All Chapters of 出家して三年、望月社長は彼女を破戒させようと狂ったように誘惑した: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話

あの冬のこと?礼香はぼんやりとその記憶を掘り起こす。十六歳の冬、自分は白川遥と一緒に誘拐された。犯人たちはどちらが白石家のお嬢様なのか見分けがつかなかったのだ。彼らは礼香を人質にして、誠矢を脅そうと考えていた。光の差し込まない暗い地下室の中。白石家で大切に育てられてきた白川遥は、震えながら涙を流し、犯人たちにこう懇願した。彼女こそが白石家のお嬢様。もし彼女に手を出したら、誠矢が絶対に許さないと。こうして彼女は、「ただの家政婦の娘」として邪魔者扱いされた。犯人たちは彼女を人質として利用できないと判断し、殺そうとした。必死にそう訴える彼女の声も虚しく、気品を身につけた遥は、すでに犯人たちの信頼を勝ち取っていた。無言で礼香のもがく様子を見つめ、ただ弱々しいふりをしながら、信じられないとでも言うような表情を浮かべていた。礼香は何度も殴られ、殺されかけた。その目の前で、遥は洋次に電話をかけ、必死に助けを求めていた。だがそのときも遥の口から「もう一人いる」と告げられることはなかった。そのあと、礼香は瀕死の状態となり、犯人たちは彼女が死んだと判断して、汚水の溝へと遺体のように投げ捨てた。一方、遥は盛大に救出され、世間の同情と称賛を集めた。礼香はそのまま汚水の中で命を落としかけたが、偶然通りかかった掃除の女性に発見され、病院へと運ばれた。一ヶ月もの間、意識不明のまま入院し、目を覚ましたとき初めて知ったのだった。誠矢は誘拐されたのが自分だと思い込み、命懸けで救出に向かったが、助け出されたのは遥のほうだった。その後、洋次はすべての責任を自分に押し付け、遥の潔白を守ろうとした。そのために殴られ、さらに仏間で三日三晩、膝をついて許しを乞った。それ以来、礼香は遥にことあるごとに敵意を向けた。心の底から彼女を憎むようになった。けれど、まさか。自分の大好きだったはずの兄が、ずっと自分の死を願っていたなんて、夢にも思わなかった。「洋次くん」「遥さん?お前は出てこなくていい。車で待ってろ、こんなこと気にする必要はないんだから」遥は首を横に振った。「大丈夫。礼香ちゃんと少し話したいの」「話すことなんてないだろ!お前は甘すぎるんだよ、だからいつもあいつにいじめられるんだ」その瞬間、礼香の中で張り詰めていた糸がぷつりと切れた。
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第12話

翌日。礼香はボディーガードに付き添われて、会社へと向かった。道中、心の準備はしていたはずだったが、実際に会社の前に立った瞬間、その規模の大きさに思わず息を呑んだ。まさか、あのSLグループが誠矢から自分に与えられるなんて、彼女は夢にも思わなかった。彼女はこの会社に見覚えがあった。いくつものビルが立ち並び、有名ブランドを数多く抱えるその存在感。その影響力は、この街でも指折りのものだった。「お嬢様、ようこそお越しくださいました」正面玄関にはすでにスタッフが整列し、恭しく頭を下げていた。礼香は軽く視線を返し、「こんにちは」と短く答える。「お嬢様、私はこれからあなたの秘書を務めさせていただく松坂玲(まつざか れい)です。今後、すべての業務を私がサポートしますので、ご指示があれば何なりとお申し付けください。必ず責任をもって対応いたします」松坂は真っ白なスーツに身を包み、整った顔立ちにプロフェッショナルな空気を纏っていた。一見すると完璧なキャリアウーマン。言葉遣いは丁寧だったが、その瞳の奥にかすかな軽蔑の色が浮かんでいることに、礼香はすぐ気づいた。「松坂さん、よろしくお願いします」「こちらへどうぞ。皆さん、今日はお嬢様がいらっしゃると聞いて、歓迎の準備をしております」彼女は松坂に案内され、オフィスへと歩を進めた。すれ違う社員たちの視線が一斉にこちらに注がれる。