【金こそパワー】ITスキルで異世界にベンチャー起業して、金貨の力で魔王を撃破! のすべてのチャプター: チャプター 11 - チャプター 20

49 チャプター

11. 砕けた矜持

 パン! 刹那、コントローラーが割れ、コロコロっと吹き飛んだボタンが転がる。 へっ!? 渾身の一撃を放ったはずのクレアは凍り付いた。理不尽にも砕けたコントローラーはそれを受けつけなかったのだ。 はぁっ……!? な、なに……? 総立ちになって歓声を上げていた観客たちは一体何があったのか分からず、言葉を失った。 あまりに強くボタンを押しすぎたせいで、コントローラーが壊れてしまったのだ。 やがて、クレアの画面には「GAME OVER」の文字がうかびあがる。 クレアは茫然自失となってただ、その文字を眺め、動けなくなった。数万の熱い応援を受け、自分の限界を超えた渾身のプレイ、それがあと一歩のところで砕けてしまうなど到底受け入れられない。 クレアは静かに首を振り、そしてガックリとうなだれた。「け、決着! 総合優勝は、ジェラルド・ヴェン……」 お姉さんが声を上げると、王子は慌てて両手を振ってそれを止める。「待て! 待ちなさい! この勝負はドロー。いいね? 引き分けだ。よって、一般の部はクレア嬢、ロイヤルの部は我がそれぞれ優勝だ」「え? それでよろしいのです……か?」「王族に二言はない。機材故障で負けてしまっては彼女がかわいそうだ」 そう言いながら王子は泣きべそをかいているクレアにのそばに立った。「ナイスプレー、最高だった。キミの『想い』見せてもらったよ」 王子はさわやかに笑い、クレアの手を取る。「あっ、いや、そのぉ……」 クレアは調子に乗って自滅したことを恥じ入るようにうつむいた。「ほら、観客に応えないと」 王子はクレアに大歓声の観客を見せる。 そこには最後まで王族相手に死力を尽くした、テトリスの女神に対して惜しみない拍手、歓声を捧げる総立ちの観客たちがいた。「あ&helli
last update最終更新日 : 2025-10-31
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12. いきなりの男爵

 その王子の視線の鋭さにタケルは気おされる。なるほど、王子は自分の|目論見《もくろみ》を暴き、自分に都合よく使おうとしているのだ。しかし、王族と交流を持つというのは諸刃の剣。何の絵も描けていないうちに頼るのは避けたい。ここは触りだけ話して適当に切り上げていかなければ……。「は、はい。会社を起業して、で、電話機を売ろうと考えております」 タケルは一番無難そうな話をする。「電話機……? なんだそれは?」「遠くに居ても会話ができる機械でございます」「ほう、伝心魔法みたいなものだな。なるほど、なるほど……」 王子は感心した様子であごをなでながらうなずいた。「ゲームもできる、電話もできる、そういう端末を売っていきたいのです」「それから?」 王子はずいっと身を乗り出し、真紅の瞳を輝かせてタケルの目をのぞきこむ。「えっ……?」「電話機を売る……、その程度でお主が終わるとは思えん。計画を全て述べよ!」 王子はバン! とテーブルを叩き、確信を持った目でタケルを追い込んだ。 さすが【王国の英知】。その真紅の瞳はどこまでタケルの考えを見通しているのだろうか? タケルはゾクッと背筋に冷たいものが流れるのを感じた。「そ、それは……」 スマホでいろいろなアプリをリリースして莫大な富を築いて魔王を撃ち滅ぼす、そんな計画など王族にはとても言えない。だとすればどこまでが許容ラインだろうか……。 タケルの頭の中でグルグルと落としどころのイメージが浮かんでは消えた。「お主、我が陣営に付け!」 タケルの葛藤を断ち切るように王子は言い放った。「じ、陣営……で、ございますか?」 いきなりのことで言葉の意味が分からず、首をかしげるタケル。「お主も知っておろう。我には兄がいるが、脳筋バカで国を治める器がない。我が王国は魔王の支配領域にも接し、他国との小競り合いも絶えない。そんな中であんな筋肉馬鹿が王になってはこの国はもたん」 いきなり後継者争いの話を持ち出されてタケルは困惑する。自分は単にベンチャーをやりたいだけなのだ。王族のゴタゴタなど勝手にやっていて欲しい。「わ、わたくしのような平民にそのようなお話をされましても……」「男爵だ」「へ?」「我が陣営につくなら爵位を下賜しよう。お主の会社も我が陣営の貴族のルートを通じて盛り上げてやろう。どうだ?」 王子は真紅
last update最終更新日 : 2025-11-01
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13. QRコードで錬金術

