All Chapters of 歳々安らかに: Chapter 11 - Chapter 20

美奈子の怒涛の攻撃に、一平は言葉を失った。まさか美奈子がここまで大胆だとは思わなかった。よくも梨央に向かってそんなことが言えるものだ。電話の向こうで挑発の声は止まらなかった。「あんたみたいな死にそうな姿、誰が好きになるんだ？今の私は若くて元気だし、一平の子まで妊娠してる。どんなに泣きわめいても、もう彼は戻らないよ！」美奈子は得意げに言葉を並べ、梨央が負ける姿を想像しているようだった。しかし電話の向こうは不気味なほど静かだった。嫌な予感が胸をよぎった。けれど梨央の弱い姿を思い出し、お腹に手を当てて、また強気になってしまった。「怖くなったでしょ？今すぐ私にすがりつけば、私が三条家に嫁いだら、あんたのことを許してやるよ。さもないと、子どもが生まれたら、あんたはきっと恥をかくことになるからね……」美奈子は一平の子の母親としての特権に酔いしれ、これからの輝かしい日々を夢見ていた。その時、一平の声が彼女の幻想を粉々に打ち砕いた。「よくも言えたな！貴様は何様のつもり？梨央と比べるなんて百万年早いんだ！何度も言っただろう、彼女に手を出すなって。俺の言葉は聞こえなかったのか？甘やかしたせいで図に乗ってるな。よし、その夢はぶち壊してやる！」最後の言葉は歯を食いしばりながら、絞り出すように言った。顔は恐ろしいほど険しかった。しまった！美奈子は息が詰まる思いで、全身に寒気が走った。ダメだ、一平に嫌われてはいけない。そうだ、彼女が妊娠中だ。美奈子は涙声で訴えた。「私と子どもを捨てたのよ。私はどうしようもなかったの！怖くて……あなたが去る背中を見るたび、壊れそうだったの！」彼女の声は震えながら、哀れを誘う真似をした。しかし今回は、一平はもう許さなかった。梨央を失った一平は、怒りに燃えた獅子のようだった。溢れる怒りのはけ口を求め、美奈子が標的になった。彼は美奈子の言い訳を聞かず、電話をきっぱり切った。梨央と自分の間に亀裂を入れた張本人を、必ず罰するつもりだった。車を走らせながら、一平は梨央のスマホを何度も見返した。この短い半月で、美奈子は大量の写真と挑発的なメッセージを送っていた。彼はそれらを目を離さず見続け、耐え難い写真が頭を刺激し続けた。挑発というにはあ

一平は激しい憎悪を込めて、美奈子の顔を強く殴った。自分と美奈子はどれだけ汚いことをしてきたのか。だから――だからこそ、梨央はあんな方法で彼を突き放したのだ。美奈子の口から血が溢れ、痛みに顔が歪んだ。しかし、一平の絶望的な悲しみを目の当たりにすると、彼女は理性も痛みも忘れたように突然笑い出した。「そうよ、あの女を殺したいんだ！」美奈子の目は、まるで毒が染み込んだように鋭かった。「彼女が死ななきゃ、あんたの心には私とこの子の居場所なんてあるわけないんでしょ」一平は憎しみに満ちた目で叫び、立ち上がると彼女の腹を何度も蹴りつけた。「このクズ女！」腹に激痛が走り、血が噴き出した。「子ども……私の子どもが！」彼女は完全に絶望し、体裁も気にせず地面に倒れ込んだ。乱れた髪を振り乱し、崩れた怨婦のようだった。子どもを失い、もう怖いものは何もなかった。「私がクズ？あんたは違うのか？」狂ったように笑いながら言った。「誰が誘惑に負けて私の家に来て寝たんだ？あんたは私と過ごしてる時、どうしてあの女のことを考えなかったんだ？あんたに意志があったら、私を隠し立ての三角関係にさせたりしないし、子どもまで孕ませたりしないだろ！教えてやる。あの映画館で、扉の隙間から、斎藤の服の端を見たんだ」美奈子の声は穏やかだったが、言葉は一平の心に深く刺さった。「彼女はただ扉の前に立って、私たちの息遣いや動きをじっと聞いてたんだ」美奈子は嗤いながら言った。「それでも、何もしなかった。ただ黙って聞いてるだけ。本当にバカだと思わない？」絶望の表情の一平を見て、美奈子は腰をかがめて笑った。「この狂人め！」美奈子の言葉が一平の心をえぐった。自分こそが、梨央を地獄に突き落とした張本人だったのだ。めまいがして、玄関の柱に両手をついた。一平はボディーガードを呼んだ。「病院に連れて行け。もう流産したか確かめるんだ」自分に非があっても、美奈子を許させなかった。ボディーガードに連れ去られる彼女を冷たく見送った。だが、美奈子の言葉が頭から離れなかった。焼け落ちた家に戻ると、ここだけが梨央の匂いを残していた。梨央の優しい声がまだ聞こえるようだった。かつて二人は、ソファでテレビを見ていた。一緒に手入

