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All Chapters of 桜華、戦場に舞う: Chapter 1171 - Chapter 1180

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第1171話

「哉年、跪きなさい!」榮乃皇太妃は突然声を張り上げた。「不埒者め。王妃に許しを請いなさい。王妃はあなたの従妹であり、また義理の姉でもありますよ。王妃が許してくだされば、あなたの母上の御霊にも申し上げられるというものですわ」哉年が膝を折ろうとした瞬間、さくらは冷たい眼差しを向けた。「私に跪こうなどと、よくもそんな真似を」その凍てつくような声に、哉年の曲がりかけた膝は瞬時に強張った。さくらは立ち上がった。「他にご用がなければ、これで失礼いたします」大股で出口へ向かうさくらの背中に、皇太妃の切迫した声が追いかけた。「王妃、どうか、これからどんなことが起ころうとも、私の孫たちをお守りください」さくらは足を止め、鋭く振り返った。「皇太妃様は実に慈悲深いお方。ただ残念なことに、その慈悲は叔母様には届きませんでした。今となっては、誰かの慈悲や庇護など、もう彼らには必要ないでしょう」「王妃!」皇太妃は涙ながらに叫んだ。「同じ親戚ではありませんか。哉年たちは王妃の従兄妹なのです。見捨てないでくださいませ」「身を慎んで暮らしていれば、誰かの世話になど必要ありません」さくらの声は冷たく響いた。「皇族の血を引く者が、まさか物乞いにまで落ちぶれるとでも?皇太妃様のご心配は余計かと。もし、ただの取り越し苦労ではなく、何かご存知のことがあるのでしたら、それはこの私ではなく、あなたの孫たちに申し上げるべきことではありませんこと?」言い終えるや否や、さくらは大股で部屋を出た。「従妹上、お待ちください!」哉年が慌てて追いかけ、さくらの前に立ちはだかった。「私はあなたの実の母の子ではありません。従妹などと呼ばないで」さくらは特に彼への憎しみを隠そうともしなかった。燕良親王の三人の息子の中で、最も憎むべきは彼ではなかったかもしれない。だが、女中の子でありながら、育ての母である前王妃に一片の孝行も尽くさず、生前は冷たくあしらい、死後になって後悔の涙を流すなど、あまりにも卑しい。「ただ、心からお詫びを申し上げたかっただけです。他意はございません」哉年はさくらの鋭い眼差しを避けながら、おずおずと言った。「私に謝られても何の意味もない。育ててくださった方に申し上げることでしょう」さくらの目は氷のように冷たかった。「どきなさい。邪魔です」「私にも何も出来なかっ
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第1172話

「飛騨」という一言に、玄武とさくらは宴もそこそこに親王家へと急いだ。議事堂に広げられた地図には、濃州の一角に飛騨の地が示されていた。かつては離王の封地であり、その離王は文利天皇の弟。今では世襲で、影森天海が鎮国将軍の称号を受け継いでいた。もっとも、鎮国将軍は名ばかりの称号で、軍権は持っていない。天海は皇家の領地を賜り、朝廷からの俸禄で暮らしているが、この代になってその恩恵は半分以下に削られていた。以前の調査では、確かに飛騨は裕福な土地ではあったものの、燕良州や牟婁郡からは遠く離れており、軍を移すには手間がかかりすぎると判断していた。加えて、影森天海という男は、大それた野心など微塵もない男だった。賭博に溺れ、遊里に入り浸る有様で、先祖代々の家業をほぼ食い潰してしまっている。諜報によると、正妻一人に対し三十二人の側室、さらに五、六十人もの美人たちを抱え込んでいるという。気に入った女を見つければ、金で買い、騙し、それでもダメなら力づくで奪い取る。そのため、地元の役所とも険悪な仲だった。一年で百件を超える騒乱や婦女誘拐の訴えが持ち込まれるという始末。しかし飛騨は彼の封地。追い出すこともできず、とはいえ鎮国将軍の称号がある以上、強く出ることもできない。役所は頭を抱えていた。飛騨の府知事は三年任期で交代するが、皇族の面子を慮って告発状を上げることは控えめだった。皇室への配慮を優先する陛下の裁定で、自身の仕途に傷がつくことを恐れ、できる限り黙認する方針を取っていた。そうして彼の非道な振る舞いは、飛騨の地で野放しにされていた。「彼には顕著な特徴がございます。貧しくても横暴なことです」有田先生が指摘した。玄武は物思わしげに言った。「極限まで貧しく、かつ横暴な者は、必ず金策を考えるはず。しかし、この数年で飛騨での友好関係はほぼ皆無。実権も持たず、金を借りることすらままならない。彼の私有する庄園や山林を徹底的に調べよ」有田先生は調査記録の帳面を繰りながら答えた。「庄園は一つか二つを残すのみ。良い場所の山林は皆、人に貸し出されております。残っているのは、地形が複雑で、貸し手もなく、作物も果樹も育たぬような場所ばかり」「密偵を送り込め」玄武は額に指を当てながら言った。「私から陛下に話を通し、哉年に何か任務を与えよう。どの程度の情報を明かすか、様
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第1173話

