LOGIN姉は毎晩、薬湯に浸かることを強いられていた。 ある日、突然姉は死んでしまったのに、その亡骸は日に日に艶やかさを増していった。 両親は葬式も出さず、姉の仏壇には不吉な白い布の代わりに、妖しい紅白の幔幕を張り巡らせた。 すると村の独り者たちが、姉の部屋に長い列を作り始めた。
View More「ああっ!」悲鳴が夜闇を引き裂いた。山伏は恐怖に歪んだ顔で、異形と化した女を見つめていた。「祓いの儀式を済ませたはず......なぜ動く!」「簡単なこと。彼女は既に喰われた身。そう易々とは成仏できないでしょう」冷や汗を流しながら、弱々しく笑った。「血が足りるか心配で、姉を目覚めさせるのに、随分と血を流したよ」「喰われた?」山伏の顔が強張った。数日前、私が彼を殺しに行った日のことを思い出したのだ。その場で互いの思惑が一致した―高僧を殺してくれたら、傷を治してあげる。山伏は狡猾だ。私を信じないだろうと、本当に腕の肉を削いだ。ただし、すり替えただけだが。あの日、山伏は言った。姉は血の匂いに敏感で、誰の血を飲めばその者を殺すと。そして、父母を殺させる時、私の血で姉を呼び寄せたが、私は殺されなかった。賭けに出た。薬湯を浴びた私を、姉は敵と見なさないはずだと。姉が棺から立ち上がった。頭から足先まで裂け、無数の牙が螺旋を描き、触手が舞い踊っていた。山伏は姉の肉を喰らったが、薬姫が完成前に穢されたため、効果は弱かった。念のため、私の肉も混ぜておいた。山伏は完全には回復せず、姉の相手にならなかった。必死に短刀を振るうが、触手に弾き飛ばされた。「助けてくれ!何でも言うことを聞くから!」数日前と同じ、虚しい言葉。最初から信じてなどいなかった。「ぎゃぁっ!」悲鳴が消え、肉を噛み砕く音だけが背筋を凍らせた。そっと出口へ向かった。あの日、姉が私を殺さなかったのは、満腹だったのか、薬湯のせいか。母も何もせず、あの夜は生き延びた。姉の耳が動いた。物音に気付いたのか、ゆっくりと振り向いた。足が竦み、逃げ出そうとした。だが姉は手を差し出した。血に染まった内臓を握ったまま。私を同類と見做しているようだった。賭けは当たった。逃げる気持ちが消え、不思議な憎しみが湧き上がった。とんでもない武器を手に入れたのだと、直感的に理解した。母が部屋で知らせを待っていた。喜々として戸を開けた時、私が立っていた。「みさき......」言葉が途切れた。背後に死んだはずの姉の姿を見たのだ。「化け物!」叫び声も途切れ、姉が襲いかかった。何日も閉じ込められ、飢えていた。「ゆっくりでいいよ。
「薬姫を育てるには時間がかかる。なら、壊れたものを修復した方が早かろう」高僧は刃物を研ぎながら告げた。「私を生贄にするつもり?」縄に縛られたまま問った。「そうだ」高僧が訝しげに。「怖くはないのか?右腕も上がらぬようだが」「何が怖いものか。薬姫になるくらいなら、死んだ方がまし」諦めたように俯いた。「悟りきったか。少し見直したぞ。さあ、こちらへ」素直に近寄った。「結婚式で穢れを祓い、未熟な薬姫の血で仕上げる。一石二鳥だ」高僧は薄笑いを浮かべた。棺の蓋が開いた瞬間。短刀が棺の中から飛び出し、高僧の胸を貫いた。「な......何が......」血を吐きながら、高僧が壁際によろめいた。「死体の陰に潜み、息を殺すのも骨が折れたぞ」地獄からのような声と共に、一本の手が棺から伸びた。血まみれの山伏が這い出てきた。「お前......なぜ......刃には確かに血が......」高僧は亡霊でも見たかのように言った。「些細な傷よ。お前を騙すには十分だった」山伏は嗤い、短刀を高僧の心臓に突き立て、引き抜いた。鮮血が部屋中に飛び散った。「貴様......奴を信じれば......必ず死ぬぞ......」高僧は血の泡を吹きながら、私を指差して息絶えた。「ふう、骨が折れた」山伏が顔を拭った。「死んだの?」「ああ、確実に」山伏が私を見つめ、不気味に笑った。「お前が自らの血で私を救うとはな。未熟とはいえ、命を繋ぐには十分だった」「約束通り、ここから逃がして」俯きながら言った。「約束は守る。だが―」山伏の目が鋭く光った。「お前に生きる力があればな」仮面を剥ぎ捨て、短刀を振り上げて襲いかかってきた。
