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第9話

Author: ルビーベイビー
「ああっ!」

悲鳴が夜闇を引き裂いた。

山伏は恐怖に歪んだ顔で、異形と化した女を見つめていた。

「祓いの儀式を済ませたはず......なぜ動く!」

「簡単なこと。彼女は既に喰われた身。そう易々とは成仏できないでしょう」

冷や汗を流しながら、弱々しく笑った。「血が足りるか心配で、姉を目覚めさせるのに、随分と血を流したよ」

「喰われた?」

山伏の顔が強張った。数日前、私が彼を殺しに行った日のことを思い出したのだ。

その場で互いの思惑が一致した―高僧を殺してくれたら、傷を治してあげる。

山伏は狡猾だ。私を信じないだろうと、本当に腕の肉を削いだ。ただし、すり替えただけだが。

あの日、山伏は言った。姉は血の匂いに敏感で、誰の血を飲めばその者を殺すと。

そして、父母を殺させる時、私の血で姉を呼び寄せたが、私は殺されなかった。

賭けに出た。薬湯を浴びた私を、姉は敵と見なさないはずだと。

姉が棺から立ち上がった。頭から足先まで裂け、無数の牙が螺旋を描き、触手が舞い踊っていた。

山伏は姉の肉を喰らったが、薬姫が完成前に穢されたため、効果は弱かった。

念のため、私の肉も混ぜておいた。

山伏は完全には回復せず、姉の相手にならなかった。必死に短刀を振るうが、触手に弾き飛ばされた。

「助けてくれ!何でも言うことを聞くから!」

数日前と同じ、虚しい言葉。

最初から信じてなどいなかった。

「ぎゃぁっ!」

悲鳴が消え、肉を噛み砕く音だけが背筋を凍らせた。

そっと出口へ向かった。あの日、姉が私を殺さなかったのは、満腹だったのか、薬湯のせいか。

母も何もせず、あの夜は生き延びた。

姉の耳が動いた。物音に気付いたのか、ゆっくりと振り向いた。

足が竦み、逃げ出そうとした。

だが姉は手を差し出した。血に染まった内臓を握ったまま。

私を同類と見做しているようだった。

賭けは当たった。

逃げる気持ちが消え、不思議な憎しみが湧き上がった。とんでもない武器を手に入れたのだと、直感的に理解した。

母が部屋で知らせを待っていた。喜々として戸を開けた時、私が立っていた。

「みさき......」

言葉が途切れた。背後に死んだはずの姉の姿を見たのだ。

「化け物!」

叫び声も途切れ、姉が襲いかかった。

何日も閉じ込められ、飢えていた。

「ゆっくりでいいよ。
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  • 薬姫異聞   第9話

    「ああっ!」悲鳴が夜闇を引き裂いた。山伏は恐怖に歪んだ顔で、異形と化した女を見つめていた。「祓いの儀式を済ませたはず......なぜ動く!」「簡単なこと。彼女は既に喰われた身。そう易々とは成仏できないでしょう」冷や汗を流しながら、弱々しく笑った。「血が足りるか心配で、姉を目覚めさせるのに、随分と血を流したよ」「喰われた?」山伏の顔が強張った。数日前、私が彼を殺しに行った日のことを思い出したのだ。その場で互いの思惑が一致した―高僧を殺してくれたら、傷を治してあげる。山伏は狡猾だ。私を信じないだろうと、本当に腕の肉を削いだ。ただし、すり替えただけだが。あの日、山伏は言った。姉は血の匂いに敏感で、誰の血を飲めばその者を殺すと。そして、父母を殺させる時、私の血で姉を呼び寄せたが、私は殺されなかった。賭けに出た。薬湯を浴びた私を、姉は敵と見なさないはずだと。姉が棺から立ち上がった。頭から足先まで裂け、無数の牙が螺旋を描き、触手が舞い踊っていた。山伏は姉の肉を喰らったが、薬姫が完成前に穢されたため、効果は弱かった。念のため、私の肉も混ぜておいた。山伏は完全には回復せず、姉の相手にならなかった。必死に短刀を振るうが、触手に弾き飛ばされた。「助けてくれ!何でも言うことを聞くから!」数日前と同じ、虚しい言葉。最初から信じてなどいなかった。「ぎゃぁっ!」悲鳴が消え、肉を噛み砕く音だけが背筋を凍らせた。そっと出口へ向かった。あの日、姉が私を殺さなかったのは、満腹だったのか、薬湯のせいか。母も何もせず、あの夜は生き延びた。姉の耳が動いた。物音に気付いたのか、ゆっくりと振り向いた。足が竦み、逃げ出そうとした。だが姉は手を差し出した。血に染まった内臓を握ったまま。私を同類と見做しているようだった。賭けは当たった。逃げる気持ちが消え、不思議な憎しみが湧き上がった。とんでもない武器を手に入れたのだと、直感的に理解した。母が部屋で知らせを待っていた。喜々として戸を開けた時、私が立っていた。「みさき......」言葉が途切れた。背後に死んだはずの姉の姿を見たのだ。「化け物!」叫び声も途切れ、姉が襲いかかった。何日も閉じ込められ、飢えていた。「ゆっくりでいいよ。

