Masuk……そして、桜は目を覚ますと、頭が割れるように痛く、胃がむかむかした。時計を見ると、もうお昼の12時だった。彼女は頭をもみながら起き上がり、ベッドサイドに置かれたスマホを手に取った。スマホは電源が切れていた。きっと寧々が、彰人たちから電話で文句を言われると思って、電源を切っておいてくれたんだ。やっぱり、寧々は優しいな。そう思って、桜はスマホの電源を入れると、何十件もの不在着信が残っていた。すべて、彰人と京子からだった。あ、何件かは結人からもだ。結局はみんな同じ穴のムジナだ。桜は着信履歴をすべて消去して、ラインをざっと見た。すると昨夜、寧々から送られた動画があった。そこには猫がまたテーブルに飛び乗って、彼女のコップの水をこっそり飲んでいたのが映っていたのだった。それを見た桜は呆れて笑ってしまった。この子ったら、最近反抗期なんだから。生後8ヶ月か。そろそろ去勢手術を考えなきゃ。「うっ――」だが突然、胃から吐き気がこみ上げてきた。桜はスマホをベッドに放り出し、裸足のままバスルームへ駆け込むと、洗面台に手をついて苦しそうにえづいた。お酒って、酔っ払っている時より、次の日の二日酔いの方が何倍も辛い。昨夜吐ききれなかったアルコールが胃に残っていて、苦くて酸っぱい胃液がこみ上げてきているのだった。桜は嗚咽で出た涙を流しながら、蛇口をひねって顔を洗った。一方、寧々は外でその物音に気づき、ドアを開けて寝室に入ってきた。バスルームの入り口まで来ると、顔を洗っている桜を見て、心配そうに声をかけた。「大丈夫ですか?」「全然大丈夫じゃない。お酒のどこが美味しいのかさっぱりわかんない。どうして男の人ってああいうのが好きなんだろう!」桜は蛇口を閉め、タオルで顔の水滴を拭った。もともと白い顔が、今は血の気がないほど真っ青だった。彼女はタオルをそばのゴミ箱に捨てると、寧々の方を向いて胃を押さえながら言った。「寧々、胃が気持ち悪くて死にそう」それを見た寧々は同情しつつも呆れたように言った。「軽食を作りました。康弘さんが送ってくれた自家製の漬け物が昨日届いたから、それと一緒に食べたら少しは良くなるんじゃないですか?」「漬け物!」桜はそれを聞いた途端に目を輝かせた。「食べる食べる!」寧々は笑って
一方、その頃27階。桜は鍵を開けると、ドアを勢いよく開けて部屋に駆け込んだ。「寧々!私、もうダメ……」そう言われ、ソファで猫を撫でながらドラマを観ていた寧々は、飛び起きた。「どうしましたか?何があったのですか?」「にゃん!」まるまると太った猫も、その物音に驚いて飛び上がり、全身の毛を逆立てた。次の瞬間、灰色の影が自分に向かって突進してくるのが見えた。「みゃうっ!!」猫のスピードは人間の7倍と言われているけど、酔っ払いを相手にすると、その俊敏さも役に立たないようだ……桜は猫をむんずと掴むと抱きしめた。「トラちゃん!私、今夜あのクソ父に男に売られそうになったのよぉ、うぅ……でも、いつもあなたと鬼ごっこしてたおかげで、足だけは速くてさ。じゃなかったら、今頃あの男に汚されて……!」それを聞いて寧々は慌てて駆け寄ると、桜から猫を取り返した。「トラちゃんをびっくりさせないでよ!」すると、桜はもがきながら、猫をまた掴もうとした。一方、自由になった猫は、さっとソファに飛び乗って身を伏せると、呆れたように目を細めて、酔って騒ぐご主人を眺めていた。片や、桜はカーペットに座り込み、寧々にもたれかかって呂律の回らない口で言った。「ウォッカを3杯も飲まされて、喉が焼けるみたいだった。康弘さんがいつも飲んでるイモ焼酎よりもまずいんだから……」寧々は彼女を抱きしめ、目を真っ赤にしながら言った。「もう無理しなくていいんです。まずいお酒だってもう飲まなくていいんです……」「桐島が私と寝たがってるのは知ってる。