Se connecter夏目家の長女・夏目由利(なつめゆり)は幼馴染で初恋の相手である薄井碧斗(うすいあおと)と結婚した。しかし、彼の本命は由利の妹の夏目紫苑(なつめしおん)だった。体の弱い紫苑は両親から溺愛されて育ち、由利は姉なのだからといつも我慢を強いられた。紫苑が病死したあと、碧斗は由利に「お前が死ねばよかったのに」と言い残し、彼女の目の前で自ら命を絶った。彼の死体を眺めていた由利の時間は巻き戻り、紫苑が亡くなる前に戻っていた。そこから何度か回帰を繰り返すが、由利は自らが死ぬ運命から逃れることができなかった。四度目、彼女はとうとう愛する夫から離れる決意を固める。今さら気遣ったってもう遅すぎた。
Voir plus”噂”という一言をしっかりと聞き取った由利は、気になって尋ねた。「噂って何のことですか?」「な、夏目さん……」「やめなさい、当事者に言うようなことではないわ」若く経験の浅い女性社員は、無意識に口に出してしまったのだろう。由利より年上の先輩社員が、彼女の失言を諫めた。しかし、噂の内容が夏目家である以上、由利もそう簡単に退くことができなかった。交友関係の広くない彼女の元には、人々の噂など滅多に耳には入ってこない。「……私が夏目家の人間と折り合いが悪いのは、知っていますよね?大丈夫です、家族には言ったりしませんから。言ったところで私の意見なんて聞き入れてもらえないような家ですので」「夏目さん……」その言葉を信用したのか、それとも同情心を抱いたのか。自分の知らなかった夏目家に関する秘密を知れるのなら、もはやどちらでもかまわなかった。彼らはようやく折れたようで、小声で由利に話し始めた。「実はね……前々から区内で囁かれている噂があるのよ……夏目家の次女……夏目さんの妹さんに関することで」「紫苑に関する噂……」夏目紫苑と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、彼女の愛らしい容姿や気さくな性格だろう。地味な由利とは違って華やかな容姿をしている紫苑は、どこへ行っても目を引く存在だった。異性に対する距離感が近いという悪い面もあるが、それも噂になるほどのことではない。ならば、一体何がそこまで人々の間で囁かれているというのか。きっと由利も知らない、衝撃的なことなのだろう。彼女はゆっくりと頷き、どんなことでも受け入れるという意思表示をした。その真剣な表情で、社員たちは由利の気持ちを察したようだった。一人の女性社員が前に出ると、ゆっくりと口を開いた。「――夏目家の次女が……夏目社長の子供ではないという噂よ」「…………そんな、冗談ですよね?」予想していた通り、由利は衝撃を隠すことができなかった。紫苑が父の子供ではない。もし本当であれば、家庭が崩壊してしまう可能性の高い事案だった。由利は全く知らなかったが、区内ではなかなかに有名な噂なのだという。「……さぁ、真偽はわからないわ。だけどね、夏目社長夫人には昔……社長と結婚する前に付き合っていた恋人がいたそうよ」「母さんに……ですか?」由利は両親の過去、出会った経緯や交際していた頃については何も知らなかった。結婚す
紫苑を連れての新婚旅行が無事に終わり、いつも通りの日常へと戻った。長い休み明け、由利は職場の同僚たちへのお土産の紙袋を手に、出勤の準備をしていた。(あっという間だったわね……)楽しい時間はすぐに過ぎ去ってしまうというが、どうやら本当だったようだ。今日からはまた仕事が始まる。由利は前世から仕事が嫌いではなかった。元々家に居場所がないので、職場は彼女にとって唯一の憩いの場であり、逃げ場でもあったからだ。朝、家から出ようとした由利に紫苑が声をかけた。「姉さん、もう行くの?」「……紫苑?」いつも由利が出勤する時間は寝ているはずの彼女だったが、今日はなぜか起きてきたようだ。初めての海外旅行で疲れが溜まっているはずだが、平気なのだろうか。そのような心配が頭をよぎったものの、あいにく今の彼女には紫苑を気にかけていられるほどの余裕はなかった。――由利はもう、自分の人生を生きるのに精一杯だったからだ。「紫苑、早いのね」「出かける前に姉さんを一目見ておきたくて、起きちゃったのよ」彼女はフフッと微笑んだ。以前は愛らしく感じていた笑みが、なぜか今は不気味に思えてしまう。きっと気のせいだと、由利は自分に必死で言い聞かせた。