  • 薬姫異聞   第8話

    「薬姫を育てるには時間がかかる。なら、壊れたものを修復した方が早かろう」高僧は刃物を研ぎながら告げた。「私を生贄にするつもり?」縄に縛られたまま問った。「そうだ」高僧が訝しげに。「怖くはないのか?右腕も上がらぬようだが」「何が怖いものか。薬姫になるくらいなら、死んだ方がまし」諦めたように俯いた。「悟りきったか。少し見直したぞ。さあ、こちらへ」素直に近寄った。「結婚式で穢れを祓い、未熟な薬姫の血で仕上げる。一石二鳥だ」高僧は薄笑いを浮かべた。棺の蓋が開いた瞬間。短刀が棺の中から飛び出し、高僧の胸を貫いた。「な......何が......」血を吐きながら、高僧が壁際によろめいた。「死体の陰に潜み、息を殺すのも骨が折れたぞ」地獄からのような声と共に、一本の手が棺から伸びた。血まみれの山伏が這い出てきた。「お前......なぜ......刃には確かに血が......」高僧は亡霊でも見たかのように言った。「些細な傷よ。お前を騙すには十分だった」山伏は嗤い、短刀を高僧の心臓に突き立て、引き抜いた。鮮血が部屋中に飛び散った。「貴様......奴を信じれば......必ず死ぬぞ......」高僧は血の泡を吹きながら、私を指差して息絶えた。「ふう、骨が折れた」山伏が顔を拭った。「死んだの?」「ああ、確実に」山伏が私を見つめ、不気味に笑った。「お前が自らの血で私を救うとはな。未熟とはいえ、命を繋ぐには十分だった」「約束通り、ここから逃がして」俯きながら言った。「約束は守る。だが―」山伏の目が鋭く光った。「お前に生きる力があればな」仮面を剥ぎ捨て、短刀を振り上げて襲いかかってきた。

