ログイン侯爵令嬢ロザリアには前世の記憶がある。それは、この世界がゲーム「ドラゴンズブレイド」にそっくりだということ。ロザリアは魔力を持たない無能として追放されるが、計画通りだった。ゲーム知識で知っていた、森の奥に眠る竜王を呼び覚まして対話を試みると、竜王は類まれな魂を持つロザリアに一目惚れ。彼の庇護下の元、溺愛される生活が始まった。 一方でロザリアの婚約破棄をして追放した王子は、贅沢三昧で国民を顧みない。国が傾いたところに隣国に攻め入られ、追い詰められた王子はロザリアに助けを求めるが――?
もっと見る元首エイベルの就任式は、再建された王都の中央広場で行われた。広場は、晴れやかな顔をした民衆で埋め尽くされている。 簡素ながらも威厳のある元首の錫杖を授けられたエイベルは、民衆に向かって語りかける。それは権力を誇示する言葉ではなく、共に国を支える仲間たちへの感謝と、未来への責任を語る、誠実な演説だった。 演説の最後にエイベルは深く息を吸って、北――禁断の森がある方角へと向き直る。広場の喧騒が、水を打ったように止んだ。 彼は誰よりも深く、長く頭を垂れた。「我らに二度目の機会を与え、この大地を癒やしてくださった、森の賢明なる守護者たちに、深き感謝を」 元首の言葉と姿に、民衆もまた森の方角へと一斉に頭を下げる。それは傲慢な過去と決別し、謙虚さと感謝の上に新しい国を築いていこうという、国民全体の無言の誓いだった。◇ ヴァルフレイドの宮殿の水鏡には、歓声に沸くアルテア共和国の就任式が映っている。 その活気ある様子を見て、私はそっと微笑んだ。「彼らは、自分たちの物語を見つけたようね。もう、ゲームの英雄はいらないわ」 ヴァルフレイドは水鏡ではなく、私の横顔だけを愛おしそうに見つめている。 彼は私を抱き寄せると、水鏡から離れ、宮殿の奥へと誘った。「彼らの物語は、彼らのものだ。さあ、俺たちの物語に戻ろうか、ロザリア」 世界が新しい希望を見出した一方で、楽園では人だけの、永遠に続く幸福の時間が流れ始めている。◇ アルテア共和国の就任式から、さらに十年ほどの時が流れた。 私が過ごす楽園の日常は、穏やかで満ち足りた喜びに包まれている。 その日も私は宮殿の広大な書庫で、古代竜族の言語で書かれた石板を読み解いていた。その集中を破ったのは小さな足音だった。「おかあさま!」 私のもとへ駆け寄ってきたのは、燃えるような赤髪と私の紫の瞳を持つ、私たちの小さな息子。 幼子は私に飛びついて、膝の上に登ろうとする。この子はいつも元気いっぱいだ。元気すぎて突拍子もない動きをするので、私もヴァルフレイドもしょっちゅう振
時折、イグニスとミリアはヴァッサー王国の夜会や観閲式に引き出された。 もちろん賓客としてではない。「堕落した王国の末路」を体現する、生きた見世物としてだった。 きらびやかに着飾ったヴァッサー王国の貴族たちが、一段低い場所に座らされた二人を見て、憐れむように、あるいは嘲笑するように囁きあっている。ヴァッサー国王が、満座の前に立ち、彼らを指し示しながら演説する。「見よ! 驕れる者は久しからず。民を顧みぬ為政者の末路を! 我々は、彼らを反面教師とし、正義と公正をもって国を治めようではないか!」 その言葉に、会場は大きな拍手に包まれた。イグニスは屈辱に拳を握りしめて俯き、ミリアは必死で無表情を装うが、その肩は小さく震えていた。彼らのプライドはこうして少しずつ、確実に削り取られていった。◇ 季節は巡り、世界は動いていく。 賢人エイベルの下でフラグラーレ王国は復興の道を歩み始め、ヴァッサー王国との間に新たな国交が結ばれた。