哉年は刑部での任務に就いた。当初は父王のことを詮索されるのではないかと戦々恐々としていたが、数日経っても玄武に会うことすらなく、誰一人として尋ねてくる者もいなかった。次第に、その緊張も薄れていった。むしろ、刑部大輔の今中具藤が時折声をかけてくれた。今中は温和な性格で、何かと指南を買って出てくれる。哉年も深く感謝し、分からないことがあれば、職制を超えて今中に助言を求めるようになっていた。これまでまともな仕事など経験したことのない哉年は、司獄としての職務を全うしようと必死だった。学ぶべきことは山積み、配下の獄卒たちの統率も必要で、毎日が慌ただしく過ぎていった。玄武は今中に指示を出していた。今は彼を追及せず、まずは職務に専念させよ。分からないことがあれば助け、成功体験を積ませ、自ら進むべき道を選択させるのだと。冬至を過ぎると、天方家には仲人が続々と訪れるようになった。裕子は息子の十一郎の嫁探しに心を砕いていた。子孫繁栄はさておき、せめて身の回りの世話をしてくれる良き伴侶が必要だと考えていた。息子が死の淵から生還して以来、裕子は子孫のことをさほど重視しなくなっていた。この先、穏やかな人生を送れさえすれば、それで十分だと。親房夕美の一件もあり、今度は嫁選びに際して、何より人柄を重視することにしていた。以前話の出ていた六品官の娘は、才徳兼備だったものの、親房夕美と村松光世の一件が露見してから、話は立ち消えになってしまった。今では縁談が増えてきたが、裕子にはそれぞれの娘の人柄を即座に見極めることはできず、じっくりと調べようと思っていた矢先、斎藤家から縁談が持ち込まれた。斎藤礼子、斎藤家四男の末娘で、裳着の儀を済ませてまだ半年、十六にも満たない。裕子は人柄を知る以前に、年齢があまりにも若すぎると感じた。これまで候補に挙がっていた娘たちは、みな十八を過ぎていた。確かに十八を過ぎても未婚の娘は少なかったが、家の喪中で婚期を遅らせている者や、一度婚約が破談になった者もいた。もちろん、破談に至った事情も詳しく調べる必要があった。再婚の女性も候補に入れていた。裕子は決して再婚を忌避してはおらず、相性が合えばそれで良かったのだが、残念ながら適当な人は見つからなかった。斎藤家には「身分が釣り合いませんし、礼子様はお若すぎます。うちの息子
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第1174話

