真奈は、立花がどうやって相手と縁を切るつもりなのか、少しは見ものだと思っていた。だが、まさか彼がいきなり楠木の部屋のドアを蹴り破るとは思ってもみなかった。容赦なんて、微塵もなかった。部屋の中からは、男と女のあえぎ声が漏れてきて、真奈は思わず息を呑んだ。楠木って、立花のことが好きだったんじゃなかったの?それなのに、どうして昼間っから他の男と寝室でいちゃついてるの?真奈はドアの外に立ち、中の様子をじっと窺った。顔までははっきり見えなかったが、ぼんやりと脂ぎった巨大な体が目に入った。あの楠木は、間違いなく海城でもトップクラスの美女で、まるで宝石のような存在だ。そんな楠木が、どうしてこんな見るに耐えない男を相手にするんだろう……真奈の脳内に疑問がいくつも浮かんでは消えていたそのとき、部屋の中でも異変が起きた。楠木は明らかに動揺していて、ベッドの男も慌てて転がるように起き上がった。ほどなくして、真奈の視界に、ズボンも履かずに慌てて逃げていく男の姿が映った。楠木の顔は青ざめ、手近にあった露出の激しい寝間着を身にまとって、ドアの外のメイドに怒鳴り散らす。「立花総裁が来たのに、なんで誰も知らせなかったのよ!?あんたたち、死にたいの!?」その剣幕に、周囲の使用人たちは肩をすくめて震えていた。「孝則……さっきのはその……あ!」言い訳を口にするより早く、立花は彼女の首を掴んだ。瞬間、ものすごい力がのしかかってきて、楠木は息をすることすらできなくなった。立花は冷ややかに言い放った。「死にたいのは、あいつらじゃない。お前だ」「孝則……お願い、話を……話だけでも聞いて……」楠木は必死に弁解しようとした。だが、その視線の端に、ドアの外に立つ真奈の姿が映った。真奈が生きて、自分の前にいる。その瞬間、楠木の顔に強い動揺が走った。次の瞬間、立花は彼女を思いきり床に叩きつけた。「俺の女にまで手ぇ出すか?楠木、俺はお前を甘やかしすぎたみたいだな」「あなたの女?彼女があなたの女?じゃあ私は?私は一体なんなのよ!」楠木の目に涙が溢れ、止まらなかった。「孝則……あんた、本当に良心ってもんがあるの?私は楠木家の令嬢よ?あんたのために毎日、気持ち悪い男たちに笑いかけて、媚び売って、次から次へとパートナーを引き込んで……あんたが今の地位を手にした
厚遇?惜しみなく報いる?真奈は笑ってしまいそうになるのを堪えた。あの船の上で、立花が森田をどう始末したか、真奈は一度だって忘れたことはない。そんな台詞を今さら自分に向けて言われても、信じるわけがなかった。とはいえ、表面上はにこやかにうなずき、もっともらしく言ってみせる。「安心して。私たち、目的は一致してる。でも私は欲張らない。全部終わったら、瀬川家の令嬢として、家を再建できればそれでいい。ここのことは全部あんたのもんで、一ミリたりとも欲張る気ないから」「一ミリたりとも?ここが完成したら、月の売上がどれだけになると思ってる?」立花はおかしそうに笑った。金の山が目の前に積まれてるのに、満足したふりするやつなんて初めて見た。「……まあいいや。怪我して頭の回転鈍ってんだろ?さっきの発言は聞かなかったことにしてやる。今日ここに連れてきたのは、忠司を安心させるためでもあるけど、お前に見せたかったってのもある。この洛城は全部、俺の掌の中だ。俺と組むってのは、正解中の正解だぜ」「わかってるって。安心して」「わかってるならそれでいい。車に乗れ」そう言われて、真奈は眉をひそめた。「どこ行くつもり?まだ休ませてくれないの?」すでに労災レベルのケガをしてるってのに、まだ連れ回すつもりなのか。まったく、立花の下で働くのは息が詰まる。そんな真奈の反応に、立花は片眉を上げて言った。「仇討ちに連れてってやる。嬉しいか?」真奈が言葉を返す前に、馬場がちょうど車を二人の目の前に横付けした。車に乗り込むと、真奈の胸はざわついたままだった。立花の言う仇討ち、まさか楠木のところに行って問い詰めるってことじゃないだろうな?そもそも、あいつ楠木家と政略結婚するって話じゃなかったっけ?立花がこんなにも堂々と、一人の女のために楠木家を敵に回して、両家の関係に影響が出ないはずがない。こいつ、ほんとに頭イカれてんじゃないの?そんなことを真奈が考えているうちに、車はすでに楠木家の門前に到着していた。楠木家の別荘は市街地の中にあり、門の警備員は立花の車を見ると、すぐに自らドアを開けに来た。「立花総裁、楠木社長は今朝早くから会社へ行かれました。もしご連絡されるのでしたら、すぐにお電話を——」「いらない。静香に会いに来ただけだ」立花がズ
