階段を下りたところで、誕生日パーティーのプランナーさんとすれ違った。
その手には、ピンク色のドレスが抱えられている。
彼女は私に振り返りもせず、そのまま2階へ上がっていった。
一昨日の午前、優子が私の代わりに選んだパーティードレス。
青いドレスが並ぶ中から、彼女は迷いもなくピンクを手に取った。
「ピンクのほうが肌が明るく見えるし、茜には絶対こっちが似合うよ」
そう言っていた。
2階から声が聞こえてくる。
「相澤さん、ドレスをお持ちしました。サイズを確認していただいて、合わなければお直しします」
優子が笑いながら答えた。
「わかった。私と茜、体型が似てるから、代わりに試着するね」
「悪いね」
将暉の声がする。
私がもう、そこにいないことに、誰も気づかなかった。
車に乗り込んだところで、スマホが鳴った。
ようやく私がいないことに気づいたのか。
そう思って、口元がわずかに緩む。
届いたのは、将暉が撮った一枚の写真だった。
その写真には、ピンクのドレスを着た優子が写っている。腕にはピンクのバラを抱え、満面の笑みを浮かべている。
私は写真を見つめた。
将暉は、写真を撮るのが苦手だと思っていた。
まさか、構図や絞りを考えながら、こんなふうにきれいに撮れるとは思わなかった。
今まで、旅行先で将暉に写真を撮ってもらったとき、彼はいつも私がポーズを決める前にシャッターを押し、スマホを返していた。
「撮れたよ」
そこに写っている私は、風に髪を乱され、顔もぼやけていた。
すぐに、もう一通のメッセージが届く。
【優子が選んだドレス、素敵だろ?誕生日パーティーはこれを着よう、絶対似合うから】
私は目を伏せた。
――そのドレスは、優子に似合うのか、それとも私に似合うのか。
そう聞こうとして、文字を打ったが、すぐ消した。
また打つ。そして、また消した。
結局、送信したのは、たったの一言だけだった。
【そうだね】
家に戻ると、私は荷物をまとめ始めた。
ダイニングテーブルには、結婚式に使う小物や装飾品の注文書が山積みになっている。その隣には、婚約指輪のケースが置かれている。
指輪からウェディングドレス、そして当日の進行まで。
すべて将暉と優子が決めたのだった。私は当日、出席するだけでいいと言われた。
指輪のケースを開ける。
中には、ピンクダイヤをあしらった指輪が静かに収まっていた。
けれど、その指輪のサイズは私の指より一号大きい。
以前、サイズが合わないから交換したいと言ったことがある。
そのとき、将暉はあからさまに不機嫌な顔をした。
「茜が忙しくて見に行けないから、優子がわざわざ選んでくれたんだぞ。今さら交換するなんて、優子が傷つくだろ?」
――私が忙しくて行けなかったんじゃない。そもそも、2人は私に相談すらせず、勝手に指輪を選んできたのだった。
私は注文書と指輪のケースをまとめ、脇に置いた。
2人が計画した結婚式には、私が出る必要がない。
そのとき、玄関のドアが開いた。
将暉と優子が話しながら入ってくる。
「あとでウェディングドレス、もう一回見に行こうよ。さっき店長さんから電話があって、新作が入ったんだって。今までよりデザインもいいらしいよ」
将暉は当然のように頷いた。「行こう。優子が好きなデザインにしないとな」
2人が顔を上げ、そこでようやく、リビングにいる私に気づいた。
将暉が近づいてきて、私の手を引こうとする。
「茜、あとでドレスをもう一回見に行くけど、一緒に行く?」
私はさりげなく、その手をかわした。
「いい。ちょっと用事があるから」
すると優子が笑った。「ほらね。茜は忙しいから、私たちで決めちゃおうよ」
そう言って、優子はスマホを取り出し、誕生日パーティーの招待客への手土産を選び始めた。
やがてスマホを私の前に差し出した。
「ねえ、手土産の箱なんだけど、これはどう?ピンクの箱にリボンがついてて可愛いでしょ」
私が答えるより先に、将暉が口を挟んだ。
「優子が決めればいいよ。茜、なんでも好きだし、選ぶ時間もないんだろ?代わりに決めてあげたほうが、彼女も助かるんだから」
――選ぶ時間がないわけではない。
考えて意見を出したところで、聞いてもらえないのだ。
