まさか——尚吾が、国内の混乱も炎上も放り出し、パリまで私を追ってくるとは思わなかった。湊のアトリエの扉を乱暴に開けた彼は、開口一番、拳を振るった。「てめえ……俺の女房をたぶらかしやがって!」突然の衝撃に周囲が凍りついたその瞬間、私は思わず駆け寄った。けれど、彼に腕を掴まれた次の瞬間、尚吾は私を抱きしめてきた。「紬……やっぱり、まだ俺のこと気にしてるんだろ?見てよ、俺、君を追ってパリまで来たんだ。もういいだろ?戻ろう、一緒にやり直そう」私は静かに彼を押しのけた。「戻らない。もう離婚届にはサインした。あなたとは何の関係もない」「やだ、絶対にやだ!離婚なんて認めない!」「じゃあ訴える。尚吾、もう私たちは終わったの」「違う!違う違う違う……!」彼は髪を掻きむしり、怒鳴りながら私を再び抱きすくめ、そのまま無理やり唇を奪おうとした。吐き気がした。身体は反射的に拒絶していたけれど、力では敵わなかった。次の瞬間——湊の拳が、音を立てて尚吾の顔面を打ち抜いた。彼はもんどり打って倒れ、私はすぐに湊の元へ駆け寄った。「なにしてるの……!」尚吾は、床から這い上がりながら、勝ち誇ったように言った。「黒瀬、お前が俺のアトリエにいた頃から、紬に気があったことくらい、俺はとっくに知ってる。見ただろ、彼女が本当に気にかけてるのは——」だが、その言葉の続きを、私の一言が断ち切った。「こんな人のせいで、手首を痛めてどうするの?これから世界巡回展だってあるのに、まだまだ仕事は山ほどあるのよ」私は心配そうに、湊の手首を優しくさすった。湊の目に、一瞬驚きの色がよぎる。けれどそれはすぐに、限りない優しさに変わっていった。尚吾はまだ何か喚こうとしていたが、すでに誰かが警察を呼んでいた。彼はすぐに現地の警察に連行され、本国へ強制送還された。「葉山尚吾暴行事件」は再びSNSのトレンド入りし、ネット上では非難の嵐が巻き起こる。彼のアトリエには、まともに立ち回れるマネージャーも、危機対応できる広報チームもいなかった。事態がどんどん拡大する中で、今回ばかりは、本当に終わりだった。彼の名は、完全に地に堕ちたのだった。
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