西連寺内侍は藩札も茶葉も懐に収めたものの、口元は固く閉ざされたままだった。「参内なさればおのずと分かることです。誥命を賜った方なのですから、礼を失することなどございますまい」「はい、ごもっともでございます」執事は笑みを浮かべながら答えたが、内心では舌打ちをしていた。よほどの重大事でもなければ、これほど頑なに口を閉ざすことはあるまい。さくらは今日、女学校に赴くつもりだった。斎藤礼子がまた何か騒動を起こしたらしく、昨夜、国太夫人から使いを寄越され、収めるようにとの依頼があったのだ。ところが、屋敷を出たところで天方家の駕籠が急ぎ足で近づいてくるのが目に入った。何か重要な用件があるらしい。さくらは足早に駆け寄り、「天方家の方ですか?」と声をかけた。簾が開き、天方夫人が慌ただしく顔を出した。「王妃様、裕子叔母様が皇后様にお召しになりました。斎藤家四男家の礼子と十一郎の縁談のことかと……母は皇后様が降嫁の勅命を下されるのを懸念しており、どうかお力添えを」「斎藤礼子?雅君女学の?」さくらは初耳で、思わず目を丸くした。「はい、雅君女学の。昨日、縁談の話が持ち込まれまして、叔母様は承諾しかねると」天方夫人は焦りを隠せない様子で答えた。事態を察したさくらは、すぐに紫乃を呼び寄せ、太后様に御機嫌伺いに参内すると告げ、二人で馬を走らせた。一方、裕子は既に西連寺内侍と共に馬車で宮中へ向かっていた。さくらと紫乃は裕子より一足早く、太后の御前に伺候した。太后は皇后と王妃たちへの配慮から、通常は朔日と十五日の参内のみを求めていた。清和天皇は既に早朝の御機嫌伺いを済ませ、退出されていた。さくらの報告を聞いた太后は、思わず舌打ちをした。「縁結びを勝手に仕組むとは。あの方の魂胆が分からぬとでも?」所詮は十一郎の兵権を利用して、大皇子の後ろ盾になろうとする魂胆に過ぎなかった。あの日以来、大皇子が潤を見下したことで、太后は心中穏やかではなかった。子供とは言えども、もう幼くはない。師匠に礼儀作法を習っているというのに、礼儀知らずで気ままな振る舞い。鼻高々で、誰を見ても上から目線なのだ。あの一件以来、天皇と皇后も大分躾に力を入れ、太后への御機嫌伺いの際も、形式通りに振る舞うようになった。しかし、幼い心の内などはお見通しだった。形だけの礼儀作法の裏に
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第1175話

「まあ、お覚えいただけるとは、礼子にとってこの上ない光栄でございます」皇后は微笑を浮かべながら答えた。「確かに今年元服いたしまして、十五歳半になります。叔母上も縁談をお探しで、私にもご相談がありましたところです」「そうそう、わたくしも聞いておりましてね。広陵侯爵家の三郎君との縁談を望んでおられるそうじゃないの。わざわざ人に調べさせたところ、才気煥発で品行方正な若者だそうよ。年頃も似つかわしいし、まことにいい組み合わせじゃないかしら」太后の鋭い眼差しに見透かされ、皇后の表情が一瞬にして曇った。しかし、なんとか取り繕おうと、「婚姻は重大な事柄でございます。礼子も納得してこそ……」と言葉を濁した。太后は穏やかに頷いた。「おっしゃる通りよ。だからこそ、わたくしも降嫁の勅命は控えることにしたの。あの子が自分で気に入った相手を見つけてからでも遅くはないわ。その時になったら、皇后の顔を立てて、お墨付きを与えてあげてもいいと思っているのよ」皇后の表情が一層険しくなった。これでは事実上、自分にも降嫁の権限を認めないという意味ではないか。一体誰が密告したのだろう。昨日やっと天方家に使いを出したばかりで、今朝になって裕子を呼び寄せた矢先、まだ話も始められぬうちに、太后からこのような暗示めいた言葉を投げかけられるとは。「他にはないわ。ただこの件についてあなたの考えを聞きたかっただけよ。叔母上にもそう伝えなさい。礼子が自分で良い人を見つけるまで待つようにって。結婚は親の一存だけで決めるものではないのだからね」太后は皇后を帰そうとした。皇后は立ち上がり、深々と一礼した。「はい。実家の事にまでご配慮いただき、恐れ入ります。これにて退出させていただきます」吉備蘭子も同じく礼をし、皇后に外套を着せると、共に退出していった。二人が去ると、さくらと紫乃が姿を現した。彼女たちは屏風の陰に隠れ、太后と皇后の会話を全て聞いていたのだ。「太后様」紫乃は好奇心に駆られて尋ねた。「どうして斎藤礼子と広陵侯爵の三郎さんを、すぐにお結びにならないのですか?」太后は目を細めて紫乃を見つめた。「まあ、お馬鹿さんね。婚姻は慎重に決めるべきものよ。相思相愛でない夫婦は、後々怨み合うことになる。それこそ二人とも不幸になってしまうわ。礼子のことはまあいいとして、女学校であんな騒ぎ
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第1176話

