All Chapters of 人は移ろい、月は変わらず: Chapter 11 - Chapter 19

19 Chapters

第11話

電話を切った後、紬は丁寧に携帯電話を他の遺品と一緒に置いた。 時間を確認すると、葬儀社との約束までまだ少し余裕があった。 外来へ向かう途中、ちょうど心臓外科の入院病棟の前を通りかかる。 なぜか足が止まり、中へ入っていった。 白衣を着た紬を見て、静葉は少し驚いた。「どうして……」 口に出してすぐ、間違いに気付いた。 この体の元の持ち主は紬を知らないはずだ。 紬は優しく微笑んだ。「深水さん、今何かおっしゃいました?」 「いいえ」 静葉は首を振り、「午前中に検査は終わったはずですが、また先生が来るんですか?」と尋ねた。 周囲の深水家の人々も心配そうな表情を浮かべていた。 手術後の経過が良くないのではないかと心配しているようだ。 紬は慌てて首を振り、手のひらを揉みながら説明した。「私は……回復状況を見に来たんです。心臓を提供してくださった方が、私の患者さんでしたので。あなたが元気そうで、安心しました。彼女も……知ることができましたら、きっと喜ぶでしょう」 生前の静葉のことを思い出し、紬の目がまた赤くなった。 この言葉に、静葉が反応するより早く、佳梨の父と母が紬を椅子に座らせた。 熱心にお茶を淹れ、果物を勧める。 佳梨の母も提供者が若かったことを聞き、ため息をついた。「先生、提供者の方の情報を教えていただけませんか? そんなに若くして亡くなって、ご両親の負担は大丈夫でしょうか。佳梨の父とできればお礼がしたいのですが、お金やその他の面で、何かお手伝いできることがあれば力になりたい」 「彼女は……」 紬は静葉の事情を知っていた。俯きながら言った。「ご家族はいませんでした……ですから、お手伝いが必要な方もいないのです。それ以上は、病院の規定で申し上げられません。ご理解ください」 佳梨の母は鼻をすすった。「じゃあ、その子も大変でしたね……」 「ええ、本当です」 紬が立ち上がり、帰ろうとした時、静葉が声をかけた。 「先生、提供者の遺体はもう引き取られたんですか?」 「まだです」 紬は唇を舐めながら首を振った。「でも、彼女自身が生前にすべて手配していました。葬儀社の方がすぐ来ますので、これからお見送りに行きます」 その言葉に、静葉の
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第12話

遠く離れていた静葉には、紬の言葉は聞こえなかった。 だが、修司が一瞬で青ざめた顔を見れば、おおよその内容は想像がつく。 これが初めてだった、修司が狼狽する姿を見るのは。 しかし、胸に湧き上がるのは快感ではなく、ただ滑稽さだけ。 あの日、本宅で彼が他の女と絡み合う姿をこの目で見た。 妊娠検査表にも偽りの痕跡はなかった。 それなのに、今更どうして彼女じゃなきゃダメみたいな態度を取るの?もう、「静葉」は何も見えないのだから。 顔を背け、修司の反応を見るのをやめた途端、ぽろりと涙が落ちた。 「佳梨、どうして泣いてるの?」 静葉は慌てて涙を拭い、目の前の優しく美しい母親を見上げて軽く首を振った。「大丈夫、ただ……本当に幸せだなって」 もう一度生きるチャンスを得たこと。 自分自身のために。 そして佳梨のために。 ある意味、彼女は佳梨を羨ましく思っていた。 目を覚ましてから今まで、人生で初めて、家族から注がれる細やかな愛情とはどんなものかを知った。 両親も、祖父母も、皆が彼女を中心に回っている。 まるで他人の幸せな人生を盗んだ泥棒のようだ。 葬儀場へ向かう車中、修司はハンドルを握る手に力を込めすぎ、指の関節が白くなっていた。 震える唇は、内心の動揺を隠せていない。 病院を出る時、紬に何と言っただろう。 あり得ない。 静葉が死ぬはずがない、信じられない、と。 そう、こんなはずがない。 なのに、なぜか全身が震えていた。 恐怖で。 心底からあり得ないと確信していたはずなのに。 葬儀場に行けば、静葉の遺体など見つからず、 全てが悪戯だと証明できると信じていた。 ただ、最近静葉を疎かにしすぎたから、彼女なりの罰を与えているだけだと。 静葉という人間は、 一見穏やかそうに見えて、実は気性の激しいところがあった。 子供の頃からそうだ。 出身を嘲笑った同級生には、その後一言も口を利かなくなった。 会えば黙って道を変えて通り過ぎるだけ。 弁明もせず、静かに線を引くのだ。 考えれば考えるほど、 静葉はただ拗ねているだけに思えてきた。 だが、そんな慰めは全て、葬儀場に到着し、まだ温
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第13話

