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All Chapters of 唇に触れる冷たい熱: Chapter 111 - Chapter 120

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二人の時間は穏やかに 1

「……んもう! 後少しだっていうのに」 獲得口の近くでアームからポトリと落ちた、可愛らしいセイウチのぬいぐるみを私はまだ諦めきれずに見ていて。一度大きく息を吐いて気を取り直し、もう一度チャレンジするために持っていた財布から硬貨を取り出そうとする。 「嘘でしょう……さっき両替したばかりなのに?」 すぐそばにある両替機に千円札を入れて十分も経っていないと思う。それなのに私の財布の小銭入れに百円玉は一枚も残っていなかった。 まだ財布にお札は入っているのは分かってて。いつもなら冷静になって諦めることが出来るのに、ついムキになって私はお札を取り出し両替機に向かおうとする。 すると、すぐ後ろから誰かに肩を掴まれて……「いつまでも戻って来ないと思ったらまだここで粘っていたのか、紗綾《さや》?」「ごめんなさい、要。だって……」 そういえばそうだった。私がこのクレーンゲームを始めて、要は奥のコインゲームで時間を潰してくると言っていたのに。彼の存在をすっかり忘れてこのゲームに夢中になってしまっていた。 すると要は、ケースの中にある商品のぬいぐるみを見て……「……このぬいぐるみがそんなに欲しいのか?」 そう言って彼は小さくため息をついた。分かってるわよ、私が可愛いぬいぐるみが似合わない女だって事は。だけど、どうしてもこの子を私の部屋に置いてあげたいって思ったの。「昔からセイウチ、好きだもの」「……確かに、そうだったな」 そう言うと要は自分の財布から硬貨を取り出して投入口に入れると、ボタンを使ってアームを操作し始めた。それにしても……本人には言えないけれど、この人と可愛いぬいぐるみが景品のクレーンゲームって何だかミスマッチだわ。 一度目のチャレンジでは、少しぬいぐるみが動いただけで失敗。いくら器用な要でも簡単に取れるわけがない、そう思って後ろからジッと見ていると彼に片手で引き寄せられて。 後ろから抱き寄せるような体勢で私の手に自分のそれを重ねると、そのままアームを操作するボタンを押させる要。 「いいか紗綾、俺が『離せ』と言ったらボタンから手を離せ」 動きだすアームと、耳元で囁く要……もうどっちに集中すればいいのか分からない状況だわ。 要は人がいてもいなくても、あまり態度や行動を変えたりしない。だからこんな場所でもこんな事を平気でしてくるけれど、奥手な
last updateLast Updated : 2025-08-25
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二人の時間は穏やかに 2

 大きめのセイウチのぬいぐるみを抱いてゲームセンターを出た後は、二人でゆっくりウインドウショッピング。 ふと目についたのは、淡い花柄の可愛らしいフレアスカート。可愛いのがあまり似合わない私はいつも無地のスカートばかり、だけど本当はこういうのも着てみたいとも思う事もあって。「買っても着れないから……」 そう思いその場から離れようとすると、いつの間にか要《かなめ》がお店の中に入り店員と話をしていて。私が唖然としている間に、彼は先程のスカートを持った店員とレジへ向かう。「まさか……?」 私が見ていたから買った。要はそんな事を本当に言いそうな男性なのだ。そんな風にいつもいつも私を甘やかさないで欲しいのに。「紗綾《さや》、これ」 プレゼント用に包装された、先程のフレアスカート。こうしてくれる要の気持ちは嬉しいけれど、素直に喜べなくて。 ……だって、貴方だって分かるでしょう?「こんなに可愛いの、私は似合わないから着れないのに」「馬鹿を言え、俺は紗綾に似合うと思って贈っているんだぞ? まあ……」 要は私とスカートを交互に見て何か考えた様子を見せた後、ちょっと意地悪そうに口角を少しだけ上げる。そして彼は、そっと私に近寄って耳元で囁いた。「だが紗綾のそのスカート姿を見るのは俺だけ、と言うのも悪くないかもしれないが」 と。要のわざとらしく独占欲を感じさせた言葉に、一気に私の顔が熱くなるのが分かる。さっきは優しいと思ったけれど、前言撤回。要はこうやって優しさと強引さで私を振り回す、意地悪な恋人なんだわ。 ……それでも、私はもう彼から離れられないのだけれど。 私はスカートの入った袋とぬいぐるみを抱いてさっさと歩きはじめる。そんな私に要はすぐに追いついて、腕の中からセイウチのぬいぐるみを取り上げる。 どうして? と思って彼を見上げると……「コイツを両手で抱かれていたら、俺が紗綾と手を繋げない」 真面目な顔でそういう事を言うのは止めて欲しい、やっと引きかけた顔の熱がじわじわと戻っていくのが分かる。当然のように差し出された要の大きな手に、いまさらドキドキしてしまうなんて。 なかなか自分の手を出そうとしない私に焦れたのか、要は少し強引に私の指を絡めて握る。 「今日はデート、なんだろう?」 そう。今日は普通のカップルのようなデートがしたいと、朝から要に我
last updateLast Updated : 2025-08-25
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二人の時間は穏やかに 3

