INICIAR SESIÓN手に持っていたスマホの画面に視線を落とすと【朝霧陽菜】の文字。電話は三回コールして切れた。慌てており返そうとスマホを操作しようとしたら「待った」と李凱が止めた。 「ヒナの状況が分からない限り、こっちから電話を掛けるのはやめた方がいい」「どうして……」「どうしてって、お前が返したんだろう? ヒナのやつ、なんとかペイの残金が残っているとかなんとか言って古いスマホを持ち歩いていたんだ。それで、さっき会社に確認したら二つ目の指輪を注文してた」どういうことだ? 意味が分からなず内心首を傾げたら、黒崎妹が呆れた声で「スマートリングですよ」と答えた。「李社長の指にはまっているそれ、スマートリングですよ。何だと思ったんですか?」「……陽菜とのペアリング」「デザインが武骨すぎるでしょう。李社長のような神経の図太い方の指にはお似合いですけれど……「おい」……陽菜さんのような女性がつけるには違和感があります。だからスマートリングだと気づかれて捨てられたんですよ」……黒崎妹、妙に李凱に対して風当たりが強くないか? いや、それは構わないのだけれど……なんでかは気になる。 「陽菜のバッグは二重底になっていてな。恐らく古いスマホはそこに入れていたから気づかれなかったんだろう」「なんだ、二重底のバッグって。海外ではそんなものが流行しているのか?」「スパイグッズみたいなものを売っている店があるんだよ。俺とアーサーで買って、ヒナの誕生日にプレゼントした」李凱たちのセンスはよく分からないが、それでスマホが見つからなかったのだから良しとしよう。 「陽菜のスマホの位置情報の確認が早いか、それともSOSの緊急連絡が来るのが早いか」「……陽菜はお前も緊急連絡先にしているんだな」つい、嫉妬交じりの恨み節が口を出た。 「当たり前だろう。万が一のとき、手術の同意書にサインをできるのは家族だけなんだから」「そうだな、家族…………“家族”?」「ああ」と李凱が頷く。 「俺と陽菜はまだ離婚していないのに、どうやって陽菜と結婚したんだ?」「はあ? 俺とヒナが結婚?」李凱が本気で驚いている……まさか。「結婚しないしないつもりなのか?」「するわけないだろう! ヒナは異母妹だぞ?」 …………は? 驚く俺に対して李凱は心底不思議そうに首を傾げた。「似ているだろ
先日のパーティーの映像を持ってこさせた。丁度いいタイミングで西山さんも来て、犯人を目撃した祖母さんと西山さんが映像を確認し、運転していた男は白川茉莉の護衛の男だと分かった。俺もお台場のマンションで何度も見たことがある男だった。 「白川茉莉から、この男は母親の白川百合江のお気に入りだと聞いたことがある」「そうですか。朝霧さんを浚った二人はいますか?」戸田刑事の質問に祖母さんと西山さんは首を横に振った。結局、運転手以外は「若い男たちだった」という情報止まりだ。 「防犯カメラの映像から、ぶつかってきた車は盗難車だと分かりました。所有者に確認したところ、彼は藤嶋建設の社員で、三日前から札幌に出張中で、マンションに確認したところ駐車場から車が盗まれていることが分かりました。車両の盗難で捜査し、運転手の男の身柄を確保しましょう」「……それしかないか」李凱が悔しさを嚙みしめるようにぎりっと歯を鳴らした。俺も、気づけば奥歯がいたから、無意識に歯を噛んでいたのだろう。 白川茉莉が陽菜を男たちに浚わせて、陽菜に乱暴させようとしていることは容易に想像がつく。実際にあの女は一度それをやっている。「あの女が、陽菜が俺と結婚していることを知ったら……」陽菜は殺されるかもしれない……。俺の妻の座を空けるためなら、あの女は何でもする。殺人だって厭わない。 「シラカワマツリはどこにいる?」「先ほど煌様を保護した際、マンションにいることが確認されています。マンションは見張らせています。まだマンションにいるでしょう」黒崎の言葉に李凱は白川茉莉を決してマンションから出さないように指示した。 「罪を犯す人間には2種類ある。1つは、罪を罪を認識していない奴だ。こういう奴は危ない、そしてシラカワはそういう奴だと思う」李凱の言葉に祖母さんが同意する。「もう1つは、自分の罪が明らかにされないと高をくくっている奴だ。婦女暴行犯は大体こっちだ。暴行は申告されなければ成立せず、暴行された女性は口を噤んでしまうことが多いからな。だから……あくまでも可能性だが、男たちはヒナを殺すことはないだろう。『何もなかった』と罪を無かったことにしてくれるのはヒナだからな」暴行という言葉を李凱が口にした瞬間、俺は母親に圧し掛かれたときの恐怖と悍ましさを思い出す。陽菜があんな目に……
