All Chapters of 暗闇からの脱出: Chapter 11 - Chapter 20

目の前に広がる離婚届受理証明書を前に、啓太は億単位の契約書にサインする時でさえ震えないその手が、今はかすかに震えていた。書類は本物に違いなかった。それでも彼は諦めきれず、勢いよくドアを開けて飛び出し、猛スピードで市役所へと向かった。あれほど自分を愛していた桃子が、どうして離婚などするものか。いや、どうしてもこの目で確かめなければ気が済まないのだ。職員が確認を終え、「一ヶ月前に離婚申請を受理しています。この証明書は有効です」と告げた。一ヶ月前？啓太は胸を締め付けられるような驚きと痛みを感じた。なぜ自分は何も知らなかったのだ？離婚なんて、片方の申請だけで成立するものなのか？離婚協議書のサインすら不要だというのか？そういえば、あの時確かに書類にサインした記憶がある。桃子から渡された店舗譲渡同意書だったのか？啓太は慌ててアシスタントに命じた。「今月、桃子名義に移転した店舗がないか調べろ」アシスタントはすぐに調べて報告した。「社長、ありません」啓太の目に一瞬悔しさが浮かんだ。やはりあの時から怪しかったのか。結婚して六年、桃子は物質的なものを欲しがったことは一度もなかった。ただひたすらに愛を注ぎ続け、彼に安らぎを与えてくれた。あんなに様子がおかしかったのは、彼の元から離れる準備をしていたためだったのか。だが、なぜ？啓太はアシスタントに、あの日の桃子の行動を徹底的に調べさせ、信託基金の申請に行っていたことを突き止めた。「佐倉社長、当時その女性はお子様の母親を装おうとされましたが、出生証明書などの書類を確認した結果、申請は却下いたしました。ご安心ください。当機関の審査は万全でございます……」ファンドマネージャーが手柄を誇るように話していた。啓太の表情は一瞬で険しくなった。まさに青天の霹靂だった。桃子は子供の身の上の秘密を知っていたのだ。知っていたのか！道理で、あの日から態度が冷たくなり、家のことを構わなくなったわけだ。あの雪音への仕打ちも、怒りと復讐からだったのか？啓太は突然、胸が締め付けられるような思いだった。桃子にずいぶん辛い思いをさせてきた。今になって気持ちが分かったところで、あの時の過ちは取り返しがつかない。今はまず桃子を連れ戻すことだ。二人の子供も五年間彼女に育てら

雪音の目に嫌悪の表情を浮かべた。「あなたたちも母親みたいな、役立たずの専業主婦になりたいのか？」泣き声が少し弱まった。「あの女と一緒にいると、あなたたちの将来は台無しよ。あなたたちを立派なエリートに育て上げられるのは私だけよ。いずれパパはあの女を見捨てるに決まってる。あなたたちは彼女と一緒にホームレスになる気？私の言うことをちゃんと聞いていれば、今の良い暮らしはずっと続くのよ」雪音は優しい口調で言いくるめた。「勉強が辛いのもわかってるわ。今日は一日遊びに連れてってあげる。遊園地に行って、好きな乗り物に乗って、たっぷり綿菓子を食べよう」「本当？」二人の子供は泣くのを止めた。「それに、昨日のジュースが好きだって言ってたから、朝も一人一杯ずつ飲んでいいわよ」彼女は二人の子供のグラスに果実酒を注いだ。オレンジの香りが漂う中、辰夫と奈美の表情はすっかり明るくなり、ジュースを飲みながら遊園地のことばかり話していた。雪音は冷たい目で見つめ、心底軽蔑していた。この子たちは本当に単純で、簡単に騙せるんだ。桃子が五年間も献身的に世話をしたのに、あっさりと裏切るなんて。まったく、ろくなものじゃない。やはりあの下品な女が産んだ子は、ろくでなしでしかない。二人の子供の目元や顔立ちが少し雪音に似ているのが、それがかえって彼女の怒りを掻き立てた。それが桃子が自分に似ているからこそ、啓太と一緒になれたという事実を思い出させるからだ。当時、啓太が桃子を選んだのは、桃子との間にできる子供が私に似ると思ったからか？皮肉なことに六年も経てば、彼は桃子を愛するようになってしまった。あの代わりの女を愛してしまったのだ！雪音はこの上ない屈辱を覚えた。二人の子どもが酒を飲み終えてふらつく様子を見ながら、彼女は冷ややかに笑った。あの二人のガキを遊びに連れて行くような暇などない。彼女にはもっと大切なことがあるのだ。買収したあの兄弟は、調べたらとっくに国外へ逃げていた。要は桃子が見つかる前に、啓太の心を取り戻せばいいだけの話だ。最も手っ取り早い方法―雪音は拳を握りしめ、屈辱に燃える瞳を光らせた。最も簡単な方法は、桃子のふりをすることだった。最初桃子は彼女に似ていたからこそ啓太と結婚したんだ。今またその似ていることを利用し

