LOGIN夏目結衣(なつめ ゆい)は、迫り来る大型トラックの前で咄嗟に伊藤裕也(いとう ゆうや)を突き飛ばし、その身代わりとなって両脚を砕かれた。 病院で目を覚ますと、いつもは冷ややかで誇り高い彼が、初めて頭を下げた。 ベッド脇に立った裕也は、結婚しようと言った。八歳の頃から想い続けてきた彼の言葉に、結衣は涙ぐみながらうなずいた。 けれど結婚してからというもの、裕也は夜ごと家を空け、結衣への態度は冷え切っていた。 脚の感染で死のふちに立たされたその時でさえ、莫大な財産を持つ裕也は、結衣のために余分な金を一円たりとも出そうとはしなかった。 「結衣、あの時お前が俺を庇ったことに、感謝したことは一度もない。 俺たちの結婚は最初から間違いだった。 もう終わりにしてくれ」 そう言うと裕也は、重いまなざしのまま、彼女の酸素チューブを引き抜いた。 結衣は瞳を見開いたまま、深い悲しみに呑まれ、息を引き取った。 彼女は思った――もし人生をやり直せるのなら、二度と裕也なんて好きになりたくない。
View More続いて、スタジオの中から爆発音が響いた。「裕也!」結衣の目が大きく見開かれ、張り裂けんばかりの叫びが胸の奥から迸った。だがその直後、力尽きて、彼女は意識を手放して崩れ落ちた。結衣が再び目を覚ましたのは病院のベッドの上だった。まぶたを開けると、そばに目を赤くした誠がいた。結衣は丸七日、昏睡していた。そのあいだ、誠もまた彼女のそばを離れず、つきっきりで見守っていたのだ。幸いにも、結衣の怪我は軽い外傷にとどまり、昏睡の原因も外的なショックによるものだった。体を支え起こされると、あの炎の中での出来事が、胸の奥に一気によみがえった。結衣の呼吸はたちまち荒くなり、思わず誠の手をぎゅっと握る。「誠、意識を失う前に、爆発音が聞こえたの。裕也は? 生きてるの?」「慌てないで、深呼吸して」誠は結衣の手を包み込み、やさしくなだめた。「裕也は死んでいない。ただ、全身に火傷を負っていて、医者は、何度か皮膚移植の手術を経れば、日常生活に戻れるだろうと言っている。僕が現場に駆けつけたとき、彼はちょうど救い出されたばかりで、まだ完全に意識を失ってはいなかった。そのとき、僕に言づけたんだ。君には彼のことを忘れてほしい、会いに行かなくていい、醜い姿を見せたくないって。でも、どうするかは君次第だ。いま裕也は階上の病室にいる。結衣、会いに行くか?」結衣はそこでようやく大きく息をついた。伏し目になり、しばらくしてから小さく首を振った。「会わない。私と彼は、とっくに終わってる。これから先、二度と会わないのが、私たちにとって一番いい終わり方だ」誠は静かにうなずき、そして話題を変えた。静香は殺人未遂の容疑で警察に逮捕され、これから先は長い獄中生活を強いられることになりそうだという。それから、この件を知った裕也の両親もM国へ飛んできており、結衣に一度会わせてほしいと望んでいる。裕也のこととは別に、二人はずっと結衣を娘のように思ってきたからだ、という。そして最後に、誠は揺るぎない想いを宿した声で口を開く。「結衣、僕と結婚してくれ。君がなかなか目を覚まさなかったこの七日間、ずっと不安で、恐ろしくて、永遠に君を失ってしまうんじゃないかと怯えていたんだ」結衣は彼の真剣な眼差しを見つめ、胸の鼓動がふいに速まった。……半年後、結
「どうしてここに?」結衣は振り返り、警戒を隠さずに裕也を見据えた。その反応が、裕也の胸を鋭く突き刺した。彼は一拍置いて、低い声で口を開いた。「お前の先輩の静香が自分から俺のところに来たんだ。お前に会わせてやるって言ってな。それに、二人きりになれるようにって、わざわざこんな場を仕組んだんだ」結衣はわずかに眉をひそめた。すると、裕也がポケットから小さな瓶の薬を取り出し、続けざまに言う。「それに、こんな薬まで渡された。お前をだまして飲ませて、一夜を共にしろってな。そうすれば俺はお前を手に入れられるし、そして、彼女は、お前と誠を引き離して、うまく入り込めるって」結衣の頭の中で、「カンッ」と乾いた音が鳴った。なるほど――だから静香は、自分と誠の交際を知ってから、執拗に突っかかってきたのか。すべては、こんな思惑だったとは。結衣にとっては実の姉同然の存在だったのに、その静香が裕也と手を組み、こんなやり口まで自分に向けてくるなんて。結衣は何歩も後ずさりし、床にあったスピーカーを拾い上げて胸の前に構えた。「近寄らないで。たとえ死んでも、そんな薬は飲まない。離れて!」裕也は一歩も近づかなかった。ただ、唇を震わせるほど恐怖に駆られた結衣をじっと見つめ、その顔には隠しようのない失望が浮かんでいた。「そんなに俺が嫌いか? 結衣、前の人生で、俺たちは夫婦だった。なのに今は、俺がそばに寄るだけで怖いのか」しばし沈黙のあと、裕也はかすかに苦笑し、手にしていた薬の瓶を床に投げつけて砕いた。「安心しろ。俺はこれまで散々間違いをしてきたが、もう二度とお前を傷つけるようなことはしない。結衣、今日ここへ来たのは、本当にただ、お前に会って、ちゃんと話をしたかっただけなんだ」結衣はようやく手にしていたスピーカーをゆっくりと下ろした。だが声はなおも硬くて冷たく響く。「もう今さら、あなたと話すことは何もない」裕也が口を開こうとした、そのとき、壁際の監視カメラがいきなり音を発した。響いてきたのは、静香の狂気じみた声だ。「役立たず!どうせあんたには無理だと思ってたわ。いいわ、彼女を傷つけないって言うなら、二人まとめて死ねばいい!」彼女がそう言い終わった途端、スタジオの灯りがふっと落ち、場内は闇に包まれた。間を置かず、鼻を
