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All Chapters of 悲しみの白髪: Chapter 11 - Chapter 20

22 Chapters

第11話

「クソ!」榎本花梨!よくも俺を裏切り、このような真似をしてくれたな!望は怒りを抑えつつ、傍に転がっているペン型のボイスレコーダーを拾った。「望はあなたと結婚するために、家に逆らって何度も叩かれたけど、家宝のこのブレスレットは手に入れられなかったわ」「私ね、昨日の誕生日パーティーにあなたもいたのを知ってるのよ。あなたがいるのを見ちゃったの」彩葉は誕生日パーティーの会場に行ったのか!花梨に彩葉の腎臓を提供したことも、そのためにお腹にいた子供を中絶させたことも望は全て知っていたと彩葉は聞いていたのだ!望は呼吸をするのも恐怖で震える息遣いになっていた。「彼は十四歳から私に片思いし始めたんだ。彼が少年期に初めて夢精しちゃったのは私を夢に見たからなの。初めての自慰行為の時には私の名前を呼んでたんだから」「ねえ、ちょっとゲームでもしない?望にとって、私のほうが大切なのか、それともそのお腹の中にいる子供のほうが大切なのかさ」望はまるで雷に打たれたような衝撃を受けた。彼はあの日、飛行機が着陸した時のことを思い出していた。彼は降りてすぐに花梨からのメッセージを見て、彩葉が送ってきたメッセージに関してはそれをタップして開くことさえなかった。あの日、彼女もあのカフェにいて、俺が花梨を抱きかかえて行くのを見ていたのだろうか?それならば、彼女はどれほど傷ついただろう?望の手は自分では抑えきれずにがくがくと震えていた。彩葉が花梨から受け取ったこれらのメッセージを見てどう思ったのか想像もしたくなかった。彼女はたった一人でその気持ちとどう向き合っていたのだろうか。彼女はここ最近、どのような気持ちで俺のことを見ていたのだろうか。だからだ。だから彼女は俺が贈ったジュエリーをオークションに出品したのだ。だから彼女は庭に植えていた花を抜き取り、ブランコも壊してしまったのだ。だから彼女はお腹の子を堕ろしてしまったのだ。そして今日というこの日を計画したわけだ!彼女は自分に対するこのようなひどい仕打ちに対して黙っているようなタイプではない。だから、俺の子供を喜んで産むはずなどないだろう!望は呼吸を震わせ、目を真っ赤にさせて瞳に涙を浮かべていた。「彩葉……俺の大切な……」彼はこのときやっとあの離婚証明書を震えながら持ち上げた。これが発行
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第12話

執事が二階にあがってきて、ドアをノックした。「旦那様、入り口にあるあの棺……どのようにいたしましょうか?」部屋の中からは何も返事がなかった。そして暫く経ってから、ドアが開かれた。望は真っ赤に染まった目で、声をからしていた。「まずは死者の魂を数日慰める儀式をしてから、埋葬してくれ」執事はそれに応え、すぐにその手配をしに行った。小さな冷たい棺がリビングのローテーブルの上に安置された。望はソファに腰掛けて、静かにそれを見つめていた。暫くしてから、彼は手を伸ばし、その冷たい棺を懐に抱きしめて、苦痛に満ちた顔で暗くなっていた。これは彼が心の底から期待していた子供だ。彼と彩葉の間にできた子。本来ならば、五十嵐家の後継者となるべき子だった。望の心はナイフでズタズタに刺されたようだった。人生においてここまで後悔したことはない。彩葉のことにもっと気を配っていればよかったのに。明らかに彼女の様子がおかしいことに気づいていたのに、やはり榎本花梨のほうにだけ気を取られ、あの女と一緒にいることを選んでしまった。そしてたった一時間で、邸宅はすでに大きく様変わりした。視界に映るのは白い布と菊の花だけ。望は仏壇の前に跪き、全ての使用人が戦々恐々とした様子で周りで見守っていた。そしてこの時、望の携帯が鳴り響き、電話越しに花梨が誘惑するような声が聞こえてきた。「ねぇ、望、私今あなたのお家の前にいるの。ちょっと出てきて、コートの下に私が何を着ているのか見ない?」望の瞳は暗く沈んだ。そして耳元には彩葉の苦痛に満ちた声が聞こえてきた。「あの日の夜、あんたとあの女が車の中であんなに長い間一体何をしていたのか、私知ってるわよ」彼は勢いよく立ち上がると外に出ていった。花梨はこの時車のドアの前に立ち、ニヤニヤとして彼を見つめていた。彼女は彼のほうへ近寄り、彼の腕に自分の手を絡ませた。「望、朝倉さんがあなたにどんなサプライズを用意してたの?ちょっと私もそれがどんなものか見てみたいなぁ。中に入れてくれない?」望は静かに彼女を数秒間見つめてから、突然笑った。「いいよ」彼は力を込めて彼女の腕を掴み、乱暴に引っ張って家の中へと入っていった。花梨は腕の骨が握り潰されて粉々になりそうなくらい激痛を感じ、眉間にしわを寄せて恨みがましくこう言った。「ちょっと望、痛い
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第13話

