All Chapters of 魔力ゼロの無能令嬢は、竜王の長い孤独を溶かして溺愛される: Chapter 11 - Chapter 20

21 Chapters

11:水鏡に映る堕落

 ヴァルフレイドとの穏やかな日々は、夢のように過ぎていった。 宮殿の庭園は陽光に満ち、見たこともない植物が季節ごとに美しい花を咲かせる。私はその花々をスケッチするのが新しい日課になっていた。 生まれて初めて感じる、満ち足りた安らぎ。けれど私の心の奥底から、学者としての探求心が消えることはなかった。 その日も私は、白い花の繊細な花弁を羊皮紙に写し取っていたが、ふとペンを止めた。隣でその様子を眺めていたヴァルフレイドに、問いかける。「ヴァルフレイド。ここから、外の世界の様子を知る方法はあるかしら? 私が去った後のフラグラーレ王国がどうなっているのか、歴史の観察対象として、少し興味があるの」(ここにいれば私は安全で、幸福だわ。でも、だからこそ知っておきたい。私が捨てた世界、ゲームの舞台だったあの国は今、どんな物語を紡いでいるのかしら。イグニスとミリアは試練に目覚めて、英雄への道を歩み始めている? それとも……) 私の瞳に復讐や未練の色がないことを確認した彼は、優しく微笑んだ。「造作もないことだ。お前が望むなら見せてやろう。だが、覚悟はしておけ。人間の世界の真実は、美しいものなど滅多にないからな」◇ 彼に案内されて向かったのは、宮殿の最上階にある観測のためだけの一室だった。 部屋には窓がない。その代わりに天井が夜空のように深い色で、本物のような星々の光が瞬いている。 中央には黒曜石をくり抜いた巨大な水盤があり、夜の湖面のような静かな水が張られていた。「竜の水鏡だ。世界のあらゆる真実を映し出す」 ヴァルフレイドが水面に指で触れる。穏やかな波紋が広がり、水面がスクリーンのように輝き始めた。「さあ、見るといい。お前が去った後の王国の姿を」 最初に映ったのは、ひび割れた大地が広がる農村だった。子供は飢えで泣きじゃくり、大人たちは力なく空を見上げている。その絶望的な光景に、私は胸を締め付けられた。 場面が切り替わる。 今度はきらびやかな王宮の宴会場。そこではイグニスが脂の乗った肉塊に齧りつき、ミリアは一
last updateLast Updated : 2025-09-08
Read more

12:試練なき英雄

 水鏡に映し出された侵略の始まりを、私は言葉もなく見つめていた。観測室に重い沈黙が流れる。やがてヴァルフレイドが、まるで芝居の終わりを告げるかのように口を開いた。「これが、お前が捨てた世界の結末だ。驚きは無いな」「いいえ、驚いています」 私はゆっくりと首を振った。「……彼らが、私の知る物語とあまりにも違いすぎることに」 私の表情に悲しみはない。ただ分析者としての色が浮かんでいるのを、ヴァルフレイドは見逃さなかったようだった。(侵略。飢饉。民の不満。ゲームのイグニスとミリアも、同じような苦境に立たされたはず。でも彼らはそれを乗り越え、英雄になった。目の前で起きていることと、私の知る物語とでは、何が違うのかしら? 決定的な変化の原因は、一体……?)◇ 自室に戻った私は、一人で思考を巡らせていた。 羊皮紙に前世で知るゲームのシナリオと、水鏡で見た現実の出来事を並べて書き出していく。 比較して分析し、仮説を立てる。それは学者だった頃の私の癖だった。 まず私自身のこと。 ゲームの『ロザリア』は、ただ妹への嫉妬と憎しみに狂った愚かな女だった。自らを生贄に、世界を滅ぼそうとするほどの。 でも今の私は違う。(ならば、彼らも同じこと) その思考は、自然とイグニスとミリアへと及んだ。 ゲームのイグニスとミリアは、当初は確かに未熟だったけれど、ここまで愚かでも横暴でもなかった。民を見捨てるような人間では、決してなかったはずだ。 その上で彼らは幾多の困難に立ち向かった。その中で他者の痛みを学び、為政者として人として成長していったのだ。 私はペンを置き、たどり着いた結論にそっと息を吐いた。 窓の外では、ヴァルフレイドが穏やかな表情で庭園を散策している。 あの存在こそが、最大の変数。(そうか……。彼らを英雄へと変えた最も大きな原因は、国を滅ぼすほどの『最後の試練』。……ゲームにお
last updateLast Updated : 2025-09-09
Read more

