LOGIN江崎詩織(えざき しおり)は、賀来柊也(かく しゅうや)と付き合って7年。それでも、彼からプロポーズされることはなかった。 痺れを切らした詩織は、自ら柊也にプロポーズすることを決意する。 しかし、そこで彼女は知ってしまった。柊也には長年想い続けている「忘れられない女性」がいて、その人のためならエリートの座を捨て、不倫相手になることさえ厭わないという衝撃の事実を。 結局、自分は彼の「本命」のための当て馬でしかなかったのだ。そう悟った詩織は潔く身を引く。人生最大の敵とは、時に自分の思い込みに囚われた自分自身なのだから。 誰もが、詩織はただ拗ねているだけだと思っていた。柊也自身でさえ、そう高を括っていた。 7年も飼っていた犬が、飼い主から離れられるはずがない、と。 だが、やがて柊也は気づくことになる。飼い主から離れられなくなった犬は、自分の方だったと。 世間は詩織を「7年間も弄ばれた末に捨てられた哀れな女」と嘲笑う。 だが、柊也だけは知っていた。本当に弄ばれていたのは──自分の方だったということを。
View More詩織が張ったはずのバリアも、そのあまりに露骨な視線を前にしては、次第に揺らぎ始める。二人の間に流れる奇妙な空気には、事情を知る京介はもちろん、何も知らない須藤学長までもが気づき、不思議そうに二人を見比べた。「おや、お二人はお知り合いですか?」「いえ、あまり」「ええ、よく知っています」返ってきたのは、正反対の答えだった。学長は察しのいい男だ。苦笑まじりに、からかうような口調で柊也に向けた。「君が女性に対してこれほど興味を示すなんて、珍しいこともあるものだ」柊也は否定しなかった。ただ、ゆっくりと詩織の全身をなぞるように視線を滑らせる。そのねっとりとした眼差しは、まるで視線だけで彼女を愛撫しているかのようだった。ようやく式典が始まり、学長が壇上で祝辞を述べ始めると、詩織は密かに安堵のため息をついた。次いで、来賓として招かれた柊也の出番がやってくる。若き成功者として、在校生たちに起業の経験を語るためだ。彼が壇上へ向かうと、空いたその席に、今度は学長がちゃっかりと腰を下ろした。詩織との距離を縮めるための、彼なりの根回しなのだろう。地方からの赴任間もない学長にとって、人脈作りは急務であり、詩織がその理解を示して談笑に応じると、話題はやがて柊也のことになった。学長に彼との接点を尋ねると、彼は懐かしそうに目を細めた。「彼とはもう、十二、三年前からの付き合いになりましてね。当時、私はこの街の工業高校で生活指導の主任をしていたんですよ。そう、江ノ本第一高校の隣にある、あの酷く荒れた学校です」学長の話によれば、当時のその学校は問題児の掃き溜めのような場所だったという。「素行の悪い連中ばかりでしてね。ろくに授業も受けず、外の不良グループとつるんでは喧嘩や窃盗を繰り返す。挙句には女子生徒の後をつけるような不届き者までいた。連中、まだ未成年なものだから、こちらとしても扱いには本当に手を焼いたものですよ」十二、三年前、詩織は江ノ本第一高校に通っていた。当時の学校周辺は決して治安が良いとは言えず、不勉強な不良たちが常にうろついているような場所だった。あの一帯の空気には、今も苦い記憶が染みついている。詩織自身、執拗に後をつけられるという恐怖を味わったことがあるからだ。当時、放課後の居残り勉強を終えた彼女は、毎日欠かさ
加工じゃなくてマジでこの仕上がりなら、相当ヤバい肉体美じゃない!ミキは礼儀として、すかさずコメントを残した。【ちょっと、目の保養すぎるんですけど! 腹筋で大根おろせそう🤤💕 もっと全体見せてよー!】コメントを書き終えると、他の動画をスワイプして見始めた。しばらくして、「もう一回じっくり見よう」と思い出し、先ほどのページに戻ってみると……驚いたことに、その動画はすでに削除されていた。「はあ?ケチすぎない!?」まだ舐め回すように隅々まで堪能していなかったというのに!一方、個室に戻った詩織は、今夜はほとんどお酒を飲まずに済んでいた。主催者である坂崎社長から、事前の挨拶で「今夜は軽く嗜む程度にしましょう」と提案があったからだ。普段から彼と飲み歩いている経営者仲間たちは、その異例の宣言に戸惑い、ニヤニヤと冷やかした。「坂崎さん、さては奥さんから『飲みすぎ禁止令』でも出ましたか?」坂崎社長は苦笑して手を振った。