玲奈の落ち着いた様子は、まるで彼らが最初から手を組むことを知っていたかのようだった。淳一は特に深く考えず、礼二が事前に彼女に話しておいたのだろうと思っただけだった。彼は素っ気なく言った。「よろしく」店に着いて車を降りると、玲奈と礼二はそのまま階上へ向かおうとしていたが、淳一の視線が鋭く、反対側の入口から入ってきた智昭と優里をいち早く見つけた。彼は足を止めて声をかけた。「藤田さん、大森さん」智昭と優里も、彼らの姿に気づいた。智昭が軽く頷いた。「徳岡社長、湊さん」礼二は口元だけで笑みを作りながら言った。「藤田社長」そう言うや否や、彼が何か言う前に続けて言った。「話の邪魔はしないよ。私たちは先に行くから」そうして玲奈と一緒にエレベーターへと乗り込んだ。以前藤田総研で会ったときから、淳一は礼二が智昭をひどく嫌っていることに気づいていた。今回の礼二はそれを隠す気さえなかったようで、淳一も少し驚いた。礼二と智昭の間に一体どんな因縁があるのか、彼には分からなかったが、少なくとも智昭の方は、礼二に対して特に敵意を見せていなかった……智昭と優里は、礼二と玲奈が去っていった方向から視線を戻した。優里が言った。「徳岡社長が湊さんと一緒に来るってことは、契約がまとまったんですね?」淳一は笑みを浮かべた。「そうです」以前、淳一と長墨ソフトの取引は成立しなかった。彼女には分かっていた。淳一が自分のせいで玲奈を怒らせ、そのせいで礼二まで彼を毛嫌いするようになったのだと。以前、礼二は淳一との協力には一切応じる気がなく、その姿勢は頑なだった。彼女は、淳一も自分たちと同じように、玲奈のことで長墨ソフトとの取引を逃すものだと思っていた。まさか淳一が契約をまとめるとは、予想外だった。つまり、礼二にとって、いくら玲奈が大事でも、いざ自分の利益がかかれば、そちらを優先するということか。つまり、玲奈は礼二の中で、思っていたほどの存在ではないということ?そう思うと、優里はふっと笑みを浮かべた。「おめでとう」淳一は彼女の祝福に軽く笑い、「ありがとう」と返した。その流れで、淳一は智昭に向かって言った。「そういえば藤田社長、御社のあるプロジェクトに興味がありまして。いつならお時間がありますか?一度お話できませんか?」智昭
そもそも玲奈と淳一は、そこまで憎しみ合ってる関係でもない。ただ、今回の件に関しては、非があるのは玲奈じゃないから、簡単に折れるつもりはなかった。でも、晴見がここまで言ってきたのなら、その顔を立ててやることはできる。ただ……その時、晴見は優しい声で言った。「玲奈、急がなくていい。ゆっくり考えてから返事をくれたらいいよ」玲奈は「はい」と言った。晴見はさらに続けた。「淳一のことは、君の気持ちのままで接してくれればいい。私の顔色なんか気にしなくていい」玲奈は「わかりました」と答えた。彼女の率直さに、晴見は笑った。「よし、それじゃあおじさんはこれで失礼する。また時間がある時に話そう」「はい、また」電話を切った後、玲奈は少し考えてから真田教授に電話をかけた。真田教授から折り返しの電話が来たのは、三十分後だった。「どうした?」玲奈はざっと事情を説明した。真田教授が言った。「徳岡晴見が人から借りを作るなんて、そうそうないことだ。よく考えてから決めなさい」真田教授のその言葉は、晴見の人となりを改めて認めるものだった。それを聞いた玲奈は答えた。「はい、わかりました。ありがとうございます、先生」「うん」真田教授はそれ以上何も言わず、電話を切った。玲奈が晴見に折り返したのは、翌朝のことだった。晴見が昨夜「よく考えてから返事をしてくれ」と言ったのは、彼女が真田教授に相談した上で返事をするだろうと見越していたからだった。玲奈の返事を聞いて、彼は穏やかな声で言った。「おじさんはわかった。ありがとう、玲奈」玲奈「そんな、気にしないでください」電話を切った晴見は、ふうっとため息をついた。隣の同僚が笑いながら言った。「徳岡さん、何してるんだ?」晴見は腰を下ろしながら、ぽつりと呟いた。「娘が欲しくなってきたな」「俺たちもう若くないんだし、奥さんに無理させるなよ。息子さんだってもう結婚してもいい年だろ、やっぱり嫁のほうが現実的さ」晴見「……うちの息子が情けないだけだろ」……淳一は連絡を受けたその日の午後には、さっそく長墨ソフトへやって来た。晴見が玲奈に連絡していた件は、すでに玲奈から礼二に伝えられていた。淳一が来たことを知った礼二は、わざと一時間以上待たせてからようやく彼の前に現れた。
