秘書が一通の封筒を持ってくる。「社長、奥様からのお手紙のようです」航平は一瞥すらせず、そのまま手術室へ駆け込み、封筒は床に落ちる。美音が難産に苦しんでいる。彼女は、付き添いに来てほしいと名指しで航平を呼んだのだ。この状況で、彼は優先すべきものを取り違えることはできない。――この一夜を乗り越えれば、二度と美音と関わることはない。もう二度と、遥を裏切るようなことはしない。「航平……痛い……」「力を抜け」航平は彼女の額の汗を拭う。「でも……この子は、二人の愛の証だと思うと……」「……すごく幸せで……本当に幸せで……」汗に濡れながら必死に耐える美音の姿に、航平の胸は揺さぶられる。――この女は、彼の子を産もうとしているのだ。あの日、酒に酔った夜のことも、意識が完全に途切れていたわけではない。七月七日、本当なら遥と過ごすはずの日。相手が遥ではないと気づいていながら、一瞬の欲に負けてしまった。心臓が急に跳ね上がる。子どものことを思ってなのか、それとも別の理由か、自分でもわからない。ただ、胸の内はぐちゃぐちゃにかき乱されている。その場にいた全員が、この子が無事に生まれることを願っている。――けれど、予期せぬ事態は起きる。「胎児の心拍が確認できません。奥さんのために子宮内容除去術を行う必要があります」最後の力を振り絞った美音は、その絶望的な宣告を聞いた瞬間、瞳を閉じて完全に意識を失う。「ここからは退室してください。処置をしなければ、奥さんの命も危険です」航平はその場に立ち尽くしたまま、看護師に押し出されるように手術室を出る。全身に重苦しい影がのしかかり、ただ呆然と立ち尽くす。――全部、失った……ふと足元に、さきほど落とした封筒が目に入る。航平は我を忘れて拾い上げる。遥が自分に何を書いたのか。震える手で紙を開くと、視線が一枚の文面に目が釘づけになる。瞳孔が揺れ、体は氷のように冷え固まっていく。――「離婚届」右下に記された、見慣れた彼女の筆跡。遥は、自分と離婚しようとしていた。その事実が脳を直撃し、意識がようやく現実に引き戻される。今さらになって、どれほど愚かで取り返しのつかないことをしてきたのかを思い知らされる。――どれほど、遥を裏切っ
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