花梨は唇を固く結んで目には涙を溜めた。「ごめんなさい、望、私が間違ってた。彼女が堂々とあなたの傍にいられるのが妬ましくて、魔がさして彼女を挑発してやろうかと……まさかこのせいで彼女が子供を堕ろしちゃうだなんて全く想像つかなかったわ。朝倉さんの前できちんと謝ってもいいわ、今後は二度と彼女の前に現れないから。もし、私が憎いなら、あなたも今後私と会ってくれなくたっていいの」花梨の涙が頬を滑り落ちていった。彼女は滅多に泣かない。望の前では昔からずっと立派なお姉さんの姿を見せてきたのだ。犬が彩葉に噛みついて怪我を負わせた時、彼女が涙を見せると、怒りで不機嫌になっていた望はすぐに慌て始めた。彼女は唇を噛みしめて、彼から慰められるのを待った。しかし、今回は望は何も言わず氷のように冷たい目で睨んでいた。「謝る?お前は彼女が一度何かあれば絶対に許さない性格だと知っていて、わざとあのメッセージを送っていたんだろう。つまり彼女を追い出すためだったんじゃないのか?榎本花梨、お前の勝ちだな」花梨の目にはキラリと喜びが浮かんできた。「そう、私は卑劣な人間なのよ。あの人を追い出したいと思ってやったの」彼女はあっさりとそれを認めてしまった。そして望の目を見つめて、近寄り彼の手をとった。「だけどね、望、これも全て私があなたのことを愛しているからなの。愛は一人だけに与えられるものでしょう、朝倉さんになんて分けたくなかったの!彼女に助けてもらった恩を裏切ったとか、逆に恩を仇で返したとか言われてもいい。あのね、望、私たちはもう長年お互いにすれ違ってきたわ。今私はあなたの元に戻って来て、あなたも変わらず私のことが好きでしょう。だったら、どうしてあの朝倉さんの代わりに私を傍においてくれないの?望、今の状況こそ、一番の結末なのよ。私たち一緒になりましょ。こうして正々堂々と胸を張ってあなたの隣にいたいわ」花梨は心からすがるようにそう言った。彼女の瞳には彼を絶対に手に入れてみせるという期待が輝いていた。しかし、望のその眼差しは瞬く間に暗く沈んでいった。彼は彼女の腕を掴み、力を込めて引っ張った。「お前は恩を仇で返す、彼女への恩を忘れるというのだな。榎本花梨、俺は言ったはずだ。彼女はお前の代わりなどではないとな。俺は彼女を愛している、彼女こそ俺の人生で唯一
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第14話

秘書が持って来た資料を見れば一目瞭然だった。花梨はわざと犬を使って彩葉に怪我をさせたのだ。そして拉致されて川辺でひどい目に遭ったのは彼女の元夫が指示を出した犯人などではなかった。それは何の罪もない彩葉だったのだ!望はあの日の惨状のことを思い返してみると、血だらけになり冷たい川に捨てられ、彼にまでひどく殴られ続けたあの情景が頭に浮かんできた。この時、彼は心をズタズタに引き裂かれたように、苦痛で呼吸ができなくなってしまった。自分の愛する彩葉があの時どれほどの絶望を味わい、どれほど自分を憎んだことか、想像もしたくなかった!望は両目を真っ赤にさせ、その呼吸も震えていた。花梨は一歩ずつ後ろに下がり、後ろにいたボディガードにその道を塞がれた。望の声にはもう以前のような愛情深さなど微塵もなかった。「両足を折り、仏壇の前で跪かせて懺悔させろ」「望!」花梨は信じられない様子だった。「どうしてそんなことがこの私にできるって言うのよ!」しかし、望はすでに踵を返して、二人のボディガードに彼女を押さえつけさせ、棒を手に取り高く上にあげていた。ボコッという音が聞こえ、それと同時に苦痛に歪む悲惨な叫び声が響いた。花梨は激痛に冷や汗を流していた。「望……」彼女は話すことができなくなり、二人のボディガードに仏壇の前まで連れていかれて、跪かされた。そして彼女は座布団の上で気を失って倒れた。一方の望は表情を一切変えず、秘書が送ってきた動画をタップした--背景は病院の手術室の前だった。花梨と彩葉が椅子に座っていて、手術室の扉が開き、看護師が焦った様子で血が足りないという話をしていた。泣いて真っ赤に目を腫らし、悲しそうにしていた花梨がこの時急に立ち上がり、首を横に振って拒否した。「私今年腎臓移植手術を受けたばかりですので、献血ができないんです!」そして彼女は彩葉を押した。「あなたもO型よね、早く献血に行って!」望の心はまるで地獄の底に突き落とされたかのように沈み、絶望した。リビングの中は静寂に包まれた。携帯の音だけがはっきりと響いている。「あんたねぇ、望はあんたを助けるために、今こんな状態になってるのよ!」「だから何だって言うのよ!?それは彼が望んでやったことでしょ?望が起きてたって、私から献血してもらうなんて、私が可哀想で拒否
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第15話