「そういうのは、もういいから……恥ずかしくなるの」 要《かなめ》と繋いでいない袋を持った手で一生懸命、真っ赤になっているであろう顔を隠す。恥ずかしくて、だけどもの凄く嬉しくて……こんな緩んだ顔は、この人にとても見せられない。 今の仕事場で私と要が関わる事はほとんどないし、それは割り切って働いている。要は次期社長の悟さんの補佐として頑張っているようだし、私も慣れない仕事で毎日を忙しく過ごしているのだ。 それに二人の時間だっていつもは仕事の話ばかりをしていたから、こんな雰囲気はなれなくて。「そう言うな。紗綾《さや》のそういう顔を見れるのなら、いくらでも言いたくなるんだ」 私の顔を覗き込んで嬉しそうに笑う要の表情が、昔の【かんちゃん】の笑顔と重なって見える。彼の柔らかな笑顔のときめきと懐かしさを感じるの。 以前とは全く変わってしまった要。でも昔の面影が見えた瞬間に、どれだけ私の胸がいっぱいになるのか貴方は知らないでしょう?「もういいって言ってるでしょ……顔、熱いんだから」 今日の要はいつもよりずっと甘い。普段はあまり見せないような幼さのある笑顔も、甘えるような可愛い仕草……そして私に向ける特別な意味の独占欲。その全てをいつもよりはっきりと態度や言葉で表してくる。「駄目だ、今日は思い切り紗綾を甘やかす一日にすると決めていたからな」 そう言うと要は繋いだままの手を引いて、ゆっくり歩きだす。素直に甘えられないこんな私を甘やかしたいなんて言ってくれるのは、きっと貴方だけよ? それでもそんな要の気持ちが嬉しくて、彼と繋いだ手にギュッと力をこめた。 その後、要は私がたった一度だけ「見たい」と呟いただけの恋愛映画にまで連れて行ってくれた。そんな日常の些細な出来事だって、彼は……「紗綾の事なら、俺はなんだって覚えている」 それが当然の事のように甘く囁いてくれる。私はずっと要に迷惑をかけて我が儘言って困らせてばかりなのに、彼は何も変わらず私を何よりも大事にしてくれる。 その心地よさに私ばかりが慣れてしまっていいのかと、不安になってしまうほどに。 二人で外で食事する時だってそう。要は日本食が好みだと私だって知っているのに、彼が予約するのはいつも私の好きそうなお洒落なレストランばかり。 ……もちろん嬉しいわよ? 凄く嬉しいけれど、たまに思うのよ。 【要は】
last updateLast Updated : 2025-08-25
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二人の時間は穏やかに 4

