侯爵令嬢ロザリアには前世の記憶がある。それは、この世界がゲーム「ドラゴンズブレイド」にそっくりだということ。ロザリアは魔力を持たない無能として追放されるが、計画通りだった。ゲーム知識で知っていた、森の奥に眠る竜王を呼び覚まして対話を試みると、竜王は類まれな魂を持つロザリアに一目惚れ。彼の庇護下の元、溺愛される生活が始まった。 一方でロザリアの婚約破棄をして追放した王子は、贅沢三昧で国民を顧みない。国が傾いたところに隣国に攻め入られ、追い詰められた王子はロザリアに助けを求めるが――?
View More王宮の豪奢な一室に、イグニス王子の声が響く。
私との婚約破棄を発表するための、壮麗な舞台だ。「ロザリア・シュヴァリエ! 本日をもって貴様との婚約を破棄する!」
王族らしい艶やかな金髪。まあまあ整った貴族的な顔立ち。
けれどその緑の瞳から滲み出る傲慢さが、すべてを台無しにしていた。(ついに来たわ! 婚約破棄よ、婚約破棄!)
心の中で私は盛大なガッツポーズを決めた。
もちろん、表情にはおくびにも出さない。今は完璧な悲劇のヒロインを演じきる、大事な場面なのだから。「……どうして、ですか?」
か細く、今にも消え入りそうな声。
驚きと悲しみで大きく目を見開き、潤んだ瞳で彼を見上げる。 うん、我ながら完璧な演技だわ。「決まっているだろう! 貴様が魔力を持たない『出来損ない』だからだ!」
イグニスは勝ち誇った笑みを浮かべた。
「我が隣に立つ者は、国で最も聖なる魔力を持つ者でなくてはならん!」
ほら来た。
魔力至上主義のお国らしい、テンプレ通りのセリフ。イグニスは私の腹違いの妹、ミリアの肩をこれみよがしに抱き寄せる。
甘いストロベリーブロンドの髪を揺らし、ミリアは心底心配しているという顔で私を見た。 庇護欲をそそる愛らしい紫の瞳。その奥に計算高い光が宿っているのを、私はずっと前から知っている。「お姉様……ごめんなさい。でも、イグニス様のお側には、この聖なる魔力を持つあたしがいるべきだって、神官様も……」
(出たわね、お約束のセリフ)
ああ、もう茶番はいいから。
早く最後の宣告をしてちょうだい。「そうだ! 真に俺の隣にふさわしいのはミリアただ一人!」
イグニスは一度言葉を切ると、わざとらしく私に指を突きつけた。
「よってロザリア、貴様を追放処分とする! 行き先は魔獣が棲まう『禁断の森』だ!」
追放。
禁断の森。(最高の条件じゃない!)
ショックで膝から崩れ落ちそうになるのを、必死でこらえる――という演技をしてみせる。
「そ、そんな……あまりにも……」
瞳に涙を溜めて、絶望に打ちひしがれた令嬢を完璧に演じきる。
心の中は、これから始まる最高のフィールドワークへの期待で、サンバカーニバル状態だったけれど。◇
衛兵に両脇を固められ、私は部屋を後にした。
最後に振り返った私に、イグニスは嘲笑を浮かべ、ミリアは勝ち誇った顔で微笑み返してきた。(せいぜいお幸せに。私は私で幸せになるわ)
長い、長い廊下を歩く。
壁に飾られた高価な絵画も、金の装飾も。この窮屈な鳥籠の象徴でしかなかった。魔力がないという、ただそれだけの理由で出来損ないと蔑まれ、虐げられてきた日々。
それも今日で終わりだ。(ありがとう、愚かな王子様。あなたのおかげで、私は自由になれる)
私の足取りは見た目には重く、絶望に沈んでいるように見えただろう。
けれど心は解き放たれるのを待つ鳥のように、どこまでも軽やかだった。◇
用意されたのは、粗末な馬車だった。
お世辞にも乗り心地がいいとは言えない。硬い木の座席に揺られて、お尻が痛くなってきた。(まあ、いいわ。自由への特急券だもの。これくらい我慢しなくちゃ)
小さな窓から、遠ざかっていく王都の景色を眺める。
護衛の騎士たちのひそひそ話が、風に乗って聞こえてきた。「しかし、禁断の森とはな……。事実上の死刑宣告だ」
「ミリア様はあれほどの魔力の持ち主だ。王子が惹かれるのも無理はない」
彼らの同情も噂話も、今の私にはどうでもいいこと。
やがて馬車は舗装されていない道に入り、揺れがさらに激しくなる。
目の前に、不気味なほど静まり返った巨大な森が見えてきた。(あれが、禁断の森……)
空気が変わった。
瘴気が立ち込めているのか、重く淀んだ気配が肌を刺す。 普通の令嬢なら、絶望のあまり気を失うのかもしれない。でも、私の胸は高鳴っていた。歴史学者だった前世の血が、うずいている。
未知との遭遇。最高の探求が今、始まろうとしている!ガタン、と音を立てて馬車が止まる。
騎士が乱暴に扉を開けて、無情に告げた。「ここから先は一人で行け」
私は静かに馬車を降りる。
そして森の入り口に一人、毅然として立った。(さようなら、窮屈な鳥籠)
私は微笑んだ。
悲劇のヒロインの仮面を脱ぎ捨て、本来の探求者の瞳で深く暗い森を見据える。(――最高のフィールドワークの始まりよ!)
