All Chapters of 仮面の王と追放令嬢の復讐舞踏会: Chapter 11 - Chapter 13

13 Chapters

呼出状の白が、まだ息をしていた

窓の桟に、朝の白が薄く乗っていた。 格子のすきまを、冷たい風が静かに抜ける。 指先がかすかにかじかむ。 隅で白いものが揺れていた。 羽根ではない。 雨で角がやわくなった薄い紙片。 そっと摘む。光に透かす。 麦束の細い影――それが、紙の奥に沈んでいた。 「……麦だ」 背後でミーナが小さく息を吸う。 人差し指で縁をなぞり、紙端に寄った細い筋を示す。 「監査倉庫の束ね方だな。押しが弱い。奥の棚でよく見るタイプだ」 「棚の印?」 「うん。古い在庫の場所だ」 机に紙片を置くと、下からもう一枚、薄い紙がすべった。 宛名欄だけが広い呼出状。 日付と印だけが冷たく残る。 「行くなら、帰りの目印を残していって」 ミーナが小瓶を引き出しから出す。 薄荷と白檀の軽い匂いが、ふわりと立つ。 「ほんの少しでいい。帰ってくるときの合図になるから」 「少しでも戻れるの?」 「帰りたくなったときに、思い出せるくらいにはね」 寝癖を撫でつけながら、シアンが台所から顔を出す。 紙を持ち上げ、噛むように言葉を出す。 「行くのか……いや、行くしかないよな」 「逃げたら、流れが変わる」 「じゃあ、俺も行く」 小瓶の栓を軽く戻す。 香袋は閉じきらず、紐を一度だけ巻く。 戻り道の印は、それで十分だ。 玄関で靴紐を結ぶ。 革の固さが、朝の温度に似ている。 扉の取っ手は冷たい。 ミーナが小瓶をもう一度押しつける。 「不安になったら、これを嗅いで。落ち着くから」 うなずく。 シアンが扉を少しだけ開け、外の風を測る。 「向かい風だな。顔を上げすぎると目が乾くぞ」 「目、閉じないでね」 「閉じないさ。……ゆっくり行こう」 外気が頬に触れる。 歩幅がそろうまで、三歩。 街路の白灰が薄金に変わり始めていた。 その風はまるで、見えない誰かの意思に導かれるように、進む道を撫でていった。 監査局の白い壁は、近くで見るほど冷たい。 案内役は何も言わず、手だけで方向を示す。 小室の扉が短く鳴る。 中は低い机と、水差しと、折り畳まれた椅子。 石と紙のうすい匂い。 書類の匂いに混じる鉄のような冷気が、胸の奥を静かに刺した。 窓は開かない。 聴取官は笑わないが、目は柔らかい。 声は低く、語尾は上がらない。 「名前は言わなくていい」
last updateLast Updated : 2025-10-28
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紙の骨、夜の鍵