「いやいや、そうじゃありませんよ。実は友人から特別に釘を刺されてましてね。『可能ならあまり飲ませないでやってくれ。女性陣に配慮してほしい』とね」この場にいる女性は、詩織ただ一人だ。同席者たちの興味津々な視線が、一斉に彼女へ注がれる。普段なら、こういう場面でも見事に話題を切り返して場を盛り上げるのが彼女の流儀だった。しかし今夜は、なぜか頬がカッと熱くなるのを止められなかった。詩織はグラスを手に取り、少しはにかみながら立ち上がった。「皆様の紳士的なお気遣いに感謝いたします。お言葉に甘えまして、今夜は一口だけ。……でも、感謝の気持ちはこのグラスにたっぷり込めておりますわ」会食が終わり、帰りの車に乗り込むと、ミキはようやく一日中張り詰めていた警戒を解いた。ふわぁ、と大きなあくびを一つする。「どうやら、あいつも諦めたみたいね!」ミキは勝ち誇ったように言った。「やっぱり男なんて、どうせみんな三日坊主なのよ!」詩織は手に持った絶妙な温度のレモンウォーターを一口飲みながら、いたたまれない気持ちで親友の横顔を盗み見た。……三日坊主、か。事情など何も知らないミキは、自分の『鉄壁のガード』が完璧に機能したのだと信じて疑わず、一人ご満悦の様子だ。自分が築き上げたはずのその強固な防壁が、とっくの昔に『敵』に内側から浸透され
ミキは非常に有能なボディーガードだった。柊也が少しでも付け入る隙を与えまいと、四六時中、詩織の傍に張り付いて目を光らせていたのだ。そうして一週間が過ぎたが、柊也が姿を見せることは一度もなかった。ミキもさすがに安心したようだった。「あいつもやっと空気が読めるようになったみたいね。もうちょっかい出してこないなんて」密が差し入れてくれたお菓子をつまみながら、パソコンに向かう詩織に得意げに笑いかける。詩織は画面から少しだけ視線を外し、ミキの手にあるお菓子を見て、何か言いたげに口をつぐんだ。だが、満面の笑みでそれを頬張る親友を見て、結局出かかった言葉をそっと飲み込んだ。午後になると、今度は密が甘いスープのデザートを運んできた。ミキはすっかり丸くなったお腹をさすりながら、詩織に向かって密を絶賛した。「あんたのアシスタント、本当に最高!小腹が空いた絶妙なタイミングでお菓子を持ってきてくれるし、喉が渇いたと思ったら冷たいデザートまで!もう完全に私の心、掴まれちゃったわ!」キンキンに冷えたココナッツミルクを一口飲み、ミキは至福の表情を浮かべた。「やっぱりこういう暑い日は、冷たいものに限るわよねー!」詩織は、自分の手にあるマグカップをぎゅっと握りしめた。……彼女のカップの中身は、温かい飲み物なのだ。本当は、自分だって冷たいデザートを食べたいのに。すると、密が淡々とした口調で容赦なく釘を刺してきた。「日向先生から、『冷たいものは生理痛を重くする』と伺っております」「…………」詩織は無言で視線を逸らし、大人しく温かい飲み物をすすった。その夜、詩織は接待の席にミキを伴うことになった。東華キャピタルの坂崎社長が主催する会食だ。ミキがこういう堅苦しい場を嫌っていることは、詩織もよく知っていた。飛び交う話題は難解なビジネス用語ばかりで、ミキにとっては退屈以外の何物でもないからだ。だから気を遣って、「無理してついて来なくていいよ?」と勧めてみたのだが。「ダメよ!もしその隙にあのクズ也が近づいてきたらどうするの! 私が片時も離れず見張ってなきゃ!」ミキは即座に却下した。「……そんなに、彼のこと嫌い?」詩織はつい、恐る恐る探りを入れてしまった。ミキは親の仇でも見るような顔つきで、語気を強めて言い放った。「私にとっては、一
詩織は彼の手を振り払い、ミキを庇うように言った。「彼女に当たらないでよ」詩織の中で自分の優先順位がミキより低いことなど、柊也はとうの昔に理解していた。それでも、実際に面と向かってこう言われると、さすがに堪えるものがある。「君のことが心配だっただけだ。……少し、過敏になってた」少しだけ傷ついたような、殊勝なトーン。その声色に、詩織はあっさりと絆されてしまった。「そういう意味じゃなくて……」そのやり取りをそばで見ていたミキは、ギリギリと奥歯を噛み締めた。あのクソ男、どこでそんな女狐顔負けのあざといテクニックを覚えてきたわけ!?被害者ぶるんじゃないわよ、胸糞悪い!だが、詩織の健康を第一に考えれば、ここで意地を張るわけにもいかない。