元首エイベルの就任式は、再建された王都の中央広場で行われた。広場は、晴れやかな顔をした民衆で埋め尽くされている。 簡素ながらも威厳のある元首の錫杖を授けられたエイベルは、民衆に向かって語りかける。それは権力を誇示する言葉ではなく、共に国を支える仲間たちへの感謝と、未来への責任を語る、誠実な演説だった。 演説の最後にエイベルは深く息を吸って、北――禁断の森がある方角へと向き直る。広場の喧騒が、水を打ったように止んだ。 彼は誰よりも深く、長く頭を垂れた。「我らに二度目の機会を与え、この大地を癒やしてくださった、森の賢明なる守護者たちに、深き感謝を」 元首の言葉と姿に、民衆もまた森の方角へと一斉に頭を下げる。それは傲慢な過去と決別し、謙虚さと感謝の上に新しい国を築いていこうという、国民全体の無言の誓いだった。◇ ヴァルフレイドの宮殿の水鏡には、歓声に沸くアルテア共和国の就任式が映っている。 その活気ある様子を見て、私はそっと微笑んだ。「彼らは、自分たちの物語を見つけたようね。もう、ゲームの英雄はいらないわ」 ヴァルフレイドは水鏡ではなく、私の横顔だけを愛おしそうに見つめている。 彼は私を抱き寄せると、水鏡から離れ、宮殿の奥へと誘った。「彼らの物語は、彼らのものだ。さあ、俺たちの物語に戻ろうか、ロザリア」 世界が新しい希望を見出した一方で、楽園では人だけの、永遠に続く幸福の時間が流れ始めている。◇ アルテア共和国の就任式から、さらに十年ほどの時が流れた。 私が過ごす楽園の日常は、穏やかで満ち足りた喜びに包まれている。 その日も私は宮殿の広大な書庫で、古代竜族の言語で書かれた石板を読み解いていた。その集中を破ったのは小さな足音だった。「おかあさま!」 私のもとへ駆け寄ってきたのは、燃えるような赤髪と私の紫の瞳を持つ、私たちの小さな息子。 幼子は私に飛びついて、膝の上に登ろうとする。この子はいつも元気いっぱいだ。元気すぎて突拍子もない動きをするので、私もヴァルフレイドもしょっちゅう振
時折、イグニスとミリアはヴァッサー王国の夜会や観閲式に引き出された。 もちろん賓客としてではない。「堕落した王国の末路」を体現する、生きた見世物としてだった。 きらびやかに着飾ったヴァッサー王国の貴族たちが、一段低い場所に座らされた二人を見て、憐れむように、あるいは嘲笑するように囁きあっている。ヴァッサー国王が、満座の前に立ち、彼らを指し示しながら演説する。「見よ! 驕れる者は久しからず。民を顧みぬ為政者の末路を! 我々は、彼らを反面教師とし、正義と公正をもって国を治めようではないか!」 その言葉に、会場は大きな拍手に包まれた。イグニスは屈辱に拳を握りしめて俯き、ミリアは必死で無表情を装うが、その肩は小さく震えていた。彼らのプライドはこうして少しずつ、確実に削り取られていった。◇ 季節は巡り、世界は動いていく。 賢人エイベルの下でフラグラーレ王国は復興の道を歩み始め、ヴァッサー王国との間に新たな国交が結ばれた。「見世物」としての価値すら失った二人は、やがて人々の記憶からも忘れ去られ、さりとて処刑するだけの手間をかけるのも惜しまれて、ただ離宮で生き続けるだけの存在となった。 ある日の夕暮れ。 もはや若さを失い、痩せこけたイグニスとミリアが、部屋の中で黙って向かい合っていた。かつての美貌は色褪せ、残ったのは互いへの憎しみと、失われた過去への虚しい執着だけ。 食事を運んできた若い侍女が、同僚に小声で尋ねるのが聞こえた。「あの人たち、一体誰なの?」「さあ? なんでも、ずっと昔に滅んだ国の、王子様とお姫様だったらしいわよ」「それにしては、ずいぶんみすぼらしいわね。まあ、どうでもいいか」 彼らはもはや、名前すら覚えられていない。歴史から消え去り、ただ生きているだけの存在。誰よりも世界の中心にいると信じていた彼らにとって、最も残酷な罰だった。 二人はその会話を聞きながらも、もはや反論する気力もなく、ただ黙って冷めた食事を口に運ぶだけだった。 イグニスとミリアが歴史から忘れ去られた一方で、彼らが捨てた王国では、瓦礫の中から確かな再生の息吹が生まれ