机の上に、薄い布と硝子玉と細い紐と紙小刀を並べた。 雨の前の湿気が、指先にまとわりつく。 窓の外は灰色で、音だけが近い。 ミーナが小瓶を二つ、静かに置く。 ひとつは封のため、もうひとつは息を戻すため。 栓をわずかに傾けると、薄荷が白檀に触れて、冷たい匂いが立った。 「封印は薄くしてね」 ミーナが言う。 「濃くすると、跡が残るから」 「跡が残れば戻れるけど、追われることにもなる」 エリシアが頷く。 「戻るときだけ残ってればいい」 戸口でダリウスが耳を澄ます。 屋根を叩く前の雨の音を、彼はいつも先に聞く。 「合図は三回。間隔が短ければ、すぐに引け」 シアンは手袋の指先を曲げ伸ばす。 言葉が少し噛んだ。 「心臓、うるさいな……」 「聞こえるってことは、生きてる証拠だよ」 エリシアが短く笑い、手首に“戻り香”を一度だけ触れさせる。 ミーナは瓶を引きながら、目線で息の高さを指示した。 「足音と同じリズムで息を吸って」 「吐くときも同じ高さで。そうすれば気づかれない」 「わかった」 硝子玉を薄布に包む。 紐は一重で足りる。 余計を持たない。 外へ出ると、雨はまだ細い。 傘は使わず、外套の裾だけが重くなる。 石畳の匂いが、夜を近づけた。 曲がり角の影で、ダリウスが二本の指を立てる。 間を置いて一本。 「今、警備がゆるい」の合図。 扉の鉄に指を置いた。 冷たさが骨に触れる。 錠の油は薄い。 「開ける音は短いほうが助かる」 シアンが囁く。 「息を短く」 エリシアは顎だけ動かした。 ピンがひとつ、遅れて落ちる。 腹にカチ、と小さく落ちた音が、合図のように広がる。 シアンが扉を数指だけひらく。 外の雨の息を、内の空気に混ぜた。 温度が、すこし均る。 二人は滑るように入り、押しで扉を戻す。 蝶番は鳴らなかった。 中は白い。 棚が高く、天井は低い。 紙の乾いた匂いが、薄く鼻に触れる。 音を立てない灯りが、廊下の奥から滲む。 硝子玉を指で転がし、光を割らずに受けて返す。 麦束の影が、水の底みたいに淡く浮いた。 「……浅いな」 エリシアが小声で言う。 「棚は、もっと奥だ」 束ね線を爪先でなぞる。 右へ寄る癖が、均一に繰り返されている。 背の糸が太い束と、細い束が、同じ棚で肩を並べて
last updateLast Updated : 2025-11-01
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噂の角で

朝の空気は薄く冷たくて、紙の粉の匂いがわずかに残っている。前夜に触れた端のざらつきが、まだ指の腹にいて、胸の鼓動は静かだ。机には封を終えた小さな香袋が三つ、転がる気配を止めている。ミーナが身をかがめてエリシアの顔をのぞき込み、眉尻を下げた。「目の下、ちょっと赤いよ。寝れてないんじゃない?」エリシアは椅子の背にもたれず、まぶたを一度だけ深く上げた。「目は開いてる。それで十分」シアンは窓辺から外を確かめ、肩だけこちらへ向ける。「今朝、角の工房に人が集まってた。何か噂になってる」ミーナは香袋を指で転がし、口角をわずかに上げた。「その噂、うまく使えるかもね」エリシアは机上の紙端を指でなぞり、視線を落としたまま続ける。「昨日の棚、綺麗に見えたけど……歪んでた。つまり、誰かが細工してる」一拍だけ、室内の音が減る。火は弱く、湯の表面だけが揺れた。外へ出ると、石畳はまだ湿っている。雲は低く、路地の向こうでガラス工房の排気が温かく吐き出される。蜂蜜と炭が混じった匂いが喉に触れて、少し甘い。ダリウスは足を止めず、顎で通りの先を示した。「巡回は二人一組。交代で回ってる」ダリウスが肩越しに短く振り返り、声を落とす。「さっきの通り、戻りが早すぎる。見張りが気づいてるかもしれない」シアンは手袋の口を締め直し、エリシアと目を合わせた。「例の合図、三回だ。早くなったら下がれ」エリシアは浅く息を吸い、指先で胸元を軽く押さえる。「わかってる。息を合わせればいいんでしょ」歩幅をそろえる。呼吸を短く、同じ拍で吐く。靴底が水分を薄く伸ばして、音を隠した。角へ近づくほど、街の温度が上がっていく。パン屋が焼き色を裂く音がして、猫が紙屑を蹴る。買い物袋を抱えた女が一度だけ足を止め、子どもが笑い声を残して走り抜ける。呼び声と囁きが絡まり、始まりのわからない話がいくつも同時に回る。人の息が渦になって、角そのものが大きく呼吸しているみたいだ。黒い帽子の噂屋が屋台の柱にもたれ、目だけこちらへ滑らせた。「昨夜、記録が勝手に動いたって話、聞いた?」エリシアは答える前に視線を一度だけ外し、噂屋の目に戻す。「記録は誰かが触れないと動かないわ」噂屋は口の端で笑い、二人の手元を見た。「言い方がきれいだね。手が慣れてる感じ」シアンは屋台の台上を指さし、手
last updateLast Updated : 2025-11-02
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