宗介「じゃあ、礼二に話してみたら?君と礼二、ある程度の関係はあるだろ?」瑛二が言った。「話すのは構わないけど、礼二が耳を貸すとは思えないな」あの日、玲奈がダンスのペア交代をあっさり受け入れた時の表情を見て、彼は玲奈と礼二が恋人関係ではないことを察していた。だが、それでも礼二は玲奈を特別に大切にしているのは明らかだった。だから、仮に自分が間に入って淳一と礼二の関係を取り持ったとしても、礼二が簡単に首を縦に振るとは思えなかった。宗介「そうなると、やっぱりあの青木さんをどうにかするしかないってことか。でも、俺ら彼女のこと何も知らないし、どう接触すればいいんだ?調べるか?」淳一は首を振った。「もういい。あいつにこれ以上時間を割きたくない。後で親父に連絡してみるよ」その言葉に、瑛二はすぐ察した。「真田先生に頼るつもりか?」「そう」礼二は真田教授の教え子だ。真田教授が口を挟めば、礼二も無視できないはず。そう決めたらすぐ行動。食事を終え、帰り道で淳一は晴見に電話をかけようとした。だが、思いがけずその前に晴見の方から電話がかかってきた。そして開口一番、直球で訊かれた。「長墨ソフトとの件、どうなった?」淳一「……」彼は隠すつもりもなく答えた。「上手くいってない。ちょうど手を借りようと思ってたとこ」「どういう意味だ?」淳一「長墨ソフトの技術者一人を怒らせてしまって、湊礼二がその人のために……」彼の言葉を晴見が途中で遮った。「その技術者、名前は?」淳一は一瞬固まった。そこを突かれるとは思っていなかったが、無意識に答えた。「青木玲奈っていう」晴見「……」彼は電話口で深く息を吸い込み、笑い混じりに呆れた声が返ってきた。「まだ話もまとまってないのに、先に相手の中核技術者怒らせるとは、たいしたもんだな」淳一は思わず言いかけた。玲奈はコア人材なんかじゃない、ただ礼二と曖昧な関係なだけだと。だが、晴見はその余地を与えなかった。彼は言った。「その件、手を貸してやってもいい」淳一がすぐに返した。「ありがとよ、親父!」「……相変わらず図々しいな」「で、休暇はいつまでだ?」淳一は、今回父親に助けを求めることを恥ずかしいとは少しも思っていなかった。彼に言わせれば、長墨ソフトのこのプロジェクトは本来、
「意見ね、まあ多少はあったけど、大きな影響はなかったよ」桜井部長はそう言って続けた。「会社にいいプロジェクトがあるなら、他の株主も当然自分の人間を使いたいと思うだろうけど、藤田社長は普段ほとんどそういう人事に口出ししないからさ。今回は藤田社長の関係者に任せただけで、文句が出るのはおかしいだろ?それに大森家も遠山家も能力あるし、ルールもちゃんと守ってるから、まあ、特に問題はないね」「……」彼はもう聞くに堪えなかった。「じゃあ、家族との時間を邪魔しないよ。また今度、時間があるときにでも」「ああ、ぜひぜひ」桜井部長が去ったあと、礼二は玲奈に向かって言った。「私たちも入ろうか」玲奈は「うん」と答えた。昼食を終えて会社に戻ると、今度は淳一が来ていると知らされた。だが玲奈も礼二も、会う気はなかった。淳一はそのまま会社に居座り、夕方になっても帰らなかった。玲奈が仕事を終えて駐車場へ向かうと、彼が声をかけてきた。「青木さん」玲奈は振り返り、冷ややかに言った。「徳岡社長、何か御用ですか?」淳一はまっすぐ彼女を見て言った。「少し話せませんか?」玲奈は言い返す。「話?それとも非難ですか?」淳一は一瞬詰まったが、すぐに言った。「本気で言ってます。青木さんには私情を置いて、公正に判断してほしいんです。個人的な感情で会社の利益を損なわないでください」玲奈はまったく呆れたというように思った。彼女は言った。「その言葉、私じゃなくて徳岡社長自身に向けるべきだったんじゃないですか?」優里のことがあって、感情的になったのは明らかに彼のほうだった。そのくせ、あたかも彼女が私怨で職権を乱用しているような物言いだった。もう関わる気もなくなった彼女は、それ以上何も言わず、車に乗ってその場を後にした。淳一は顔を険しくしてその背を見送った。そのとき、彼のスマホが鳴った。通話を終えたあと、彼も車に乗ってその場を離れた。三十分後。彼が個室に入ると、宗介と瑛二がすでに到着していた。彼の浮かない顔を見て、宗介が尋ねた。「どうした?ダメだったか?」この数日で淳一は、二、三度も長墨ソフトを訪れている。だが、礼二には一度も会ってもらえなかった。やはり問題を解決できるのは、当事者だけ。淳一がそう思って、今度は玲奈に話をしに行った