「れ、錬金術……ですか?」 タケルは首をかしげながら聞いた。「かーーっ! お主は金融にかけてはからっきしド素人だな! いいか、これはいわば銀行だ。それも庶民が使い、リアルタイムでお金をやり取りできる次世代型銀行だ!」 王子は興奮してドン! とこぶしでテーブルに叩きつけた。「あぁ、まぁ、お金を預けられますからね?」「……。お前、銀行がなぜボロ儲けできるか知ってるか?」 呆れた顔で王子はタケルの顔をのぞきこむ。「えっ……? 預金を貸し出して金利で稼ぐんですよね?」「そうだが、そのままじゃ上手くいって数パーセント、全く儲からん」「え……、では……?」 タケルは困惑した。確かに前世で日本のメガバンクはボロ儲けをしていたが、彼らの貸し出す金利はせいぜい4%。とりっぱぐれることも考えたらとてもそんなに利益が出るようには思えなかったのだ。「金貨十枚預金されたとしよう。銀行はこれを五人に金貨十枚ずつ貸すんだ」「へっ!? 手元に十枚しかないのに五十枚も貸すんですか!?」「そうだ。それで問題なく回ってる。なぜかわかるか?」「え……? なんでですか?」 タケルは首をひねる。無い金を貸し出すなんて、そんなことできるはずがないのだ。「お前、銀行からお金を借りたらどうする? 全額引き出すか?」「うーん、ケースにもよりますが、どこかへ振り込んだり口座に残したりで全額引き出したりはしないですね」「だろ? 要は五十枚貸しても必要な金貨は十枚も要らないんだ」「は……?」「察しの悪い奴だな。どこかへ振り込むって言っても同じ銀行の別の口座なら銀行の外へは出て行かない。金貨が無くても貸し出せるってことだ」「あ……」 タケルは唖然とした。
last update最終更新日 : 2025-11-02
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14. 食べかけのオレンジ

「殿下、本事業は殿下陣営のお力無しでは回りません。ですので、相応の比率を持っていただくのは当然でございます。ですが、迅速な経営判断を実現していく上で、社長が過半数無いと経営が安定しません。私が51%で、お願いできないでしょうか?」「ほう……? 我々はマイナーに甘んじろと?」 ギラリと王子の瞳が光り、タケルの額に冷汗がブワッと浮かぶ。しかし、ここで引いてしまっては何のために事業をやるのか分からなくなる。「わが社での意思決定より、殿下陣営の意向が優先される以上、持ち株比率を多く持っていただく必然性はございません。当社の経営の速度を上げる方が最終的に陣営のバリューは最大化され……」 バン! 王子はテーブルを叩き、不機嫌そうにタケルの言葉を遮った。「それでも三割だと……言ったら?」 ここが起業家の成否の分水嶺。まさに胸突き八丁である。 タケルは大きく息をつくと覚悟を決める。「王国の英知たる殿下は、そのような事はおっしゃらないと信じております!」 タケルは目をギュッとつぶって言い切った。心臓の鼓動がいつになく激しく高鳴っているのが聞こえる。 王子は何度かうなずき、紅茶をすすった。 タケルは生きた心地がしない中、じっと返事を待つ。 王子はカチャリと紅茶のカップをソーサーに置き、ずいっと身を乗り出した。「いいだろう。キミが51%だ……。その代わり、今年中にスタートせよ!」「み、御心のままに……」 タケルはホッと胸をなでおろす。 王族相手に交渉をするというのは常に命懸けだ。きっとこんな交渉ができるのも王子がかなり高い知性を備えているからである。他の王族だったら今頃切り捨てられていておかしくなかったのだ。「それでは、事業計画書を速やかに準備いたします」 タケルは立ち上がり、頭を下げた。「こちらも男爵位下賜の準備を進めておこう。
last update最終更新日 : 2025-11-03
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15. 大きな平和