うちの社員と変わらないスーツ姿だけれど、けんのある雰囲気の男たちが副社長室に入ってきた。一番先頭の男は祖母さんの前に立ち戸田と名乗った。「早急な対応をありがとうございます」「西山参事官から誘拐事件と伺っています」……西山?「三奈子さんがご実家を通して警察に連絡してくれたの」「どうして……」「……陽菜さんが攫われたときに三奈子さんも一緒にいたからよ」三奈子さんと陽菜が……それは、つまり……。「陽菜に、全部話したのか?」「……ごめんなさい。でも、全てを知った上で陽菜さんに判断してもらいたかったの。私たちの都合で陽菜さんを振り回してしまった。それは蒼も分かるでしょう? これ以上、陽菜さんを振り回したくない。あとで事情を知ったらと思ったら……蒼、勝手にごめんなさい」陽菜に……知られた?……祖母さんは“何を”を言わないけれど、多分全部。……俺に、母と何があったのか……あれを、陽菜に……。 「ごめんなさい……彼女の異常性を教えて、陽菜さんに注意を促そうとしたの……まさか、彼女がこんなに早く陽菜さんに……」 祖母さんは悔しそうに杖の柄を掴んだ。祖母さんは白川茉莉の異常性をよく知っている。己の欲望のためならどれだけ手段を選ばないのかも。 「彼女というのは、ミス・シラカワのことか?」流暢な日本語……やはり李凱は日本語が分かっていたな。そんな素振りを感じたのは一度や二度ではない。「ええ、そうよ」李凱の言葉に祖母さんは一瞬戸惑ったが、すぐに頷いた。いまの段階では俺や李凱への怨恨の線も考えられるが、おそらく白川茉莉で間違いはないだろう。間違いないだろうけれど……煌はどうなる? 「失礼、白川さんというのは?」「白川茉莉、この男の自称婚約者だ」「おいっ」「俺が一番大事なのはヒナだ!」李凱の剣幕に思わず怯んだ。「ヒナさえ無事なら、他がどうなろうと関係ない!」陽菜が一番大事だと李凱は言い切った……いま、李凱の目には不安と焦りだけが浮かんでいる。陽菜は、李凱に愛されている。ちゃんと大事にされている。大事なのに、中途半端な守り方しかしなかった俺とは大違い。馬鹿だな……ちゃんと陽菜を大事にできる李凱に俺は嫉妬している……器の小さい、クソ野郎だ。 「お宅らが何を悩んでいるのかなんて俺には関係ない。悩めるってことはそっちには安心
『お前、なんでここにいる?』はあ?『ここは俺の部屋だ。俺がいて何が悪い』李凱は眉間に皺をよせ、部屋の中を見る。手前、奥、右、左、また奥……なんだ?『ヒナはどこだ?』『はあ?』唖然とした李凱の言葉に俺が驚くと、李凱の顔はめまぐるしく変化する。何語かも分からない言葉でまくしたてて、焦った様子で李凱は髪を掻き上げた。 『お前がヒナを拉致したんじゃないのか?』『なんだって?』どうして俺が?李凱は何やら唾を吐き捨てるかのように毒づくと俺に詰め寄り、胸ぐらをつかむ。『拉致したのがお前なら、身の安全はともかく命の心配はなかったのに!』なんだって?『身の安全はともかく? お前、俺が彼女に何かするとでも思っているのか?』もともと李凱のことは気に入らなかった。ささくれた感情は荒れやすい。喧嘩越しの李凱に俺の頭にも血が上り、視界が赤くなる。俺の目の熱に気づいた李凱は鼻で笑い、喧嘩に誘うような挑発的な笑みを向けた。『ヒナを孕ませて手元におきかねねえだろ』「はっ」陽菜を孕ませる?コイツにだけは言われたくない! 『俺と彼女の問題に部外者が口を出すな!』『口を、出すな?』李凱の顔が怒りで歪んだ。『口も手も出すつもりはなかったさ! お前がちゃんとヒナを幸せにしていれば、俺は……「こんなときに喧嘩はお止めなさい!」』 祖母さん!どうしてここに……は? 部屋の入口を見れば祖母さんがいた……それは分かるけど、なぜ第二秘書はバケツを持っている? 「頭を冷やさせて!」 * 『状況を整理します、いいですね?』