「それにしても、俺はお前みたいな厄介者がボスのそばに潜んでるのを、黙って見ているつもりはない」馬場の目には冷たい光が宿っていた。ちょうど手を伸ばそうとしたそのとき、真奈はぴたりと足を止め、落ち着いた声で言った。「立花、もう十分遊んだんじゃない?」その言葉に、馬場はわずかに眉をひそめた。そして、もともと木陰に身を潜めていた立花がゆっくりと姿を現した。「忠司、もうその辺にしておけ」馬場は足を止めた。不満そうな顔をしていたが、立花が命じた以上、従わざるを得なかった。真奈は少し離れた場所に立つ立花を睨みつけた。「楽しかった?」「忠司はお前のことを信用していなかった。だから試してみたまでだ。瀬川さんなら気にしないと思っていたが」「気にするわ。すごくね」真奈は冷たい視線を馬場に向けた。「こいつみたいな忠義の部下がその場で私を始末しても、おかしくなかったんだから」病院で立花が彼の命令なしでは馬場は真奈を殺さないとはっきり口にしなければ、真奈は本当に馬場が自分を殺そうとしているのだと疑っていたかもしれない。しかし幸い、今回はただの試しだった。立花は傍らの人工湖を指さし、こう言った。「ここは立花グループがこれから開発する土地だ。お前の不動産開発に対する見解で、ここが将来どれほど儲かるか見てみたい」真奈は今さら気づいた。ここはおよそ0.7平方キロメートルの開発用地で、これだけ大規模な土地なら、商業区にしないにしても新築マンションの分譲地となり、しかも広大な緑地帯付きの大型計画になるに違いない。「用途次第だね。こんなに広い土地なら、損をすることはまずないと思うわ」このあたりはまだ郊外というわけではなく、これほどの広さの土地であれば、立花に少しでも判断力があれば赤字にはならない。短くて数年、長くて十年以上かければ、元はきっと取れるはずだ。立花は言った。「ここを立花グループ最大の洛城楽園にする」真奈は尋ねた。「遊園地ってこと?」「遊園地じゃない」立花の顔にはかすかに笑みが浮かんでいた。「上流階級の金の捨て場所だ」その瞬間、真奈は立花の意図を悟った。立花は悠然と語り始める。「金持ちはますます金を手にする。彼らの欲望は果てしなく、野心も際限がない。金庫が百個あっても足りないほどの財を抱えてる。だからこそ、俺が造るのは、そんな連中の金
どうやら、真奈は馬場と二人きりで過ごすことを避けられないようだった。間もなくして、馬場が病室に入ってきた。「瀬川さん、ボスに言われまして、瀬川さんを送り届けるようにとのことです」「分かった」真奈は布団をめくって身を起こし、ベッドから降りようとしたが、動作はひどくぎこちなかった。だが馬場は手を貸そうともせず、真奈が足を引きずりながら歩き出すのを、ただ黙って見ていた。その背後にぴたりと付き従い、真奈の歩く速さに合わせて、同じ速度で無言のままついてくる。まるで、任務だけを遂行する冷たい機械のようだった。「……っ!」真奈は思わず息を呑み、痛みで顔をしかめた。廊下にいた看護師がそれに気づき、急いで駆け寄って真奈の体を支えると、馬場に向かって少し怒ったように言った。「ご家族の方、奥さんがこんなに痛がっているのに、どうして手を貸さないんですか?」馬場は眉をひそめ、露骨に不快そうな表情を浮かべた。真奈は慌てて場を収めるように言った。「違うんです、看護師さん。彼は私の夫じゃありません。ただの……知り合いです」「友達でもそういうことはダメですよ。支えてあげようともしないなんて」看護師はそう言いながら、真奈を支えていた腕をそっと馬場の手に重ねた。馬場は反射的に手を引こうとしたが、看護師がその手を押さえて言った。「患者さんはケガをしていますから、歩くときはしっかり支えてください。もし傷が開いたら、また処置をやり直しですから」「ありがとう、看護師さん。彼なら、ちゃんと支えてくれるはずです」そう言って真奈は、わざと全身の体重を馬場の腕に預けた。だが馬場の腕は想像以上にがっしりとしていて、少しも揺らぐ気配がなかった。看護師の一言が効いたのか、馬場はそれ以上拒むこともなく、真奈を支えてそのままエレベーターへと歩みを進めた。病院の玄関前に着くと、馬場は車を横付けにして自ら車のドアを開けた。真奈が乗り込むと、馬場は無言のまま運転席に戻り、車を発進させた。バックミラー越しに見えるのは、馬場の鋭い眼差しだけ。その視線はまるで氷のように冷たく、生まれつき感情というものを持たないかのようだった。車はしばらく走り続けていたが、いっこうに立花家の別荘が見えてこなかった。「この道って、立花家に向かうルートじゃないわよね?」洛城に来てからの数