「見世物」としての価値すら失った二人は、やがて人々の記憶からも忘れ去られ、さりとて処刑するだけの手間をかけるのも惜しまれて、ただ離宮で生き続けるだけの存在となった。 ある日の夕暮れ。 もはや若さを失い、痩せこけたイグニスとミリアが、部屋の中で黙って向かい合っていた。かつての美貌は色褪せ、残ったのは互いへの憎しみと、失われた過去への虚しい執着だけ。 食事を運んできた若い侍女が、同僚に小声で尋ねるのが聞こえた。「あの人たち、一体誰なの?」「さあ? なんでも、ずっと昔に滅んだ国の、王子様とお姫様だったらしいわよ」「それにしては、ずいぶんみすぼらしいわね。まあ、どうでもいいか」 彼らはもはや、名前すら覚えられていない。歴史から消え去り、ただ生きているだけの存在。誰よりも世界の中心にいると信じていた彼らにとって、最も残酷な罰だった。 二人はその会話を聞きながらも、もはや反論する気力もなく、ただ黙って冷めた食事を口に運ぶだけだった。 イグニスとミリアが歴史から忘れ去られた一方で、彼らが捨てた王国では、瓦礫の中から確かな再生の息吹が生まれ
イグニスとミリアの最後の悲鳴が、楽園の庭に吸い込まれて消えていく。ヴァッサー王国の使者たちのために開いた光の門もまた、跡形もなく閉じられた。後には、風が木の葉を揺らす音だけが残されている。 私はバルコニーから、先ほど醜い茶番が繰り広げられていた場所を、ただ見下ろしていた。知らず知らずのうちに握りしめていた拳を、ゆっくりと開く。(終わった……。本当に、すべて……) 私の知っていたゲーム『ドラゴンズブレイド』の物語は、これで完全に終わりを告げたのだ。悲劇でも喜劇でもない。ただ呆気ない幕切れ。それが、彼らの物語の結末だった。 私の脳裏に、原作ゲームのエンディングが蘇る。 憎しみに狂った『ロザリア』が生贄となり、それを乗り越えたイグニスとミリアが英雄として国を治める、光に満ちたハッピーエンド。誰もが彼らを称え、王国の輝かしい未来を祝福する。(本当に、あれは『幸福な結末』だったのかしら?) 私は歴史学者の視点で、その光景を分析する。 一人の少女が『悪役』という役割を与えられ、その魂ごと物語の礎として消費される。彼女の苦しみと絶望が、主人公たちの栄光の糧となる。そんな結末が、本当に幸福だと言えるのだろうか。 自分の手を見つめる。追放され、虐げられた手。だが、その手で私は違う未来を掴み取った。「原作のハッピーエンドは、誰かの犠牲の上に成り立っていた。悪役という役割を押し付けられた、一人の少女の……。けれど、これが私が選び取ったエンディング。罪ある者が、その罪にふさわしい結末を迎えるだけの、真実のエンディングなのよ」 私は憎しみではなく、行動で運命を覆した。そうして手に入れたのは、誰かを踏み台にした偽りの栄光ではない。ヴァルフレイドという、かけがえのない存在だった。◇ 私の思索を、背後からの温もりが包み込む。 ヴァルフレイドが優しく抱きしめてくれていた。彼は私をすべて理解してくれる。私はその腕に、安堵して身を預けた。「エンディング、だと? 違うな、ロザリア。これは、俺たち
(竜王の力を奪い取るのは、不可能だ) イグニスの心に絶望が広がる。(お姉様は、幸せを手に入れたのだわ……) ミリアは悔しさと嫉妬で奥歯を噛んだ。彼女は姉の婚約者を奪ったが、愛し合いされる幸せは手に入らなかったから。 プライドも希望も砕け散り、イグニスは地面に膝をつく。彼は残された最後の力で、大声で助けを乞うた。「ロザリア! 聞いているのだろう。頼む、助けてくれ! お前の故郷が、国が滅びるのだぞ。それでもいいというのか!」 イグニスはロザリアの中に残っているはずの、かつての義務感や同情心に必死で訴えかけた。 