翌朝、一平はいつもより早く家を出た。普段通り会社へ向かい、何事もなかったかのように振る舞った。しかし会議室では、誰も大きく息をつかなかった。一平は冷たい表情で、まるで侵入者お断りのオーラを放っていた。勇気を出した秘書がタブレットを差し出した。「社長、最近の新作です。ご覧になって、購入を検討してください」彼は梨央が好きだったため、彼女に贈るつもりで時々絵を買っていた。でも今は彼女はいなかった。そんなことを考えながら、無意識に画面をめくった。すると、ある作品に彼の瞳がぱっと見開いた。それは普通の自然の風景だった。彼は無関心な態度をやめて背筋を伸ばし、画像を最大表示にした。「これ……誰が売ってる？」興奮した声で秘書に尋ねた。秘書は一歩後ずさったが、プロとして答えた。「普通の商人で、苗字は姫野（ひめの）です。海外で買い、絵画展で委託販売しているそうです」「海外？」その言葉に一平の呼吸が荒くなった。彼はもう一度タブレットをじっくり見つめ、細部まで見逃さなかった。秘書が首をかしげて聞いた。「何か問題でも？」一平は返事せず、小声で繰り返した。「そっくりだ……本当にそっくりだ……」彼は秘書の腕を掴み、問い詰めた。「あの姫野、今どこにいる？会わせてくれ！」秘書は時計を見て言った。「姫野さんは今日の午後六時の飛行機で出発します。絵の販売だけなら、本人は現れなくてもいいそうです」秘書は彼の興奮が理解できなかった。だが一平は、迷わず立ち上がった。車に飛び乗り、エンジンをかけ、一気に発進した。信じられない考えが、頭をよぎった。彼はスポーツカーを飛ばし、急いでいた。姫野に会い、自分の推測が正しいか確かめる必要があった。筆の使い方は、絵に感情を込める重要な手法だ。人の描き方や癖は、そう簡単には変わらない。あの絵の筆遣いは、梨央のそれと驚くほど似ていた。彼はハンドルを握りしめ、赤信号も気にせず、アクセルを踏み込むばかりだった。心の中で叫び続けた。「もっと速く、もっと速く！」彼は、この機会を逃すわけにはいかなかった。たとえ可能性が限りなく低くても、確かめなければならなかった。道中、彼は神様に向かって祈った。「どうか、これ以上残酷な運命を与

