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第12話

Auteur: 時慢
遠く離れていた静葉には、紬の言葉は聞こえなかった。

だが、修司が一瞬で青ざめた顔を見れば、おおよその内容は想像がつく。

これが初めてだった、修司が狼狽する姿を見るのは。

しかし、胸に湧き上がるのは快感ではなく、ただ滑稽さだけ。

あの日、本宅で彼が他の女と絡み合う姿をこの目で見た。

妊娠検査表にも偽りの痕跡はなかった。

それなのに、今更どうして彼女じゃなきゃダメみたいな態度を取るの?

もう、「静葉」は何も見えないのだから。

顔を背け、修司の反応を見るのをやめた途端、ぽろりと涙が落ちた。

「佳梨、どうして泣いてるの?」

静葉は慌てて涙を拭い、目の前の優しく美しい母親を見上げて軽く首を振った。「大丈夫、ただ……本当に幸せだなって」

もう一度生きるチャンスを得たこと。

自分自身のために。

そして佳梨のために。

ある意味、彼女は佳梨を羨ましく思っていた。

目を覚ましてから今まで、人生で初めて、家族から注がれる細やかな愛情とはどんなものかを知った。

両親も、祖父母も、皆が彼女を中心に回っている。

まるで他人の幸せな人生を盗んだ泥棒のようだ。

葬儀場へ向かう車中、修司はハンドルを握る手に力を込めすぎ、指の関節が白くなっていた。

震える唇は、内心の動揺を隠せていない。

病院を出る時、紬に何と言っただろう。

あり得ない。

静葉が死ぬはずがない、信じられない、と。

そう、こんなはずがない。

なのに、なぜか全身が震えていた。

恐怖で。

心底からあり得ないと確信していたはずなのに。

葬儀場に行けば、静葉の遺体など見つからず、

全てが悪戯だと証明できると信じていた。

ただ、最近静葉を疎かにしすぎたから、彼女なりの罰を与えているだけだと。

静葉という人間は、

一見穏やかそうに見えて、実は気性の激しいところがあった。

子供の頃からそうだ。

出身を嘲笑った同級生には、その後一言も口を利かなくなった。

会えば黙って道を変えて通り過ぎるだけ。

弁明もせず、静かに線を引くのだ。

考えれば考えるほど、

静葉はただ拗ねているだけに思えてきた。

だが、そんな慰めは全て、葬儀場に到着し、まだ温
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