花梨は望の瞳の底に沈むその憎しみを感じ取り、後ろにひたすら下がっていった。しかし、望は彼女の襟元を掴んで持ち上げた。彼のその真っ赤に染まった目には怒りと憎しみしかない。「おい、俺はてめぇのためにここまで多くのことをしてやった。彩葉を傷つけることも、自分の子供を脅かすことも知りながらだ。それなのにてめぇはこのような方法で俺にお返しをしてくれるわけだな」花梨は全て終わったと悟った。彼女は恐ろしさのあまり狂ったように命乞いを始めた。「ごめんなさい、望、私は本当にわざとじゃなかったのよ。あいつらがまさかあなたに恨みを持っている奴らだったなんて知らなかったの。私はただあなたに少しでも私のほうへ目を向けてもらいたかっただけ。ごめんなさい、私を許してちょうだい……」彼女の目から大量に涙が流れ出した。今回に限っては本当に怖くなり心からの涙を流しているのだ。この時の望は、彼女を本気で震え上がらせていた。彼女は彼にもうすぐ殺されてしまうのではないかとさえ感じた。「てめぇを許す?」望は激しく彼女を床に叩きつけ、ボディガードに命令を下した。「この女を川辺に連れて行き、あの日の夜妻が受けたことと同じ思いをこいつにも味わわせてやれ」「はい」ボディガードには彼女に近づき、引きずって行こうとした。しかし、花梨は激しく抵抗し、涙声で懇願した。「いや、望、私にそんなことしないでよ!私がしてきたことは全てあなたのためだったのよ。小さい頃から一緒に育ってきたことを考えて……」彼女がいくら何度も彼に許しを請おうとも、望は一目も彼女に目を向けることはなかった。そして彼女は少しずつ引きずられながら外に出て行った。花梨の瞳の底に映る恐怖心は完全に納得のいかない怒りに変わっていた。「五十嵐望!なんであんたなんかがこの私にこんな仕打ちができるのよ!あんたが私にあんなに優しくしてくれたのよ、あんたにだって責任があるでしょ!私をひどい目に遭わせるのはただあんたが鬱憤を晴らしたいがためでしょ?ふざけんじゃないわよ、言っとくけど、あの女はあんたなんかいらないのよ。彼女はあんたとの子供を堕ろして去っていったわ。あいつは二度とあんたの顔なんて見たくないのよ!これであんた達は二度目の離婚よ。五十嵐、あんたは完全に終わりよ!」花梨は引きずられて完全に姿を消した。望は彼女のほうへは一度も顔を
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第16話