パーティーのテーマカラーは青がいいと言った。だが2人は「ちょっと暗いし、誕生日には合わない」と言った。
ドレスも青がいいと言った。「地味だし、写真映えしない」と却下された。
指輪だって、シンプルなものがいいと言った。だが、「ピンクダイヤのほうが華やかでいい」と言われた。
ウェディングドレスに至っては、店長まで私を差し置いて優子と相談していた。
私は2人を見て、ただ頷いた。
「……可愛いね。優子が気に入ったなら、それでいいんじゃない?」
2人は顔を見合わせて、嬉しそうに笑った。
手土産の箱を決めたところで、2人はそのまま出かけた。
私は一人で、荷物をまとめ続ける。
7年も暮らした家なのに、不思議なくらい愛着がなかった。
寝室のカーテンは、優子が選んだピンク色。
ソファに置かれたクッションも、優子が好きなキャラクターもの。
玄関に飾られた絵まで、優子の好きなピンクの風船だった。
気づけば、この家は優子の好みで埋め尽くされていた。
ここに住んでいるはずなのに、私はまるで間借りしているだけのようだった。
以前、一度だけ将暉に提案したことがある。
「カーテン、私が好きな青色に替えてもいい?」
すると将暉は、呆れたように笑った。
「優子が選んだピンクじゃ不満か?茜は優子と親友なんだろ?こんなことで張り合ってどうするんだ?」
そのとき、スマホが鳴った。
優子からのビデオ通話だった。
画面に映った優子は、ピンク色のウェディングドレスを着ていた。スマホを持ったままくるりと向きを変え、嬉しそうに声を弾ませる。
「茜、見える?このドレス、可愛くない?こんなに素敵なピンクのドレス、初めて見た!ほんと気に入ってる!」
すると、画面の端から将暉が顔を出した。真っ白なタキシードに、ピンクのネクタイ。
私は、画面越しに彼を見つめた。
以前、ウェディングフォトを撮ったときのことを思い出す。
私は撮影予定日の3日前から、彼に頼み込んでいた。「1回だけでいいから、白いタキシードを着てほしい」
私の青いドレスに合わせてほしかった。
けれど将暉は、あっさり断った。
「白いタキシードは好きじゃない。黒でいいだろ。何にでも合わせやすいし」
今、目の前の将暉は白いタキシードを着ている。
私は画面から目を逸らさず、尋ねた。
「将暉……白いタキシード、嫌いじゃなかったの?」
将暉が一瞬、言葉に詰まった。けれどすぐに笑って答える。
「優子が白のほうがいいって。ピンクにも合うからって」
――そういうことだったのか。
白いタキシードが嫌いだったわけじゃない。私と合わせるのが嫌だっただけ。
画面が再び優子へ向く。
彼女はピンクのドレスを着たまま椅子に座り、周りでは何人ものメイクスタッフが準備をしていた。
「茜、私ね、しっかり作り込んだ感じのメイクが好きなの。私で試してあげるから、当日は同じ感じでやってもらえばいいよ」
その口調には、もう決定事項だという響きがあった。
私はナチュラルメイクが好きだった。ウェディングドレスだって、青がよかった。
そして、私こそ、本当の花嫁のはずだった。
なのに――
私がどうしたいのか、気にしてくれる人は一人もいない。
私は何も言わず、通話を切った。
すぐに将暉からメッセージが届く。
【どうして急に切ったんだ?優子、すごく落ち込んでるよ】
続けて、もう一通。
【早くかけ直して、優子に謝ってくれ】
私は苦笑を漏らした。
――私が落ち込んでいるかどうか、どうして一言も聞かないのだろう。
少し迷ったが、結局私はかけ直さなかった。
もうすぐ、この家を出るのだ。今さら取り繕う必要もない。
【スマホの充電が切れそうだから】
それだけ返した。
その夜、スマホのリマインダーを見て、私は気づいた。
今夜は流星群だった。
7日前に、将暉がこのことを教えてくれた。
あの日の彼は、子供のように目を輝かせていた。私を抱き寄せながら、嬉しそうに言った。
「3年も待ってたんだけど、やっと見られるんだ。
茜、知ってる?恋人同士で恋人坂から流星群を見ると、一生幸せに暮らせるんだって。
俺は、ずっと茜と一緒にいたい。これからも、ずっと愛し合っていこう」