結衣が顔を上げると、その声の主は静香だった。結衣は思わず拳をぎゅっと握りしめる。「先輩、私、何かあなたの気に障ることをした?」「は?笑わせないで」静香の声が一気に尖る。「私はプロの目であなたの踊りを評しただけ。私に気に入られてるかどうかなんて一切関係ない。それとも結衣、あなたは人にに持ち上げられないと受け入れられないの?」静香の言葉の一つ一つが、棘のように結衣の胸に突き刺さった。鈍いはずの彼女でも、そこに怒りが込められているのはすぐに分かった。思い当たる理由は一つしかない。結衣はまっすぐに静香を見据え、落ち着いた声で問いかける。「私が誠と付き合っているから、それが、気に入らないの?」「黙りなさい!」図星を刺された静香は、怒りに任せて手を振り上げる。だが、ちょうどその時、その手を制する声が飛んでくる。「静香、やめなさい!」冷ややかな顔のニナが横から歩み出た。彼女はこのスタジオの創設者であり、静香の成長をずっと見守ってきた師でもある。一部始終を見ていた彼女には、静香がわざと事を荒立てているのが明らかだ。静香はなおも不満げに手を下ろし、結衣を憎々しげににらみつけながら、小さく吐き捨てる。「何がそんなに偉いのよ。私が橋渡ししてあげなかったら、あなたはここに来ることすらできなかったくせに」ニナは鋭い視線で静香を制し、それ以上言葉を吐かせなかった。そして結衣と静香に向き直り、口を開く。「あなたたち二人は、私が見てきた中でもっとも才能に恵まれた子たちよ。確かに結衣は最初、基礎が弱くてそれが短所になっていた。けれど、そのぶん努力で補ってきた。近々、大きなダンスコンテストが開かれるの。どちらを出場させるか考えていたところなのに、こんな言い争いを始めるなんて。踊りで始まった争いなら、踊りで終わらせよう。いまから私がランダムに曲を流す。二人とも踊りなさい。実力で、どちらが上か示すのよ。いいわね?」静香はそれを聞いて、鼻先でせせら笑った。「いいわ。受けて立つ」結衣もまた、小さくうなずいた。ニナは周囲に目配せし、舞台を二人に譲らせると、ランダムに一曲を流し始めた。静香は少しも動じることなく、自信満々で腕を掲げ、そのまま軽やかに舞い始めた。彼女は知っている。結衣には心の壁があり、難しい動
誠は裕也の腕を乱暴にねじりあげ、そのまま地面に叩き倒した。続けざまに怒りのこもった拳を容赦なく振り下ろす。「このクズ野郎!結衣を裏切っておいて、よくものこのこ顔を出せたな!」拳を浴び続けた裕也は、苦痛に身をよじらせながらも、反撃する気配は見せなかった。裕也はM国に来てからすでに誠の資料を目にしていた。結衣を半年間も世話してきたおじさんだと。だからこそ、彼に手を出すことはできない。裕也は殴られて血を吐きながらも、なお執拗に言葉を吐き出す。「好きなだけ殴れ、お前たちが気が済むならそれでいい。結衣が許してくれるなら、俺がここで死んだってかまわない!」怒り心頭の誠は、その言葉にさらに拳を叩き込んだ。「なら望みどおり、今日ここで叩き潰してやる!」最初、結衣はその光景に胸がすっとした。だがやがて、誠がやめる気配がまったくないことに結衣が気づいた。本当に人が死んでしまう――そう恐れた結衣は、あわてて駆け寄り、誠の動きを押しとどめた。「もういいの、誠、やめて!このままじゃ本当に死んでしまう!」ようやく冷静さを取り戻した誠は、立ち上がると裕也にもう一発、蹴りを入れ、それで手を収めた。「失せろ。二度と僕と結衣の前に現れるな」そう言い放つと、誠は結衣の肩を抱き寄せ、地面に広がる血だまりの光景から彼女をそっと庇った。「結衣、もう放っておけ。家に帰ろう」結衣は素直に頷き、彼の手をしっかりと握り返した。絡み合う二人の指先と、その間に漂うこれまでとは違う空気を目の当たりにし、裕也ははっと目を見開いた。よろめきながら立ち上がり、かすれた声を絞り出す。「お、お前たち?」誠はわずかに首を傾け、それから振り返って裕也を蔑むように見据えた。そして結衣と固く結ばれた指を高く掲げ、彼の目の前に突きつける。「お前の考えているとおりだ。僕と結衣に血のつながりはない。そして、結衣はもう僕と付き合っている。お前はアウトだ。これからは完全に諦めろ」その言葉に裕也は頭を殴られたような衝撃を受け、目がたちまち血走った。「違う! そんなはずはない!お前は結衣におじさんと呼ばれてるんだぞ!どうしてそんなことができる!」裕也は怒号をあげながら誠に殴りかかろうと飛びかかってくる。だが拳が届くより早く、別荘の警備員に取り押
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