初七日の朝、母に叩き起こされた。まだ夜の気配が残る空の下、付添人の衣装を着せられ、戸外へ追い立てられた。朱塗りの棺が門前に据えられ、その後ろには紅い椅子が一つ。頭巾を深く被った八人の若者が、物言わず私を見つめていた。夜明け前の冷気に震える肌を抱きながら、昨夜の高僧の言葉が蘇った。―生きたければ、椅子から動くな。見ぬふり、聞かぬふり。声を漏らすな。途中で降りれば、命はない。震える足を押し殺して、椅子に腰を下ろした。四人が棺を担ぎ、残りの四人が私の椅子を持ち上げた瞬間、寒風と共に葬列が動き出した。一行は物音一つ立てず、闇の中を整然と進んだ。不意に、どこからともなく笙の音が響き渡った。耳元で鳴り響くような、不気味なほど澄んだ音色。見渡しても、演奏者の姿はなかった。まるで大きな祝い事のように、晴れやかな音が闇を貫いた。辺りは静まり返り、人気はなかった。家々は戸締まりをし、朝仕事に出る者の影すら見えなかった。その時、違和感が背筋を走った。椅子の揺れが、あまりにも少なすぎる。まるで宙を舞うように― 宙を?凍りつく思考。恐る恐る下を覗き込むと、血の気が引いた。担ぎ手の足が、地面に着いていない。空を漂うように進んでいった。生きた人間ではない。私を運ぶのは、この世のものではなかったのだ。その瞬間、全身から血が引いていった。叫び声が喉まで突き上げた。歯を食いしばり、必死に押し殺した。人気のない道に響く祝いの笙の音が、さらなる恐怖を掻き立てた。くすくすと。朱塗りの棺から、姉の笑い声が漏れ出した。その笑いに呼応するように、あちこちから祝いの声が湧き上がった。薄暗い空が一瞬で闇に呑まれ、両側から歓声が押し寄せた。目を疑う光景が広がった。幻のような人影が次々と現れ、時代がかった装いで祝いの言葉を投げかけた。「みさき、綺麗だねえ。花嫁付添人かい」祝いの声の中に、私への呼びかけが混ざり始めた。群衆を見やると、誰かが手を振っていた。私の耳に届くことを知っているかのように。花嫁への祝いの声は消え、代わりに私への呼びかけだけが残っていった。「みさき、みさき」無数の声が頭蓋を突き破り、脳髄に響き渡った。目が眩み、意識が遠のいた。「ふん」姉の棺から漏れた冷笑が、魂を揺さぶる鐘のよ
夜になって村人たちが立ち去った後、母の部屋から険しい言い争いが漏れ聞こえてきた。「生き霊程度と聞いていたのに、化け物が出るとは聞いておらんかった。あいつ真昼に弱っていなかったら、私の命も危なかったぞ」 高僧の声に怒りが滲んでいた。「でもあの山伏は追い払えました。これからは近在で祈祷となれば、ご住職様の独壇場。それに、私の血で化け物を誘き出さなければ、あなたの祈祷もお手上げでしたでしょう?」なるほど。姉が豹変したのも、全て仕組まれていたのだ。 身も凍る思いがした。こんな時でさえ、母は薬姫の値のことばかり。家族の死など、紙切れほどの重みもなかったのか。このままでは私も薬姫に仕立て上げられる。それなら山奥で野垂れ死にした方がまし。死んでからも玩具にされるような運命だけは......覚悟を決めて荷物を背負い、抜け出そうとした瞬間。 戸を開けると、母と高僧が立っていた。 「何処へ行く」「あ、その......」 高僧の目が光った。母の振り上げた手を制しながら、 「手荒なことはよせ。まだ使い道がある」「分かっていますとも。脅しただけです。この子で一山当てなきゃならないんですから」 母の声は冷たく、目は異様な光を帯びていた。「山伏の術は侮れん。始末はつけねばならぬが、我らはここを離れるわけにはいかん」 高僧は静かに言い放った。母が頷いた。「聞こえただろう、みさき。あの男を消せば、今までのことは帳消しだ」帳消しだなんて、全部あんたたちの仕組みだろう。だが、ふと閃いた。これが逃げ出すチャンスかもしれない。 すぐに頷くのは怪しまれる。人を殺めることに躊躇うふりをした。「殺さなければ、お前が殺される。それに、あの男はお前を騙した。本当に村から出してくれると思うのか?姉にも同じ手を使ったのよ」拳を握り締めては開いた。ただ逃げ出したいだけなのに。産まれた時から、自分の意思など持てなかった。 でも、今がチャンス。母の差し出した短刀を受け取り、覚悟を決めた。玄関を出ようとすると、奥から高僧の声が響いた。 「逃げ足は無駄だ。薬姫の気が染みついている。どこへ行こうと、その匂いで追い立てられるぞ」足を止め、「逃げる気などありません」と答えた。血の跡を辿って、ようやく川辺で山伏を見つけた。 私を見る