13:崩壊の序曲

 水鏡の中では、フラグラーレ王国が誇る魔法兵団が、まさに崩壊しようとしていた。 彼らの手から放たれた炎や氷の魔法は、敵に届く前に勢いを失って霧散していく。王国の最大の盾であった魔法が、今や何の役にも立たない。「当然の結果だ」 隣で見ていたヴァルフレイドが、静かに告げる。「俺が目覚めたことで、この世界の地脈……魔力の流れそのものが、根底から変わり始めている」 私が驚いて彼を見ると、竜王は続けた。「かつてこの国の魔法は、お前たちの言う『情念』……欲望や憎悪を糧にして力を増幅させる、濁ったものだった。だが、俺という存在が世界の魔力を本来の純粋な形へと回帰させている。濁りに慣れきった者たちが、清浄な力を扱えるはずもない」「地脈の変化! あなたの覚醒が、この世界の法則そのものを書き換えているというの!?」「ああ、そうだ。ただ目覚めただけでは、こうならなかったはずだった。お前の存在が俺に希望を与えて、本来の力を振るえるようにしてくれたのだ、ロザリア」 ヴァルフレイドは微笑んで、私の髪に触れる。 愛情あふれる仕草は、水鏡の中の惨状と奇妙な対比をなしているようで、私は戸惑った。(つまり彼らが誇っていた魔法とは、ヴァルフレイドの言う『汚染』そのものだった。そして今、世界が浄化される過程で、彼らはその力を失っている……なんて皮肉な話なのかしら) 王国の誇りは砂上の楼閣だったのだ。脆い土台の上に築かれた力は、こうも容易く崩れ去る。◇ その頃、フラグラーレ王国の王宮は重苦しい空気に満ちていた。玉座の間で、イグニスとミリアが苛立ちながら前線からの報告を待っている。 そこへ、息も絶え絶えの伝令兵が転がり込んできた。「申し上げます! 東部戦線は……壊滅いたしました! 我が軍の魔法が、何者かに封じられたかのように、発動せず……!」 イグニスは玉座から立ち上がり、手にしていたワインのゴブレットを床に叩
last updateLast Updated : 2025-09-10
Read more

14:愚かな命令

 楽園での穏やかな日々に、招かれざる使者が訪れた。「ロザリア」 私の書斎を訪れたヴァルフレイドは、一通の書簡を手にしている。王家の紋章が押されたものだった。「お前の古巣から、ネズミがこれを届けてきた。追い払っておいたがな」 不機嫌と侮蔑が滲む声だった。 私は書簡を受け取り、目を通した。内容は、私の追放を赦し王国の危機を救うために王宮へ出頭せよという、どこまでも傲慢な命令だった。(出頭命令ですって? 私が竜王と一緒にいると知ったのかしら。それで私がまだ自分に恋焦がれているとでも、本気で思い込んでいるとか? ありえるわね、あの傲慢な王子なら)「私、行くわ」 私の言葉に、ヴァルフレイドの金色の瞳が険しくなる。「駄目だ。あんな虫けらどもの巣窟に、お前をやるわけにはいかない」 彼はいつも私のやりたいようにさせてくれていた。ところが今回ばかりは、強い口調で引き止めてくる。 私が危険にさらされるのを心配している……というよりは、かつての『婚約者』と再び顔を合わせるのが気に入らないようだ。美しい眉をひそめて、不機嫌そうにしている。 私は左手の星屑の指輪を触った。彼に嵌めてもらって以来、この指輪は常に私とともにある。「これは彼のためではないわ。第一に、水鏡で見た民のため。そして第二に……これが最後の検証だからよ」 ヴァルフレイドは指輪に彼の手を重ねながら、私の言葉を聞いている。「ゲームの物語では、最大の危機が彼らを英雄にした。この現実でも、その可能性が完全にゼロなのか……それを、この目で見届けなければ、私の探求は終わらないの」 私の学者としての決意を理解したのか、ヴァルフレイドは苦々しい表情で承諾した。だが、彼は低い声で付け加える。「いいだろう。だが覚えておけ。あの愚か者がお前の髪一本でも傷つけようものなら、俺はあの国を灰にする」◇ ヴァルフレイドの転移魔法で王都の郊外まで送られた私は、自らの足で荒廃した市街
last updateLast Updated : 2025-09-11
Read more

