All Chapters of 星のベーカリー: Chapter 1 - Chapter 3

3 Chapters

いつものメロンパン

夜更け、星明りに照らされたその街はみんな眠っている。ただ一軒、甘い香りを漂わせるお店があった。ほしのベーカリー、そこは人生に迷った人しか辿りつくことのできないパン屋。なんでも、店主はその人の人生にあったものを焼いてくれるのだとか。今日も夜の帳が降りた。街には、どこからか甘い香りが漂っている。星明かりも届かないような路地裏に、小さなパン屋があった。星のようなその灯りに、誉は吸い込まれるように扉を開いた。小さな星がやってきたかのように、ドアベルが音を鳴らす。年季の入った木の床とレンガの壁。あたたかな光が、店内の隅々までじんわりと照らしている。それがどこか懐かしくて、肩の力が抜けた。ほんのり甘く、香ばしい香りで胸がいっぱいになる。ふと、カウンターの中から渋い声が聞こえてきた。「いらっしゃい」誉は思わず足を止めた。「すみません。もう閉店でしたか。」「いいや。今から営業だ。」「こんな遅い時間から?一体なんで?」「ここに来るやつは、決まって何かを抱えてる。」「はぁ…?」「人生ってのは、星のない夜を歩いてるときに腹が減るもんだ。今のお前みたいにな。」“星のない夜“ー今の誉の心の中を表現するのには、ぴったりな言葉だった。「ほしのベーカリーへようこそ。俺は店主の譲次だ。みんな俺のことをジョージ、と呼んでいる。」「ジョージさん。僕は誉です。」「誉だな。さぁ、話してみろ。」誉は、促されるようにカウンターの椅子に腰掛けた。店内は、みんなが来る前のスタジオのように静かだ。「…今日は最悪な日でした。」譲次は誉の言葉に耳を傾けながら仕込みを始めた。スタジオのドアが、音をたてて閉まる。今日もまた、誉はバンドのメンバーと口論になっていた。「売れなきゃ意味がない。これで飯食ってくんだろ?」そんな言葉を、メンバーから何度も投げつけられた。「誉がその考えを変えないなら、俺はここを抜けることも考えてるからな。」その言葉に、誉は何も返すことができなかった。仲間の気持ちを理解していないわけじゃない。食べていくために音楽をやっている。それもまた真実の一つだ。でも、誉は純粋に音を鳴らしたかった。誰かの心に響くような音楽を、楽しみながら作りたかった。お金や評価よりも、”心から良いと思える音楽”を届けたかった。「……はぁぁ」吐き出すよう
last updateLast Updated : 2025-07-27
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仲直りのトースト