好奇、探るような目、驚き、あるいは露骨な軽蔑。さまざまな感情が混じったその視線が、礼香の全身に降り注いだ。息苦しさを感じながらも、彼女は表情を崩さず、まっすぐに歩いた。その様子を見て、松坂の軽蔑の色はますます深まった。どうして誠矢は、こんな青くさい小娘に会社を任せようと思ったのか、彼女には理解できなかった。「お嬢様、少々お待ちください。書類を取りに行ってまいります」そう言うと、松坂は彼女を会議室に残したまま立ち去った。お茶ひとつ出すこともなく。彼女は一人、何もないテーブルの前でじっと座って待った。そうして待たされること、二時間。途中、誰一人として部屋に入ってくる者はいなかった。まるで、そこにいないものとして扱われているかのように。彼女にはわかっていた。これはわざとだ。こんな大きな会社には、すでにしっかりとした内部の結束がある。そこへ突然降って
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第13話

松坂の顔は真っ青になり、身体は今にも崩れ落ちそうに震えていた。まさか、目の前の男がここまで冷酷だとは、彼女には信じられなかった。「望月さん、私が悪かったんです。本当に反省しています。どうかもう一度だけチャンスをください!」誠矢は椅子の背にもたれ、目を閉じたまま低く呟く。「お前は後ろめたいことがある」松坂は思わず否定しそうになった。「出て行け。二度言わせるな」長年仕えてきた彼の性格は、松坂もよく知っている。これ以上逆らえば、本当に海城市から追放される。悔しさに唇を噛みしめながら、松坂はしぶしぶ背を向け、オフィスを後にした。ちょうどそのとき、廊下で礼香と鉢合わせた。礼香は一瞬立ち止まり、落ち着いた声で挨拶する。「松坂さん」しかし松坂はその挨拶に答えることなく、ぎりっと彼女を睨みつけた。怒りと憎しみをにじませ、歯を食いしばって吐き捨てる。「そんなにいい気にならないことね」彼女は特に気にした様子もなく、そのまま振り返り、オフィスへと向かった。誠矢はすでに冷たい表情を消し、柔らかい口調で彼女に声をかけた。「会社のこと、少しは慣れたか?」礼香はこくりとうなずく。「わからないことは戸川に聞けばいい。会社のことは急いで覚える必要はない。少しずつでいい」「ありがとう、おじさん」誠矢はじっと彼女を見つめる。その瞳の奥には、どこか説明できない苛立ちが渦巻いていた。あまりにも素直で、あまりにも従順すぎる。まるでマニュアル通りの、完璧な後輩のような態度。本来なら、それは彼が望んでいた姿のはずだった。「礼香、もうすぐ誕生日だな。何か欲しいものは?」その言葉に、礼香は一瞬動きを止めた。目がどこか遠くを見るように、ぼんやりとする。幼い頃、彼女にとって一番楽しみだったのは誕生日だった。その日だけは、どんなお願いも叶えてもらえた。ただし、「彼が自分を愛してくれる」こと以外は。五歳のとき、お願いしたのは自分だけのテディベア。六歳では、洋次とおそろいのおもちゃの車。七歳では、ほかの子どもたちと同じプリンセスのドレス。八歳……十二歳の誕生日には、彼女のための彼からの手料理のラーメン。十三歳は、遊園地に連れて行ってもらうこと。十四歳には、彼と初めてワルツを踊ること。十五歳のとき、彼女はつ
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第14話

望月おばあさんは満面の笑みを浮かべ、礼香の頭にそっと手を置いた。「礼香ちゃんはすっかり大人になったね。さて、どこの男がこの子を嫁にもらうんだろうねぇ」その言葉に礼香の胸がぎゅっと痛み、そっと視線を落としながら表情を隠した。望月おばあさんは何も知らずに話を続けた。「昔ね、占い師さんに誠矢の運命を占ってもらったことがあってさ。あの子は生涯孤独の命で、成功はするが、その代わり一生一人で、子どもを持てない運命だって言われたんだよ」礼香はぽかんとした。そんな話があったなんて、これまで一度も聞いたことがなかった。「私はそれが心配で心配でね。