ドカン。一つ一つの文字が、爆弾のように修司の脳裏で炸裂した。まるで誰かが刃物で、血と肉ごと心臓をえぐり取るようだった。押し寄せる痛みが彼の全身を飲み込んだ。胸を強く押さえつけ、苦しみを和らげようとしたが、震える唇からは声さえ出せなかった。耳元で誰かがべらべらと喋っているのが聞こえる。けれど、まったく頭に入らない。「臓器提供」と「癌」という言葉だけが、頭の中をぐるぐる回っていた。彼は知らなかった……もしこれが本当なら、静はどれほど絶望していただろうか。あれほど痛がりだったのに。風邪の注射でさえ、看護師に打たせる時は必ず彼の胸に顔を埋めていたというのに。どうやって葬儀場を出たのか。どうやって家に帰り着いたのかも覚えていない。静葉の気配が残る家に戻って、ようやく息をつくことができた。少しずつ思考が戻ってくる。田中さんが歩み寄り、黒い布に包まれた四角い箱を抱える彼を見て、いつものように手を伸ばした。「何ですか、私が片付けましょうか」そしてふと気づいたように聞いた。「ところで、静葉さんを探しに行ったんでしょう?静葉さんは?」「静か……」修司は手放すどころか、さらに強く抱きしめた。骨壺を見つめる目は優しすぎて、ほとんど病的に見える。「ここにいる。連れて帰ったんだ」「え?」田中さんは理解できず、手を引っ込める際にうっかり黒い布をはらってしまった。骨壺にはっきりと刻まれた四文字「桐原静葉」。田中さんは驚いて数歩後ずさり、声を震わせた。「静、静葉さんが……?」結婚後から田中さんが世話をしてきた。彼女にとって静葉はこれ以上ないほど世話の楽な人だった。わがままも言わず、怒ることもほとんどない。むしろ田中さんを使用人ではなく目上の人として接してくれた。自然と、田中さんも彼女を家族のように可愛がるようになっていた。突然の死の知らせに、受け入れられないのは当然だった。「そうだ。田中さんも信じられないでしょ」修司の目は真っ赤に充血していた。「癌の末期だったそうだ。でも……僕には一言も言わなかった。一言も。それに、臓器まで提供したんだって。田中さん……30にもならない女の子が、何で臓器なんか提供しなきゃいけないんだ……最後の顔も見せてくれなかった。田中さん、彼女は僕をどれだけ
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第14話

数日間、修司はどこにも出かけなかった。 酒瓶を抱え、かつて静葉と共に過ごした寝室に籠り、一歩も離れようとしない。 タバコと酒の匂いが混ざり合い、むっとするような空気が漂っている。 床に投げ捨てられた携帯電話が鳴り続けていたが、彼はすでに絨毯の上で酔い潰れていた。 意識はない。 田中さんがドアをノックして入ってきて、何度も呼びかけてようやく、彼は酔い覚ましの目でぼそりと呟いた。 「構うな……静が帰ってきたら呼んでくれ……」 「修司さん、奥様からお電話です」 田中さんは彼の酔い潰れた姿を見て、ため息をついた。「奥様は、今日中に必ず折り返し電話するように、とおっしゃっています。修司さん、私はあなたが子供の頃から見てきました。静葉さんとも数年一緒に過ごしました。私が知る限り、彼女はあなたがこんな姿を見るのを望んではいないでしょう」 静葉。 その名前だけが、彼に一瞬の正気をもたらした。 しばらくして、彼は起き上がり、床に落ちていた携帯を拾い上げ、電話をかけた。 「気は確か?!会社にも行かず、鈴のことも放っておいて、何をしているの?」 修司の母の叱責が浴びせられるが、修司は笑った。「母さん、嬉しいか?」 「何が嬉しいの?それより、会社と子供、どちらも要らないっての?」 「要らない」 修司は言い切った。「僕は何も要らない」 「何を言ってるの?正気なの?桐原がまた何か言い聞かせたの?」 「母さん」 彼は顔を拭った。「静は何も言い聞かせたりしていない。 ただ……僕を捨てただけだ」 「捨てた?」 修司の母は聞き捨てならない笑い声を上げた。「あの女がまた何か企んで……」 「黙れ」 修司の表情は恐ろしいほど険しかった。「これ以上彼女のことを悪く言うなら、たとえ母さんでも許さない」 「結城修司」 修司の母は激怒した。「何に取りつかれたの?まさか桐原が死んだとか言うの?」 電話の向こうは沈黙だけだった。 ふと悪寒が走り、修司の母は答えを待たずに電話を切り、すぐに別の電話をかけた。 すぐに、確かな返事が返ってきた。修司の母は呆然とした。 傍らで、鈴は異変に気づき、優しく尋ねた。「お母さん、どうした?何かあったの?」
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第15話