雪音はべらべらと喋り続けた。一方では慌てていて、啓太に責められるのが怖かった。もう一方では、長い間抑え込んでいた感情が爆発した。彼女は二人の子供を心底憎んでいた。啓太と他の女の間に生まれた子だと思うだけで、胸が苦しくなり、吐き気がして、気が狂いそうだった！確かに少し短気だったとは認めるが、本当にあの子たちを受け入れることなどできなかった！今、彼らが命の危険にさらされていると思うと、心底痛快だった。彼女の口元に浮かぶ隠しようもない快感を見て、啓太はまるで時間が止まったかのように動けなくなった。彼はふと一つの疑問に気づいた。このような続けざまの偶然の背後には、桃子ではなく、雪音が仕組んだことかもしれない。啓太と桃子は六年間も夫婦だったのだ。彼女の生来の優しさは、よく知っているはずだった。もしかすると、桃子が雪音の子供を妊娠したことを恨んで雪音に復讐したわけではなく、雪音が桃子と二人の「他人」の子供を目の敵にしていたのかもしれない。彼の推測はすぐに裏付けられた。雪音家の使用人の証言によると、彼女が進んで子供にジャンクフードやチョコレートを与え、酒を飲ませていたという。更に、陰では子供たちのことを「クソガキ」と呼んでいた。当時桃子をクラブまで送った運転手も、ついに雪音の指示だったと告白した。「誘拐犯」の兄弟も現行犯で捕まって、罪を認めた。クラブでのあの事件は雪音が仕組んだもので、桃子は一切関与していなかったと分かった。崖っぷちでの二者択一の誘拐も、雪音の手によるものだった。桃子は多額の金を支払って、ようやく自由の身となった。啓太は心が千切り裂かれるほど痛み、声すら出なかった。だからこそ、桃子を一度も信じたことがなく、爆弾で縛り付けられた彼女を「見捨てた」のだ。あの瞬間、彼女はどんなに絶望したことか！雪音こそがこの上なく残忍な人間だとは、夢にも思わなかった。一瞬、雪音を罰する方法はいくらでもあると考えた。だが、おそらく最も効果的なのは真実を告げることだろう。彼は無表情に言い放った。「この子たちは桃子が試験管で産んだが、卵子はお前のものだ」雪音は突然言葉を失った。目を見開き、幽霊でも見たように、口を開いてはみたものの、声が喉の奥で詰まって出てこなかった。「ありえない」と言いたかったが