イグニスとミリアの最後の悲鳴が、楽園の庭に吸い込まれて消えていく。ヴァッサー王国の使者たちのために開いた光の門もまた、跡形もなく閉じられた。後には、風が木の葉を揺らす音だけが残されている。 私はバルコニーから、先ほど醜い茶番が繰り広げられていた場所を、ただ見下ろしていた。知らず知らずのうちに握りしめていた拳を、ゆっくりと開く。(終わった……。本当に、すべて……) 私の知っていたゲーム『ドラゴンズブレイド』の物語は、これで完全に終わりを告げたのだ。悲劇でも喜劇でもない。ただ呆気ない幕切れ。それが、彼らの物語の結末だった。 私の脳裏に、原作ゲームのエンディングが蘇る。 憎しみに狂った『ロザリア』が生贄となり、それを乗り越えたイグニスとミリアが英雄として国を治める、光に満ちたハッピーエンド。誰もが彼らを称え、王国の輝かしい未来を祝福する。(本当に、あれは『幸福な結末』だったのかしら?) 私は歴史学者の視点で、その光景を分析する。 一人の少女が『悪役』という役割を与えられ、その魂ごと物語の礎として消費される。彼女の苦しみと絶望が、主人公たちの栄光の糧となる。そんな結末が、本当に幸福だと言えるのだろうか。 自分の手を見つめる。追放され、虐げられた手。だが、その手で私は違う未来を掴み取った。「原作のハッピーエンドは、誰かの犠牲の上に成り立っていた。悪役という役割を押し付けられた、一人の少女の……。けれど、これが私が選び取ったエンディング。罪ある者が、その罪にふさわしい結末を迎えるだけの、真実のエンディングなのよ」 私は憎しみではなく、行動で運命を覆した。そうして手に入れたのは、誰かを踏み台にした偽りの栄光ではない。ヴァルフレイドという、かけがえのない存在だった。◇ 私の思索を、背後からの温もりが包み込む。 ヴァルフレイドが優しく抱きしめてくれていた。彼は私をすべて理解してくれる。私はその腕に、安堵して身を預けた。「エンディング、だと? 違うな、ロザリア。これは、俺たち
(竜王の力を奪い取るのは、不可能だ) イグニスの心に絶望が広がる。(お姉様は、幸せを手に入れたのだわ……) ミリアは悔しさと嫉妬で奥歯を噛んだ。彼女は姉の婚約者を奪ったが、愛し合いされる幸せは手に入らなかったから。 プライドも希望も砕け散り、イグニスは地面に膝をつく。彼は残された最後の力で、大声で助けを乞うた。「ロザリア! 聞いているのだろう。頼む、助けてくれ! お前の故郷が、国が滅びるのだぞ。それでもいいというのか!」 イグニスはロザリアの中に残っているはずの、かつての義務感や同情心に必死で訴えかけた。 ミリアも泣き叫びながら続いた。「お姉様のせいよ! あなたがすべてを奪ったんじゃない! なら責任を取って、国を元に戻しなさいよ!」 彼女の言葉は反省ではなく、どこまでも自己中心的な責任転嫁だった。◇ その醜い叫び声に、私は読んでいた本をぱたりと閉じた。 立ち上がってバルコニーの縁へと歩み寄る。 同情心は起きなかった。あの二人はさんざん好き勝手をやって、破滅しただけ。巻き添えになった民を気の毒に思っても、彼らを憐れむ気持ちにはなれない。 私の隣にヴァルフレイドが立った。彼の神々しく美しい顔には、何の感情も浮かんでいない。自分の庭に湧いた不快な虫でも見るかのような、嫌悪感だけがあった。 ヴァルフレイドは地上の二人に向かって、凍てつくように冷たい声を放つ。「――さて、俺の花嫁に何の用だ? 虫けらども」 問いかけの形をしているが、一切の答えを期待していない、断罪の宣告だった。◇ ヴァルフレイドの凍てつくような声が、宮殿の庭に響き渡る。 その問いかけに、イグニスとミリアは恐怖に体をすくませた。命の危険を感じたのだろう、最後に残った生存本能が彼らを突き動かす。イグニスは泥だらけの額を地面にこすりつけ、必死に叫んだ。「竜王様! どうかご慈悲を! 全てはあの女が……ロザリアが我らを裏切ったせいなのです。我ら