ミリアも泣き叫びながら続いた。「お姉様のせいよ! あなたがすべてを奪ったんじゃない! なら責任を取って、国を元に戻しなさいよ!」 彼女の言葉は反省ではなく、どこまでも自己中心的な責任転嫁だった。◇ その醜い叫び声に、私は読んでいた本をぱたりと閉じた。 立ち上がってバルコニーの縁へと歩み寄る。 同情心は起きなかった。あの二人はさんざん好き勝手をやって、破滅しただけ。巻き添えになった民を気の毒に思っても、彼らを憐れむ気持ちにはなれない。 私の隣にヴァルフレイドが立った。彼の神々しく美しい顔には、何の感情も浮かんでいない。自分の庭に湧いた不快な虫でも見るかのような、嫌悪感だけがあった。 ヴァルフレイドは地上の二人に向かって、凍てつくように冷たい声を放つ。「――さて、俺の花嫁に何の用だ? 虫けらども」 問いかけの形をしているが、一切の答えを期待していない、断罪の宣告だった。◇ ヴァルフレイドの凍てつくような声が、宮殿の庭に響き渡る。 その問いかけに、イグニスとミリアは恐怖に体をすくませた。命の危険を感じたのだろう、最後に残った生存本能が彼らを突き動かす。イグニスは泥だらけの額を地面にこすりつけ、必死に叫んだ。「竜王様! どうかご慈悲を! 全てはあの女が……ロザリアが我らを裏切ったせいなのです。我ら
王宮は内外の敵に包囲され、炎に沈みつつあった。 イグニスとミリアは、見捨てられた玉座の間に孤立していた。窓の外では、かつて自分たちのものだった王都が赤く燃え盛り、地を揺るがす鬨の声が絶え間なく響いてくる。「なぜだ……なぜこうなる。我が王都が……! 民も、兵士も、役立たずばかりだ!」 イグニスは爪を噛み、忌々しげに呟く。 床に座り込んだミリアは、虚ろな目で燃える夜景を見つめていた。「ひどいわ……こんなはずじゃなかった。あたしがイグニス
ヴァルフレイドとロザリアが玉座の間から去った後、周囲には重い沈黙だけが残された。 イグニスは侮辱と恐怖に震えながら、まだ己の権威が通用すると信じて叫ぶ。「何をしている! 追え! あの者たちを捕らえろ。これは命令だ!」 彼の甲高い声が虚しく響く。玉座の間にいる衛兵も側近も、誰一人として動こうとはしなかった。 彼らはただ、恐怖と軽蔑が入り混じった目で、無様に叫ぶ王子と床で泣きじゃくるミリアを見つめているだけだった。 王家の重臣の一人が、冷ややかに告げる。「殿下。我々には、もはや殿下にお従いする理由はござ
「な、何者だ、貴様は!」 イグニスは恐怖に顔を引きつらせ、掴まれた腕を振りほどこうともがいた。しかしヴァルフレイドの指はびくともしない。「貴様が、誰に手を上げようとしたか、理解していないのか?」 ヴァルフレイドの声は凪いでいた。だがその金色の瞳には、虫けらを見るような底なしの冷たい光が浮かんでいる。 ぞっとするような冷たさに、イグニスは顔を真っ青にさせた。 ヴァルフレイドはイグニスの腕を軽く払いのける。それだけの動きでイグニスは無様に床に尻餅をつき、掴まれていた手首を押さえて呻いた。 ヴァルフレイドは
楽園での穏やかな日々に、招かれざる使者が訪れた。「ロザリア」 私の書斎を訪れたヴァルフレイドは、一通の書簡を手にしている。王家の紋章が押されたものだった。「お前の古巣から、ネズミがこれを届けてきた。追い払っておいたがな」 不機嫌と侮蔑が滲む声だった。 私は書簡を受け取り、目を通した。内容は、私の追放を赦し王国の危機を救うために王宮へ出頭せよという、どこまでも傲慢な命令だった。(出頭命令ですって? 私が竜王と一緒にいると知ったのかしら。それで私がまだ自分に恋焦がれているとでも、本気で思い込んでいる