あのときは、将暉の目に映っているのは私だけだと思っていた。
だから私は、今日の夜をずっと楽しみにしていた。
リビングで一人、将暉が帰ってくるのを待ち続ける。
けれど、いつまで経っても、将暉が現れなかった。連絡もない。
待っている間に、電話を10回以上かけていたが、一度も繋がらなかった。
仕方なく、私はライブ配信を開いて、画面越しに流星群を見ることにした。
画面の向こうでは、配信者が恋人坂から流星群を中継している。
夜空を横切る光を追ってカメラが動いたその一瞬、私は、見覚えのある2人の姿を見つけた気がした。
将暉と優子だ。
2人が並んで座っているように見える。
私は目をこすった。
……きっと見間違いだ。
そう思いたかった。
やがて夜が明けた。
玄関のドアが開き、将暉が帰ってきた。その後ろには、優子もいる。
優子は、将暉のスーツの上着を羽織っていた。
私も、以前それを借りたことがある。熱を出して震えていたとき、将暉が困った顔をして、一度だけ貸してくれたのだった。
2人はリビングにいる私を見つけ、足を止めた。
驚いたように顔を見合わせる。
けれど、優子はすぐにこちらへ駆け寄ってきた。
私の膝にかかっていた毛布を何のためらいもなく引き寄せ、自分の足元にかける。
「茜、昨日ね、将暉と恋人坂で流星群を見たの!」
興奮した様子で、昨夜の出来事を話し始める。
「本当に綺麗だったよ。私が下見して、いちばんよく見える場所も見つけておいたから、次は茜も将暉と一緒に行けばいいよ」
私は黙って聞いていた。
――次なんて、もうない。
将暉がキッチンから温かいお茶を持ってきて、優子に差し出した。
「風邪を引かないように、これを飲んで、ちゃんと身体を温めて」
優子はお茶を受け取ると、いたずらっぽく笑って舌を出した。
「もし風邪を引いたら、将暉が責任取ってね?」
「はいはい、分かったよ」
将暉は困ったように笑ったものの、その目には優しさが滲んでいた。
ソファに座ったまま、私はその様子を眺めていた。
――なんだか、ひどく場違いな気がする。
まるで、私こそが2人の間に入り込んでしまった、余計な存在であるかのようだった。
しばらくすると、優子は眠そうにあくびをした。
それに気づいた将暉は、わざと厳しい顔を作る。
「一晩中起きてたんだから、もう寝ないと体がもたないぞ」
「分かってるってば」
優子は少しだけむくれたように答え、将暉に向かって舌を出した。
そのまま慣れた様子で予備の寝室へ向かい、ドアを開けた途端、声を上げる。
「茜、これって私へのサプライズ?」
何事かと覗き込むと、部屋一面がピンクに染まっていた。
ピンクのシーツに、ピンクの掛け布団。カーテンも、足元のラグまでピンクだった。
以前、私はこの部屋を自分の好きな青にしたいと思ったことがある。
青いカーテンに、青い壁紙。
自分でデザインした図面を将暉に見せたときは、ワクワクが止まらなかった。
「どう?このデザインは自分で考えたの。青空に浮いているみたいな感じで、素敵でしょ?」
けれど将暉は図面を見ることなく、パソコンから顔を上げると、私を睨んだ。
「茜、これじゃ和風のインテリアに合わないだろ。自分の好みだけで家全体の雰囲気を壊すのはやめてくれよ」
私はうつむいて、「ごめん」と小さく謝った。
そんなことまで思い出していると、優子の声を聞きつけた将暉が近づいてきた。
「俺が用意したんだ。この部屋、少し殺風景だったから」
そう言って、優子の反応を嬉しそうに眺めている。
私は思わず将暉を呼び止めた。
「将暉……ピンクなら、和風のインテリアに合うの?」
将暉が眉を寄せる。
「茜、部屋のものをピンクに揃えたくらいで、拗ねないでくれ。最近、優子にはいろいろ助けてもらってるんだろ?これくらい、お礼をしてもいいじゃないか」
まただ。
私はただ、自分の考えを伝えようとしただけ。
それだけなのに、すぐに機嫌を損ねる面倒な人間だと思われているようだ。
私は着替えて、仕事に行く支度をした。
するとキッチンで何かを探していた将暉が、焦っているように私を呼び止めた。