彼は妻の雅子を裏切り、不倫を続けていた。そのせいで雅子は、生まれたばかりの娘と、十七年間も引き離されることになった。真実を知らされずに過ごした十七年は、雅子の心を一気に崩壊させた。梨央にさえ憎しみを抱き、梨央を見るたびに、あの過去の記憶が何度も雅子の目の前に蘇る羽目になった。梨央は、とても素直な子だった。彼女は逃げることを選び、傷ついた心を閉じこめて少しずつ癒していった。でも、一平のことをよく理解していた。彼の気持ちもはっきり分かっていた。離婚を切り出したら、彼は壊れてしまって、きっと無理にでも引き止めようとするだろう。だから彼女は偽りの死を選んだ。それで彼を苦しめ、完全にあきらめさせるために。もし梨央の作品を見つけなければ、きっと一生、大切な彼女を失ったままだっただろう。「梨央、どこにいても必ず、必ず見つける」一平は涙をぬぐいながら、心の中の悔しさを押し殺した。彼はF国の私立探偵に連絡を取ったが、写真だけでは見つけるのは難しかった。そこで、ある考えが頭に浮かんだ。高額の懸賞金をかけることだ。高い報酬があれば、誰かが情報をくれるかもしれない。梨央がどこにいても、誰かが見つけて手がかりを教えてくれるはずだ。すぐに一平はネットで公告を出した。【斎藤梨央に関する有力な情報を提供してくれた方には二百万円を支払う。住所の正確なアドレスを教えてくれたら一千万円】それは、たちまちネット上で話題になった。【これって金持ちの新しい遊び方？】【お金欲しいなら参加しろよ。情報をくれればこんなに稼げるんだぞ】【仕事中断！彼の奥さんを探してやる！】……この話題はすぐにトレンド入りした。#三条社長、愛妻への豪華すぎる散財が話題に！遠くF国にいる梨央も、その情報を耳にした。今の彼女はあるアトリエで働き、毎日子どもたちに基本を教え、外でスケッチをしていた。日々は穏やかで、楽しく過ごしていた。ある日、同僚がスマホを持ってきて、その公告を指さした。「これ、あなたじゃない？すごく似てるよ！」梨央は海外に出てから髪を切り、カラコンで琥珀色の瞳を隠していた。それでも写真と比べれば、違いはわずかだった。彼女は笑って手を振り、言った。「ただ似てるだけよ」一平のし

「違う、もうあの女とは会ってません。子どもも……もういません。もう二度と間違わないと誓います！」雅子は彼を一瞥し、あからさまな嘲笑を浮かべた。「過去のことは、知ってるでしょう。あれだけのことがあったのに、何も学ばず、梨央を何度も裏切って……そんなあなたに、何の権利があって彼女を求めるの？」一平は拳を強く握りしめ、顔色を失った。雅子は視線をまっすぐ彼に向けた。「梨央を解放しなさい。そして、あなた自身も。うちの娘に、私と同じ道を歩ませるわけにはいかない」それは、母としての強い決意だった。娘が見ていないところで、雅子はずっと支え続けてきたのだ。一平は苦しげにうめいた。追い詰められた野獣のように、痛みに身を震わせながら涙をこぼした。「愛してるんだ……ただ、それだけだった……」昔、梨央が自分が隠し子であることを知ったとき、すっかり壊れてしまい、一平に言ったのだ。「もし、いつか私のことを愛さなくなったら、ちゃんと言って。しがみついたりは、絶対にしないから」なのに、彼は何をしていた？美奈子が妊娠したと知らされた日、一平の目に浮かんだ。あのほんの一瞬の驚きを、梨央は確かに見逃さなかった。あのとき、彼女は何を思っただろう？また一人、隠し子が増えただけなの？一平は身震いし、それ以上聞くことも耐えきれず、斎藤家を後にした。その後、利香は雅子の手を取り、そっとソファに座らせた。「お母さん、お姉ちゃんのためにしてきたこと……ずっと分かってる。二人とも、ずっと互いを思い合ってた」雅子はしばらく黙ったまま、やがて微笑んだ。「梨央は私の実の娘じゃないけれど、十年以上育ててきた。情がないはずがない」その目に、涙が光った。「でもあの頃は……彼女にとっても、私にとっても、あまりに苦しかった。だから、こうして静かに見守るだけでいい。彼女が幸せなら、それでいい」雅子はじっと利香を見つめ、そっとその頬に手を添えた。「あなたたちは、どちらも私の娘よ」その瞳は涙に潤み、利香は目を逸らしながら、そっと母の肩に頭を預けた。……遥かなF国にいた梨央も、斎藤家が出した公告を見て、目を赤くした。彼女は斎藤家の後継者として育てられた。だからこそ分かる。今の利香の立場では、あのような損を覚悟した公告な