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All Chapters of 暁を待つ獣: Chapter 11 - Chapter 20

25 Chapters

第11話

 冷たい水が指先を伝い落ち、膝の上にぽたりと落ちた。 その小さな音すら、夜の静けさの中ではやけに大きく感じられ、胸の奥で息がひゅうっと震えた。 肩がかすかに上下し、鼻の奥がつんと痛み、嗚咽がまた浅い声となって喉の奥で零れた。「……いやだ……誰か、助けてっ……」 喉の奥で掠れた声が小さく震え、夜気の中に溶けて消える。 腕が重く、指先が痺れ、冷えた水に触れていた掌がじんわりと痛む――けれど、指を離す力が出ず、ただしゃがみ込んだまま、冷たい水の感触が指を冷やし続けた。 身体の奥に残った熱が、まだじくじくと疼いていた。 深いところで、ひそやかに、けれど確かに――皮膚の裏側をじわじわと蝕むように、熱がじんわりと広がっていく。 息を吸おうとすると、肺の奥でひゅうっと音が詰まり、胸の奥がきゅうっと締めつけられる。 浅い呼吸しかできず、喉の奥でかすれた音が細く擦れ、ひゅう、ひゅう、と頼りなく震えた音を立てた。 何もされていないはずなのに、どうして――その問いが、頭の奥で繰り返されるたび、脳の裏側がじんじんと痛んだ。 理解できないまま、ただ身体の奥に沈み込んだ熱が、じくじくとした疼きとなって、脈を打つように広がっていく。 腹の奥が薄く痺れ、背筋がぞわりと粟立ち、浅い呼吸がひゅうっと喉の奥で震え、何度も何度も詰まる。 視線を落とした先で、膝の上に置かれた濡れた布が夜気に晒され、じっとりと重みを持って沈んでいた。 その濡れ跡が暗く滲み、指先の奥にまでじんわりとした羞恥が広がり、手のひらがじっとりと冷たい汗で湿った。 ただそれを見ただけで、胸の奥がきゅうっと締めつけられ、息がひゅうっと喉の奥で詰まり、肩がびくりと小さく跳ねた。 指先が震え、膝の上で小さく痙攣し、浅い呼吸が止まらず、胸の奥でざわざわとした波がまた小さく立ち上がった。 唇を強く噛みしめたが、奥歯がかすかにぶつかり、かすれた息が浅く擦れる音を立てた。 鼻の奥がつんと熱くなり、目の縁がじんわりと滲む。 そして―
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第12話

 淡い光が、瞼の裏に滲んでいた。  閉じたまぶたの奥で、薄曇りの朝の気配がぼんやりと揺れている。  耳の奥で鳥の声がかすかに響き、遠くで風が木々を撫でる音が混じる。  けれど、その音がやけに遠く感じられ、鼓膜の奥では、別の音――ひゅう、ひゅうと浅く震える自分の呼吸音が、異様に大きく響いていた。  ゆっくりと瞼を開けると、天井の木目がぼんやりと滲み、視界の端が霞んだ。  浅い呼吸が喉の奥で詰まり、胸の奥がきゅうっと縮み、薄く湿った音がひゅうっと鳴った。  息が吸いきれず、肺の奥が重たく痺れる。  身体の奥で、じんわりとした疼きが残っていた。  腹の奥で、小さな波が打つように、微かに、けれど確かに――じくじくとした熱が、皮膚の裏側に沈み込んでいて、呼吸をするたびにその存在が輪郭を持って感じられた。「……っ」 喉の奥で小さな声が掠れ、口の中が乾いているのに気づいた。  無意識に首筋へと指先が伸び、そっと触れる。  指先の冷たさの下で、そこはわずかに熱を帯びていて、ほんの少し、ざらりとした感触が残っていた。  細い痕跡が、まるで何かの証のように、肌に薄く沈んでいた。「夢じゃ……ないのか……」 かすれた声が喉の奥で途切れ、呟きの最後が小さく震える。  何も覚えていないはずなのに、昨夜の光景がぼんやりと脳裏に浮かぶ。  低い声、湿った吐息、首筋に触れた熱、腹の奥に沈んだ疼き――それらが、夢の残滓のように胸の奥でざわめき、息をするたびに微かに震えた。 ――怖い、と思った。 何かを間違えてしまった、という感覚が胸の奥で冷たく疼いた。  けれど、同時に――この身体の奥でざわざわと波打つ感覚が、まるで「また来るのを待っている」ような、そんな奇妙な期待にも似たざわめきを孕んでいることに気づき、思わず指先が小さく痙攣した。    ▽  昼間の光は、まるで薄い膜を通したようにくぐもり、村の空気はどこか重たく湿っていた。  肌にまとわりつく風は冷たいのに、微かに土と草と、古びた獣
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第13話