夜更け。空が泣いていた。「ほんっと最悪」朝から彼氏と喧嘩したさくらは、天気予報も見ずに家を出たせいでびしょ濡れになっていた。(寒……。)いつもの帰り道のはずだった。でも、気づけば見覚えのない路地にいた。星明りも届かない、少し寂しげな裏通り。その時、ぽつんと光が見えた。寂しさも寒さも吹き飛ばしてくれるような、暖かい光。夕暮れの一番星のような優しい輝き。そこに行ってみたくなった。冷えた身体が自然とそちらへ向いていた。なんとなく、行かなきゃいけないと思った。迷い星は、光のほうへ流れ落ちた。扉の向こうは想像どおり暖かい場所だった。「いらっしゃい。」譲次はびしょ濡れのさくらに、柔らかなタオルを差し出した。「あ、ありがとうございます。」さくらは戸惑いつつそれを受け取ると、濡れた身体を拭きながら店内を見渡した。どこか喫茶店を彷彿とさせるような雰囲気。天井のライトが星のようにきらめき、暗い夜を照らしているようだった。ほのかにパンの香りがするのに、店内のどこにもパンが見当たらない。「あの、ここってパン屋さん、で合ってます?」さくらの問いに、譲次はふっと笑った。「ここは迷い星がやってくるパン屋さ。俺は店主の星野譲次だ。みんなからジョージと呼ばれている。」「迷い星……?なんですか、それ」「いずれわかるときが来るさ。」「はぁ……?」その言葉に、さくらは肩の力が抜けた気がした。「ここ、座ってもいいですか」そう言って、カウンター席を指さした。譲次は静かに頷くと、生地をこね始めた。「ちょっとだけ、愚痴を聞いてください。」さくらはそういうと、譲次の反応も見ずに話し始めた。さくらには、喧嘩中の婚約者がいる。最近は些細なことで喧嘩することが多かった。ゴミ出しを忘れていただの、食器を洗っていないだの。たいてい怒り出すのはさくらの方。彼氏の仕事が忙しいことは理解はしている。でも、心が追いついていないのだ。自分も仕事をしているのに、なんで自分ばっかり。そう考えてしまうさくら自身が嫌いだった。「わかってるんです。彼が忙しいこと。でも私も自分に余裕が無いから怒ってしまう。」さくらはコーヒーカップをぎゅっと握った。「それが嫌で、さらにイライラしちゃって……。今後大丈夫かなって」気づけば、さくらの目から涙がこぼれていた。「
last updateLast Updated : 2025-07-27
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遅すぎたスコーン

夜更け。星明かりも届かない路地裏に、小さなパン屋があった。『ほしのベーカリー』。そこは人生に迷った者しか辿り着くことのできない、不思議な店だ。星のように光を灯すそのパン屋に、隆はどこか懐かしさを覚えていた。木枠の窓から溢れる柔らかな光。そこから漂ってくる甘い香りは、“あの人”がよく焼いていた焼き菓子の匂いに似ている。足元から冷たい夜気がやってくるのに、胸の奥だけがじんわりとあたたかかった。それはもう、戻ることのない日々の温度。隆はなんの躊躇いもなく扉を開いた。今日もまた、迷い星がやってきた。帽子を被った、少しだけ腰の曲がった老夫。「いらっしゃい」その声に、隆は帽子を取って軽く頭を下げた。「まだやっとるか」「ちょうど今から営業だったんだ。夜に焼くパンは人の心を温めるんでね」「妙なことを言うな」譲次の向かいに腰を下ろした隆は、ふと辺りを見回した。木の棚、年季の入ったカウンターには古いレジが置かれている。ここはパン屋のはずなのに、肝心のパンがどこにも見当たらない。「……パン屋という割には、パンがないじゃないか」隆がぽつりとこぼすと、譲次は笑った。「ここはほしのベーカリー。迷い星を導くパン屋さ。俺は店主の星野譲次。みんなからはジョージと呼ばれている。」「迷い星?何が言いたい」譲次はカウンターの椅子に腰掛けるよう促した。「今のあんたみたいに、自分がどこを向いてるかわからなくなったやつに“星”を渡してやるのさ。」譲次は、隆にコーヒーを差し出した。「わしはコーヒーなんぞ飲まん。紅茶はないのか。」隆の言葉に譲次は声をあげて笑った。「あんた、めんどくさい爺さんだな。ちょっと待ってな」譲次はそう言って、店の奥へと消えていった。隆は店内を見渡した。壁掛けのランプが、陽の光のように心地が良い。そのひかりが、“あの時間”“を思い出させる。隆の視界が少しだけにじむ。その時、譲次が戻ってきた。「お待ちどうさん」そう言って、隆の目の前に紅茶を置いた。立ち上る湯気に、過ぎ去った午後の景色を感じる。隆は黙って紅茶に口をつけた。ベルガモットの香りが鼻を抜ける。「……死んだ女房が、紅茶好きだったんだ。」隆の妻は、大のイギリス好きだった。毎日決まって午後3時になると、紅茶と一緒に小さな洋菓子を並べて、ティータイムを楽しんでいた
last updateLast Updated : 2025-07-27
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