王宮は内外の敵に包囲され、炎に沈みつつあった。 イグニスとミリアは、見捨てられた玉座の間に孤立していた。窓の外では、かつて自分たちのものだった王都が赤く燃え盛り、地を揺るがす鬨の声が絶え間なく響いてくる。「なぜだ……なぜこうなる。我が王都が……! 民も、兵士も、役立たずばかりだ!」 イグニスは爪を噛み、忌々しげに呟く。 床に座り込んだミリアは、虚ろな目で燃える夜景を見つめていた。「ひどいわ……こんなはずじゃなかった。あたしがイグニス様の隣にいれば、国はもっと豊かになるはずだったのに! すべて、あの女のせいよ!」 彼らは、自分たちの悪政がこの事態を招いたという現実を直視できなかった。すべての原因をロザリアという都合の良い存在になすりつけることで、かろうじて砕け散りそうなプライドを保っている。 その時、近くの塔が崩れる轟音と共に、玉座の間の窓ガラスが砕け散った。炎の熱風が、火の粉を伴って室内に吹き込む。「いやぁっ!」 地脈が変質し魔法が使えなくなった以上、ミリアの豊富な魔力もイグニスの強力な魔法も既に意味をなさない。 二人は身を守ることもできずに、崩れ行く玉座の間で右往左往している。「お姉様さえいなければ! あの女が竜王を独り占めしていなければ、あたしの魔力でヴァッサー王国なんて簡単に追い払えたはずよ!」 ミリアの身勝手な叫びが、イグニスの心に火をつけた。彼は敗北を認める代わりに、まだ逆転の目があるという妄想に飛びつく。「そうだ、独り占めなどさせるものか! あの竜王は本来この国の、この俺の力となるべき存在だ! あの出来損ないから、奪い返せばいいだけの話だ!」 それはもはや計画と呼べるものではない。現実から逃避するための幼稚すぎる希望だった。王子である自分と強大な魔力を持つミリアがいれば、魔力を持たないロザリア以上に竜王を意のままに操れるはずだ。彼らは本気で信じ込んでいた。◇ 二人は王族にのみ伝わる秘密の通路を使い、炎上する王宮から脱出した。
ヴァルフレイドとロザリアが玉座の間から去った後、周囲には重い沈黙だけが残された。 イグニスは侮辱と恐怖に震えながら、まだ己の権威が通用すると信じて叫ぶ。「何をしている! 追え! あの者たちを捕らえろ。これは命令だ!」 彼の甲高い声が虚しく響く。玉座の間にいる衛兵も側近も、誰一人として動こうとはしなかった。 彼らはただ、恐怖と軽蔑が入り混じった目で、無様に叫ぶ王子と床で泣きじゃくるミリアを見つめているだけだった。 王家の重臣の一人が、冷ややかに告げる。「殿下。我々には、もはや殿下にお従いする理由はございません」 イグニスの権威が終わったことを示す言葉だった。◇「玉座の間で、赤髪の神人が王子を屈服させた」 その噂は、瞬く間に荒廃した王都を駆け巡った。 それは飢えと重税に喘いでいた民衆にとって、為政者への最後の信頼を打ち砕き、燻っていた不満を燃え上がらせるための燃料となった。 絶望が怒りへと変わっていく中、元宮廷学者であった賢人エイベルが、広場で人々を諭し始める。「我らを飢えさせているのは、天災ではない。王宮の食糧庫を満たしたまま、己の贅沢と欲望とを優先する人災だ」 エイベルの誠実な言葉は、多くの人々の心を捉えていった。 やがて民衆のうねりは一つの流れとなる。 賢人エイベルに導かれた飢えた人々が、王宮の食糧庫へと行進を始めたのだ。最初は数十人だった群衆は、道中で数百、数千人と膨れ上がっていく。 食糧庫を守る兵士たちは、目の前にいるのが自分たちの家族や隣人であると気づき、武器を構えることを躊躇った。 エイベルは兵士たちに語りかける。「君たちの剣は、民を守るためにあるはずだ。腐敗した穀物を守るためにではない」 その言葉に、兵士の一人が槍を捨てた。「ああ、そうだ。俺は国を――いいや、町のみんなを守りたくて兵士になった! 王子の贅沢のためじゃない!」 それをきっかけに兵士たちは次々と道を開けて、民衆は歓声を上げて食糧庫の扉を打ち破った。
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