 夜気は重たく、湿った空気が家の中を満たしていた。   縁側に座り込んだ冬馬の膝の上で、指先がわずかに震え、浅い呼吸がひゅうひゅうと喉の奥で擦れる音を立て、息を吸い込むたび、冷たいはずの空気が肺の奥でひりつき、胸の奥がじわりと軋んだ。 ――その時、空気が変わる。 ふわり、と獣のような、湿った土と草の匂いが鼻先をかすめた。  肩がひくりと震え、指先が膝の上で小さく痙攣した。「……っ」 思わず声が漏れた瞬間、気配が、そこにあった。  音もなく、影が夜気から滲み出すようにして、目の前に立っていた。 ――朔夜。 月明かりが滲む縁側で、黒く溶け込むような輪郭の中に、湿った視線が沈んでおり、じっと、冬馬を見下ろしていた。「……また、来たのか」 喉の奥で細く、かすれた声が零れた。  それは問いのようでいて、ほとんど息に溶けた弱い音だった。  朔夜は何も答えず、視線を逸らさないまま、ゆっくりと口を開いた。  どこにも届かなかった。「……俺は、お前を選んだ」 低く湿った声が、夜気を震わせるように落ちた。  言葉の響きが肌の表面をじわりと撫で、胸の奥にじんと沈んだ。「……もう、逃げられない」 ひゅうっと浅い息が詰まり、冬馬の肩がびくりと震える。  声を出そうと口がわずかに開いたが、喉が引き攣れ、息が細く震えるだけで、言葉にならなかった。  朔夜は一歩、冬馬に近づき、視線を下ろしたまま、ゆっくりと首を傾ける。「お前の匂いも、体も、何もかも、もう俺のものなんだ」 その囁きが、夜気の中で湿り気を帯び、耳の奥で鈍く響いた。  視線が合ったまま、朔夜の目の奥で何かがゆっくりと溶けていくように見え、胸の奥でひゅうっと詰まった息が細く震えた。「俺が触れた場所は、もう他の奴には渡さない……分かるだろ?お前の身体が……もう、知ってるはずだ」 「し、知らないっ……」 低く落ちたその声が、肌の奥にまで染み込むようで、冬馬は喉の奥で声
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第14話※