修司が遠ざかるのを見届けてから、静葉の張り詰めていた体はようやく緩んだ。再会する日が来るとは思っていた。ただ、こんなに早くその時が来るとは思っていなかった。車椅子を押して日向ぼっこに連れ出してくれた佳梨の母が少し疑わしげに尋ねた。「佳梨、あの方と知り合いなの?」静葉は思考を切り上げ、できるだけ平静を装って答えた。「いいえ」もう修司とは関わりたくない。佳梨の母は修司の去った方向を見やり、首を振った。「あれは結城氏グループの社長よ。普段はお父さんがお付き合いしている方。ただ、可哀想に、ニュースで見たけど、奥様が病気で亡くしたそうだ」静葉はぎくりとした。「ニュースに?」「ええ」佳梨の母はため息をつき、エレベーターへと車椅子を進めた。「奥様をとても愛していたらしいわ。仲も良かったとか。さっきの放心状態も納得ね」静葉は目を伏せたまま、しばらく黙っていた。階下に着き、冬の日差しを感じてようやく静かに口を開いた。「お母さん、噂話は真に受けちゃだめよ」たとえ自ら経験した愛情でさえ、真実とは限らないのだから。黒のマイバッハが駐車場で待っていた。修司は後部座席に腰を下ろし、紬から渡された袋を慎重に開いた。中には静葉が日常的に携帯していた品々が入っている。最も目を引くのは、血痕のついた携帯電話だった。紬の吐血して倒れたという言葉を思い出し、胸が締め付けられるような痛みに襲われた。乾いた血痕を拭うこともせず、宝物のように両手で抱え、電源を入れた。彼らの恋愛記念日をパスワードとして入力した。エラー表示。彼は呆然とした。静葉がいつパスワードを変更したのか、知りすらしない。静葉の誕生日、自分の誕生日、結婚記念日、いくつ試してもダメだった。最後に、ほとんど期待せずに初めて告白した日付を入力すると。ロックが解除された。起動すると、多数の未読メッセージが届いていた。その中で最も多いのは、鈴からだった。【返事もできないの?『結城夫人』の座にしがみついてるだけじゃない】【修司はもうあんたに飽きてるの!欲望を私にしかぶつけられないことからもわかるでしょ?】……【昨晩私たちが何回したか知ってる?4回よ。私が妊娠中だからって断らない限り、朝まで続けてたわ】【これが修司の愛の証拠よ】使用
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第16話