今でこそこんな風に冷静に分析しているけど、赤ん坊の写真を見た直後は荒れた。「どうして」って、いま思えば陽菜に理不尽だと呆れられそうなことを思って、でもかけなしの理性がここで陽菜を問い詰めてはいけないと俺の衝動を抑えて……辛うじて俺は何もせずにすんだ。体調不良と言って青山のマンションに逃げて、そこのあった酒を飲んで、それでも足りないからデリバリーで注文して、いまの時代なんでも届くなって思いながら暴飲を重ねて二日酔い。胃をぐるぐるさせながら気分の悪さに耐えて、ただベッドに横になりながらあの赤ん坊の写真を思い浮かべた。最初は、陽菜の裏切りだと、許せないと思った。俺を捨てたこと。李凱に抱かれたこと。そして、李凱の子どもを産んだこと。……完全に八つ当たりだ。許せない?それは違う。許さないという、ただ単に俺の我侭。陽菜にだって幸せを求める権利があり、そのために俺との別れを選んだのだから、陽菜はもう俺の赦しなんて求めていないのだ。陽菜が求めた幸せが、李凱との子どもだったというだけ。……俺は我侭だから、陽菜は寂しさで人肌を求めただけだと思おうとした。李凱が陽菜の傷心につけ込んだとか、あの李凱の見た目に陽菜がちょっと蹌踉めいたとか、自分に言い聞かせようとした。……馬鹿だな、陽菜のこと、分かっていたくせに。陽菜はそんなに弱い女じゃない。――― I love you, Kai.陽菜は電話でそう言っていた。愛しているって……とても優しい顔と声で、李凱に「愛している」と言っていた。あれを見て、分かってしまった。陽菜は李凱を愛している。あの言葉を、表情を、感情を俺は疑うわけにはいかない。――― 愛しているわ、蒼。あの全てはかつて俺に与えられ
キャメロットと打ち合わせしている会議室に行くと陽菜がいなかった。陽菜のサポートだと紹介された褐色の肌色をした女性に陽菜の所在を問うと、陽菜は別件で今日はこっちに来ないとのこと。様子を見にきたと言って顔を出しておきながら、陽菜がいないならとこの場を去るのはあからさま過ぎるのでしばらく会議室にいることにした。 始動してもう少しで一ヶ月、プロジェクトは順調に進んでいる。藤嶋は日本では有名企業だが、世界的に見れば知名度は低く、日本の知名度に奢って天狗になっていた藤嶋のメンバーはキャメロットのメンバーに最初は圧倒されていた。ここで例の『朝霧セラピー』の発動。陽菜の手助けで藤嶋のメンバーは自分を見直し、いまは自分が求められている長所をいかしてプロジェクトに取り組んでいる様子。自信を取り戻した彼らは陽菜を崇拝する目で見て、俺に「何で朝霧さんと別れたのか?」という疑問の目を向けることが増えた。あの目で見られると「別れていない」と言いたくなるが、「まだ別れていない」というだけでカウントダウンは残り少ない。陽菜には一ヶ月以内、遅くても四十日以内に離婚届を提出してほしいと言われている。遅くてもって、十日しか納期が伸びていないぞと文句は言いたくなるが、離婚届を俺に渡してから一年以上放置されていた陽菜の立場からしてみれば大した譲歩なのかもしれない。俺は、スーツの上から離婚届の入った封筒を押さえる。離婚届はすでに全項目記入済みで、いつでも渡せる。薄い紙切れ一枚入っただけのペラペラの封筒は軽いが、これを渡したら全てが終わりと思うと異様に重たい。 『ミスター・フジシマ。本日アサギリはおりませんが、このあと李がきますのでお話しなら……』『いや、進捗を確認したかっただけだから気にしないでくれ。そろそろ次の予定があるので失礼するよ、ミズ・トラオレ』社交的な笑みを心がけつつ、口の端が歪みそうになるのを必死に抑えて会議室を出る。後ろからついてくる黒崎の、次の予定なんてあったかと問う視線が痛い。でも、