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星のベーカリー
星のベーカリー
Author: ねこやしき

いつものメロンパン

last update Last Updated: 2025-07-27 21:56:44

夜更け、星明りに照らされたその街はみんな眠っている。

ただ一軒、甘い香りを漂わせるお店があった。

ほしのベーカリー、そこは人生に迷った人しか辿りつくことのできないパン屋。

なんでも、店主はその人の人生にあったものを焼いてくれるのだとか。

今日も夜の帳が降りた。街には、どこからか甘い香りが漂っている。

星明かりも届かないような路地裏に、小さなパン屋があった。

星のようなその灯りに、誉は吸い込まれるように扉を開いた。

小さな星がやってきたかのように、ドアベルが音を鳴らす。

年季の入った木の床とレンガの壁。

あたたかな光が、店内の隅々までじんわりと照らしている。

それがどこか懐かしくて、肩の力が抜けた。

ほんのり甘く、香ばしい香りで胸がいっぱいになる。

ふと、カウンターの中から渋い声が聞こえてきた。

「いらっしゃい」

誉は思わず足を止めた。

「すみません。もう閉店でしたか。」

「いいや。今から営業だ。」

「こんな遅い時間から?一体なんで?」

「ここに来るやつは、決まって何かを抱えてる。」

「はぁ…?」

「人生ってのは、星のない夜を歩いてるときに腹が減るもんだ。今のお前みたいにな。」

“星のない夜“ー今の誉の心の中を表現するのには、ぴったりな言葉だった。

「ほしのベーカリーへようこそ。俺は店主の譲次だ。みんな俺のことをジョージ、と呼んでいる。」

「ジョージさん。僕は誉です。」

「誉だな。さぁ、話してみろ。」

誉は、促されるようにカウンターの椅子に腰掛けた。

店内は、みんなが来る前のスタジオのように静かだ。

「…今日は最悪な日でした。」

譲次は誉の言葉に耳を傾けながら仕込みを始めた。

スタジオのドアが、音をたてて閉まる。

今日もまた、誉はバンドのメンバーと口論になっていた。

「売れなきゃ意味がない。これで飯食ってくんだろ?」

そんな言葉を、メンバーから何度も投げつけられた。

「誉がその考えを変えないなら、俺はここを抜けることも考えてるからな。」

その言葉に、誉は何も返すことができなかった。

仲間の気持ちを理解していないわけじゃない。

食べていくために音楽をやっている。それもまた真実の一つだ。

でも、誉は純粋に音を鳴らしたかった。

誰かの心に響くような音楽を、楽しみながら作りたかった。

お金や評価よりも、”心から良いと思える音楽”を届けたかった。

「……はぁぁ」

吐き出すようなため息が、口からこぼれる。

それが空に吸い込まれていくようで、誉の心をさらに虚しくさせた。

ふと、学生時代の仲間の言葉を思い出す。

「頑張れよ」

「俺たちは音楽を辞めるけど、お前ならやっていける」

その期待が、言葉が、今の誉に重くのしかかる。

心は重く沈むのに、背中には風が通るようだった。

相棒のギターがないことを、肌が覚えていた。

音楽を始めて、相棒と離れたことなど一度もなかった。

どんな時でも肌身離さず持ち歩いていたはずなのに。

忘れたわけじゃない。

今はただ、ただ離れていたかった。

誉が話している間、譲次は何も言わずに生地をこねていた。

それをぼうっと見ている誉に、譲次はそっとコーヒーを出した。

「ちょっと待ってな。」

譲次はそう言って店の奥へと消えていった。

誉はコーヒーを啜りながら、メンバーに言われたことを考えていた。

(やっぱり、みんないなくなっちゃうのかな)

そう思うと、寂しくて、悔しくて、涙が溢れそうだった。

ふと、懐かしい香りが鼻を掠めた。

「この匂い…」

誉の声が思わず漏れた。

焼きたての、甘くて香ばしい。でもそれだけじゃない。

この胸を掻き立てるような匂い。

譲次が焼きたてのパンを片手に戻ってきた。

まあるくて黄金に輝くメロンパン。

「これはあんたが今夜だけ持てる、小さな星だ。」

そう言って差し出されたパンを、誉は手に取った。

あたたかさが、手のひらから染み込んでくるみたいだ。

誉はその星を頬張った。

甘くて、懐かしくて、ひどく優しい味。

学生時代、ギターを背中に、仲間と食べたあのメロンパンの味。

練習が上手くいかなかった日も、お客さんに演奏を聞いてもらってたくさんの拍手をもらった日も、なんでもない日も。

いつもこの味があった。

「そのパンにはあんたの『音楽への想い』が詰まってる。」

譲次の言葉に、誉は言葉を詰まらせた。

「売れるとか売れないとか、正しいとか間違ってるとか、そんなもんに縛られてるうちに、本当に大事なもんが見えなくなっちまう。そういうやつが多い。」

譲次はそう言ってコーヒーを啜った。

「パンだって同じだ。売るために焼いてると、だんだん味が変わってくる。」

食べかけの小さな星を、ただ黙って見つめていた。

譲次の言葉が、誉の胸に静かに沈んでいく。

(売れるとか、どっちが正しいとか、僕も囚われてたのかもしれない。)

小さな星を握る手が、震えていることに気がついた。

「…売れなくてもいいんです。僕、そんなに器用じゃないし。」

誉は、未来を見据えるようにまっすぐ譲次を見た。

「でも、音楽の楽しさだけはみんなに伝えたい。その想いだけは曲げたくない。」

「…あんた自身の星、見つけられたみてぇだな。」

「明日、仲間に僕の気持ちをちゃんと話してみようと思います。もしそれで仲間が離れていったら寂しいけど…。」

「今の誉なら大丈夫さ。」

「ありがとう、ジョージさん。」

重たかった誉の心は、すっかり軽くなっていた。

「…星が灯ったな」

ここは“ほしのベーカリー“。そこは人生に迷った人しか辿りつくことのできないパン屋。

今日もまた、ここで星の明かりが灯った。

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