「高坂初音(こうさか はつね)様、ウェディングプランの解約に伴い、契約どおり前金の二割を差し引かせていただきます。問題なければ、こちらにご署名をお願いします」スタッフが念のためもう一度確認してから、解約書とペンを差し出す。署名欄まで漏れのないように丁寧に案内してくれる。若い女性スタッフが、好奇心を隠そうともせず、目を輝かせてこちらを見ていた。けれど、最後まで言葉を飲み込んだままだった。無理もない。三年前に予約したウェディングプランだ。二度も打ち合わせを重ね、リハーサルまでしたが、結局何ひとつ形にならなかった。そして今日になっても、この結婚は実らなかった。むしろ「キャンセル」という知らせのほうが先になった。誰だって事情を知りたくなる。けれど、誰も知らない。十年付き合ってきた恋人と結婚するつもりでいた私が、婚約を解くと決めるまでにかかったのは、たった一晩だった。その決意にとどめを刺したのは、早瀬陽向(はやせ ひなた)が本棚のいちばん上に隠していた、ひとつのブロック模型だ。月末の大掃除で、私は本棚をうっかり倒してしまった。分厚い棚板とずっしり重いブロックの部材が当たって、私はくらりと目が回る。大きな音に気づいた陽向が慌てて書斎に来た。けれど彼が最初にしたのは、私を気づかうことでも、起こしてくれることでもなかった。彼は床に散らばったピースを見下ろして、見たことのない怒りをあらわにしたのだ。「初音、誕生日プレゼントが気に入らないからって、俺の物を投げることないだろ!」私が説明をするより早く、陽向は「出ていけ」と言い放った。玄関先に一晩立ち尽くし、何度も何度も謝った。だが、戻ってきたのは冷たい通告だけ。「近隣の迷惑になりますので、お引き取りください」と、警備員にそう告げられ、私は追い払われた。私は同じ品を買い直し、前と同じように千字の謝罪文を手書きして、陽向に送った。けれど返事は来ない。代わりに、別の女の子のSNSのタイムラインで、彼の姿を見かけた。香月玲奈(こうづき れな)――陽向の可愛がっている後輩だ。玲奈はインスタに写真をまとめて上げていた。にぎやかな居酒屋の飲み会ショットが並ぶ中、真ん中の一枚だけ、場違いなブロックの城が写っている。【論文が無事に発表されたお祝いに、先輩が徹夜でホ
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