「――気を付けて行ってきてね」「……」紫苑は笑顔で言うと、彼女の耳元に真っ赤な唇を近づけた。「――次は通り魔に襲われないように、ね?」「……」やはり、さっきの不気味な笑みは気のせいではなかったようだ。紫苑が由利と同じように前世の記憶があることは、旅行のときに知ったばかりだ。そんなくだらないことを言うために、わざわざいつもより早く起きてきたのか。「……ええ、言われなくてもそうするわ」由利は平然を装って紫苑に笑い返し、家を出た。***その後、由利は普段通りの時間に会社に出勤した。「あら、夏目さん。久しぶりね」「皆さん、おはようございます」いつものメンバーが、由利を出迎えた。ここでは夏目家のように彼女を虐げる者はいない。由利が唯一心安らげる場所だった。「皆さんにお土産があるんです」由利は手に持っていた紙袋からハワイ旅行で買ったお土産のお菓子を取り出し、全員に配布した。「まぁ、とっても嬉しいわ。ありがとう、夏目さん」「どういたしまして、いつもお世話になってるお礼です」由利からお菓子の包み紙を受け取った一人の社員が尋ねた
楽しかった旅行はあっという間に終わり、帰国の日となった。三人は荷物をまとめてホテルを出ると、国へ帰る飛行機に乗り込んだ。「姉さん、義兄さん。旅行とっても楽しかったわね」「ええ、そうね」「……」最後までウキウキの紫苑とは対照的に、碧斗は昨日からずっと浮かない顔をしていた。昨夜紫苑との不倫を追及したのだから、そうなるのも無理はないのかもしれない。今、由利と紫苑は碧斗を真ん中に二人で彼を挟んで座っている。由利は紫苑を真ん中にしようとしたが、なぜか碧斗がそれを拒否した。ふとスマートフォンを確認すると、涼介からのメッセージが届いていた。旅行が始まったときから、由利はこっそり彼とメッセージのやり取りをしていた。『お土産を買ったから、楽しみにしていてね。兄さん』長いようで短い、でも楽に過ごせた日々だった。紫苑がついて来ると知って不安だったけれど、何とか無事に終えられたようでよかった。由利はフゥと息を吐くと、背もたれに背中を預けた。旅の終わりだからか、疲れが溜まっていた。(家に帰ったらまた、父さんと母さんとの暮らしに戻るのね……)そのことを考えると途端に憂鬱になってしまうが、仕方がない。必要以上に関わりさえしなければ、前世のようにはならないはずだ。(今死んだとしても、また回帰してしまうことだけは避けたいわね……)てっきり碧斗の死が回帰の条件だと思っていたが、前回は由利の死で時を巻き戻ってきた。つまり、碧斗の死が回帰の条件ではないということだった。前世のことを考えると、何が正解なのかがわからなくなってしまう。今の人生ももしかすると夢なのではないかと、疑ってしまうことすらあった。(だけど、前世ではなかったパーティーや涼介兄さんの登場……明らかに未来は変わって行ってるのよ)由利はずっと未来なんて変えられないと思っていた。どの人生においても碧斗は紫苑を愛して由利を冷遇した。だけど、今世では彼女の周囲の人間も少しだが変化を見せている。このままなら、良い方向へ向かってくれるのではないかと僅かながらに希望を抱くようになった。あれだけ世界に絶望していた自分が希望を見出せる日が来るだなんて、想像もしていなかったことだ。安心すると、何だか急に眠くなってしまった。(ちょっとだけ、寝ようかしら……)由利は襲い掛かる睡魔に耐えられず、そのまま目を閉じた。眠っている
ホテルへ戻った由利は、何も思うことはなく、ただボーッと一人部屋で過ごしていた。碧斗はあの場に置いて来た。気まずそうだったから、しばらくここへは来ないだろう。「……私ったら、勢いで何てことを言ってしまったのかしら」二人の恋を応援するだなんて言っておきながら、あれでは嫌味のように思われてしまうのも無理はない。もちろん、不倫した碧斗と紫苑が悪いだろうが、それでもあんなふうに言うのは彼女らしくなかった。碧斗の接し方が変わったせいで、由利も心に余裕が無くなっていたようだ。「もう、寝ましょう……旅行のときくらい、あの二人や前世のことを考えずにいたかったけれど……」紫苑がついてくると決まった時点で、そのような希望はとうに捨てていた。希望を抱いていたところで虚しくなるだけだということを、彼女は既に身をもって知っていた。