この業界の男、みんな私を狙ってる。でも、なんであんな人たちの思い通りにならなきゃいけないのよ!あの時、康弘さんが、悪者を刺して漁船一隻分の慰謝料を払ってまで守ってくれた私の体を、なんであんな権力者のクズどもにくれてやらなきゃいけないの!」「うん、全部わかっていますよ。あなたはすごく勇敢なんです。誰よりも強くて、勇敢なんですから!」寧々は桜を抱きしめ、声にならないほど泣いた。寧々に抱きしめられて、本当はすごく苦しいのに、桜は涙を一滴も流せなかった。あまりに長い間我慢しすぎて、彼女は普通に涙を流すことさえ忘れてしまったようだった。だから、大人になってからどの監督にも言われたんだ。「演技に心がこもってない」「泣く演技がわざとら
そして、エレベーターのドアが閉まるのを確認すると、安人はうっすらと口角を上げ、指先ひとつでドアモニターの電源を切った。それから、向き直って靴を履き替え、彼はまっすぐ寝室へと向かった。その時、スマホが震えた。新太からの着信だ。寝室の明かりをつけ、安人はネクタイを緩めながら電話に出た。「社長、先ほど菊地社長からお電話がございました」「何と?」「社長と、春日さんがどのようなご関係なのかと、遠回しに探りを入れてきました」安人はふっと口元を緩めた。「彼が知りたいのか?それとも桐島が知りたがっているのか?」「菊地社長ご自身も興味があるのでしょう。ですが、桐島社長のために聞いているようでした。桐島社長は春日さんに対してかなり強硬なようで、もし社長が春日さんをかばうのであれば、恩を売る形で彼女を譲ってもいい、と……」自分に恩を売るだと?そう思って、安人は冷たく鼻で笑った。長年ビジネスの世界を渡り歩いて来たが、起業したての頃でさえ、こんなに偉そうな口を利いてくる人間はいなかった。金吾は桜をダシにして、自分と有利な関係を築こうという魂胆か。なかなか賢い算段を立てるじゃないか。「桐島は放っておけ」安人の声は低く、感情がこもっていなかった。「菊地社長にはこう伝えろ。颯介さんと親しいのは事実だ。しかし、芸能界への投資に興味がないのも事実。進む道が違う人間とは組む気はない、と」新太は彼の意図を理解した。「承知いたしました。そのように伝えます。では、春日さんの件は……どうなさいますか?」「一時的に助けることはできても、一生面倒を見るわけにはいかないだろう?」それを聞いて、新太は言葉に詰まった。「俺が彼女を助けたのは、車に轢かれた野良猫を見つけて、気まぐれに動物病院へ連れて行ったようなものだ。君に電話させたのは治療費代わりさ。死なないように治療を受けさせるところまでは保証するが、それ以上は俺の知ったことじゃない」そう言って、安人は寝室の大きな窓際に立ち、眼下に広がる街の夜景を見下ろし、その声は氷のように冷たかった。「人はそれぞれの運命を歩むものだ」「社長のお考え、よく分かりました」だが、電話を切った後も、安人は窓の外を見つめていた。脳裏に、ころころと表情の変わる桜の顔がふとよぎった。桜が綺麗なことは認める。まるで精
そして、桜は頭の中で素早く計算した。身長差も男女の力の差も歴然。力ずくでやり合っても、勝ち目なんてゼロだ。だが、こんなついていない人生でも、まだ死ぬのはごめんだ。まだ23歳の誕生日だって迎えてないのに。それに、寧々が家で待ってる……こんなところで死ぬわけにはいかない。色々考えた末、彼女は深く息を吸い込んで、覚悟を決めた。ゆっくりと振り返り、おそるおそる手を伸ばしてインターホンを押した。インターホンが鳴った。1回、2回、3回……桜の心はどんどん沈んでいった。うそでしょ。まさか留守なの?なんでいつもこうなのよ、自分って本当についていない。そう思うと、桜は本当に泣きそうだった。彼女は振り返り、震える声で安人に言った。