 だからと言って、私から『甘えて?』と強請ってまで甘えられたいわけじゃないわ。でも時にはそんな風に恋人から必要とされてみたい、そう思う事は贅沢なのかしら?「……俺は紗綾《さや》を甘やかすのが好きなんだ」「ええ、知ってるわ。だけど私だって同じ気持ちにもなるのよ?」 自分ばかりがそうだと思わないでよね、私だって恋人に甘えられるのが好きなのよ? それを伝えたくて要を見上げると、彼は何故か不機嫌そうに眉間に皺を寄せていて…… 珍しいのよ、要《かなめ》がこんなに風に素直な感情を私に見せてくるのは。 「……あの男が紗綾に甘えたのか?」 すぐにあの男が、元カレの彬斗《りんと》君の事を指しているのだと理解する。確かに私に甘えていたのは彬斗君だけだけど、それもずっと前の事で……「もしかして妬いてるの? 貴方らしくないわね」「妬くに決まってる、俺だって嫉妬も感じないほど余裕があるわけじゃない……紗綾の事に関しては」 コツン、と額に優しく拳を当てられて。要がくれる【特別】だって言葉に、私の胸はどれだけ満たされているか分からない。 だからこそ思うの、私にだって同じようにあなたの心を温かい気持ちで満たさせてよ……と。「……じゃあ、要も甘えてみる?」 少しだけ首をかしげて、そんな風に彼に問いかけてみせる。ちゃんとチャンスはあげたの、後はあなた次第だから。「……あのな。それ以上言うと今日のデートが続けられなくなるぞ、いいのか?」 そんな言葉で脅してくるなんて、やっぱり要は狡い。でもそれも悪くないなんて思う私もどうかしてるのかも……「要が思いきり甘えてくれるのなら、それでもいいのかも」「まったく。物好きだな、紗綾は」 それでいいじゃない。こんな真面目しか取り柄の内容な私が良いという物好きな要と、そんなあなたが良いという物好きな私。 にっこり微笑んで見せると、要は繋いでいた私の手を引いて歩き出す。「思いきり甘えればいいんだったな、覚悟しろ」 ……なんて言われてしまって。ちょっとだけ挑発しすぎたかな、と後悔したのは部屋に戻ってからだったけど。「……これは、甘えてるとは言わないのっ!」 部屋に着いた途端、私を抱き上げ寝室に運びそのまま覆い被さろうとする要の肩を両手で押し返している。要の考える【甘える】は、私が思っているものとは大きく違ってると思うのよ! 
last updateLast Updated : 2025-08-26
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二人の時間は穏やかに 5

「はい、膝枕!」「……は?」 私はベッドの上で正座をすると『さあ、ここに寝転びなさい』と言わんばかりに両手を広げてみせる。要《かなめ》はそんな私をまじまじと見ているだけで……「膝枕してあげるって言ってるの、分かるでしょう!?」 『して欲しい』と言われたことはあっても、奥手な私から『してあげる』と言ったのは初めてで。慣れない事をしている事もあって、全然甘えられるような雰囲気ではなくなってしまう。 こんな可愛くない態度じゃ要から呆れられてしまう、そんな焦りからこれ以上どうしていいのか分からなくなってしまった。 完全に失敗しちゃったかも! そう思ってギュッと瞳を閉じると、要の指先が頬に触れる。「……本当にいいのか、紗綾《さや》?」 その言葉におそるおそる目を開けると、私よりも驚いた表情をしている要。膝枕がそんなに驚くような事? もしかしたら、要にとっては膝枕は何か特別なものだったりするのかもしれない。「……ええ、私の気が変わらないうちにどうぞ?」 今度は少しだけ優しく言えたかも? そんな私の太腿に要は遠慮がちに頭を乗せる、彼のその様子に胸がキュンとして…… どうしよう、今もの凄く要の頭を撫でてあげたいわ。「重くないか?」 私の事ばかり気にして、要は少しもリラックスできていない様子。もう少し彼にも自然体でいて欲しい、そう思うから…… 私はあいていた両手で、彼の髪を思いきりクシャクシャにしてやったの。「紗綾……!?」 私の行動に驚き起き上がろうとする要、私はそんな彼の肩を両手で抑えつけてそれを阻止する。まだまだ、これからが大事なんだから。「じっとしててよ、これから綺麗に整えてあげるから」 私が勝手に要の髪をクシャクシャにしたことで、彼は十分驚いている。その上乱れさせた本人にこんな事を言われれば、誰だって目を丸くするでしょうね。 私だって変な行動をとっている自覚はあるの。だけど愛しい恋人が、上手く甘えてくれないんだから仕方ない。 私は乱れた要の髪を指で梳いていく、少しずつ撫でるようにゆっくりと。そうでなければ、彼の短くて指通りの良い髪なんてすぐに整ってしまうから。 要のストレートの黒髪は指で梳くと、横からサラサラと零れ落ちていく。それらを集めてもう一度丁寧に梳いていくと、要は静かに瞳を閉じた。「……こういうのも、悪くないな」 そ
last updateLast Updated : 2025-08-26
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二人の時間は穏やかに 6