激怒した皇后は、手元の茶碗を叩きつけた。「いつも邪魔ばかり。まったく目障りな存在ね」「でございますね」蘭子は静かに進言した。「太后様の勅命で女学校を創設し、雅君女学の塾長となられてから、京の奥様方の間で持て囃されておりまして。今や都の貴族半数の婦人方が一目置いているとか。簡単には手が出せませぬ」皇后は冬至の日のことを思い出していた。あの時、参内した貴婦人たちが揃って上原さくらを褒め称えていた。夫婦仲の良さを賞賛し、その才覚と手腕を誉め、女性の鑑だと持ち上げていた。彼女が女性の鑑なら、皇后である自分は何なのか。その思いが、さらなる憎悪を掻き立てた。「太后様は以前、葉月琴音こそが女性の鑑だとおっしゃっていたのに。今や自分でその称号を得て、恥ずかしくもないのかしら」「皇后様」蘭子は慎重に言葉を選んだ。「今は確かにあの方が世間の注目を集めておられます。しかし、風が吹けば桶屋が儲かるとはよく言ったもの。今この時期に敢えて手を出すのは得策ではございません。何事も極まれば必ず反転する道理。その時こそが災いの始まり。それに太后様がお守りになっている以上……」「太后様が庇っているのは、ただあの方の母上との昔なじみゆえでしょう」皇后は冷ややかに言い放った。「女学校は太后様のご意向。陛下だってあまり賛成なさっていなかったもの。ただ孝行のためにお認めになっただけよ。あの女、塾長だなんて本当に思い上がったものね。自分が幾つの文字を知っているのか、恥ずかしくないのかしら?太后様があれほど女学校を重んじていらっしゃる。もし学院の評判を落としでもしたら、果たしてまだ庇ってくださるかしら」「礼子様に女学校の先生方を困らせるように仕向けたことは、太后様のお耳に入らなければよいのですが……」蘭子は心配そうに進言した。「これ以上過激な行動は慎むべきかと。太后様のご立腹を買えば、陛下も皇后様のお味方にはなって下さいますまい」蘭子の言葉は皇后の逆鱗に触れた。「むやみに動くつもりなどないわ」皇后は苛立たしげに言った。「たとえ何かするにしても、自分の立場は守れるわ。まさか礼子に危険な真似をさせるほど愚かではないでしょう。もう少し考えてみるわ。余計な心配は無用よ」ここ最近、皇后は天方家との縁組みばかり考えていた。天方十一郎こそが最適な人選だった。朝廷の総兵官たちの中で、未
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第1177話

さくらと紫乃は宮を後にすると、紫乃は工房へ、さくらは女学校へと向かった。以前、斎藤礼子に警告を与えたばかりだった。これ以上問題を起こせば退学処分にすると。しかし、束の間の平穏はすぐに崩れ去ったようだ。国太夫人はさくらを見るなり、礼子の件で来たことを察した。「あの子には学ぶ意志がないようです。自ら退学するよう促してはいかがでしょう。縁談の話も出ている娘のことです。穏便に済ませた方が……」斎藤家など恐れるはずもない国太夫人だが、礼子のことを真摯に案じているのは確かだった。雅君書院から追い出されれば、その評判は取り返しがつかないだろう。国太夫人は若い娘たちへの情が深かった。良縁に恵まれなければ、一生を棒に振ることになりかねない。それを誰よりも知っていた。「そう焦らずとも」さくらは穏やかに答えた。「まずは事の次第を確認してから、本人と話をさせていただきます」「大きな問題というわけではないのですが……」国太夫人は溜息交じりに説明を始めた。「あの子と仲間の娘が授業の邪魔をして。特に玉葉先生の講義中はひどい。下で騒いで、皆の顰蹙を買っているんです。玉葉先生も困っておられます。まだお若いので、こういった事態の対処に慣れていないものですから」さくらは思った。相良玉葉は対処法を心得ているはずだ。ただ、この妨害行為が単なる個人的な問題ではなく、女学校の存続そのものを望まない者の仕業かもしれないと察していたのだろう。そうなると、一教師の判断で軽々しく動けるものではない。さくらが玉葉を訪ねようとした時、偶然、斎藤礼子が親友の向井玉穂と赤野間羽菜を連れて中にいるのを目にした。意外なことに、彼女たちは謝罪に来ていたのだ。礼子を先頭に、三人は玉葉に向かって深々と頭を下げた。悔恨の表情を浮かべ、言葉には誠意が溢れていた。「これまでの私の不埒な振る舞い、先生にご迷惑をおかけして申し訳ございません。どうかお叱りください。今後二度とこのような行為は致しません。どのような罰でも、写経でも手の平打ちでも、甘んじて受けさせていただきます」さくらは部屋には入らず、入口から様子を窺っていた。この突然の改心を、さくらは信じなかった。騒ぎを起こしていた生徒たちが、何の前触れもなく悔い改めるなど、不自然すぎる。裏で何かを企んでいるか、誰かに指示されているかのどちらか
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第1178話