「あの、彼氏はいないみたいで、大丈夫です。ここで待ちますから」だが、安人は親切に教えてあげた。「彼氏に電話してみたらどう?」「スマホのバッテリーがなくなってしまいました!」すると安人は自分のスマホを取り出し、ロックを解除して彼女の前に差し出した。「俺のを使いなよ」ここまで来ると、桜はもう観念するしかなくなった。「ありがとうございます。でも、彼の電話番号、覚えてなくて……」こんな状況でも、まだ意地を張るなんて。そう思って、安人はとうとう笑い声をあげた。安人が笑うのを見て、桜の目から涙がこぼれ落ちた。彼女は両手を合わせて拝むように頼んだ。「お願いします。もう帰ってください。本当に、ここが家なんです!」桜が涙を流すのを見て、安人の瞳に面白そうな色が浮かんだ。なんて可憐で、なんて可愛らしいんだろう。この前のステラ・エンターテイメントで見た彼女とは大違いだ。あの時、桜が相手を組み伏せてめちゃくちゃにしている姿を見ていなかったら、今頃は本気で同情していただろう。「あなたとは何の関係もないはずです!お願い、見逃してください!お金なんて持ってないし、貧乏なんです!それに、私、HIV感染歴があるんですから……」「君は勘違いしているだけだよ」安人はため息をついた。桜が自分を守るために、これ以上とんでもないことを言い出さないように、低い声で言った。「俺も、本当に家に帰るところなんだ」「だったら早く帰ってください!」桜の頭はもうぐちゃぐちゃで、ただなんとか生き延びたいと思う一心だっ
だが、安人は桜の奇妙な行動に少し興味をそそられても、彼は顔に出さず、この女が一体何を企んでいるのか、見届けてやろうと思った。……やがてエレベーターは28階に到着した。ドアがゆっくりと開くと、桜は目を閉じて息を深く吸い込んだ。覚悟を決めたように振り向くと、彼女は完璧だと思い込んでいる、ひきつった笑顔を安人に向けた。「もう家に着きました。今夜はわざわざ送ってくれてありがとうございます!本当に感謝しています!それじゃあ、気をつけて帰ってくださいね!」それを聞いて、安人は絶句した。彼は桜を見つめた。もし桜の酔いが覚めていたら、安人のなんとも言えない呆れたような眼差しに気づいただろう。だが残念なことに、今の彼女は完全に酔っ払っていた。アルコールと激しい妄想のせいで、エレベーターを降りる桜の足はおぼつかなかった。どうやら、恐怖で足がすくんでしまったようだ。後ろの男が何も言わないので、彼女は家の前まで来たからもう諦めたのだろうと思った。ここは高級マンションで、監視カメラもそこら中にある。まさか無茶はしないはず。そうよ、しないわ。そう思ったが、次の瞬間後ろから足音が聞こえてきた。ついてきた。これには桜も、すっかりパニックになった。なんでまだ諦めてくれないのよ。彼女は息を殺し、ゆっくりと歩いた。背中はすでに冷や汗でびっしょりだった。だが、安人は急ぐ様子もなく、ゆっくりと桜の後ろをついていった。ワンフロア一世帯の造りなので、嘘がバレるのを恐れた彼女は、意を決して玄関の前に立った。そうだ、鍵を忘れたふりしてインターホンを鳴らそう。いくらなんでも、若い女の子が夜中に知らない男に後をつけられてたら、ご近所の人が助けてくれるはず。そう決心すると、桜は安人の方を振り向いた。「あ、どうしましょうか。また暗証番号忘れて、彼氏が家にいるはずですから……」そう言われ、安人は彼女をじっと見つめた。「彼氏?」一方、そう聞かれた桜はうんうんと頷いて言った。「そう、彼氏がいます。ジムのトレーナーで、筋肉がムキムキで超強いんですよ。あ、そうそう、副業もしていて、プロボクサーなんです。しょっちゅう海外で試合に出ていて、優勝なんて朝飯前なんですから!」それを聞いて、さすがの安人もこれには笑ってしまい、片眉を上げた。「へえ?