「茜、この前買った食パンはどこに置いた?優子、朝ご飯はまだだから、起きたら腹減ってるだろうし、フレンチトーストでも作ってやろうと思って」
私は戸棚を指差した。「左から2番目」
将暉はさっそく食パンを取り出し、フレンチトーストを作り始めた。
それはかつて、私だけのために作ってくれていたものだった。
最後に彼の作ったフレンチトーストを食べたのは、3年も前のことだ。
一昨日、甘いものが食べたくて、私は将暉にフレンチトーストを作って欲しいと頼んだ。
すると彼は笑って私の頭を撫でた。
「悪い、俺、今忙しいんだ。食べたいなら、外で食べてきたら?」
今は――忙しくないらしい。
鼻の奥がつんと痛んだ。涙がこぼれそうになるのを、私は必死にこらえた。
「……私も、朝ご飯がまだなんだけど」
卵を溶いている将暉の手が止まった。財布から千円札を2枚取り出す。
「駅前のパン屋も売ってるから、通勤の途中、買っていったら?」
やっぱり、そうだ。
それでも、もしかしたら作ってくれるんじゃないかなんて、期待していた自分が馬鹿みたいだった。
私は何も言わず、バッグを手に取って玄関へ向かった。
「そうだ、茜」
呼び止められて振り返る。
将暉が慌てて駆け寄り、何枚かの招待状を私に差し出した。
「誕生日パーティーと結婚式の招待状だ。まとめて同僚に渡しておいてくれ」
手の中の招待状は、どれもピンク色だった。その色はひどく眩しく、目に刺さるくらいだった。
私は何気なく一枚を開く。
そこに描かれていた模様は、私が半月かけて作り上げたデザインとはまるで違うものだった。
青いバラは、ピンクのバラに変わっている。
青い城も、淡いピンクの小さな家になっていた。
もう、耐えられなかった。
ばさっと音を立てて、招待状が床に散らばる。
爪が手のひらに食い込み、薄く血がにじんだ。
「将暉……誕生日と結婚式の招待状は、私が半月もかけてデザインしたものなの。どうして勝手に変えたの?私が自分で決められた、たった一つのことだったのに……それすら許されないっていうの?」
将暉は手を伸ばし、頬を伝う涙をそっと拭った。声も、あくまで穏やかだった。
「茜、もう意地を張るなよ。優子のほうがセンスがいいんだから、任せればいいだろ?誕生日も結婚式もピンクがテーマなんだから、招待状もピンクで統一したほうが全体の雰囲気に合う」
私は床に散らばった招待状を指差した。
「……だったら、あなたが配れば?」
その一言で、将暉の穏やかな表情が消えた。
「茜。誕生日パーティーならまだしも、結婚式は人生においても大切なイベントだ。どんな些細なことでも、適当に決められたら困る」
将暉は少し声を落とした。
「俺と優子は、お前のことを思って真剣に準備してる。それなのに、感謝するどころか文句ばかり言われたら……正直、失望するよ」
言い争う声を聞きつけて、優子が眠そうに目をこすりながら出てきた。
ピンクのキャラクターもののパジャマを着ている。
私にも、昔は青いパジャマがあった。けれど将暉に「そんなのダサい」と言われ、ゴミ箱に捨てられた。
優子は床に散らばった招待状を見ると、目に涙が浮かんだ。
「茜……その招待状、私が一生懸命作ったの。気に入らないのは分かるけど、お願いだから私の気持ちまで踏みにじらないで……それに、他のものもピンクで統一してるんだから、招待状くらいピンクでもいいと思うけど、どうかな」
それもそうだ。
ウェディングドレスも、誕生日のドレスもピンク。
そこまで全部決められているのに、たった一枚の招待状くらいで怒る必要がない。
私はゆっくりと腰をかがめ、散らばった招待状を、一枚ずつ拾い集めた。
膝が床に触れ、鈍い音が響いた。
……
階段を下りると、私は手にしていた招待状をゴミ箱へ放り込んだ。
そのとき、スマホが鳴った。
母からだった。
「茜、明後日はあんたの誕生日でしょ。お父さんと一緒に、そっちへ行く切符を買ったの。迎えに来なくていいからね。駅から2人で行くから。母さん、誕生日ケーキを作ってあげたいし、花嫁姿も楽しみにしてるわ」
その声を聞いた途端、また鼻の奥がつんとした。
「お母さん……明後日は来なくていいよ。私が帰るから」
電話の向こうで、母が戸惑ったように聞き返した。