 ……もちろんだけど、私の気分も悪くないわ。こうしてリラックスしている貴方の髪を梳き見下ろしていると、愛おしさが増す気がするもの。 優しく要《かなめ》の髪を整えていく。今こんな穏やかな時間を過ごせるのも、要や柊《ひいらぎ》社長そして今も支社で頑張って働いてくれている横井《よこい》さんのお陰だと思うから。 あれから横井さんとはプライベートな連絡先を交換し、定期的にメッセージを送り合ったり電話したりしている。そう言えば横井さん、新しい課長と反りが合わないって言ってたっけ?「ねえ、要。新しく支社の課長を任された梨ヶ瀬《なしがせ》さんって男性の事は知ってる?」「……ああ、俺とアイツは同期なんだが。それがどうした?」 閉じていた彼の瞼がゆっくりと開かれ、ちょっと不機嫌そうに私を見つめている。あら、これはヤキモチを妬かれていたりするのかしら? そんな心配する必要ないのに、と思いながらも本当は少し嬉しかったりするの。「横井さんがね、彼とは相性が悪いって悩んでいるみたい。彼女なら誰とでも上手くやれそうなのにね……」「横井さんが、あの男と……?」 要は不思議そうな顔をしたまま、髪を梳き終わり彼の額を撫でていた私の指を掴まえる。そのまま薬指を何度も確認するように触れられるから、少しくすぐったい。「そんなに性格の悪い人なの? 横井さんは詳しく教えてくれないまま『あの人とは合わない!』の一点張りなの」 あの横井さんがそれほど誰かを拒絶するのは珍しく私も気になっているのだが、彼女は頑なに梨ヶ瀬という男性について話したがらない。「いや、俺が知っている梨ヶ瀬は少なくとも性格の悪い男ではないな。どちらかと言えば、明るく周りから好かれる優男なんだが……」 確かに横井さんから、その男性の性格が悪いと聞いたわけじゃない。ただどうしても合わない、そう話を聞いただけ。 でもあの横井さんが、理由もなく誰かを嫌うとは思えないんだけど……「今度、横井さんに会いにあちらに遊びにでも行くか。その時に紗綾《さや》が彼女の話をゆっくり聞いてやると良い」「ええ、ありがとう」 いまだ薬指で遊ぶ要が可愛くて、クスクスと笑いながらお礼を言う。 ……ねえ、要。あなたが私の左手の薬指ばかり触っているの、ちゃんと気付いてるわよ。それって何かを期待しててもいいって事なのかしら?「伊藤《いとう》 彬
last updateLast Updated : 2025-08-27
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上司と部下ではなく 1

「主任~! もう……なかなか来てくれないから、何度そっちに飛んで行こうかと思ったか!」「あら、今日の横井《よこい》さんは少し甘えん坊なのね? 新しい仕事に慣れなくて休みが取れず、来るのが遅くなっちゃってごめんなさい」 空港まで迎えに来てくれて横井さんにぎゅうぎゅうと抱きしめられて、嬉しいのと苦しいので笑ってしまいそうになるの。 数か月前に彼女に会いに来ると話して、実際にこうしてこれたのは今日。会って相談したいことがあると何度も言われたのに、こんなに待たせてしまったのは申し訳ないと思ってる。「そろそろ紗綾《さや》を離してくれないか、横井さん」 二人のやり取りを黙ってみていた要《かなめ》だけど、抱き合う私と横井さんを引き離す様に間に割り込んできた。まさか、要ってば……「伊藤《いとう》さんの時の恩人である私にまで嫉妬するとか、ちょっと酷くないですか? そんなに心の狭い人に、私の大事な主任は任せられないんですけど」「あの時の事は勿論感謝している。だが横井さんが紗綾に、特別な感情を持たないとは言い切れない」 要は横井さんの意外とミーハーな一面を知らないのね、課長代理として要が来た時も横井さんはとてもはしゃいでいたのだけど。 ……そうよ、課長と言えば!「横井さん。私に言っていた話したい事というのは、もしかして例の梨ヶ瀬《なしがせ》さんって人についてなの?」 私がその名前を出した途端、はしゃいでいたはずの横井さんの顔から笑みがスッと消えてしまった。彼女の話から、梨ヶ瀬さんという男性と上手く行ってないのだろうとは思ってたけれど……これは想像よりも酷い状況なのかもしれない。 とはいえ横井さんは本社へと異動した私の仕事を引き継いだのだから、課長である梨ヶ瀬さんと共に業務につくことも少なくはないはず。 横井さんは有能な社員だし、新しい上司である梨ヶ瀬さんとも上手くやっていって欲しいのだけど……「すみません主任、その名前を休日にまで聞きたくないんです。身体中に蕁麻疹が出そうな気がして」 どうやら横井さんは、ちょっと会わないうちに梨ヶ瀬さんアレルギーを発症してしまったらしい。 しかし誰にでも言いたいことをハッキリと伝える事の出来る彼女がここまで嫌うほどの男性って、いったいどんな人なのかしら?「ねえ、横井さん。その……彼のどんなところが嫌なの? 要から聞いた
last updateLast Updated : 2025-08-27
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上司と部下ではなく 2