 夜気が重たくのしかかり、冷たさと湿り気が肌に纏わりついて離れなかった。  冬馬の耳元で、朔夜の吐息がそっと触れた瞬間、ひゅうっと細い息が詰まり、背中の奥をぞわりと震わせた。「……やめろ……」 かすれた声は頼りなく、空気に溶けていくように儚かった。「やめろ……俺は、お前のものじゃない……」 唇が微かに震え、言葉の終わりは細く掠れ、涙がじわりと目の奥に滲んでいく。 ――それなのに。 耳にかかる声が、肩に触れる指先の熱が、胸の奥で脈を打つたび、どうしようもなく心を掻き乱していく。  逃げたいはずなのに、背中の奥でじくじくと疼く感覚が、息を吸うたびにじわりと広がっていった。「やめろって、言ってるのに……」 冬馬の声は震えて掠れ、嗚咽のような音が喉の奥で引っかかり、唇の端が震えた。  朔夜は何も言わず、ただそっと冬馬の身体を抱き寄せた。  逃れようとする力が指先に宿っているのを、きっと感じ取っているはずなのに、その手は不思議なほど優しく、けれど決して逃れられない強さで、じわじわと絡みついていく。「お前が泣いても……震えても……」 朔夜の声が、低く湿り気を含んで耳元で落ちた。  吐息がふわりと肌にかかり、その熱がじんわりと滲み、背中の奥へと染み込んでいく。「俺はもう……手放さない」 その言葉が、冬馬の肌の奥に、じくじくとした鈍い熱を残した。  肩が小さく震え、息が詰まり、喉の奥で掠れた音が擦れる。  必死に言葉を絞り出す――けれど、その声さえも頼りなく、夜気に吸い込まれて消えていった。「嫌だ……やだ、やめろ……俺は、お前のものじゃない……」 声は細く、涙が頬を伝い落ちた。  それなのに、腹の奥で疼く感覚が、冷たい夜気に晒されるたびにじくじくと熱を帯び、胸の奥が浅い呼吸で震えた。「やめて……やめろ……っ」 声が掠れ、震える吐息が喉の奥で細かく詰まり、嗚咽のような音が滲む。  朔夜の指先がそっと冬馬の髪を撫で、耳の後ろを掠めるように触
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第15話※微

 冬馬は、その言葉に息を詰めた。 ひゅう、と喉の奥で細く擦れる音が掠れ、胸の奥で心臓が痛いほど強く脈打った。 その鼓動が耳の奥でじくじくと滲み、肺の奥でひゅうっと浅い呼吸が詰まり、冷たく重たい空気が肺の中にじんわりと沈む。 指先が膝の上でわずかに痙攣し、冷たい汗がじっとりと滲み、肩が微かに震え、喉の奥で短く息が引っかかり、視界の端がじわりと滲んだ。 なのに――その胸の奥で、背中の奥で、どうしようもなく、言葉にならない思いが、ふつふつと、小さく、けれど確かに芽吹いていた。 じわり、と熱が滲み出すようにして広がり、肺の奥でひゅうっと細い音が震えた。「……この熱が、まだ欲しい」 掠れた声が、喉の奥で細く震え、意識の隅でその言葉の意味に気づいたとき、肺の奥で何かがきゅうっと縮み、喉が詰まり、肩がびくりと震えた。 だめだ、だめだ、そんなはずないのに―― そう思ったはずなのに。 指先が、知らず知らずのうちに、触れられた場所へと伸びていた。 熱がじんわりと滲み出していた場所へ、指先が、震えながら、そっと触れようとしていた。「……っ」 気づいた瞬間、肺の奥で息がひゅうっと詰まり、肩がびくりと震えた。 手を引こうとしたのに、指先はまだ、微かに震えながら、熱を求めるようにわずかに触れていて、 触れた場所の熱がじんわりと指の腹に残り、皮膚の奥へ染み込むように広がっていく。「……やめろ、やめろ……」 喉の奥で絞り出した声は細く掠れ、頼りなく震え、浅い呼吸がひゅうひゅうと引っかかった。涙がまた一筋、頬を伝い、肩が痙攣するように震えた。怖いはずなのに、逃げたいはずなのに、どうして、こんなにも。指先の熱を、求めるように触れたまま、肩が震え、涙が止まらなかった。夜が深まる。静けさが重く降り積もり、息を吸うたび、肺の奥がじんわりと詰まるような重さがあった。朔夜の匂い
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第16話