望月家のこの代は、誠矢ひとりしか残ってない。もし子が持てないとなったら、うちの本家はここで途絶えてしまう。だからこの数年、私はずっと精進料理を食べて、仏に祈ってきたんだよ。なんとか打開できる道はないかとね」「それでまた占い師さんに占ってもらったらね、こう出たんだ。『正宮の星が現れれば、天命を覆し、障りを破り、新しい命が生まれる。良き相手が現れれば、その宿命は変えられる』って。つまり、運命の人がいれば、誠矢の生涯孤独の運命は変わるってことだったのさ」「それでね、占い師さんからもらった方角を頼りに探したんだ。そしたら、まあ偶然にも見つかったんだよ。誰だと思う?」望月おばあさんは意味ありげにそう問いかけた。礼香は、次に来る言葉をもうわかっていた。唇に苦みを感じながら、絞り出すように答えた。「……白川遥ですか」望月おばあさんは嬉しそうに顔をほころばせ、満足げに頷いた。「そうそう、やっぱりあの子だったんだよ。誠矢はずっと女に興味を示したことなんてなかったのに、あの子だけは自分から娶りたいって言い出してね。占い師さんの占いにぴったりだったよ。あの二人はまさに天が結んだ相性ってやつさ」天が結んだ理想の夫婦か。じゃあ、この何年もの間、彼女が必死に追い続けてきた想いは何だったんだ?バカだったのは彼女の方だ。「私はね、あの二人が一日も早く結婚して、孫の顔を見せてくれるのを願ってるんだよ。この目が閉じる前に、子どもの成長を見届けられたら、それで先祖たちにも顔向けできるってもんさ」それが望月おばあさんが遥を受け入れている理由だった。本来なら、あの子の身の上では、望月家で使用人として働くことすら許されなかったはず
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第15話

誕生日まであと二日。礼香はその日、わざわざ山へと足を運んだ。山道は急勾配の石段ばかりで、登るのは決して楽ではない。それでも、多くの人々がこの山を目指していた。この山の頂には、一つの大きな縁結びの樹がある。その木の下に愛を誓い合う恋人たちが錠を結びつけると、永遠に結ばれ、決して離れることはない。そんな伝説があった。今日もまた、さまざまなカップルたちが願いを込めてその木を目指して山を登っていた。かつて、礼香もその一人だった。けれど、今の彼女の身体はもう昔のようには動かなかった。何度も足を止め、休みながら、やっとの思いで山頂へと辿り着いた。そこに立っていたのは、かつて見たのと変わらない、枝葉を豊かに茂らせた大きな縁結びの樹だった。木の下には無数の赤い紐が結ばれており、そこにはびっしりと錠が掛けられていた。多くの人たちが列を作り、新たな錠を買い求めていた。礼香は記憶を頼りに、ゆっくりとその場所へ歩み寄った。そしてついにあの錠を見つけた。その錠には、名前が刻まれた赤いリボンが巻き付けられていた。女・礼香、男・誠矢あの頃の彼女は愚かだった。ただの伝説にすがれば、ふたりは結ばれると信じていた。そんなのは、ただの夢物語だったのに。死ぬ前に、この執着をすべて断ち切っておかなければ。そうすれば、黄泉へ向かうときに後悔はしないはずだ。「誠矢さん、ここに掛けて。高いところに掛けた方が、ずっとずっと一緒にいられるって言うんだよ」聞き覚えのある声が背後からふいに響いた。思わず振り返った礼香の目に映ったのは、寄り添うように並ぶ遥と誠矢の姿だった。誠矢の手には、新しい同心錠が握られており、それを縁結びの樹の一番高い場所に掛けようとしていた。二人はまるで絵に描いたようにお似合いで、その美しい並びは道行く人の目も引いていた。「わあ、すごく綺麗な二人。まるでドラマの中の神様みたい」と誰かがぽつりと呟いた。「お姉さん、彼氏さん本当にあなたのこと大好きなんですね。こんなに高い山までおんぶして登ってくれるなんて、絶対すごく愛されてますよ」そう言われて、遥は頬を赤らめ、幸せそうに誠矢を見上げた。誠矢が同心錠をしっかりと掛け終えたそのとき、視界の端に見覚えのある影がよぎった。思わず彼は声を上げた。「礼香」その声に礼香の足が止まった。
