ふと、彼の視線が止まった。

瑠璃の首元にかけられていたネックレス——

そのペンダントが、かつて彼が返した七色の貝殻だったのだ。

その瞬間、隼人の心臓が高鳴った。喜びに満ちたその表情で、彼はそっとその貝殻に口づけした。

たとえ豪華なベッドやロマンチックな演出がなくとも、この狭くて古びた旅館の一室が、彼にとっては人生で一番美しい夜となった——

翌朝、隼人の腕の中で目覚めた瑠璃は、思わず頬を染めた。

昨夜のことがフラッシュバックのようによみがえり、心臓の鼓動が速くなった。

どうしてあんなことに……

自分でも、隼人の言葉や仕草に翻弄されたことが信じられなかった。

彼女は反射的にお腹に手を当てた。妊娠して三ヶ月——安定期にはまだ早い。

そして、それは気のせいなのか、なんとなく下腹部に違和感を感じた。

ちょうどそのとき、隼人が目を覚ました。隣に彼女の姿がないことに気づくと、彼は少し慌てて起き上がった。

傷口に新しい包帯が巻かれているのを見て、彼は微笑んだ。

「……千璃ちゃん」

その名を呼んだ瞬間、瑠璃が洗面所から出てきた。だが、彼女の顔色は良くなかった。

隼人はすぐに彼女に駆け寄った。

「大丈夫か?千璃ちゃん、顔色が悪い」

「……少し、お腹が……病院に行きたい」

隼人は、昨夜のことを思い出し、わずかに罪悪感を覚えた。けれど彼女を傷つけないように気をつけたはずだ——

とはいえ、彼女の体調が最優先だ。彼はすぐに病院に連れていく決意をした。

瞬の手の者に見つからないよう、彼は彼女と自分の顔にマスクをつけた。

診察を受けた後、二人は待合室で結果を待っていた。瑠璃の不安げな表情を見て、隼人はまたも嫉妬心を覚える。

「そんなに心配か?……あいつの子どもだからか?」

瑠璃は何も言わなかった。た
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