望は長い長い夢を見ていた。夢の中で、彼は西海大学の教室にいて、少し榎本花梨の面影がある横顔に気がついた。彼は無意識にじろじろと彼女に目線を向けた。その女学生は視線に気づいて彼のほうへ向き、自分は彼のアシスタントである朝倉彩葉だと言った。彼は授業中に彼女が困った時は助けてあげた。また熱を出した時にはそれをいいことに彼女を留まらせた。そして隠すことなく公に彼女を追い求めはじめた。最初、彼はただ彼女を自分の傍に置いておきたいと思っただけだった。彼女のその横顔がとても懐かしい面影と重なったからだ。そしてやがて、彼は少しずつ彼女の魅力に落ちていった。日ごとにあの強くて優秀な女性を愛するようになった。彼女と結婚するために家族の反対を押し切るほどに。だから彼女はかなり前から誰の代わりでもなくなっていたのだ。彼女は朝倉彩葉だ。彼が愛する女性であり、宝物だ。しかし、結婚してから一年後、花梨が離婚して帰国した。彼女は彼と食事の約束をし、自分の結婚生活における不幸を訴えたのだ。彼はあの少年期に長年片思いし続けた隣のお姉さんを見つめ、心が波打ち、彼女を可哀想だと思った。それがまさか、ただの噂によって、彩葉は彼に離婚届にサインさせるよう仕向け、実家に帰ってしまったのだ。それに彼は怒り、彼女のもとへわけを説明しに行こうとしたが、ちょうど花梨が病気になってしまい、もしすぐに腎臓移植手術を受けなければ死んでしまうという通知を受けたのだ。彼は彼女のために腎臓のドナーを探し続けたが、彼女の体質に適合する者は現れず、最終的にその適合者はなんと彩葉だったのだ。花梨は泣き、彼に救いを求めた。彼は書斎でひたすら三日間思い悩み、最終的に彩葉の暮らす田舎へと赴いた。彼はもともと彼女を探しに行きたかったし、また一つ目的が増えたのだ。彩葉の性格を考えると、彼女は絶対に花梨を助けることに同意しないと分かっていた。彼はただある方法を用いて、彼女の仕事がうまくいかないように仕向けたのだ。そして彼は彼女を取り戻すことに成功し、車の事故を装って彩葉を利用し、花梨を救った。この件に彼は良心が痛み、彩葉にその恩を返そうと必死だった。彼は彼女を妊娠させて、子供を使って自分のもとに留まらせようとした。しかし、一方で彼は花梨の誘惑に勝つことができなかった。彼は彩葉が気づ
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第17話

そして目の前にいたのは、全く知らない女だった。その瞬間、望は呆然としてしまった。彼女はただ後ろ姿が彩葉によく似た女性だったのだ。その女性の夫がすぐ隣にいて、彼が妻の手を掴んで放そうとしないので、望のほうへ近寄り彼を力強く押し退けた。「なにすんだ、てめぇ!」望は全身の力が完全に抜けてしまったかのように、彼に押されて石造りの階段から下に激しく落ちてしまった。彼は全身血まみれになり地面に倒れていて、呆然と空を見つめていた。そして気を失う瞬間、彼は心の中にある思いが浮かんできた。「彩葉、一体君は今どこにいるんだ……」望は重度の脳震盪を起こしており、体中骨折と打撲の傷だらけになった。それでも彼はそれに耐えて、彩葉を探しに行こうとしたが、急いで駆けつけてきた両親から強制的に家に連れて帰らされた。母親が彼の体に覆い被さり、悲痛な様子で泣き叫んだ。「望、自分を見てみなさいよ、まるで生きる屍のようになって、あの朝倉彩葉、一人だけのために自分の人生を棒に振る気?もう三か月よ!そろそろ元の生活に戻って来るべきでしょう!」父親が彼を睨みつけた。「当時お前はどうしても彼女と結婚すると言って聞かなかったよな。結婚できたというのに彼女のことを大事にしなかっただろう。私と母さんは一生仲良く過ごしているんだぞ。それがどうしてお前みたいに結婚というものに不誠実な息子が生まれてしまったのか!彩葉さんの性格を考えれば、意地でもお前に見つからないようにしているに決まっている。たとえ無事彼女を見つけ出したとしても、絶対に許してはくれんぞ!」望の真っ青だった顔からはさらに血の気が失われていった。彼はかすれた声で言った。「彼女が俺を許してくれないってことはわかってるよ。だけど、彼女を探さないなんてできっこないだろう。父さん、母さん、俺は彼女を失いたくないんだよ。絶対に後悔していると謝罪の言葉を直接伝えるまでは、探し続けるからな!」望の父親は彼の顔を思い切りひっぱたいた。「望、お前は五十嵐家の跡取りなんだぞ。それが今や五十嵐家はお前のせいで、社交界では笑い者にされているんだぞ!お前はたった一人の女性のために、五十嵐家のビジネスも台無しにし、面子も潰すつもりか!」望の顔はヒリヒリと痛んだ。泣き崩れた母親と、満面疲労困憊した父親の顔を見て、彼はもう何も言えなくなってし
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第18話