「え、どうして?向こうで誕生日パーティーを開く予定でしょ?」
私は笑って、さりげなく話を逸らした。
「久しぶりに実家で誕生日を過ごすんだから、お母さん、嬉しい?」
「もちろん嬉しいよ。だって、もう7年ぶりでしょう。お父さんが聞いたら、きっと大喜びするわ」
時間が経つのは早い。気づけば、私はもう将暉と7回も誕生日を過ごしている。
……
会社で、私は退職届を提出し、引き継ぎをしていた。
同僚の戸田(とだ)さんが、私のデスクまでやってくる。
「柚木さん、明日から地方に行くって聞きましたけど、明後日の誕生日パーティーはどうするんですか?」
キーボードを打っていた手が止まった。
招待状はまだ誰にも渡していない。SNSで告知した覚えもない。
「……どうして誕生日パーティーのことを知ってるんですか?」
戸田さんがスマホを差し出した。
「相澤さんの投稿ですよ。柚木さんのために、ピンクの大きなケーキを作るって」
そこで思い出した。
優子と戸田さんは高校時代の同級生だった。
「柚木さんって、青が好きでしたよね?今はピンクに変わったんですか?」
私は再びパソコンへ視線を戻した。
「……いえ、ピンクは、相変わらず苦手ですよ」
その日の夜、仕事を終えて帰宅すると、優子と将暉が今度はケーキのことで言い合っていた。
10分ほどして、2人はようやくソファに座っている私に気づいた。
「茜、ケーキの装飾アイテムだけど、ピンクのクマと、ピンクのうさぎ。どっちが可愛いと思う?」
私は小さく笑った。「どっちでもいいよ。優子が好きなほうにしたら?」
ここで意見を出したところで、優子に聞いてもらえるはずもない。
「じゃあ、ピンクのクマで」
将暉も嬉しそうに頷く。
「そうしよう。優子の好きなマンゴーもたっぷり入れてもらおう」
優子が満足そうに口元を緩めた。
「うん、それはもちろん」
7年間、私の誕生日ケーキを選んできたはずなのに、将暉は、私がマンゴーアレルギーだということを、いまだに覚えていないらしい。
私は何も言わず、寝室へ戻って荷物の整理を続けた。着替えを入れ終えたところで、将暉が部屋に入ってきた。
背後から私を抱きしめる。
「茜。明後日の誕生日パーティー、今から楽しみだ。この1ヶ月、ずっと準備してきたからな。お前には最高に幸せな誕生日を過ごしてほしい」
私はその腕をそっと外した。「うん。私も楽しみ」
……
翌朝、目を覚ますと、優子も将暉もすでに家を出ていた。
将暉からメッセージが届いている。
【俺と優子は、誕生日パーティーのリハーサルをしてくる。茜は家で待ってて、明後日は予定通り出席するだけでいいから】
私は返信をしなかった。持っていけない荷物を、一つずつ片づけ始める。
その日の夜になっても、2人は帰ってこなかった。
代わりに、優子がSNSを更新していた。
【頑張った私へのご褒美に、映画に連れてきてくれました】
その投稿に、将暉がコメントしている。
【今日も助かった、お疲れさま】
添えられていた映画のチケットを見て、私はしばらくぼうっとした。
その映画は、ずっと前から私が一緒に観たいと言っていたものだった。
そのたびに将暉は、「忙しいから。また今度」と言った。
そうして半年以上が過ぎた。
どうやら彼は、私と出かける暇だけがなかったらしい。
深夜零時。
SNSから、誕生日の知らせが届いた。
将暉からのメッセージも届いている。
【今夜は用事があるから外に泊まる。早めに休んで】
私は返信をせず、そのまま眠った。
そして、久しぶりに何の夢も見ずに朝を迎えた。
目が覚めると、スーツケースを引いて、振り返ることなく家を出た。
もう、ここに未練はなかった。
……
その頃、将暉は秘書に、茜を迎えに行き、誕生日パーティーの会場まで送り届けるよう指示していた。
秘書は車を走らせ、将暉と茜が暮らす自宅へ向かった。
ところが、到着して何度インターホンを鳴らしても、誰も出てこない。
しばらく待ってみたものの、家の中から人の気配はなかった。
仕方なく、秘書は将暉に電話をかけた。
「社長……申し訳ありません。柚木様をお迎えに来たのですが、ご自宅にいらっしゃらないようです」