さくらが部屋に足を踏み入れると、その鋭い眼差しに三人は一斉に俯いた。さくらの目を直視する勇気などなかった。玉葉は救世主でも現れたかのように、安堵の息を漏らした。「まだここにいるの?」さくらの声が鋭く響いた。「さらに回数を増やすか、退学するか、どちらが良いのかしら?学ぶ気がないなら席を空けなさい。あなたたちの代わりに、真摯に学びたい人はいくらでもいるわ」玉穂と羽菜は震え上がり、慌てて礼子の袖を引っ張った。目配せで「早く行きましょう」と促す。二十回が三十回になり、このまま居座れば四十回、五十回と増えかねない。しかし、斎藤家の箱入り娘として甘やかされて育った礼子は、若気の至りもあって、このような屈辱を受け入れられなかった。不満と挑戦的な眼差しを隠すのに時間がかかったが、さくらが「四十回」と言い出す前に、二人を連れて踵を返した。廊下に出ると、礼子の頬は怒りで真っ赤に染まっていた。皇后姉様の命令がなければ、こんな場所にいる必要などない、と。文字を読めれば十分。余計な学問など意味がない。嫁入り後の家事や使用人の扱い方を学んだ方が、よほど役に立つというものだ。玉葉は立ち上がり、礼を取った。「王妃様」「こんな生徒を持つと、頭が痛いでしょう?」さくらは穏やかな笑みを浮かべた。「数人だけですから、何とかなっております」玉葉も微笑み返しながら、さくらを席に案内し、机の上の教案を整理した。「ただ、彼女たちの騒ぎだけなら良いのですが……女学校の本格的な運営を快く思わない方々がいらっしゃるのではと」玉葉の瞳には疑問の色が浮かんでいた。「王妃様は、誰がそのような……」「女学校の発展を望まない人は大勢いるものです」さくらは確信めいたものを感じながらも、慎重に言葉を選んだ。「詮索するより、私たちがなすべきことをしっかりとこなすことの方が大切ではないでしょうか」「おっしゃる通りです」玉葉は頷いて微笑んだ。「本来は彼女たちの件でお呼びしたのに、謝罪もありましたし、お手数をおかけしただけになってしまいました」「時々様子を見に来るのも私の役目ですから」さくらは穏やかに答えた。実のところ、今日来なくても良かったのだが。些細な騒動とはいえ、退学させるほどの過ちではない。かといって、全く罰せずに済ますわけにもいかない。「他は順調に進んでおります」玉葉
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第1179話