ミキは忌々しい気持ちを呑み込み、大人しく消毒と除菌を済ませに向かった。一通り全身を清めてリビングに戻ってくるなり、ミキは堂々と縄張りを主張した。「はい、終わったわよ。用が済んだなら、あんたはもうとっとと帰りなさい!」柊也はテーブルの上のドリアンを片付けながら、冷ややかで、どこか皮肉めいた声で応じた。「宇宙船にでも乗ってきたのか?ずいぶん早い到着だったな」「たまたまC市にいたからよ!」C市からここ江ノ本市までは、車でわずか一時間ほどの距離だ。なるほど、それならこの早さも頷ける。ミキが駆けつければ、詩織から帰るように促されるだろうとは予想していた。ただ、そのタイミングが想定よりもかなり早まってしまっただけだ。内心ではひどく名残惜しかったが、こればかりは潔く引き下がるしかない。「もう一度熱を測ろう。熱が下がっていれば帰るよ」そう言って、柊也は耳式体温計を手に取った。彼の指の腹が耳たぶをかすめた瞬間、せっかく平熱に戻りかけていた詩織の頬が、コントロールを失ったようにカッと熱を帯びる。三十七度三分。微熱の範囲だ。もう心配はない。ずっと張り詰めていた柊也の心が、ようやくふっと軽くなった。彼は再び、甘く穏やかな声で尋ねる。「頭はどう?まだ痛む?」詩織はふるふると首を振った。「だいぶ良くなった」「お腹は?」「もう痛くない」彼女の回復が遅れれば遅れるほど、看病を口実に少しでも長くこの部屋に留まることができる。それでも彼は、一秒でも早く彼女の苦痛が消え去ることを心から
詩織は一度辞退したが、響太朗は譲らなかった。「感謝の気持ちだけじゃないんだ。小春のために、少しでも静かで落ち着ける環境を用意してやりたくてね。あまり刺激が強いと可哀想だから」そう言われては、断るわけにもいかない。案内された最上階のラグジュアリースイートは、息を呑むほど快適だった。窓の外に広がるパノラマビューはまさに絶景だ。どこまでも続く紺碧の海と、遮るものない水平線。その雄大な景色は、陸でのいざこざをちっぽけなものに変え、張り詰めていた心の糸を解きほぐしてくれる。この一年、休むことを知らぬ機械のように働き続けてきた彼女の身体に、ようやく本当の安らぎが訪れたようだった。最
「志帆、どうする?店を変えようか?」柊也が気遣わしげに尋ねる。「いいえ、結構よ。ここでいいわ」志帆は極力、平静を装って答えた。だが、テーブルの下で握りしめた拳は白く変色し、心の中は嵐のように乱れ狂っていた。店側の約束通り、追加の料理が運ばれてきたが、誰ひとりとして箸をつけようとはしなかった。お通夜のような重苦しい沈黙が、煌びやかなレストランの喧騒から浮いている。美穂は普段なら飛びつくような高級食材を口に運んだが、まるで砂を噛んでいるようで味などしなかった。耐えきれず、トイレに立つふりをして席を外そうとした、その時だった。入り口付近がにわかに華やいだ。大勢のグ
当初の予定では、志帆たちはあと二日、G市に滞在するはずだった。『パース・テック』の上場が決まれば、翌日に諸々の事務手続きが必要になるからだ。だが、その目論見は脆くも崩れ去った。上場計画は完全なる失敗に終わったのだ。何より志帆のプライドをずたずたに切り裂いたのは、詩織が二社同時に上場を果たしたという事実だった。そのことを思い出すだけで、脳の血管が焼き切れそうになる。こんな屈辱的な結末など、到底受け入れられるわけがなかった。取引所からホテルへ戻る車内は、葬式のような重苦しい沈黙に包まれていた。誰も口を開こうとせず、皆一様に顔色が悪い。沈黙の中で、志帆のスマートフォンだけが狂
「お姉ちゃん、今日はやけに気合入ってるね。柊也さんとデート?」部屋に入ってきた美穂が目を輝かせる。志帆は鏡の前で髪を整えながら、ふふっと笑った。「違うわ。今日は大事な投資家の方と会うの」そう言いながら、ジュエリーボックスを開ける。美穂はここぞとばかりに派手なダイヤのネックレスを指差したが、志帆はそれを無視して、清楚な鈴蘭を象った小ぶりなイヤリングを選んだ。「えっ、それだけで行くの?」地味すぎない?と美穂が首を傾げる。「これがいいのよ」さらに志帆はクレンジングシートを取り出すと、完璧に仕上げたはずの真紅のルージュを拭い去ってしまった。「あーっ!せっかく塗ったのに!」
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