 昼間の光は、薄く霞んだ雲の向こうにぼんやりと滲んでいた。 村の狭い道には、いつになく多くの人影が行き交い、屋台のざわめきや祭囃子が途切れ途切れに流れていた。 普段はひっそりと息を潜めるこの村が、ほんの一瞬だけ、外の空気を受け入れているように見えた。 冬馬は人混みの中で立ち尽くし、喧騒に紛れる声の波をぼんやりと眺めていた。 遠くから聞こえる笑い声、誰かが呼び合う声、ふとした瞬間、外から来た若者たちの姿が視界の端をかすめると、胸の奥で、かすかな震えが起きた。 ――逃げられるかもしれない。 そんな淡い思いが、一瞬だけ、頭の奥を掠めた。 今なら、外へ出られるかもしれない。 ここから、どこかへ――その想いは、息を吸い込むたびにかすかに膨らみ、鼓動が小さく速まった。 けれど、その希望は、すぐに冷たい空気の中でじわりと削がれていった。 村人たちの視線が、無言の重みとなって背中にまとわりつき、誰もが意識して視線を逸らし、口元を引き結び、何かを飲み込むようにして肩を落としていく。 通り過ぎる老婆の白い指が、ぎゅっと手元の荷物を掴むようにして震え、若い男が振り返った一瞬の目線が、すぐに冷たく背を向けるように逸らされた。 人混みのざわめきの中に、微かに耳に届いた声があった。 誰かの、ほんの小さな、掠れた呟き。 まるで風に紛れるようにして、湿った音が胸の奥に沈んだ。「――噛まれた者が外へ出ようとすれば、また……」 掠れた声だった。 小さな呟きのはずなのに、その一言だけがやけにくっきりと耳に残った。「……え……?」 思わず声を漏らすが、答える者はいなかった。 振り返ったときには、老婆はすでに背を向けており、手にした箒の柄をぎゅっと握りしめている。 節くれだったその指が、わずかに震えている――そう見えたのは、冬馬の錯覚だったのだろうか。 胸の奥に、冷たい指先を差し込まれたような感覚が走った。 ぞわりと、皮
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第17話

 夜はもうすっかり更けて、祭りのざわめきも遠く、潮の引いたように静まり返っていた。 神社裏手の石段に一人腰を下ろした冬馬は、ぼんやりと提灯の灯りが揺れるのを見つめながら、深く息を吐いた。 ――逃げられる、かもしれないと思った。 けれどそれは、ほんのひとときの幻想に過ぎない。 村人の目はますます冷たく、噂話の影はねっとりと肌に張りつき、触れていないはずの指の感触が、肩の奥にこびりついたまま消えなかった。 その時、背後に、ぬるりとした気配が滲み出る。「……誰の手が、お前に触れた?」  その声は、突然で、深く濡れていたように感じた。 湿った闇の奥から、低く響く声が、まるで喉の奥で獣が呻くようにじくじくと滲み出し、冬馬の耳にぬめるように絡みついた。「っ……さく、夜……」 名を呼ぶ声はかすれ、冬馬の肩にそっと、だが確かな重さで手が置かれる。 指先がじわりと沈み込み、触れただけで“所有”を告げるような圧を感じて、冬馬の肩がびくりと跳ねた。 熱いはずの手のひらに、どこか氷のような冷たさが滲んでいた。 それが妙に、生きている実感を奪うような――不気味な親密さとして、肌に喰い込んだ。「誰の視線が、お前を見た?」 その囁きは、声というより、呪いに近かった。 耳元をすり抜け、髪の根元をぞわりと逆立たせるその問いに、冬馬の背筋が硬直する。「ちが……っ、俺は、なにも……!」 か細い否定は、ひゅうっと喉奥で途切れた。 朔夜の手が、滑るように肩から背中へとまわされ、するりと鎖のように腕が絡みつく。「……なのに、どうして他人に見せた?どうして他人に近づかれた?」 朔夜の声が低く、深く沈んでいく。 それは理屈ではない。ただ本能の底から込み上げる、獣のような『排他』の熱だった。
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第18話