15:竜王の介入

「な、何者だ、貴様は!」 イグニスは恐怖に顔を引きつらせ、掴まれた腕を振りほどこうともがいた。しかしヴァルフレイドの指はびくともしない。「貴様が、誰に手を上げようとしたか、理解していないのか?」 ヴァルフレイドの声は凪いでいた。だがその金色の瞳には、虫けらを見るような底なしの冷たい光が浮かんでいる。 ぞっとするような冷たさに、イグニスは顔を真っ青にさせた。 ヴァルフレイドはイグニスの腕を軽く払いのける。それだけの動きでイグニスは無様に床に尻餅をつき、掴まれていた手首を押さえて呻いた。 ヴァルフレイドは声を荒げるでもなく、竜王としての力を過剰に振るっているわけでもない。 けれど見る者の心を凍えさせるような迫力があった。イグニスの幼稚な癇癪などとは、比べるだけ恥ずかしくなる。 衛兵や側近たちの誰もが動けない中、ふと、一つの人影が玉座の壇上から降りてきた。 ミリアだった。 妹はうっとりした表情でヴァルフレイドを見上げている。「なんて美しい方……」 恐怖よりも先に、彼の神のような美貌に心を奪われたらしい。 ミリアはわざとらしいほど可憐な仕草で一歩前に出ると、スカートの裾を軽く持ち上げてお辞儀をしてみせた。「素敵なお方!  わたくしはミリアと申しますの。ご覧の通り、この国で最も強い魔力を持つ女ですわ。あんな出来損ないのお姉様ではなく、わたくしこそが、あなたの隣に立つにふさわしいと思いませんこと?」 自信に満ちた甘い声。 ミリアは今まで、この声と姿で全てを手に入れてきたのだろう。 両親の愛、イグニスの寵愛。私の得られなかったものをたくさん、彼女は手にしてきた。 ヴァルフレイドは、美しい彫像のように表情を変えないまま、その視線をミリアへと移した。金色の瞳に浮かんだのは、冷え切った嫌悪。 彼はたった一言だけ、吐き捨てるように言った。「――汚らわしい」 ミリアの自信に満ちた笑みが凍り付く。 たぶんあの子は、あんなふうに拒絶された経験がなかっ
last updateLast Updated : 2025-09-12
Read more

16:王子の転落

 ヴァルフレイドとロザリアが玉座の間から去った後、周囲には重い沈黙だけが残された。 イグニスは侮辱と恐怖に震えながら、まだ己の権威が通用すると信じて叫ぶ。「何をしている! 追え! あの者たちを捕らえろ。これは命令だ!」 彼の甲高い声が虚しく響く。玉座の間にいる衛兵も側近も、誰一人として動こうとはしなかった。 彼らはただ、恐怖と軽蔑が入り混じった目で、無様に叫ぶ王子と床で泣きじゃくるミリアを見つめているだけだった。 王家の重臣の一人が、冷ややかに告げる。「殿下。我々には、もはや殿下にお従いする理由はございません」 イグニスの権威が終わったことを示す言葉だった。◇「玉座の間で、赤髪の神人が王子を屈服させた」 その噂は、瞬く間に荒廃した王都を駆け巡った。 それは飢えと重税に喘いでいた民衆にとって、為政者への最後の信頼を打ち砕き、燻っていた不満を燃え上がらせるための燃料となった。 絶望が怒りへと変わっていく中、元宮廷学者であった賢人エイベルが、広場で人々を諭し始める。「我らを飢えさせているのは、天災ではない。王宮の食糧庫を満たしたまま、己の贅沢と欲望とを優先する人災だ」 エイベルの誠実な言葉は、多くの人々の心を捉えていった。 やがて民衆のうねりは一つの流れとなる。 賢人エイベルに導かれた飢えた人々が、王宮の食糧庫へと行進を始めたのだ。最初は数十人だった群衆は、道中で数百、数千人と膨れ上がっていく。 食糧庫を守る兵士たちは、目の前にいるのが自分たちの家族や隣人であると気づき、武器を構えることを躊躇った。 エイベルは兵士たちに語りかける。「君たちの剣は、民を守るためにあるはずだ。腐敗した穀物を守るためにではない」 その言葉に、兵士の一人が槍を捨てた。「ああ、そうだ。俺は国を――いいや、町のみんなを守りたくて兵士になった! 王子の贅沢のためじゃない!」 それをきっかけに兵士たちは次々と道を開けて、民衆は歓声を上げて食糧庫の扉を打ち破った。 
last updateLast Updated : 2025-09-13
Read more