玲奈は言った。「二人で行って。私は行かない」「えっ?ママ来ないの?」「うん」彼女は茜の頭をそっと撫でて答えた。「ママは先に帰るね。楽しく食べてきて」「うん……」玲奈は微笑むと、それ以上何も言わず、振り返りもせずにその場を後にした。智昭はその背中を静かに見つめていたが、引き止めることはせず、茜に向かって言った。「じゃあ、行こうか」「いいよ」車に乗り込んだ直後、智昭のスマホが鳴った。発信者は藤田おばあさんだった。通話を取ると、藤田おばあさんの怒気を含んだ声が飛び込んできた。「あなた、家の会社で大森家と遠山家のためにプロジェクト立ち上げたって本当なの?!」智昭は「ああ」とだけ答え、少し笑みを浮かべた。「気づくの遅かったね」「あなたって!」藤田おばあさんはさらに苛立った。「どういうつもりだ?つまり……玲奈と離婚する気ってこと?」そうでもなければ、こんな露骨な真似はしないはずだ。大森家と遠山家を藤田グループに取り込むということは、彼にとって彼女に知られることも織り込み済み。つまり、それだけの覚悟を固めたということ。彼が何も答える前に、藤田おばあさんは一方的に続けた。「私は認めないよ!プロジェクトを立てるのは構わないけど、人選は変えなさい。変えないっていうなら、私が——」「おばあさん」智昭の口調はいつも通り穏やかだった。「結婚前に約束した条件は、俺はすべて守った。それなら、そちらも約束を守ってください。俺の決定には口を挟まないで」つまり、大森家と遠山家には、もう手を出すなという意味だった。「あなたって子は……」彼が藤田グループを引き継いでからというもの、藤田グループの業績は年々拡大している。今では、主要株主や幹部たちも「智昭の判断に従っていれば間違いない」と信じるようになっていた。彼女が智昭に手を出せば、真っ先に反対するのはその株主たちだろう。つまり、今の藤田グループは智昭なしには立ち行かない。智昭が藤田グループに縛られているわけではなかった。藤田グループを盾に脅すことは、智昭には通じない。では、情で揺さぶるか?けれど、智昭が言った通り、玲奈との結婚こそ、彼の譲歩だった。老夫人も知っている。彼は誰かのために何度も自分を曲げるような人間じゃない。欲しいものがあるときは、
子どもが彼に懐いているのは、ある意味当然だった。それに加えて、彼女は他の保護者たちが、配偶者と子どもが一緒にゲームをしているのを見て、うまくいけば大笑いしたり拍手を送ったり、うまくいかないときはそばでハラハラしている様子にも気づいていた。周りから見れば、彼らはまるで一つのチームのように見えた。けれど、玲奈の場合は違っていた。たしかに玲奈も子どもやゲームに笑顔を向けてはいた。けれどその笑みには、どこか距離があった。まるで彼女と夫と娘の間に、目に見えない境界線があるかのように。思い返せば、前回の保護者会で茜があの女性と仲睦まじかったことを思い出す。今の玲奈が、夫と娘の輪の中に入りづらいのも、ある意味当然だ。自分の娘が、自分の結婚を壊した相手に懐いているなんて、誰だって割り切れることじゃない。そう思うと、彼女は玲奈の胸の内がどれほど苦しいものか察せられた。だけど、いざ目の前の玲奈を見ても、どう言葉をかければいいのか分からなかった。玲奈はその目に宿る憐れみと戸惑いに気づいた。玲奈は、彼女が自分に何かあったと察しているのかもしれないと感じていた。彼女は微笑んだ。もう、いちばん苦しかった時期は過ぎた。優里が来られなかったからこそ、智昭と茜は自分を呼んだのだと、彼女はわかっていた。だからこそ、今日の自分は少しだけ、部外者のようだった。そのとき、智昭と茜が戻ってきた。茜が動画を見せてと寄ってくると、玲奈はそれを彼女と智昭に送り、言った。「送ったよ。タブレットで見てね」「うん」三つのゲームが終わり、今回の親子イベントのゲームパートは無事終了した。茜は二つの優勝トロフィーを手に入れた。トロフィーを受け取った茜は、それを大事そうに抱きしめながら、智昭に「写真撮って」とねだった。智昭は何枚も連続でシャッターを切った。その後、茜は玲奈に向かって言った。「ママ、パパと一緒に撮って!」玲奈は「うん」と言った。彼女は茜の頼みに応え、智昭とのツーショットを四、五枚ほど撮った。茜に写真を送ったあと、今度は智昭が言った。「お前と茜ちゃんのも何枚か撮ってあげよう」「そうそう、ママ来て」「うん」智昭は彼女のスマホを受け取り、彼女と茜の写真を撮り始めた。撮影が終わり、玲奈がスマホを受け取って