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第16話

目を覚ましたとき、彼女はベッドの上に横たわっていた。額には分厚い包帯が巻かれ、ズキズキとした痛みが残っている。天井をぼんやりと見つめながら、徐々に意識がはっきりしていく。すぐ横から強い存在感を感じたが、彼女は顔を向けなかった。「礼香」誠矢の低い声が、そっと彼女の名を呼んだ。だが、礼香は微動だにせず、まるで命のない人形のようだった。彼はその青白い横顔と、痛々しく巻かれた包帯を見つめ、唇をきつく結んだまま、深くため息を吐いた。「もう二度とこんなことはさせない。すまなかった」彼は彼女がそこまで自分を追い込むとは思っていなかった。医者は言った。もう少し力が強ければ、その場で死んでいたかもしれないと。ほんのわずかの差だった。その事実が、彼の胸の奥に消せない恐怖を生んでいた。彼女が一向に反応を返さないまま。誠矢はしばらく沈黙し、やがて静かに口を開いた。「礼香、これからはお前のしたいことを止めたりはしない」ようやく礼香がゆっくりと首を傾け、彼の方を見た。「おじさん、もう閉じ込めないで」誠矢は静かにうなずいた。「わかった。ボディーガードも引き上げさせる」それ以上、彼女は何も言わなかった。その呼吸はかすかで、まるで命を失った人形のようだった。誠矢は胸の奥が重く沈むのを感じながら、慎重に言葉を選ぶ。「お前はまだ体調が万全じゃない。明日の誕生日パーティーは中止だ。回復してから……」その言葉を聞いた瞬間、礼香はふらつきながらも必死にベッドから起き上がろうとした。頭は割れるように痛み、視界は何度も暗転し、危うくベッドから転げ落ちそうになる。「危ない!」誠矢は慌てて礼香の身体を支え、抑えきれないほどの不安が瞳に滲んだ。「動くな。頭の傷は深い。安静にしなければ」「おじさん、中止なんてやめて。私は行きたいの!」その瞳に宿る強い願いあまりにも切実すぎた。誠矢は思わず眉をひそめた。「たかが誕生日パーティーだろう?なぜそこまで必死になる?」とっさに何とか言い訳をひねり出す。「海が見たいの。誕生日の日にピンクのイルカに向かって願いごとをすると、海の神様が聞き届けてくれるって、そういう伝説があるんだよ」自分でも呆れるほど苦しい理由だった。言い終えた瞬間、礼香は心の中で後悔する。なんで、こんな適当なことを口にしたん
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第17話

誠矢は自ら列に並んでいた。彼がこうして何かを買うために並ぶなど、滅多にないことだった。これまで、彼にそんなことをさせた者は一人もいない。礼香を除いては。誠矢は列の前方を静かに眺め、焦ることもなく淡々と順番を待った。一番美しく、豪華で高価なケーキを手に入れると、その箱を丁寧に持ち上げ、気づかぬうちに口元にわずかな微笑みを浮かべていた。そのまま港へ向かい、待機していた別の船に乗り込み、クルーズ船の航路を追う。二つの船が並び、渡し板が掛けられる。誠矢は素早く身を翻し、ケーキの箱を揺らすことなく甲板へと飛び移った。箱の中の美しいケーキは、少しの崩れもなかった。誠矢は箱の中を丁寧に確認し、ケーキが無事であることを確かめた。その口元には珍しく柔らかな笑みが浮かび、優しい声で告げる。「礼香。ケーキを買ってきたよ」だが、顔を上げた誠矢の目に映ったのは、どこか落ち着かない様子で並ぶ人々の姿だった。皆、何かを隠すように視線を彷徨わせている。そして、その中にいるはずの一人だけが、どこにもなかった。誠矢の胸がひどくざわついた。「何があった?」誰もが言葉を濁し、答えようとしない。「洋次くん、お前が説明しろ」名指しされた洋次は、いつもの生意気な態度を消し去り、顔を真っ青にして震えながら口を開いた。「おじさん、か、彼女が……」「はっきり言え」「海に飛び込んだんだ!」その一言は、彼の頭を殴りつけるような衝撃だった。……時間は三十分前へと遡る。