修司はぞっとするような笑みを浮かべた。「ああ、忘れるところだった。お前はこの子を盾に、こんなにも好き放題やってきたんだな?静葉の物に手を出すなんて、お前ごときが触れていいものか。子供を産めば立場が上がるとでも思ったのか?」「この親不孝者め」階下から物音を聞きつけた駆け上がってきた修司の母は、この光景を見るなり、すぐさま鈴の肩を支え、怒鳴った。「何てことを言うんだい!死人の物に触れるな?鈴はだめで、私ならいいだろう?私が片付けたんだ、さあ、言ってみな、あんたは桐原のために、この母親まで殺すつもりかい」修司の母が来たことで、鈴は再び勇気を取り戻した。目を赤くして怯えた声で言い訳した。「修司、静葉さんが急に亡くなって、あなたが悲しんでるのはわかるけど……私はただあなたのために、見てつらくならないように、片付けようとしただけなの」修司は上から彼女を見下ろし、まるで死人を見るような目を向けた。「では、これは何だ?医者によれば、静は激しい精神的ショックで急死したという」そう言って、静葉の携帯を開き、鈴に突きつけた。鈴はチャット画面を見た瞬間、全身が硬直した。細かく確認するまでもない。中身が分かってしまう。自分が静葉に何を送ったのか、彼女ははっきりと覚えている。鈴は呆然と顔を上げ、修司の目に宿る殺気とぶつかった途端、恐怖のあまり数歩後ずさった。違う……違うんだ。ただ結城夫人の座が欲しかっただけ。人殺しのつもりなんて……静葉の性格は分かっていた。一度裏切れば、もう二度と戻らないはず。せいぜい離婚して去るだけだと思っていた。まさか、こんなことになるなんて……まさか、本当に死ぬなんて……それに、あのメッセージが最後には修司の手に渡るなんて……「何を見せたの?また鈴を脅かして」修司の母は内容を確認する前に、修司はさっとスマホを引き戻した。「母さん」修司の声は冷え切っていた。「怖がってるんじゃない。後ろめたいんだ」「修司」鈴は根っから修司を恐れていた。今はなおさらだ。それでも他に道はない。彼の手をぎゅっと掴み、震える声で縋りつく。「ごめんなさい……静葉さんを刺激するなんて思わなかった。私が悪かった……お腹の子供のためにも許して……修司……お願いだから、子供を怖がらせないで……」涙が頬
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第17話

修司の最後の言葉が家中に響き渡ると、針の落ちる音さえ聞こえるほどの静けさが訪れた。鈴の全身の血液は凍りついたようになる。修司の母は信じられないという表情を浮かべ、やがて怒りが込み上げてきた。「自分が何を言っているのか分かっているの?」「母さん、僕は間違っていたと思う」修司はゆっくりと目を伏せた。「こんなことで結婚生活を裏切るべきじゃなかった。今、この子の存在はただ、僕が静葉を裏切ったことを常に思い出させるだけだ。母さん……」胸が締め付けられるような苦しさを感じながら、彼は続けた。「僕たちは皆間違っていた。実は、静葉が僕を必要としていたわけじゃない。僕の方が、彼女を必要としていたんだ」修司の母は呆然とした。静葉の死が修司に影響を与えることは予想していたが、ここまで狂うとは思わなかった。深く息を吸い、修司の母は鈴の前に立った。「ここまで来て、あなたが何をしようと反対はしない。だが、この子だけは残さなきゃいけない」「それは母さんが決めることじゃない」修司の声には疑う余地がなかった。手を上げると、既にドアの外で待機していた護衛たちが入室し、修司の母の反対と鈴の抵抗を無視して彼女を連れ去った。鈴の泣き叫ぶ声に、修司の母は胸が痛んだ。「鈴をどこに連れて行くの?結城修司!私の言うことさえ聞かなくなったの?」鈴が車に押し込まれ、家は再び静けさを取り戻した。修司はクローゼットに入り、鈴が落としたハンガーを一つ一つ拾い上げた。動作はゆっくりだったが、表情は暗かった。「中絶させるだけだ。命まで取るわけじゃない」一言一言に感情のかけらもなかった。ビジネスでは手段を選ばず果断な彼だが、静葉に関してだけは常に優しかった。修司の母はそんな息子を見て、後悔の念が湧き上がるのを感じた。もし静葉が生きていれば……少なくとも彼は自制するだろうに。「桐原が死んだからって、家族まで捨てる気?」修司は淡々と答えた。「そんなことはない。静はいつも、母さんや父さん、おばあさんが本当に僕のことを思ってくれていると言っていました。だから、君たちが彼女にどう接していようと、祝日には必ず顔を出す。以前も、これからも変わらない。ただし、母さん。今回は君も関与していた。今後はこの家に来ないで。でないと、静が帰ってきた時
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第18話