  • 薬姫異聞   第7話

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  • 薬姫異聞   第6話

    夜になって村人たちが立ち去った後、母の部屋から険しい言い争いが漏れ聞こえてきた。「生き霊程度と聞いていたのに、化け物が出るとは聞いておらんかった。あいつ真昼に弱っていなかったら、私の命も危なかったぞ」 高僧の声に怒りが滲んでいた。「でもあの山伏は追い払えました。これからは近在で祈祷となれば、ご住職様の独壇場。それに、私の血で化け物を誘き出さなければ、あなたの祈祷もお手上げでしたでしょう?」なるほど。姉が豹変したのも、全て仕組まれていたのだ。 身も凍る思いがした。こんな時でさえ、母は薬姫の値のことばかり。家族の死など、紙切れほどの重みもなかったのか。このままでは私も薬姫に仕立て上げられる。それなら山奥で野垂れ死にした方がまし。死んでからも玩具にされるような運命だけは......覚悟を決めて荷物を背負い、抜け出そうとした瞬間。 戸を開けると、母と高僧が立っていた。 「何処へ行く」「あ、その......」 高僧の目が光った。母の振り上げた手を制しながら、 「手荒なことはよせ。まだ使い道がある」「分かっていますとも。脅しただけです。この子で一山当てなきゃならないんですから」 母の声は冷たく、目は異様な光を帯びていた。「山伏の術は侮れん。始末はつけねばならぬが、我らはここを離れるわけにはいかん」 高僧は静かに言い放った。母が頷いた。「聞こえただろう、みさき。あの男を消せば、今までのことは帳消しだ」帳消しだなんて、全部あんたたちの仕組みだろう。だが、ふと閃いた。これが逃げ出すチャンスかもしれない。 すぐに頷くのは怪しまれる。人を殺めることに躊躇うふりをした。「殺さなければ、お前が殺される。それに、あの男はお前を騙した。本当に村から出してくれると思うのか?姉にも同じ手を使ったのよ」拳を握り締めては開いた。ただ逃げ出したいだけなのに。産まれた時から、自分の意思など持てなかった。 でも、今がチャンス。母の差し出した短刀を受け取り、覚悟を決めた。玄関を出ようとすると、奥から高僧の声が響いた。 「逃げ足は無駄だ。薬姫の気が染みついている。どこへ行こうと、その匂いで追い立てられるぞ」足を止め、「逃げる気などありません」と答えた。血の跡を辿って、ようやく川辺で山伏を見つけた。 私を見る

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  • 薬姫異聞   第4話

    しかし姉は何もせず、しばらくして立ち去った。翌朝、村は騒然となった。 家の前には大勢の村人が松明を手に集まり、姉を火あぶりにすると叫んでいた。吉田の死体が玄関先に横たわっていた。胸が裂け、噛みちぎられた腸が零れ落ちていた。他にも数体、この数日間姉の客となった男たちの遺体が並んでいた。「化け物だ!この目で見た!腹が裂けて、牙が生えていた!吉田さんを喰い殺したのも、あいつの親父を殺したのもあの化け物だ!」 誰かが群衆の中から叫んだ。私は黙って門を開けた。「違う!焼くべき化け物は、別にいるのだ!」 母の声が群衆の後ろから響いた。人々が振り返った。「何を言ってんだ。死体が玄関先にあるじゃないか。それに不思議だったんだ、なぜ葬らないで村中を穢してたのか。もう山伏様を呼びに行かせた」 とある未亡人の叫び声。この数日、客足を奪われて恨みがあるらしい。「ふん、自分が稼げないくせに、死人に八つ当たりか」母は鼻で笑い、「山伏なんて要らない。もう高僧様をお連れしたわ」近郷で名高い高僧は、普段なら村人が頼めるような存在ではない。 高僧は髭を撫でながら母の後ろから現れ、玄関先で立ち止まると「これは酷い」と嘆息し、「怨念が強すぎる。一体何をしたのだ」と母に問いかけた。母が答える前に、姉の部屋から激しい音が響き始めた。獣が檻から逃れようとするように、鍵が打ち付けられる。群衆が息を呑む中、扉が粉々に砕け散った。 姉の胸から触手が狂ったように伸び、まるで操り人形のように体を持ち上げる。血走った目が睡りを破られたように光り、裂けた肉の間からは無数の牙が不気味な輝きを放つ。「妖怪だ!」 村人たちは四散した。「何者の仕業か。この地に穢れをもたらすは!」 高僧が人々の前に躍り出る。懐から豆を取り出し、姉の前に撒いた。姉は足を止め、まるで恐れるように後ずさった。 次に黒犬の血を姉に浴びせた。鋭い悲鳴が響く。触手が暴れ狂う。血が肌を焼く音がして、白煙が立ち上る。「何をする!」 山伏が駆けつけ、驚きの声を上げる。「黒犬の血などつかえば壊れて......」 言葉を途中で飲み込んだ。高僧は待ち構えていたように声を上げた。「不思議に思っていた。なぜこの村に死霊が。邪法で屍を操る者がいたとは。皆の衆、こ

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