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第972話

Author: 藤原 白乃介
その言葉を聞いて、晴臣は、はっと目を見開いた。

花音の蒼白な顔をじっと見つめることしばし、それから尋ねた。「ここに来てまだ一週間だろう?もう誰かを好きになったのか?」

花音は首を振った。「いいえ、二年前から好きだったんです。彼を追ってここに来たのに、会ってみたら、彼は私のこと、全然好きじゃないみたいで……」

晴臣は怒って彼女の頭をコツンと叩いた。「二年前なんて、君はまだいくつだったんだ。勉強に集中しないで、こんなくだらないことばかり考えて。さっさと忘れて、しっかり勉強しろ、さもないと、君の叔父さんに言ってやるぞ」

「晴臣おじさん、彼には言わないで。もし知られたら、きっと私を連れ戻しちゃう。そうしたら、もうあの人に会えなくなっちゃうよ」

そこまで言うと、花音の瞳には涙が浮かんでいた。

晴臣には、彼女が本気で恋をしているのが分かった。

そんなに悲しんでいる彼女を見て、彼はすぐに優しい声でなだめた。

「よし、もう泣くな。叔父さんには言わない。でも、これ以上、意地を張るなよ。

彼が君を好きじゃないなら、どんなに頑張っても無駄だ。その時、傷つくのは君自身なんだぞ、分かったか?」

花音は素直に頷いた。

「分かった、晴臣おじさん。おじさんは今、好きな人いるの?」

「なんでまた俺の話になるんだ?」

「叔母さんが言ってたんだけど、佳奈叔母さんは晴臣おじさんの『心の中の人』なんだって。今でも好きなの?」

晴臣は冷たい目で彼女を睨んだ。

「彼女は今、俺の義姉さんだぞ。俺がまだ彼女を好きでいられると思うか?もし少しでも度を越した真似をしたら、兄貴に足を折られてるさ」

「じゃあ、おじさんには好きな人がいないってことね?」

「いない。子供は大人に口出しするな。しっかり休め。点滴が終わったら、家に連れて帰ってやる」

その言葉を聞いて、花音はさっきまで悲しみに満ちていた顔が、たちまち花が咲いたように笑顔になった。

彼女は素直に頷いた。「うんうん、分かった、晴臣おじさん」

二時間後、花音の熱はようやく下がった。

医者は彼女をもう一度診察し、薬を少し出して、家でゆっくり休むように言った。

ベッドに座った花音は、黒く輝く大きな目で、晴臣と医者のやり取りをじっと見つめていた。

口元には、うっすらと笑みが浮かんでいた。

晴臣が振り返ると、ちょうど彼女が自分に向
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