「夏野さんの脳腫瘍がまた悪化しております。今度は前回のような長期昏睡にはなりませんが、記憶障害が生じます。二ヶ月後には、すべての記憶を失われることになるでしょう」医師の声に同情がにじんだ。「ご主人さんにはもうお話しになられましたか?」夏野遥香(なつの はるか)は慌てて顔を上げた。「夫には言わないでください」医師は驚いた顔になった。「なぜでしょうか?ご主人様はあなた様を心から愛していらっしゃいます。五年間の昏睡中も、毎日ベッドサイドで看病なさって……うちの病院でも語り草になっているほどです」遥香は理由を話さず、ただ繰り返した。「検査結果のことは内緒にしてください」医師は首をかしげながらも頷いた。遥香が階下に降りると、夏野雄介(なつの ゆうすけ)がちょうど病院に着いたところだった。「遥香!」雄介は駆け寄って彼女の手を取った。「ごめん、会社のことで遅くなった。検査はどうだった?」遥香が見上げると、夫の首筋に目が留まった。真新しい赤い痕。つけられたばかりなのは明らかだった。遥香は視線をそらして小さく答えた。「大丈夫だった」雄介はほっとした様子で言った。「そうか、よかった」雄介は遥香の手を引いて病院の出口まで歩くと、いつの間にか激しい雨が降り始めていた。黒いロールスロイスが雨よけの下に停まっているが、地面には水たまりがあちこちにできている。雄介は迷わず遥香を抱き上げて車まで運んだ。その様子を見て、病院の入り口にいた人たちがざわめいた。若い女性たちが声を上げる。「うわあ!あの人優しすぎ!奥さんが水を踏まないように抱っこして運んでる!」「しかもめちゃくちゃかっこいいし!あれって夏野雄介じゃない?」「え、あの清都大学のAI教授?この前賞もらった人でしょ?」「そうそう!会社もいっぱい持ってて、富豪ランキングにも入ってる若手実業家よ!」「イケメンでお金持ちで奥さん思い。こんな完璧な旦那様、奥さんは前世で何したのよ!」周りの話声を聞きながら、遥香は下を向いて表情を暗くした。昔の自分も、前世で徳を積んだから雄介に出会えたんだと思っていた。七年前に脳がんが見つかって、体の機能が落ちて、医者からは一生子供は望めないと言われた。それでも雄介は躊躇なく結婚してくれた。手術は失敗して、植物状態のまま五
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