クルーズ船はすでに公海へと達し、船上は賑やかなパーティーの真っ最中だった。だが、その主役であるはずの礼香の存在を、誰ひとり気に留める者はいなかった。礼香は静かに部屋にこもり、潜水スーツを身につけ、その上から普段着を重ねて外からはわからないようにしていた。そしてスマホを手に取り、最後の確認をする。予定の時間と、逃走用の位置を。そのとき、部屋の扉が勢いよく蹴り開けられた。怒りに顔を真っ赤にした洋次が、荒々しく踏み込んでくる。「白石礼香!お前ってほんと恥知らずだな!まだ遥さんと男を取り合うつもりか!」「もう知ってるんだよ!お前、あの縁結びの樹に誠矢との錠を掛けてただろ!どこまでみっともないんだ、お前は!」「おじさんはお前なんか好きじゃない!おじさんが好きなのは遥さんだけだ!お
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第18話

「白石礼香!!」その光景を目の当たりにした周囲の人々は、凍りついたように動けなくなった。監視カメラの映像越しにその瞬間を見た誠矢は、胸を引き裂かれるような痛みを覚え、手にしていたリモコンを無意識のうちに握り潰していた。「あの子に何を言った?」監視カメラには映像だけが記録されており、音声はない。隣にいた洋次は顔面蒼白になり、肩を震わせながら必死に訴えた。「俺っ、俺は何も言ってない!おじさん、本当に何も!どうして彼女が飛び降りたのか俺にも分からないんだ!」生きていたはずの彼女が、何の迷いもなく海へ身を投げた。その事実に、洋次自身も動揺していた。海の上には捜索船が何隻も出て、昼夜を問わず捜索が続けられた。それでも、礼香の姿はどこにも見つからない。死体さえも、影も形もなかった。外からは冷静に見える誠矢だったが、内心では理性がひとつひとつ崩れ落ちていった。その漆黒の瞳は、今にも嵐を巻き起こしそうなほどの怒りを湛えていた。誠矢が洋次に視線を向けたその瞬間、洋次は息が詰まりそうになり、怯えながら声を張り上げた。「お、おじさん、あれはあいつが自分から飛び込んだんだ!信じてくれ!」誠矢はゆっくりと立ち上がり、ひと足ずつ重く洋次へと歩み寄る。その身から放たれる気迫は凄まじく、洋次の全身が竦むほどだった。「俺はお前に、兄妹で殺し合うようなことは教えていない」その瞬間、洋次は生まれて初めて、誠矢の本当の恐ろしさを感じた。ほんの一瞬、本気で自分はここで殺されるかもしれないと覚悟した。極限まで追い詰められた恐怖の中で、洋次の頭に一筋の閃きが走った。思わず叫ぶ。「おじさん!俺、あいつを見つけ出せるかもしれない!」誠矢はその場で足を止めた。「言え」「俺のスマホだ!あいつ、まだ持ってるはずだ!GPSで位置がわかる!」「お前の携帯?」彼はすぐにすべてを説明した。ただし、自分が白川遥に想いを寄せていることだけは、必死に隠した。だが誠矢の顔はすぐに険しくなり、その瞳には抑えきれない怒りが宿っていた。礼香が無理に船出を望んだこと。わざわざ自分をケーキを買いに行かせて、船を離れさせたこと。今になって、すべてが繋がった。「調べろ!」だが海域特有の磁場の影響で、正確な位置情報を得ることはできなかった。それでも誠矢の部下たちは礼香の通信
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第19話

「礼香、礼香、目は覚めた?」白石礼香は耳元で何度も呼ばれ、意識を引き戻された。彼女は必死に目を開けた。全身が凍えるほど冷たく、まるで氷の中に落ちたようだった。「よかった、やっと目が覚めた」「真琴さん……」「高熱が続いてるんだ。このままだと本当に危ないよ。病院に連れて行ってもいい?」ぼんやりしていた頭に必死で意識を取り戻しながら、彼女はかすれた声で言った。「ダメだ!」病院に行けば足がつく。誠矢に絶対見つかってしまう。「でも、体が……」真琴の顔には心配が滲んでいた。海に飛び込んでから真琴に救い出された彼女は、ずっと高熱が続き、額の傷も炎症を起こしていた。