元日、神港市。夢藤雲里子(むとう もりこ)は昔の先生へ電話をかけた。「先生、もう決めました。宇宙開発計画の訓練に戻ります」「本当か?」受話器の向こうの声は抑えきれない興奮を孕んでいたが、それでも努めて落ち着いた口調を保っていた。「雲里子、先に伝えなければならない。今回の実験は、帰還できない可能性もある。ご主人は特別な身分だが、彼は参加に同意してるのか?」雲里子は受話器を強く握りしめた。「私はもう、彼と離婚するつもりです」短い沈黙ののち、応えが返ってきた。「……そうか。君が覚悟を決めたのなら、こちらもすぐに上司へ申請しよう。半月後には神港市へ迎えに行く」電話が切れる直前、先生の声がかすかに震えた。「雲里子、君の貢献を誰も決して忘れはしない」雲里子の瞳にも熱いものがこみ上げる。三年前、飛行学校を離れて神港市に嫁いだ時、もう二度と戻ることはないと信じていたのに。「奥様、本日の花が届きました」使用人がドアを叩く。雲里子は慌てて電話を切り、机の上に置かれていた離婚訴状の受理証明書を引き出しに仕舞い込んだ。「奥様、今日のバラは海外から空輸された赤いバラでございます」使用人は瑞々しく咲き誇る花束を抱えて入ってきて、窓辺にあった水耕栽培の紫陽花を片付けた。「奥様、旦那様は本当に奥様を大切にしておられますね。この花は、おそらく世界一でございます」三年前、雲里子は富士崎時生(ふじさき ときお)と結婚した。京光市から初めて神港市に来たとき、その空気の匂いさえ馴染めなかった。時生はそんな彼女を気遣い、どの部屋にも毎日新鮮な花を飾らせた。しかも全ての花が、世界各地から空輸されたものだった。毎月の花代だけで、庶民の二、三年分の生活費に匹敵する。雲里子はあまりに浪費だと止めようとしたが、時生は笑って言った。「雲里子は俺が最も愛する人だ。世界で一番いいものを受ける資格がある」オークションで一億円を投じて落札した骨董の花瓶さえ、彼にとってはただの花入れにすぎなかった。雲里子はそっと手を伸ばし、萎れかけた花弁に指先を触れた。三年の富豪の妻としての暮らしで、彼女の目はすでに鋭くなっていた。――これは今朝の花ではない。眉をひそめると、使用人が青ざめて花瓶を抱え直した。「奥様、申し訳ございません。本日の花の質が悪かっ
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