17:最後の望み

 王宮は内外の敵に包囲され、炎に沈みつつあった。 イグニスとミリアは、見捨てられた玉座の間に孤立していた。窓の外では、かつて自分たちのものだった王都が赤く燃え盛り、地を揺るがす鬨の声が絶え間なく響いてくる。「なぜだ……なぜこうなる。我が王都が……! 民も、兵士も、役立たずばかりだ!」 イグニスは爪を噛み、忌々しげに呟く。 床に座り込んだミリアは、虚ろな目で燃える夜景を見つめていた。「ひどいわ……こんなはずじゃなかった。あたしがイグニス様の隣にいれば、国はもっと豊かになるはずだったのに! すべて、あの女のせいよ!」 彼らは、自分たちの悪政がこの事態を招いたという現実を直視できなかった。すべての原因をロザリアという都合の良い存在になすりつけることで、かろうじて砕け散りそうなプライドを保っている。 その時、近くの塔が崩れる轟音と共に、玉座の間の窓ガラスが砕け散った。炎の熱風が、火の粉を伴って室内に吹き込む。「いやぁっ!」 地脈が変質し魔法が使えなくなった以上、ミリアの豊富な魔力もイグニスの強力な魔法も既に意味をなさない。 二人は身を守ることもできずに、崩れ行く玉座の間で右往左往している。「お姉様さえいなければ! あの女が竜王を独り占めしていなければ、あたしの魔力でヴァッサー王国なんて簡単に追い払えたはずよ!」 ミリアの身勝手な叫びが、イグニスの心に火をつけた。彼は敗北を認める代わりに、まだ逆転の目があるという妄想に飛びつく。「そうだ、独り占めなどさせるものか! あの竜王は本来この国の、この俺の力となるべき存在だ! あの出来損ないから、奪い返せばいいだけの話だ!」 それはもはや計画と呼べるものではない。現実から逃避するための幼稚すぎる希望だった。王子である自分と強大な魔力を持つミリアがいれば、魔力を持たないロザリア以上に竜王を意のままに操れるはずだ。彼らは本気で信じ込んでいた。◇ 二人は王族にのみ伝わる秘密の通路を使い、炎上する王宮から脱出した。
last updateLast Updated : 2025-09-14
Read more

18:ゲームオーバー

(竜王の力を奪い取るのは、不可能だ) イグニスの心に絶望が広がる。(お姉様は、幸せを手に入れたのだわ……) ミリアは悔しさと嫉妬で奥歯を噛んだ。彼女は姉の婚約者を奪ったが、愛し合いされる幸せは手に入らなかったから。 プライドも希望も砕け散り、イグニスは地面に膝をつく。彼は残された最後の力で、大声で助けを乞うた。「ロザリア! 聞いているのだろう。頼む、助けてくれ! お前の故郷が、国が滅びるのだぞ。それでもいいというのか!」 イグニスはロザリアの中に残っているはずの、かつての義務感や同情心に必死で訴えかけた。 ミリアも泣き叫びながら続いた。「お姉様のせいよ! あなたがすべてを奪ったんじゃない! なら責任を取って、国を元に戻しなさいよ!」 彼女の言葉は反省ではなく、どこまでも自己中心的な責任転嫁だった。◇ その醜い叫び声に、私は読んでいた本をぱたりと閉じた。 立ち上がってバルコニーの縁へと歩み寄る。 同情心は起きなかった。あの二人はさんざん好き勝手をやって、破滅しただけ。巻き添えになった民を気の毒に思っても、彼らを憐れむ気持ちにはなれない。 私の隣にヴァルフレイドが立った。彼の神々しく美しい顔には、何の感情も浮かんでいない。自分の庭に湧いた不快な虫でも見るかのような、嫌悪感だけがあった。 ヴァルフレイドは地上の二人に向かって、凍てつくように冷たい声を放つ。「――さて、俺の花嫁に何の用だ? 虫けらども」 問いかけの形をしているが、一切の答えを期待していない、断罪の宣告だった。◇ ヴァルフレイドの凍てつくような声が、宮殿の庭に響き渡る。 その問いかけに、イグニスとミリアは恐怖に体をすくませた。命の危険を感じたのだろう、最後に残った生存本能が彼らを突き動かす。イグニスは泥だらけの額を地面にこすりつけ、必死に叫んだ。「竜王様! どうかご慈悲を! 全てはあの女が……ロザリアが我らを裏切ったせいなのです。我ら
last updateLast Updated : 2025-09-15
Read more