そのまま二日間、意識を失っていた。この二日間、外では捜索の情報が溢れていた。二人は上陸したものの、動くことができず、ずっと小さな漁村に身を潜めていた。けれど、礼香の体調は日に日に悪化していき、真琴はついに堪えきれなくなった。「このままだと死んじゃう!」彼女はかすかに笑った。「どうせ私は死ぬんだ。早いか遅いかの違いだけ」「礼香!僕は君を連れ出したけど、死ぬためじゃないんだ!そんなことなら……最初から白石家に置いておけばよかった!」真琴の目は赤く染まり、深い後悔の色が浮かんでいた。彼女は苦しそうに身を起こし、「嫌だ、あそこには戻らない。私は大丈夫、くっ……薬を買ってきてくれれば平気だから」「礼香……」「平気だよ」彼女は必死に笑みを作り、真琴を安心させようとした。全身が激しく痛み、熱で視界も霞んでいるというのに。「薬、買ってくる」立ち上がって外へ向かう真琴の背に、礼香のか細い声が届いた。「真琴さん、ありがとう」彼は垂れた拳をぎゅっと握りしめ、「ここで待ってろ、すぐ戻るから」と言った。部屋を出た真琴の瞳には、一瞬、苦しげな迷いが浮かんだ。礼香はふと窓の外に目を向けた。海鳥が一羽、陽の光を浴びて羽ばたいている。その光景に、苦しいはずの彼女の唇が自然とほころんだ。不思議と心が少しだけ軽くなった気がした。ほどなくして、ドアが乱暴に開かれ、真琴が血相を変えて飛び込んできた。「礼香!すぐに出なきゃ!今すぐだ!」「どうしたの?」「望月誠矢の手下が来てる!村の入口まで!裏から回ろう!」礼香の顔色がさっと変わり、苦しそうに体を起こ
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第20話

「礼香!」手を当てると、ひどく熱い。「ダメだ、このまま熱が下がらなかったら危ない」彼は慌てて布団をかぶせ、薬を買いに飛び出した。町には薬局と小さな診療所が一軒ずつしかなく、買えた解熱剤は期限ギリギリだった。それを飲ませても、まったく効かなかった。このままでは意識が戻らなくなると感じた真琴は、仕方なく礼香を背負い、診療所へ向かい点滴を受けさせた。そうしてようやく、熱は少しずつ下がりはじめた。それでも顔色はまだ紙のように真っ白だったが、意識はしっかり戻っていた。「礼香。大丈夫?」「ここは……」「診療所だ」彼女は反射的に目を見開き、起き上がろうとしたが、押さえつけられた。「動くな、まだ点滴中だよ。もう無理はできない、これ以上無茶したら本当に死ぬぞ!」真琴の声は震え、必死の願いがこもっていた。「礼香、もう逃げなくていいよ。せめて熱が完全に下がるまで、ここにいてくれ」彼女は黙ってうなずき、体の重さを痛感していた。点滴の液が、ぽたりぽたりと落ちていく。ふいに真琴が言った。「礼香、僕たち結婚しよう。明日、役所に行こう」彼女は顔を上げ、彼にも残された時間が少ないことに気づいた。彼女は力強くうなずき、かすかに笑みを浮かべた。「うん、明日行こう」点滴のおかげか、注射が終わるころにはだいぶ楽になり、自分の足で宿まで歩いて戻れるほどになった。真琴は布団を床に敷き、ベッドは礼香に譲った。「君はベッドで休んで。僕はここでいいから。もし具合が悪くなったらすぐ呼んで」礼香は広いベッドを見つめ、ゆっくりと手を握りしめた。何かを決意したように口を開いた。「一緒に……」「礼香、無理しなくていいんだ。ちゃんと休まないと。明日、籍を入れるんだから、元気でいないとな」彼女はそっと息を吐き、「うん」と返事をした。その夜、彼女は久しぶりにぐっすりと眠った。だが真琴は背を向け、目を赤く染めていた。翌日。二人は早くに目を覚まし、礼香の体調も昨日よりずっと良くなっていた。髪をきちんと後ろで束ね、晴れやかな笑みを浮かべていた。「行こう」「うん」二人は町の役所の場所を確かめ、ゆっくりとそこへ向かった。「疲れてない?」彼女は首を横に振った。「平気だよ」「礼香、後悔しない?」彼女は少し考え
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