「何だか疲れた……今日はもう休みたい……」まだ寝るような時間ではなかったものの、由利はベッドに横になって目を閉じた。疲れが溜まっていたせいか、彼女はすぐに睡魔に襲われた。目が覚めたら、何の面倒事もない平穏な世界に転生できたらいいな――なんてそんな叶うはずのない願いを浮かべながら、彼女は意識を手放した。***夜、眠りについた由利の部屋に誰かが入ってきた。その人物は、横で寝ていた碧斗を通り過ぎ、真っ直ぐに由利の元へと歩みを進めた。「姉さん……」「……」紫苑は由利の頬をツンツンと指でつついた。柔らかい白肌に、彼女の指が食い込んだ。「姉さんったら、昔から疲れている日は一度寝たら朝まで絶対起きないのよね」紫苑は由利を見ながら、恍惚の表情を浮かべた。真っ暗でシンと静まり返った部屋に、彼女の声だけが響いた。由利もだが、横で眠っている碧斗も起きる心配はない。実は紫苑はこっそり、碧斗の飲んでいる水に睡眠導入剤を入れていた。流石に由利に薬を飲ませるのは憚られたため、入れたのは彼の分だけだった。「義兄さんったら、ずるいじゃない。私を置いて一人で姉さんと過ごすだなんて……」紫苑は由利の眠るベッドサイドに腰を下ろし、彼女を見下ろした。何だか普段と立場が逆転したようだった。いつも見上げてばかりだったけど、たまには見下ろすのもいいな。姉さんは寝顔もとっても綺麗だし。「姉さん……他の誰かのものになんてならないでよ」紫苑は突然表情を曇らせた。「私だけが姉
目が覚めると、由利は病院の一室にいた。「無事だったんですね、よかったです」「あなた……」ベッドに横たわる由利の顔を、夏目家のメイドが心配そうに覗き込んだ。また巻き戻ってきたのではないかと思ったが、どうやらそうではないようだ。由利は自身の安否など気にも留めず、メイドに尋ねた。「お腹の子は……」「……」その問いに、メイドは痛々しそうに視線を逸らした。由利は彼女の反応で全てを悟った。――あぁ、流産してしまったんだ。奇跡のように私の元へやって来てくれた子は、産まれることもなく亡くなってしまったのね。悲しくて、悔しくて、やりきれない気持ちになった。由利は病室内を見渡した。流産したと
それから碧斗は、毎日のように紫苑のいた病室で泣き続けた。彼女がいなくなり、火葬されたあともずっと。仕事も手に付かなくなるほど毎日のように大声で泣き、隙あらば彼女の痕跡を探した。彼女が生前着ていた服を抱きしめ、服が濡れるまで泣いた。もちろん両親も深い悲しみに暮れていたが、それでも彼の絶望は異常ともいえるほどだった。この世の全てを失ったかのように、真っ暗な部屋で酒を浴びるように飲み続けた。彼女のいない世界なんて、意味がないのだろう。由利はそんな彼をただ見ていることしかできなかった。姉妹ではあるが、紫苑に似ているところなんてほとんどない由利に、彼女の代わりなんて到底務まらないからだ。そして
両親、碧斗は紫苑の妊娠に大層喜んだ。このときには既に紫苑は病気を克服し、強く生き始めていた。そんな彼女の変化は、由利にとっても喜ばしいことだった。「二人とも、妊娠おめでとう」「ありがとう、姉さん」紫苑は嬉しそうに微笑んだ。まだ平らな彼女のお腹を、隣にいた碧斗がそっと撫でた。その顔はとても幸せそうで、由利は回帰してよかったと心の底から思えた。紫苑は複雑そうな目で由利を見つめた。「姉さんから祝いの言葉をもらえるとは思っていなかったから……驚いたわ」「……そんなことないわ、私は誰よりもあなたたちの愛を応援しているもの」強がりでも嘘でもない。紛れもない本心だ。由利の言葉を聞いた両親は
「紫苑……!紫苑……!しっかりしてくれ……そんな……どうして急に……!」水藻区(みなもく)にある大病院の一室にて。一人の男がベッドに横たわって微動だにしない女に必死の思いで呼びかけている。彼の呼びかけも虚しく、彼女はビクともしなかった。病室が静寂に包まれ、人々のすすり泣く声が耳に入る。この場にいる全員が彼女の死を悲しみ、現実を受け止めきれないでいる。そんな中、一人の女が複雑な表情で彼ら家族を見つめていた。「……」――どうして、こんなことになってしまったのか。彼女は心の中で自分自身に問いかけた。当然、答えなど出てこなかった。元より、答えられる問題ならそのように思ったりはしないだろう
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