「ええっ!? 騙されてるって、そんなまさか」 騙されるも何も、私はその梨ヶ瀬《なしがせ》さんという男性に会ったこともないわけで。横井《よこい》さんが梨ヶ瀬さんを嫌っている事は十分すぎるほど分かったけれど、あまりの言われように少しだけ彼が気の毒な気もしていた。 それにしても、梨ヶ瀬さんの事を一番知っているはずの要が何も言わないのはどうしてかしら? 一度だけ梨ヶ瀬さんの事を聞いた時、そう悪い印象を持っているようではなかったのに。「いいえ、あの男は絶対に本性を隠しています! 誰にでもニコニコと愛想良いフリをして、その裏で何を企んでいるか分かりませんよ?」 上司である梨ヶ瀬さんの事を、テレビで出てくる仲間のフリをした悪役だとでも言いたげな横井さん。何があったら、ここまで嫌うことが出来るのかしら? その理由がなんなのか気になって、聞いてみようとした時……「横井さんは、梨ヶ瀬の何がそんなに気に食わない? 確かにアイツには裏表のある男だが、それで君を傷付けたりするような奴ではないはずだ」 話しに割り込んできた要《かなめ》のその言葉に、横井さんは悔しそうな顔をして俯いてしまう。そんな彼女を見て、横井さん本人も本当は梨ヶ瀬さんが悪い人ではない事を分かってるのだと気付く。 それならば横井さんは梨ヶ瀬さんの事を、どうしてこんなに毛嫌いしているの? 「ねえ? 横井さんだって本当は梨ヶ瀬さんがそんなに悪い人じゃないって、本当は分かっているんじゃないの?」 優しく聞いてみれば、横井さんはゆっくりと首を振ってみせる。この様子からすると、ちゃんと分かってるけどそれを認めたくないという事なのかもしれない。 あの彬斗《りんと》君の時でも、横井さんはここまで嫌がるような素振りは見せなかったのに……「分かってるんですよ、梨ヶ瀬さんが有能な人だって事は。でも彼のなんとなく重い雰囲気とか、笑っているのに冷たさを感じる瞳がどうしても好きになれないんです」 重い雰囲気に冷たさを感じる瞳? 要から聞いた話と全く違う、横井さんの感じている梨ヶ瀬さんのイメージが引っかかる。横井さんも要も人を見る目はあるタイプなのに、こんなにも感じ方に違いがあるものなの? 要も横井さんの発言を聞いて、少し不思議そうな顔をして考えている様子。「波長が合わないんでしょうか? どうしても私には他の人が言うよう
last updateLast Updated : 2025-08-28
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上司と部下ではなく 3

