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仲直りのトースト

last update Huling Na-update: 2025-07-27 21:56:50

夜更け。空が泣いていた。

「ほんっと最悪」

朝から彼氏と喧嘩したさくらは、天気予報も見ずに家を出たせいでびしょ濡れになっていた。

(寒……。)

いつもの帰り道のはずだった。

でも、気づけば見覚えのない路地にいた。

星明りも届かない、少し寂しげな裏通り。

その時、ぽつんと光が見えた。

寂しさも寒さも吹き飛ばしてくれるような、暖かい光。

夕暮れの一番星のような優しい輝き。

そこに行ってみたくなった。

冷えた身体が自然とそちらへ向いていた。

なんとなく、行かなきゃいけないと思った。

迷い星は、光のほうへ流れ落ちた。

扉の向こうは想像どおり暖かい場所だった。

「いらっしゃい。」

譲次はびしょ濡れのさくらに、柔らかなタオルを差し出した。

「あ、ありがとうございます。」

さくらは戸惑いつつそれを受け取ると、濡れた身体を拭きながら店内を見渡した。

どこか喫茶店を彷彿とさせるような雰囲気。

天井のライトが星のようにきらめき、暗い夜を照らしているようだった。

ほのかにパンの香りがするのに、店内のどこにもパンが見当たらない。

「あの、ここってパン屋さん、で合ってます?」

さくらの問いに、譲次はふっと笑った。

「ここは迷い星がやってくるパン屋さ。俺は店主の星野譲次だ。みんなからジョージと呼ばれている。」

「迷い星……?なんですか、それ」

「いずれわかるときが来るさ。」

「はぁ……?」

その言葉に、さくらは肩の力が抜けた気がした。

「ここ、座ってもいいですか」

そう言って、カウンター席を指さした。

譲次は静かに頷くと、生地をこね始めた。

「ちょっとだけ、愚痴を聞いてください。」

さくらはそういうと、譲次の反応も見ずに話し始めた。

さくらには、喧嘩中の婚約者がいる。

最近は些細なことで喧嘩することが多かった。

ゴミ出しを忘れていただの、食器を洗っていないだの。

たいてい怒り出すのはさくらの方。

彼氏の仕事が忙しいことは理解はしている。

でも、心が追いついていないのだ。

自分も仕事をしているのに、なんで自分ばっかり。

そう考えてしまうさくら自身が嫌いだった。

「わかってるんです。彼が忙しいこと。でも私も自分に余裕が無いから怒ってしまう。」

さくらはコーヒーカップをぎゅっと握った。

「それが嫌で、さらにイライラしちゃって……。今後大丈夫かなって」

気づけば、さくらの目から涙がこぼれていた。

「誰しも、ずっと余裕があるわけじゃないさ。みんな自分のペースで生きてる。あんただってそうだろ?」

譲次の言葉に、さくらは鼻をすすって小さくうなずいた。

「……ところであんた、今日は朝ごはんは食べたのか?」

「食べてないですけど……。なんですか?いきなり」

「じゃあまずは腹を満たそう。もう晩ご飯の時間だが、まぁいいだろう。」

困惑した表情のさくらをよそに、譲次は何も言わずに店の奥へと消えていった。

このまま仲直りできず、婚約破棄をされてしまったらどうしよう。

そんな思いがさくらの頭を駆け巡っていた。

さくらも今年で32歳になる。

周りはみんなとっくのむかしに結婚して、子供がいる家庭も多い。

なのに自分は仕事、仕事、仕事。

別に労働が嫌なわけじゃない。むしろキャリアを積めることはいいこと、とさえ思っている。

でも、周りはみんな結婚していて、なんだか自分だけ置いて行かれた気分になっているのだ。

もちろん彼氏のことは大好きだし、周りが結婚してるからという理由で結婚したいと思っているわけでもない。

(人生って、難しいなぁ……)

そんなことを考えていると、さくらの目の前に一枚のトーストが置かれた。

思わず顔を上げる。

譲次がいつの間にか戻ってきていた。

「あんたの“星“さ。」

「私の……?」

「迷ったら立ち止まってみるといい。案外近くに”星”があったりするもんだ。」

さくらはじっとトーストを見つめた。

上に乗っかったバターが、じんわりと溶けていく。

そっと手を伸ばし、口に運ぶ。

バターの中に、メープルシロップの優しい甘さを感じる。

毎朝彼氏と食べる味。

今日は食べられなかった味。

さくらの目からまた、雫が溢れる。

「私、酷いこと言っちゃったかなぁ。嫌われちゃうのかなぁ。」

涙が、さくらの頬をつたう。

譲次は、さくらの空になったカップにコーヒーを注いだ。

「大丈夫さ。きっと彼氏さんも同じことを考えてるはずさ。」

「へ……?」

譲次は窓の外を指差した。

そこには、さくらの彼氏である海がいた。

「海?なんで……?」

「きっと彼氏さんも、迷い星だったのさ。似たもの同士なこった。」

そう言って、譲次は笑い声をあげた。

「いらっしゃい。」

ドアベルの音とともに、海が入ってきた。

「なんで、ここに……」

さくらの声は震えていた。

その言葉に、海は少し困ったように笑った。

「それが、気づいたらここに辿り着いててさ」

二人の間に気まずい沈黙が流れる。

それをかき消すかのように譲次が笑った。

「どうやら似た味が好きな二人みたいだな。」

そういい、海にもさくらと同じトーストを差し出した。

海は驚いた様子でトーストを見つめた。

「これ、いただいていいんですか」

その言葉に、譲次は黙って頷いた。

トーストを手にとり、一口かじる。

「……!これ、いつもさくらが作ってくれるやつだ。」

こわばっていた海の表情がゆるむ。

「いつもバター焦がしちゃうけど……。ジョージさんのはすごいね。」

そういってさくらもふっと笑った。

再び流れる沈黙。

でも、さっきよりも重たくなかった。

「ごめん」

先に謝罪の言葉が出たのは海の方だった。

「いつも仕事を言い訳に、ちゃんと向き合えてなかった。」

「……私も、同じだよ。」

さくらの声は少し、上ずっていた。

「またさ」

海が言った。

「明日も、さくらの朝ごはん食べたいな」

「……うん、もちろん。」

譲次は静かに二人の空になったカップにコーヒーを注いだ。

今日もまた二つ、星が灯った。

その星が、永くやさしく輝き続けられますように。

譲次はそっと祈った。

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