「タケルさん? 『社長』か『男爵』、どっちで呼んで欲しいですか?」 クレアは後ろ手に組み、碧い瞳で悪戯っぽく聞いた。「えっ!? う、うーん、『CEO』かな?」「は? 何ですかそれ?」「チーフ・エグゼクティブ・オフィサーの略だよ」「……。何言ってるかわかんない! タケルさんは今まで通りタケルさんで、決まり! いいですね? タケルさん!」 クレアは口をとがらせムッとすると、パンとタケルの背中を叩いた。「痛てて! もう……!」 トンチャンチャララン♪ その時、タケルのポケットからマリンバの音が響いた。「おっとっと、殿下だ!」 タケルは慌ててスマホの試作品を取り出し、電話に出る。「もしもし、タケルです!」 いきなり背筋を伸ばしてテトリスマシンのようなものに話しかける姿を見て、クレアはどういうことか分からず、キョトンとする。「は、はい。かしこまりました。いや、そんなことなくてですね。はい……。そうですか、良かったです……。助かります……。それでは馬車をお待ちしてればいいですね? ……。失礼します……」 緊張の糸が切れたタケルはふぅと大きくため息をつくと、台の上にドカッと腰を掛けた。「タケルさん……、それ……、何ですか?」「あ、これかい? わが社|Orange《オレンジ》の新製品、電話だよ。遠くの人と話せるのさ。今のは殿下だよ」「えっ!? えっ!? これで今、殿下と話してたんですか!? えっ!?」 クレアは目を真ん丸くして後ずさる。 遠くの人と話せる伝心魔法というのは聞いたことがあるが、それは特殊なスキルを持った魔法使いだけのモノであり、こんな簡単に使うことなんてできない。この世界では情報の伝達には手紙を使うの
last update最終更新日 : 2025-11-04
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16. 齧られたリンゴ

 王宮の内部に一歩足を踏み入れた瞬間、タケルは目の前に広がる壮麗な光景に心奪われた。優雅な曲線を描く階段が二階へと伸び、その手すりには黄金がふんだんに使われ、煌びやかな輝きを放っている。壁沿いに魔法のランプが整然と並び、壮麗な彫刻と絵画が浮かび上がって、この場所の長い歴史と栄光を語りかけてくるようだった。「いよいよ式典だけれども、キミの場合は敵方が狙っているからちょっと変則的にいくよ」 マーカスはそう言うと辺りをキョロキョロと見回し、タケルの手を引いて細い通路へと入っていった。「狙っているってどういうことですか?」「敵の陣営がキミを取り込もうとしてくるだろう。そして、言うことを聞かないのであれば平民のうちに殺しておこうってことさ」 足早に細い通路を進みながらマーカスは不穏なことを口にする。「こ、殺す!? まさか……」「何言ってるんだ、ここは伏魔殿。平民など『無礼を働いた』という一言で簡単に殺せる世界だぞ? 式典までは敵方に絶対に見つからないように」 マーカスはタケルの平和ボケっぷりに呆れたような顔で諭した。 しばらく通路を進んで、マーカスは周りの様子を見ながら小さな作業室に入っていく。静かにドアを閉め、ガチャリと鍵をかけたマーカスはふぅと大きく息をついた。「これでいいだろう。式典まではここで隠れていよう。とりあえず、お茶でも入れるか……」「あ、僕がやります」「いいのいいの、今日はキミが主役なんだから座ってて! 我が陣営のホープなんだからさ」 マーカスは上機嫌にテーブル席にタケルを座らせると戸棚を漁り始めた。どうやらこの部屋はスタッフたちの休憩室らしい。 と、その時、コンコンとドアがノックされ、緊張が走った――――。 え……? マーカスは眉をひそめ、タケルと顔を見合わせる。誰かが来ることは想定外のようだった。 そっとドアまで行くと静かにドアを開けるマーカス。「男爵様、ジェラルド殿下がお呼びです。緊
last update最終更新日 : 2025-11-05
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17. 斬ってヨシ!