「……どうして、俺なんだよ……」 掠れた声で冬馬がそう問うた時、朔夜はわずかに目を伏せ、夜気の中に静かに息を吐いた。「……昔、この村に、ひとりだけ……俺の“声”に応えた子供がいた」 その言葉に、冬馬の瞳がかすかに揺れる。「人に紛れ、人の形を借りて生きていた俺に……誰も近づこうとしなかった。けれどその子だけは、怖がりながらも毎晩、俺の眠る祠の前に来て、石を置いて帰った。言葉もなく、ただ――泣きながら」 朔夜の声はかすかに震えていた。まるで、忘れていたはずの古い熱が蘇るように。「俺は、それが嬉しかった。怖れも、供物も、祈りでもなく……ただ、誰かが、俺に触れようとしてくれた」 冬馬の胸の奥に、何かが落ちた音がした。  遠い記憶の底で、何かがぼんやりと浮かび上がろうとしている。「お前がこの村に足を踏み入れた瞬間……俺の中で、あの声が甦った。『あいつ』の匂いが、姿が、お前と重なった」 朔夜はゆっくりと手を伸ばし、冬馬の頬にそっと触れる。「だから、俺は……選んだ……いや、『思い出した』んだよ。俺の奥底に眠っていた、渇きと、あの夜の温度を」 冬馬の喉がかすかに震え、呼吸がひとつ浅くなる。「お前はもう、誰にも渡せない……昔も、今も、そしてこれからも」 その声に籠められた執着は、もはや獣ではなく、名もなき孤独が育てた祈りのように。  風が静かに吹いた。夜の闇が揺れるたびに、冬馬の心臓もまた、どくりどくりと鼓動を重ねていく。「……そんなの、知らない」 声は掠れていた。  口からこぼれたはずなのに、自分の声なのに、どこか他人のもののように遠かった。  だが、朔夜の言葉を聞いた瞬間から――胸の奥が、妙なざわめきで満ち始めていた。(昔……祠に?) そんなはずはない、と思う一方で、確かに何かが残っている気がした。  朧げな記憶の底、泥に沈んだように曖昧で、手を伸ばしても掬い上げられないものが。 まだ幼かった頃、夏の終わりに、誰にも言えない『夜』があった気がする。 ――誰にも見つからないように、こっそり抜け出した夜。  ――冷たい石畳の上に座り込み、小さな手で何かを差し出していた夜。  ――涙がこぼれたまま、祠の奥にある「なにか」に向かって、名前も知らない何者かに話しかけていた夜。「……やめろ……やめてくれ、そんな話……おれ、
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第19話