「それは……また、どうして横井《よこい》さんに?」 横井さんは確かに有能な社員だけど、若いためまだ経験は浅い。課長の補佐を任せるのなら他にいくらでも適任者がいるはずなのに。 私と要《かなめ》は、互いに顔を見合わせる。これはもしかしたらもしかしするのではないか、と。だけど梨ヶ瀬《なしがせ》さんに対して、苦手意識を感じている横井さんにそれを言えるはずもなく…… 「私はそれを聞いてから、部長に何度もお願いしたんです。まだ自分には荷が重い、もっと経験を積んでからにして欲しいと。ですが君にしか任せられないから、の一点張りで」 なんとなくこの話には何か裏がありそうな気がする、隣に居る要も同じことを考えているように見えた。 多分この話を断るのは、置かれた状況的に難しいだろう。ならば少しでも横井さんが前向きに考えれるようにしてあげなければ。「確かに横井さんの気持ちも分かるわ。だけどこれは横井さんの実力を大きく伸ばすチャンスにもなるはずよ? きっと梨ヶ瀬さんの傍で学べることは少なくないと思うの」「それは、分かってるんです。だけど、あの人の傍なんて……」 いつもの横井さんらしくない、だけどそれほどまでに彼女にとって梨ヶ瀬さんは特別な存在だと言えるのかもしれない。 それが良くない意味であったとしても。「今は職場に主任も御堂《みどう》さんもいなくて、私だって心細くなる時があるんです。これから私は誰に相談すればいいのか、とか……」 不安に揺れる横井さんの瞳、彼女の為に今の私が出来る事はなにがあるだろう? 何度も私の事を助けてくれたし、要と上手くいかない時には励ましてくれた。 そんな彼女に私も手助けをしてあげたい……「ねえ、横井さん。こうして離れていても、私にはいつでも頼ってくれていいのよ?」 物理的な距離があったとしても、彼女の心に出来るだけ寄り添ってあげたい……そう思ったの。隣にいる要もそんな私の言葉を黙って聞いている。「でも上司である主任に、そんな風に甘える訳には……」「そうね。だから、今までみたいな上司と部下ではなく……貴女の友達の一人として横井さんの力になりたいの。それじゃあ、駄目かしら?」 横井さんは私が本社勤務になった後も、こうやって私や要の事を上司として慕ってくれている。それは勿論嬉しいけれど、もう、そんな壁は無くしていいんじゃないかって思っ
last updateLast Updated : 2025-08-28
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上司と部下ではなく 4

「今日からお友達、なんですよね? 私と主任、そして御堂《みどう》さんは」 嬉しそうに微笑んでその手を揺らす横井《よこい》さん、そんな彼女を見て少しホッとするの。今の私達ではこうしてあげるのが精一杯だけど、もし何かあった時は本社からでも飛んでくるから。 そう思っていると、どこからかスマホのメロディーが鳴りだした。すぐに動いたのは横井さん、バックの中からスマホを取り出して画面を操作している。「この人もなんだかんだで、相当捻くれた心配性なんですよね。ふふ……」 画面を操作しつつ何か楽しそうな雰囲気の横井さん、そんな彼女が気になり誰の事かを聞いてみると……「ああ、今のメールは伊藤《いとう》さんです。あの人、どうしてか私の番号を知ってたみたいで」「彬斗《りんと》君が? どうして海外にいるはずの彼が、今も横井さんと連絡を取ってるの?」 彬斗君の考えている事は、昔からよく分からないとこがある。けれど、横井さんを巻き込むような事はしないで欲しいのに。「大丈夫ですよ、私だってちゃんと伊藤さんの事は警戒していますから。でも彼は何故か私の愚痴を聞いてくれたりもして……」 予想外の二人が仲良くなっている事に私と要は戸惑いを隠せなかったけれど、当の横井さんは彬斗君を愚痴吐き相手と見ているみたいで。 梨ヶ瀬《なしがせ》さんにはあんなに苦手意識を見せてるのに、彬斗君は平気だなんて横井さんもよく分からないところがあるわ。 「今夜は紗綾《さや》さんを私が独り占めしていいんですよね、御堂さん?」 予約していたホテルの部屋、要《かなめ》と眠るはずのダブルベッドの上で横井さんは私に抱きついている。 彼女は要と正々堂々と勝負をして、私と一緒に眠る権利を手に入れたのだった。 普段はすんなり諦める要だけど今日はよほど諦めがつかないのか、部屋の端のソファーに陣取ったままでもう一つの部屋へと移動する様子はない。「全く、御堂さんも諦めが悪いですよ? 紗綾さんとはいつでも一緒に眠ってイチャイチャベタベタ出来るんですから、今日くらい私に譲ってくれて良くないですか?」 遠回しに要に向かってさっさと部屋を出て行けと伝える横井さん。もちろんそんな彼女に要が黙っているはずもなく……「横井さんは俺たちが空港に着いてからは、紗綾を散々独り占めしてると思うが?」 バチバチと音を立てて睨み合う
last updateLast Updated : 2025-08-29
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