彼女は航平を見て、「いつから、私が人の噂話を聞くかどうかまで気にする暇ができたの?」 「……まあいい」 航平は笑った。「口の悪さだけは、あの女と互角だな」 彼女は一瞬ぎょっとした。「……どういう意味?」 「別に」 航平は窓越しに庭を見ながら、ふと口を開いた。「君とは気が合わないが、それでも君が生きてるのは悪くないと思う。 少なくとも、深水叔父さんや叔母さんは、君が病気だった頃のように、毎日涙に暮れずに済む。深水、人間が生きるのは、時に精神的な支えのためなんだ」 ちょうどその時、佳梨の母が階下に降りてきて、航平の姿を見つけると笑顔になった。「あら、航平が来ているのね。何の話をしていたの?精神的な支えって?」 「何でもない、お母さん」 静葉は笑いながら近寄り、母の腕を抱いた。「ただ、彼と言い争いしてただけ」 航平の言葉は、彼女には理解できた。 もしかしたら、全ては運命通りなのかもしれない。 彼女がすべきことは、佳梨として生きた今、この娘の役割をしっかり果たすことだ。 正月の数日間、深水家は格別に賑やかだった。 家族全員が和気藹々とし、年の瀬の雰囲気が家中に満ちていた。静葉の記憶に刻まれた正月とは、全く異なる光景だった。 修司と付き合う前、毎年の正月は、彼女はあの古びた家で一人きりだった。 静寂に包まれ、外の賑わいとはまるで別世界のようだった。 結婚してからは、なおさら言うまでもない。 節目ごとには、火花の散らない戦争のようだった。結城家の本宅に行くたび、陰口や当てこすりが彼女の耳に飛び込んできた。 「佳梨?」 ふと母に呼ばれ、目の前にチェリーの盛られた皿を置かれた。「おじいちゃんとおばあちゃんがお年玉をくださるわよ。早く新年のご挨拶を」 「あ、はい」 静葉は我に返り、周囲の賑やかな空気を感じながら、にこやかに祖父母に新年の挨拶をした。 分厚いポチ袋を四つも受け取った。 静葉は少し意外に思った。「おばあちゃん、どうして四つも?」 去年は祖父母それぞれ一つずつだった。 祖母は穏やかな笑みを浮かべ、子供をあやすように言った。「年が明けたら、お父さんがそろそろ会社を引き継がせるつもりでしょ?余分の二つは、佳梨の栄養
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第19話

深水家の祖父の八十歳の誕生日の日。 家業を引き継いでから忙しくて目が回るような日々を送っていた静葉だったが、この日ばかりは会社を休んだ。 早起きした彼女は、入念に選んだプレゼントを手に階段を降り、祖父に祝いの言葉を述べた。 「佳梨、これが今日の来賓リストだ。目を通しておいて。後で一緒に挨拶回りをするから」 佳梨の父が書類を手渡す。 「はい」 笑顔で受け取った静葉だったが、リストを開いた途端、その笑みは固まった。結城修司。 懐かしくも、そして遠い名前。 懐かしいのは、深水家と結城家が今も取引先であるため、彼の名前を耳にすることが多かったから。 遠いのは、結城家との交渉が必要な場面はすべて副社長に任せきりにしていたからだ。 彼と最後に会ってから、もうすぐ三年になろうとしていた。 「佳梨、もし彼が嫌なら会わなくてもいいのよ」覗き込んだ佳梨の母が囁く。 「大丈夫、お母さん。ただちょっと驚いて。結城家は北市でしょ?わざわざ景市までおじいちゃんの誕生日に来てくれるなんて、ありがたいね」 彼女はもう吹っ切れていた。いや、とうに吹っ切れていた。ただ、少し準備ができていなかっただけだ。 「景市の支社視察と重なったらしい」 佳梨の父が付け加える。 静葉はうなずき、何事もなかったように他の来賓名を見た。 家業を継いでから関わりのある人々が並んでいる。 父と一緒に挨拶すれば、より関係を深められるだろう。 しかし、どれだけ心の準備をしていたとしても。夜の宴で修司が目の前に現れた時、彼女の心はやはり揺らいだ。 まるで時間がねじれたような感覚。意外なことに、修司は一人で現れ、あの妹を連れてはいなかった。 修司が佳梨の祖父に祝辞を述べた後、佳梨の父と話している。静葉は淡々と傍らで立ち、航平への返信をしていた。 神崎家の重要なプロジェクトが海外にあり、彼は数日前から出張中だ。 本来なら今朝には景市に到着する予定だった。フライトが遅れた上にラッシュアワーに巻き込まれ、まだ路上で足止めを食らっているらしい。 家族にまず詫びを入れてほしいとメッセージが来ていた。 最後のメッセージから30分経っている。静葉は祖父に伝えようと歩き出
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