院長は額の冷や汗を拭い、立花が怒りを自分にぶつけるのではないかと恐れた。この病院の投資の半分以上は立花グループから出ている。立花の一言で、彼の院長の座は危うくなるのだ。病室では、真奈が昏睡からようやく目を覚ましたばかりで、ベッドに半身を預け、体中に傷があり、額も打って裂けていた。そのとき、外から立花がドアを勢いよく押し開けて入ってきた。看護師は驚いて言った。「患者は休んでいます。どうして……」「出て行け!」立花が怒鳴ると、背後にいた院長がすぐに看護師に向かって手を振りながら言った。「早く出なさい!」看護師はようやく、目の前にいるのが立花家の当主だと気づき、恐怖で顔色が青ざめ、慌てて病室を飛び出していった。「立花総裁、私はまだ横になってるのに。少しは静かに休ませてくれない?」真奈の声はかすれ、どこか苛立ちもにじんでいた。立花は眉をひそめ、問い詰めるように言った。「今日の件、きっちり説明してもらおうか」「説明?何の説明?私はこんな状態で寝てるのよ。説明が欲しいなら、あの楠木家のお嬢様に聞いて!」真奈が楠木の名を口にした瞬間、立花の目つきが一変した。「……楠木がやったって言うのか?」「そうよ。楠木が、私たちの車にぶつけてきたの。それだけじゃない、ガソリンまでぶちまけたわ。通りがかった車が照らしてくれなかったら、私もここにはいなかった。内匠さんと同じく、あの女に殺されてたかもしれない」今思い返してもゾッとする。真奈は心の底から震えを覚えた。楠木の手口はあまりにも手慣れていて、まるで偶然の事故を演出する術を熟知しているかのようだった。きっと、あれが初めてじゃない。楠木家もまともな商売人じゃない。真奈はそう確信していた。立花の反応を探ろうとしていたその時、不意に立花が身を乗り出し、真奈の腕をぐっと掴んだ。反射的に逃れようとしたものの、立花の力は想像以上に強く、あっという間に腕をねじられた。さらに彼は掛け布団をばっとめくり上げ――「何すんのよ!」思わず真奈の手が振り上がり、立花の頬を鋭く打った。病室の中は、2秒ほど静寂に包まれた。立花は頬に手をやり、自分が叩かれた場所の火照りを確かめた。一方、真奈もようやく自分が突発的に手を出してしまったことに気づき、言い訳のように口を開いた。「悪いけど、私のせいじゃないから。先に手を出
怒りで目を真っ赤にした黒澤を見て、真奈はすぐに両手で彼の頬を包み、焦った声で言った。「遼介、聞いて。ウィリアムと一緒に海城に戻って、全部整えてから私を迎えに来て。あんたなら絶対できるって信じてる。私は立花ともう手を組んだの。今、あいつは私のことを信用してるから、大丈夫」「俺に、お前を一人ここに置いていけって言うのか?」「ウィリアムの言うとおり、今あんたが私を連れて行こうとしたって、絶対に逃げ切れない!そうなったら、立花の信頼も全部崩れる。私はもう、あいつの裏の産業チェーンに手をかけてるの。早く行って、私、待ってるから。あんたが助けに来てくれるのを」黒澤がどうしても手を離そうとしないのを見て、真奈はウィリアムに向かって叫んだ。「ウィリアム!早く遼介を連れてって!二人はすぐに海城に戻り、すべてを整えてから私を迎えに来て!」真奈の覚悟が固いのを見て、ウィリアムはすぐに黒澤の腕を掴んだ。「黒澤!早く行こう、瀬川さんの言うことを聞かないと、俺たち全員が終わりだ!お前のせいで瀬川さんが死ぬのを見たいのか!」その言葉を聞いて、黒澤はようやく真奈をそっと地面に下ろした。「三日……三日以内に迎えに来る」「うん、三日。待ってる」真奈は、黒澤とウィリアムが車に乗り込むのを見届けてから、ようやく大きく息をついた。このあたりは立花のカジノからさほど遠くない場所だった。真奈はすでに燃え上がっている車を見やり、地面に倒れ込むと、這いずるふりをしながら叫んだ。「た、助けて……助けて……」その頃、立花のカジノ内では、立花が三階から降りてきたところだった。すると、入り口の警備員が慌てて駆け寄ってきて叫んだ。「総裁!大変です!」立花は不機嫌そうに聞いた。「今度は何だ?」「中部街道で……中部街道で瀬川さんの車が事故に遭いました!」それを聞いた瞬間、立花は警備員の襟首をがっと掴み、怒声をあげた。「どこだ?何があった?言え!」「内匠さんが……内匠さんが亡くなって、瀬川さんは病院に運ばれました。今もまだ意識が戻っていません!」立花は勢いよく警備員を突き飛ばし、すぐ傍にいた馬場に命じた。「車を出せ、病院へ行く!」「承知しました、ボス」馬場は即座に車を取りに走った。深夜の洛城、街路にはわずかに数台の車しか通っていなかった。立花が中部街道を通りか