「黙きなさい!」景子は慌てて娘の口を押さえた。「そんな下品な物言いを。伯父上のお耳に入ったら、どんな叱責を受けることか」斎藤家は厳格な家柄。一族の子女には、一言一行に至るまで上品な振る舞いが求められていた。礼子は首を振って母の手を払いのけた。「伯父様など、自分のことも正せないくせに、私たちにどんな説教ができるというの?もう怖くなんてありませんわ」「黙きなさい!」景子は厳しく叱った。「まったく子供じみた考え。外の人々が伯父様のことを噂するのを、私たちは必死で隠しているというのに。それでも式部を取り仕切り、娘婿は今上の陛下。どれだけの役人の運命が伯父様の手の中にあると思うの」礼子は鼻を啜り、口を尖らせた。式部卿の件についてはもう口を噤んだものの、「とにかく、あの天方十一郎なんて大嫌い。無能で意気地なし。自分の妻が浮気して大恥を晒したのに、一言も言い返せないような男」「これは皇后様のご意向なのよ。従っておけば間違いないわ」景子は娘の手に薬を塗りながら、向井三郎と天方十一郎に嫁ぐ場合の違いを丁寧に説明した。礼子は普段から皇后を崇拝していたが、この件だけは納得がいかなかった。あの日、皇后が突然この話を持ち出したことにも違和感があった。「もしかして、天方十一郎が陛下に何か言ったの?あの天方家が、私たち斎藤家と縁組みを?身の程知らず。あの武家の人たちって大嫌い。汗臭くて野暮ったくて」景子は強情な娘の性格を知っていたため、これ以上の説得を諦めた。どのみち、まだ何も決まっていない。太后様の承認も必要だ。その時になってからでも遅くはない。しかし、礼子の怒りは収まらなかった。雅君女学に戻ると、向井玉穂たちに十一郎が自分を娶ろうとしていることを告げ、侮蔑的な言葉を重ねた。玉穂はこの話を面白おかしく他の生徒たちに語り広めた。嘲笑って盛り上がる者もいれば、十一郎は朝廷に大功を立てた英雄であり、そのような侮辱は許されないと反論する者もいた。両者の言い争いは次第に激しさを増していった。もちろん、ただの見物人として無関心を装う生徒もいた。しかし、議論は激しい口論へと発展し、やがて本や筆を投げ合う騒ぎとなり、教室は混乱の渦に巻き込まれた。武内京子が戒尺を手に慌てて駆けつけた時、礼子は既に親房文絵の頬を平手打ちしていた。平手打ちを受けた文絵は、三姫
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第1180話

「厳罰」の二文字に、向井玉穂たちは慄いた。こぞって後ずさりし、礼子との距離を取ろうとする。礼子は涙を流しながら、さらに怒りを爆発させた。「私だって故意じゃない。あの子が余計なことを……伯母様があんな恥ずべきことをしたのに、まだ天方十一郎の味方をするなんて。恥知らずも甚だしいわ」文絵は平手打ちを受けた時も泣かなかったのに、この言葉を聞いた途端、大粒の涙をポロポロと零した。他の生徒の肩に顔を埋めて、声を上げて泣き始めた。教師たちが次々と呼ばれ、さくらまでもが事態の収拾に駆けつけた。先ほどまで激しく対立していた両陣営の生徒たちは、今や罰を恐れて声もなく佇んでいた。先刻の剣を交えんばかりの怒気は、すっかり消え失せていた。事の顛末を聞いた相良玉葉の、普段は冷静な表情に冷たい色が浮かんだ。「度重なる騒動に、今度は暴力行為まで。学ぶ意志が見られません。書院の風紀を守るため、退学処分が相応しいかと」礼子は確かに学びたくはなかったが、自ら辞めることと追放されることは意味が違った。それに皇后様から託された役目もまだ果たしていない。どうして追い出されなければならないのか。追い詰められた礼子は、玉葉に向かって毒づいた。「分かってますよ、なぜ私を追い出そうとするのか。だって先生は天方十一郎と縁談があったのに、断られて。今度は私が選ばれたから、嫉妬してるんでしょう。私情を挟んでいるのは先生の方です」国太夫人は眉を寄せた。「斎藤家の教養とは、このようなものなのですか。人を誹謗し、手を上げ、でたらめを並び立てる。是非をわきまえぬ。私も退学処分に賛成いたします」一呼吸置いて、国太夫人は少し和らいだ口調で付け加えた。「自ら退学なさることをお勧めします。噂が広まれば、あなたの縁談にも差し障りがございましょう」「私も賛成です」武内京子は厳しく言い放った。規律を司る立場として、彼女たちの本質を見抜いていた。学問への意志など微塵もない。ただ騒動を起こすためだけに来ているのだ。以前は噂話を散布した時も見逃し、その後の騒ぎも手の平打ちで済ませた。まさか今度は暴力行為にまで及ぶとは。このまま放置すれば、雅君女学は規律も品位もない、ただの混沌とした場所と見なされかねない。深水青葉と国太夫人も同意を示し、斎藤礼子の退学処分は全会一致で決定された。さくらは静かに頷き、礼
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