 昨日の熱が、まだ体のどこかに残っている気がして、朝になっても冬馬は落ち着かなかった。 ――あれは夢だったのではないか。 何度もそう思おうとしたのに、肩の奥に残る疼きがそれを否定した。 喉の奥でひゅうっと空気が擦れ、唇がかすかに震える。 朔夜の指、声、吐息。全部が、あまりに近すぎて、遠ざけようとすればするほど思い出に染みてくる。「……はぁ」 ひとりで部屋にいるのが耐えきれず、冬馬はふらりと外へ出た。 気晴らしになるかもしれないと、重たい足を引きずるように、村の中心へと向かった。 しかし――村は、異様なほど静まり返っていた。 昨日までの祭りの喧噪が嘘のように、道の両側には誰もいない。 軒下には、風にあおられてゆらゆら揺れる赤い提灯が、まだ片づけられぬまま残っていた。(こんなに静かだったっけ……) ぼんやりと歩いていると、何人かの村人とすれ違った。 けれど彼らは、冬馬に気づいた瞬間、小さく目を伏せ、遠巻きに避けるようにして去っていった。「……?」 呼び止めることもできずに立ち尽くしていると、裏通りのほうから子どもたちの声がかすかに聞こえてきた。 だがその声もすぐに途切れ、ぱたぱたと走り去る足音だけが残る。 冬馬は思わず立ち止まり、両手を見つめた。 昨日と同じはずの手が、なぜかとても冷たく見える。まるで、自分だけが異質な存在に成り果てたかのように。(……俺、何か……したのか?) 疑問が胸に湧いた瞬間、昨日、老婆が呟いていた言葉が頭をよぎる。『……噛まれた者が外へ出ようとすれば、また……』 ぞわりと背筋が震えた。 意味は、わからない。けれど、その言葉の奥にある『なにか』が、今この村の空気に重なっているような気がしてならなかった。「……気晴らし、どころじゃないな……」 呟いた声は誰にも届かず、曇りがちの空へと吸い込まれていく。 吐いた息がやけに白く、冷たい風が服の裾を揺らした。 足元の土がやけに重たく感じられ、何歩か歩くだけで、冬馬の心はまた沈んでいった。 肌に残る熱と、村に満ちる冷たさの狭間で、ひとり、冬馬は立ち尽くしていた。   ▽ それは、唐突な『静けさ』だった。 祭りの夜を最後に、朔夜は姿を見せなくなった。 それまでの数日間、夜になるたびに必ず――まるで呼吸のように、当たり前に現れていたあの存在が、忽然
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第20話

 夜は静かすぎた。 虫の声もなく、風さえ鳴らない。 まるで世界から音がひとつ、またひとつと抜け落ちていくように。 冬馬は部屋の隅で、膝を抱えていた。 薄い布団は掛けているはずなのに、身体の奥からじくじくとした寒さが這い上がってくる。 いや、寒いのではない。ただ――熱が足りないのだ。「……おかしい……」 かすれた声で呟き、腕を擦る。指先がひどく冷たい。 だが、それ以上に、胸の奥が痛かった。誰かに呼ばれている気がして、何度も夜の窓を見た。 けれど、あの気配はもう何日も姿を見せない。 ――来ない。朔夜が、来ない。 来なくていいと、あんな風に拒絶したくせに。 けれど来ないことが、こんなにも苦しいなんて、知らなかった。 気配すらない夜に、冬馬の肩は細かく震えていた。「……さく……や……」 喉の奥から、掠れたような声が零れた。 震える唇が、その名をようやく紡いだ瞬間だった。 ――ぎぃ、と音もなく、戸が開いた。 風のないはずの夜。 けれど、その隙間から染み出すように、濃く、熱い匂いが這い込んでくる。 それは冬馬の肌に染みついていたはずの香り――忘れたくても、忘れられなかった、朔夜の匂い。 冬馬は息を詰め、ゆっくりと顔を上げた。 視線の先、そこに――朔夜がいた。 闇の中で、朔夜の瞳だけがはっきりと輝いている。 黒曜石のようなその目は、凪いだ夜の湖底のように深く、そしてひどく飢えていた。 何も言わない。ただ、静かに、じっと冬馬を見つめていた。 けれどその視線が触れるたび、まるで身体の奥の奥まで舐められているような錯覚を覚え、冬馬はひくりと背筋を震わせる。「……どうして……今まで、来なかった……」 ようやく紡いだその声は、涙の膜を纏っていた。 熱と戸惑いと、胸を焦がす不安が、喉を焼いて掠れていく。 朔夜は、答えずに一歩、また一歩と近づいてくる。 踏みしめられた床板が、わずかに軋むたび、冬馬の心臓が跳ねた。 息を呑み、逃げようとした脚は動かなかった。 背中が壁につき、動けなくなる。 それなのに、心のどこかでは――待っていた。あの熱を、あの腕を。「……やっと、素直になったな」 低く湿った声が、耳に届いた瞬間、身体がひくりと跳ねる。 それはまるで、囁きというより――噛みつく寸前の獣の吐息だった。 そして次の瞬間、朔
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