 ジェラルド王子も有無を言わせぬオーラを放つが、アントニオはそれとは次元の違う暴力を背景とした圧倒的なオーラだった。 オーラに威圧されたタケルはカタカタと震えてしまう。 だが、今さら陣営を乗り変えるなどとてもできない相談である。「で、殿下のご意向に背けるはずはございません。ですが、その前に恐れながら、殿下の描く国政の方針をお聞かせ願えますか?」 タケルは絞り出すように震える声で言った。「は? 俺がこの国をどうしたいかって? そりゃ圧倒的な武力! 力こそ全てを解決するパワーだ。我が王国を大陸随一の軍事大国としてこの大陸を統べるのだ!」 ガン! とアントニオはテーブルをゴツいこぶしで激しく叩く。「な、なるほど、素晴らしいですね。ですが、軍事力を強化するにはまず国が豊かにならないと難しいのでは?」「そんなのはお前らの仕事だ! お前はガンガン金を稼いでわが軍を支えろ!」 タケルはキュッと口を結んだ。稼ぎを収奪し、全て軍事侵攻の費用にするつもりなのだろう。もちろんタケルも稼ぎで魔王軍を打破していくつもりではあるが、他国を侵略するつもりなどない。人間同士の殺し合いなどたくさんなのだ。 とはいえ、断れば死である。窮地に追い込まれたタケルは活路を求めて言葉を紡ぐ。「王国のために経済的支援をするのは王国民として当然の務め。ですが、我が稼ぎを軍事に使うのであれば、わたくしめも軍師として作戦の立案などに携わらせてもらえますか?」「は? お前のようなモヤシ小僧が軍に関われるはずなどないだろう! お前は金稼ぎ担当! なんか文句あるか?」 タケルはキュッと口を結んだ。人殺しのための金を稼がされ、使い方にも関与できないなどまっぴらごめん。大きく息をつき、覚悟を決めた。「殿下、わたくしは商人です。見返りのない一方的な利益供与は長くは続けられません」 勇気を振り絞ってアントニオをまっすぐに見つめるタケル。「ほう……? 貴様、死を選ぶ……か?」 アントニオはピクッとほほを引
last update最終更新日 : 2025-11-06
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18. 獲物を見定める視線

 煌びやかな謁見室で無事爵位を下賜されたタケルはその晩、記念パーティの席上に居た――――。 ジェラルドのはからいで高級レストランを貸し切って、ジェラルド陣営の貴族たちも続々とやってくる。「やぁ、グレイピース男爵。お話はかねがね。私は子爵のヴァルデマー。これからよろしく頼むよ!」 グレーの帽子をかぶったパリッとした紳士が握手を求めに来た。隣にはピンクのドレスを着た可憐な少女も並んでいる。「何もわからない新参者です。どうぞご指導のほどよろしくお願いします」 サラリーマン時代に鍛えた営業スマイルで胸に手を当て、握手に応えるタケル。「うん、うん、何でも聞いてくれたまえ。……、で、これがうちの娘……。ほら、挨拶しないか、マデリーン」「は、はい……。あのぉ……」 マデリーンは十三歳くらいだろうか? 端正な顔に上品な雰囲気、さすが貴族令嬢である。ただ、ひどく緊張していて言葉が出てこない。男と話しなれていないのかもしれない。「そんな緊張されなくて結構ですよ。今日は特別に美味しい食事も用意していますからゆっくり楽しんでいってください」 タケルはニッコリとほほ笑んだ。タケルはこの世界ではまだ十八歳だが、精神年齢はアラフォーである。基本的な社交の会話は無事にこなせていた。 マデリーンは恥ずかしそうにこくんとうなずくと、子爵の腕にギュッと抱き着く。「おいおい……。箱入り娘なもので、申し訳ない」「いえいえ、素敵なお嬢様ではないですか。将来が楽しみですね」「おぉ、そうかね? それじゃ、今度改めて食事でも……どうかな?」「はい! 喜んで!」 タケルは満面の笑みを浮かべ、ノータイムで答える。『こういう時は何でもこう言っておけ』とマーカスに言われているのだ。 子爵は嬉しそうに笑い、ボソッとマデリーンに何かをささやいた。 マデリーンは顔をボッと赤く
last update最終更新日 : 2025-11-07
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19. ご令嬢に囲まれて