19:私が選んだエンディング

 イグニスとミリアの最後の悲鳴が、楽園の庭に吸い込まれて消えていく。ヴァッサー王国の使者たちのために開いた光の門もまた、跡形もなく閉じられた。後には、風が木の葉を揺らす音だけが残されている。 私はバルコニーから、先ほど醜い茶番が繰り広げられていた場所を、ただ見下ろしていた。知らず知らずのうちに握りしめていた拳を、ゆっくりと開く。(終わった……。本当に、すべて……) 私の知っていたゲーム『ドラゴンズブレイド』の物語は、これで完全に終わりを告げたのだ。悲劇でも喜劇でもない。ただ呆気ない幕切れ。それが、彼らの物語の結末だった。 私の脳裏に、原作ゲームのエンディングが蘇る。 憎しみに狂った『ロザリア』が生贄となり、それを乗り越えたイグニスとミリアが英雄として国を治める、光に満ちたハッピーエンド。誰もが彼らを称え、王国の輝かしい未来を祝福する。(本当に、あれは『幸福な結末』だったのかしら?) 私は歴史学者の視点で、その光景を分析する。 一人の少女が『悪役』という役割を与えられ、その魂ごと物語の礎として消費される。彼女の苦しみと絶望が、主人公たちの栄光の糧となる。そんな結末が、本当に幸福だと言えるのだろうか。 自分の手を見つめる。追放され、虐げられた手。だが、その手で私は違う未来を掴み取った。「原作のハッピーエンドは、誰かの犠牲の上に成り立っていた。悪役という役割を押し付けられた、一人の少女の……。けれど、これが私が選び取ったエンディング。罪ある者が、その罪にふさわしい結末を迎えるだけの、真実のエンディングなのよ」 私は憎しみではなく、行動で運命を覆した。そうして手に入れたのは、誰かを踏み台にした偽りの栄光ではない。ヴァルフレイドという、かけがえのない存在だった。◇ 私の思索を、背後からの温もりが包み込む。 ヴァルフレイドが優しく抱きしめてくれていた。彼は私をすべて理解してくれる。私はその腕に、安堵して身を預けた。「エンディング、だと? 違うな、ロザリア。これは、俺たち
last updateLast Updated : 2025-09-16
Read more

20:愚者の末路

 時折、イグニスとミリアはヴァッサー王国の夜会や観閲式に引き出された。 もちろん賓客としてではない。「堕落した王国の末路」を体現する、生きた見世物としてだった。 きらびやかに着飾ったヴァッサー王国の貴族たちが、一段低い場所に座らされた二人を見て、憐れむように、あるいは嘲笑するように囁きあっている。ヴァッサー国王が、満座の前に立ち、彼らを指し示しながら演説する。「見よ! 驕れる者は久しからず。民を顧みぬ為政者の末路を! 我々は、彼らを反面教師とし、正義と公正をもって国を治めようではないか!」 その言葉に、会場は大きな拍手に包まれた。イグニスは屈辱に拳を握りしめて俯き、ミリアは必死で無表情を装うが、その肩は小さく震えていた。彼らのプライドはこうして少しずつ、確実に削り取られていった。◇ 季節は巡り、世界は動いていく。 賢人エイベルの下でフラグラーレ王国は復興の道を歩み始め、ヴァッサー王国との間に新たな国交が結ばれた。「見世物」としての価値すら失った二人は、やがて人々の記憶からも忘れ去られ、さりとて処刑するだけの手間をかけるのも惜しまれて、ただ離宮で生き続けるだけの存在となった。 ある日の夕暮れ。 もはや若さを失い、痩せこけたイグニスとミリアが、部屋の中で黙って向かい合っていた。かつての美貌は色褪せ、残ったのは互いへの憎しみと、失われた過去への虚しい執着だけ。 食事を運んできた若い侍女が、同僚に小声で尋ねるのが聞こえた。「あの人たち、一体誰なの?」「さあ? なんでも、ずっと昔に滅んだ国の、王子様とお姫様だったらしいわよ」「それにしては、ずいぶんみすぼらしいわね。まあ、どうでもいいか」 彼らはもはや、名前すら覚えられていない。歴史から消え去り、ただ生きているだけの存在。誰よりも世界の中心にいると信じていた彼らにとって、最も残酷な罰だった。 二人はその会話を聞きながらも、もはや反論する気力もなく、ただ黙って冷めた食事を口に運ぶだけだった。 イグニスとミリアが歴史から忘れ去られた一方で、彼らが捨てた王国では、瓦礫の中から確かな再生の息吹が生まれ
last updateLast Updated : 2025-09-17
Read more
PREV
123
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status