すると、後ろでドアが閉まり、車が遠ざかっていく音がした。桜がぼうぜんとしていると、背後からゆっくりと足音が近づいてくるのを感じた。彼女はきょとんとした。振り返ると、そこに安人がいた。エレベーターホールは明るい。男はすらりとした長身だった。身長165センチの桜はフラットシューズを履いていたから、彼と目を合わせるには少し顔を上げる必要があった。その彫りの深い端正な顔立ちをはっきりと見て、桜は目をみはった。芸能界に10年もいれば、かっこいい男性なんて見慣れたものだった。でも、目の前の男性は、ルックスも雰囲気も、芸能界のトップスターに匹敵するほどだった。ゆっくりと近づいてくる男を見つめていると、桜の心臓がどきどきと高鳴り始めた。桜は思わず胸を押さえ、眉をひそめた。安人が隣に立つと、とうとう首をかしげて、自信なさそうに尋ねた。「あ、あの……あなたがさきほど親切にしてくださった方……ですか?」そう言われ安人はエレベーターの電光表示板からゆっくりと桜へ視線を移した。そして彼女の潤んではいるけれど、明らかにまだ焦点の合わない瞳と目が合った。彼は小さく喉を鳴らして、「ええ」と頷いた。「もう十分親切にしていただきましたので、ここで大丈夫ですよ。あなたみたいな大御所に、わざわざ家まで送ってもらうなんて、申し訳ありませんので!」すると、安人はもっと何も言えなくなった。どうやら相手は、かなり酔っているらしい。一方、桜は階数表示のパネルを見上げると、安人に向き直って言った。「エレベーター、来ましたよ。もう帰ってください!」安人は酔っぱらった桜を見て、唇をきゅっと結ぶと、ため息交じりに低い声で言った。「誤解してるみたいだけど、俺は……」「エレベーター来ました!」桜は嬉しそうに声を上げ、安人に手を振ると、くるりと向きを変えてエレベーターに乗り込んだ。だが、振り返ると、安人もエレベーターに乗り込んできた。すると、桜の動きが止まった。片や、安人は入ってくると、そのまま桜の後ろに立った。その瞬間、桜は混乱した。そしてエレベーターの階数ボタンを押そうと上げた手も、宙で止まった。なんで、ついてきたの?家まで送らなくていいって、言ったはずなのに。最近のセレブは、人助けもこんなに徹底してるの?違う。おかしい。まさ
ほどなくして梨野川の別荘に到着すると、黒いワゴンは中庭に停車した。そしてドアが開いた。誠也が先に降り、続いて子供を抱いた綾をエスコートするようにして降ろした。祐樹も反対側のドアから降りてきた。綾は言った。「そろそろ目が覚める頃ね」「暑いから、先に入ろう」誠也は穏やかに言った。祐樹と稜花は、トランクから4つのスーツケースを取り出した。そのうち2つは子供のものだった。それらは全て、音々が子供のために用意したものだった。家の中に入ると、予想通り、赤ちゃんは目を覚ましていた。そして目を覚ました赤ちゃんを見た瞬間、綾は思わず息を呑んだ。赤ちゃんの顔は、音々に瓜二つ
「誰から?」音々が近づいてきて尋ねた。輝は振り返り、スマホを音々に手渡した。「浩平さんからだよ」音々はスマホを受け取り、輝の目の前で通話ボタンを押した。「もしもし」「お父さんがあなたに会いたがっている」音々は眉を上げた。「私に会うって?何の用かしら?」「戸籍の件で会いたいそうだ」航太が、自分に戸籍を移してほしいなんて?あの日、自分はこれ以上ないくらいはっきりと断ったはずなのに。そう思いながら、音々は動揺することなく言った。「彼に伝えて。私がやったことは、籍を入れるためじゃない。自分の出生の秘密を明らかにし、私の人生を脅かす者を排除するためだけだから」浩平は少
輝は思わず笑い出した。「あんなに立派な一族なのに、よくそんなことを信じるよな!」「H市では、商売をしている家柄でこういうのを信じているのも多いみたい」「じゃあ、浩平さんが我妻家に来たら、成和さんの病気は治ったのか?」「徐々に回復に向かったんだけど、成人した後に、子供を作れない体だってことが分かったんだ。占い師によると、それだけでも不幸中の幸いだって。もっと早く分かっていれば、結果は変わっていたかもしれない、とも言っていた」輝は絶句した。「でも、占いなんてものは証拠がないものだし。真実は、中川さんが成和さんが小さい頃からずっと、陰で彼の体に何かをしていたらしいの。その手口は陰
部屋には小さな仏壇があって、そこには3つ揃って位牌と骨壺が安置されていた。美紀の両親と弟・中川亮(なかがわ りょう)の位牌だ。そして位牌の前には香炉が置かれていたが、中は空っぽで、線香をあげた跡もなかった。つまり、ここ数十年、美紀は一度も戻ってきていないということだ。「当時、中川さんは三人それぞれに盛大な葬儀を執り行い、縁起の良い場所に埋葬したと言っていたのに、今、三人の骨壷はここに......」浩平は眉をひそめた。「彼女がわざと、彼らを埋葬しなかったのか?」「どうやら、埋葬したくなかっただけではないようね」音々は部屋に視線を巡らせた。「見て、窓や壁、それにドアにも、お札が







