清和天皇が朝廷に姿を現した時、その血色は以前とは見違えるほど良くなっていた。老臣たちの中には感極まって袖で涙を拭う者もおり、特に越前弾正尹などは目を真っ赤にしていた。彼は先日、天皇を吐血させてしまうという大失態を犯しかけたのだ。今、天皇の容体が回復に向かい、丹治先生も宮中で治療にあたっていると知れば、希望の光が見えてくるというものだった。しかし、清和天皇の予想通り、朝臣たちからは皇太子冊立を求める声が高まった。天皇はすぐには応じず、「三人の皇子はまだ幼い。もう少し様子を見よう」と答えるにとどめた。皇太子冊立を求める朝臣の中には、当然斎藤家の門下生もいたが、彼らは他の者に調子を合わせるだけで、積極的に声を上げる者はいなかった。清和天皇は、斎藤式部卿が純粋な忠臣でいたいという言葉を、まるごと信じてはいなかった。斎藤家は確かに最近おとなしくしているが、それは釘を刺された後の効果に過ぎない。皇太子冊立の件は保留としたものの、清和天皇は一つの決定を発表した。北冥親王・影森玄武を東宮傅に封じ、皇太子と皇子たちに騎射や武芸を教えさせるというのだ。これは皇太子の確定が議題に上がったことを意味していた。東宮傅は名誉職に過ぎず、玄武は実質的には刑部卿のままだった。それでも朝廷の誰もが感じ取っていた——天皇が未来への布石を打っており、その計画の中に北冥親王が組み込まれていることを。人々は安堵した。いつの間にか北冥親王は国の大黒柱となっていた。彼は揺るぎない防壁のような存在で、外には敵を防ぎ、内には民を安んじる力を持っていたのである。邪馬台と羅刹国が結んだ盟約書が都に届いた。羅刹国は永久不可侵を誓っている。だが、二国間の取り決めなど所詮は紙切れ同然——いざという時には破り捨てられる運命だ。羅刹国の不可侵の誓いより、実利の方がよほど頼りになる。羅刹国は毎年、牛羊各五千頭、駿馬五百頭、穀物一万石、銀十万両を大和国に納めることになった。羅刹国はもともと穀物の一大産地で、肥沃な大地が広がっている。しかし長年の戦乱で兵を駆り出し続けた結果、良田の多くが荒れ果ててしまった。賠償金に加えて穀物まで差し出すとなれば、量こそ法外ではないものの、彼ら自身も国力回復に専念せねばならない。十年、いや二十年は軽々しく戦を仕掛ける余裕はあるまい。
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