本格的に営業業務が中心となり始めた笠井のファッションは、以前のふんわり綺麗系オフィスカジュアルはほぼ封印されて、キャリアウーマン風スタイルへ変わっていていた。いわゆる形から入るタイプだったらしい。緩く巻かれていた髪はすっきりとアップにし、ウエストラインを強調したパンツスーツ率が高い。でも、スーツはどちらかというとベージュやライトグレーといった明るい色合いの物が多いところは着こなし上手な笠井らしく華やかで、いまだにスーツというと黒のリクルートスーツしか持っていない咲月にはとても参考になる。参考にはなるが、咲月にはさっぱり似合わない自信もある。 事務スペースの壁面棚から必要なファイルを探して抱えると、咲月は誰もいない静かなオフィス内を改めて見回していた。笠井と川上の二人は昼過ぎから取引先のところへ出掛けているし、平沼は今日は在宅ワークで出勤して来ていない。羽柴も別の商談で出ているし、今日の午後は夕方まで完全に一人きりの予定だ。誰もいないのに照明が点けっぱなしなオフィスには空調と冷蔵庫が唸る音くらいしか聞こえない。 と、普段と違う状況に少し寂しさを覚えていた咲月だったが、いきなり入口から聞こえてきた「いらっしゃいませ」という電子音に、思わず身体をビクつかせた。 これだけ人の気配が無い時は入口のドアが開く音で先に気付きそうなものだが、考え事をしていたせいか全く聞こえていなかった。普段はそうでもなかったはずなんだけど、今日はやけにセンサー音が大きく聞こえて、かなりビックリしてしまった。振り返って見ると、長髪を無造作に後ろで束ねた銀縁の丸眼鏡の男性が立っていた。四月の飲み会以来全く顔を見せていなかったデザイナーの原田だ。 彼は今日もデニムに黒色のジャケットを羽織っていたから、初めて会った面接の日のことを思い出す。飲み会は一瞬だけ顔を出して、速攻で帰って行ったから一言も喋ることはなかった。だから、咲月の彼への印象は面接の時で完全に止まってしまっている。「あ、原田さん、お久しぶりです」「ええっと……、お久しぶり、です」 少し困惑した表情の原田の反応から、きっと咲月の名前が思い出せないのだろうということはすぐに察した。けれど、それにはあえて触れなかった。よく考えたら、そんなことを弄り合うほど彼とは親しくはない。もし相手が平沼だったら速攻で突っ込んでいたかもしれないが
Last Updated : 2025-05-12 Read more