気品に満ちた若い夫婦は目を赤くしながら、小さな男の子をしっかりと抱きしめ、決して離そうとしなかった。彼らは桃子に幾度も感謝の言葉を述べ、事件の顛末を打ち明けた。実はこの夫婦は雲野随一の富豪、田島浩太（たじま こうた）夫妻で、男の子はその息子の田島泰男（たじま やすお）だったのだ。半年前、泰男は仇に深い山中へ拉致され、それきり消息不明となっていた。病院で血液検査を行った結果、データベースから泰男の身元が判明したのだ。桃子は泰男のことを心底喜んだ。共に過ごした日々から、泰男が根っからの礼儀正しく善良な少年だと感じ取っていた。今や実の両親と再会できたのだから、記憶喪失が一日も早く回復するよう願うばかりだった。しかし問題はまさにその記憶喪失にこそあった。今、泰男は桃子しか受け入れない。警戒しながら両親を押しのけ、桃子の胸に飛び込んだ。浩太夫婦は怒るどころか、ただ胸が痛むだけだった。あの半年間、息子は一体何を経験してこんな状態になったのだろうか。二人は桃子に一緒に田島家に戻って、泰男を助けて、この時期を乗り切らせてほしいと懇願した。桃子は少し考えてから本音を打ち明けた。「確かに時間はありますし、喜んでお手伝いします。ただ、ご家族に面倒をかける可能性があるのが心配です。私には仇がいて、ずっと行方を追われています。しかも相手は相当な権勢を持っているのです」浩太夫婦は少し驚き、信じがたいという表情だった。浩太はやや真剣な表情で尋ねた。「何か違法なことや犯罪をしたことがあるのですか？」「いいえ」桃子は軽く首を振った。「私が被害者でしたから、逃げて来たのです」浩太夫婦はほっと胸を撫で下ろした。「桃子さん、泰男を助けてくださり、それもこんなに長く面倒を見てくれたことから、お人柄がよくわかります。違法なことをしていないなら、私たちも恩返しに最後までお世話しましょう」「誰にもあなたを煩わせることはさせません。あなたの安全は私たちがしっかり守ります」彼らは誠実で、その言葉を実行できるだけの力も持っていた。桃子はふと心の重荷が下りたように感じ、とても安心した。こうして桃子は田島家に引き取られ、泰男の名付け親として暮らし始めた。田島家は多くの事業を展開しており、暇な時には桃子は泰男と一緒にお茶を摘んだり、花の餅

「泰男！」桃子は酷く心を痛め、自分を責めた。彼女が泰男を守り切れなかったのだ。啓太が即座に声を上げた。「急ごう、病院へ連れて行く」桃子は何も言わず泰男を抱き上げ、車に飛び乗った。今は泰男の治療が最優先だということは彼女も理解していた。啓太は車を全速で走らせたが、幸いに泰男に大きな怪我はなかった。目を覚ました泰男は突然「わあっ」と泣き叫んだ。「桃子さん、ママとパパのこと……全部思い出したよ」傍らで見守っていた浩太夫婦は嬉し涙をこらえきれなかった。桃子も啓太が偶然泰男の記憶を呼び戻すきっかけを作ったとは思っていなかった。しかし彼女の決意は固かった。「啓太、私たちの関係はもう終わったよ」「そんなこと言うなよ」啓太には彼女の冷たい態度も言葉も、まるで刃物で心臓を刺されるように痛んだ。「諦めないぞ……」「何？俺の妻、そして赤ちゃんの母親を諦めないだと？見かけは立派なくせに、まともな倫理観も持ち合わせていないのか？」骨張った長い指がすっと桃子の手を掴んだ。桃子は一瞬たじろいだが、すぐに気づいて言った。「こちらが夫の田島俊一（たじま しゅんいち）だ」彼は泰男の叔父で、浩太の弟だった。相手が芝居に付き合ってくれるなら、桃子自身も必死で演じきらねばならない。手でお腹をさすりながら言った。「妊娠して一ヶ月余りだから、まだお腹は目立たないけど、男女の双子なの」そして強調するように付け加えた。「今度は私の子供よ」啓太は信じられず、声まで震えていた。「まさか……」俊一は笑いながら言った。「じゃあ、うちの子の一歳の担当者祝いにはぜひ来てくれよ。ありがとな、お前の目が節穴だったおかげで、俺はこんなに素晴らしい嫁をもらえたんだ。絶対に離さないぞ、一生な。お前の出番はもうないんだよ」啓太は全身が千切り裂かれるような痛みを感じた。痛みでたまらなかった。彼はまだ硬直したまま繰り返していた。「ありえない……」俊一は首をかしげて言った。「桃子、じゃあ一つ彼の前でキスしてみようか？」少し躊躇した後、桃子は自ら俊一の唇にキスをした。目の前の光景は、啓太の心を深く傷つけた。まさか、本当だったんだ……！彼女は別の男を好きになり、その男と……子供まで授かっていた！啓太は桃子を奪い返したい。手段を選ばずにでも奪い