「どうだ? いい娘見つけたか?」 ジェラルドはタケルの耳元でささやき、パチッとウインクをする。「い、いや、自分はまだそんな……」「何を言ってるんだ……。貴族にとって婚姻関係は最優先事項! 家柄で絞り、候補を後で報告するように!」 ジェラルドはタケルの背中をパーンと叩き、自分は貴族たちに声をかけに行ってしまった。「痛ってぇなぁ……」 タケルが叩かれたところをさすっていると、ぞろぞろと娘を連れた父親たちが集まってくる。「男爵、ご挨拶よろしいかな?」「は、はい! 喜んで!」 タケルは引きつった笑顔を見せながら挨拶をこなしていった。 起業家にとって外交は極めて重要なタスクである。しかし、この世界ではそれが結婚相手を見つけることに重きを置かれている。これにはジョブズもビックリではないだろうか? タケルは結局何も食べられないまま、夜遅くまで親娘たちの対応に追われた。         ◇「タケルさん、お疲れ様っ!」 手伝いに来てくれていたクレアがタケルにアイスティーのグラスを手渡した。「いやもう、外交っていうのは大変だなこれは……」 タケルは疲れ切った顔でアイスティーをゴクゴクと飲む。「美しいご令嬢たちに囲まれてよかったですね! いい娘は見つかりましたか?」 クレアはジト目でタケルをにらむ。「いい娘って……、まだ十八歳だよ、僕は?」「あら? 普通はもう婚約者がいてもおかしくない歳ですけど?」 タケルの飲みほしたグラスを少し乱暴に奪ってトレーに乗せ、チラッとタケルを見るクレア。「でもまぁ、みんないい家のご令嬢でね、孤児院あがりの自分にはちょっとなぁ……」 前世はサラリーマン、この世界に来ても孤児で冒険者だったタケルには、格式や
last update最終更新日 : 2025-11-08
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20. 最後のシチュー

「何食べたい?」 タケルは優しい笑顔でクレアの顔をうかがう。「タケルさんの食べたいものがいいわ!」 パァッと明るい笑顔で笑うクレア。「じゃあ、行きつけのところにしよう。ちょっと汚いんだけど、味は折り紙付きさ」 クレアは嬉しそうにうなずいた。 談笑しながら行きつけのレストランにやってきた二人。細い裏通りにある年季の入った石造りの建物にはかすれた文字の汚い看板が傾いたままになっている。「男爵! ここはマズいですよ……」 SPが飛んできて、入ろうとする二人を諫めた。「え? だってもう他の店やってないし……」「いやしかし、貴族様が入っていいようなところではございません」 タケルはウンザリして首を振る。「今までずっと使ってきて問題なかったんだ。隅っこの席で目立たないようにするから頼むよ」 そう言いながらタケルは強引にギギーっと|軋《きし》むドアを押し開け入っていく。行きつけの店に行けなくなるなんてとんでもない。貴族のマナーなんてクソくらえである。 SPたちは顔を見合い、ため息をついて首を振った。        ◇ タケルは日替わりのシチューとパンを注文し、|リンゴ酒《シードル》でクレアと乾杯した。「カンパーイ!」「お疲れ様!」「ふぅーー、生き返るね」 タケルは恍惚とした表情でシュワシュワとした芳醇なリンゴの香りを堪能する。「今日のタケルさん、カッコ良かったですよ。もうすっかり貴族って感じでした。ふふふっ」「ちょっともう、からかうの止めてよ。場違い感半端ないんだから」 タケルは少し頬を赤く染めてグッとリンゴ酒を傾けた。「はい! お待ち―!」 店のおばちゃんがシチューを持ってやってくる。「おぉ、来た来た! 美味そう!」 お腹が空いていたタケルは、そのトロリとうまみの凝縮された食のアートに
last update最終更新日 : 2025-11-09
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