「彩葉」望は目を真っ赤にさせて、嗚咽交じりに小さな声で彼女の名前を呼んだ。しかし、医者として微笑みを浮かべていたその女性は、その瞬間、まるで氷のように冷めたい瞳に変わった。そしてこの時、彼女が強制的に封印していた記憶が次々と蘇ってきた。何度も心理的治療を受けてきた彼女であっても、彩葉はこの瞬間、やはり情緒が不安定になってしまった。しかし、今では心理カウンセラーとしての実力があり、彼女は自分自身の気持ちをなんとか抑えこむことができたのだった。ただこれは一瞬のことで、彼女はまた医者としての仮面を被り直した。「五十嵐さん、お座りください。今日はどういったご相談でしょうか?」この、まるで赤の他人に接するような彼女の態度に、彼は鋭いナイフで心臓をズタズタに引き裂かれたような感覚に陥った。彼は少し声を震わせた。「彩葉、君を三年も探していたんだ……」彩葉は腕時計で時間を確認した。「五十嵐さん、もし心理的なご相談がないようでしたら、今すぐお帰りください。次の患者さんが待っていますので」望はその目を涙でさらに赤くさせた。「彩葉、俺に数分だけでいいから、時間をくれないか……」彩葉は内線をかけた。「すみません、警備員の方を3番診察室にお願いします」望は彼女が完全に彼とは縁を切り、冷たくする様子を見つめ、誰かに心臓を握り潰されるような痛みを感じた。彼は一歩彼女に近づき、手を伸ばして彼女を掴もうとした。「彩葉、そんなに赤の他人のように振舞う必要はあるのか……」その手が彩葉の服の袖に少し触れた瞬間、勢いよく彼女から手を振りほどかれた。そしてもう片方の手で彼の顔に平手打ちをお見舞いしたのだ。彼女は自分の力をフルに使い彼をひっぱたいた。望はその勢いで顔を向こう側に背け、頬がヒリヒリと痛かった。しかし、彼はこのような痛みですらも、心の中に居座る苦痛を和らげてくれるのを感じていた。彼は涙に潤んだ瞳で懇願した。「彩葉、俺を殴ってくれ。君の気が済むなら、どんな方法でもいいから、俺を苦しめてくれよ。ただ少しだけ俺に時間を……」診察室のドアが開かれ、数人の警備員が中へと押し寄せてきた。そしてあっという間に望を捉えたのだ。彩葉の声には一切の感情がこもっていなかった。「その人を追い出してください」そして彼女は彼に背を向けて窓の外を眺めた。
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第19話

あの時、彩葉は国を離れたばかりで、まずは船で隣の国へ行き、それからまた遠く北のほうの大陸へと向かっていった。彼女には十分な資金があったし、人生における目標も失っていた。それで北にある大陸のいくつかの国々を巡り歩いて、それから時間をかけて最終的にフェルランドという国へ辿り着いた。そこは美しくロマンチックだが、悲しみや鬱々とした雰囲気を感じさせる国だった。彼女はある民宿の部屋を借りて、毎日窓辺に座り、外の雪景色とオーロラを見つめていた。頭の中では失った子供や、騙され、失敗に終わった結婚生活、それに亡くなった父親のことを幾度となく思い返していた。彼女の人生には支えとなるようなものがなくなり、生きる気力を完全に失っていた。ある時、オーロラを見終わると、彼女は突然立ち上がり、冷たい湖の水の中へと歩いていった。その氷のように冷たい水がもうすぐ彼女を完全に覆ってしまうという時、突然、ある人が水中に飛び込み、力強く彼女を岸へと引き上げようとした。彼女は必死に抵抗したが、その人物は頑として彼女を放そうとしなかった。彼女に一緒に湖の底へ引きずりこまれそうになろうとも、その手を緩めることはなかった。彼女は死にたいと思っていたが、罪のない人の命も巻き込んでしまってはいけないと思い、結局自分を助けてくれている人の手を握り返して、水面に上がった。そして相手に人工呼吸をしたのだ。その湖に飛び込んで救ってくれた人こそ、一ノ瀬晴斗だったのだ。後から知ったことだが、彼女が借りている民宿は晴斗のこの国での家だったのだ。彼は精神科医で、ここフェルランドで心理カウンセリングの施設を作っていた。彼は前から彼女の様子がどうもおかしいことに気づいていたのだった。湖で溺れそうになったことがきっかけとなり、晴斗のほうから彼女に近づくようになっていった。とても長い時間外との関わりを断っていた彼女は、それから外の情報を彼から受け取るようになり、晴斗からの関心や好意を受け入れるようになっていったのだ。彼のその好意は全く彼女に刺激を与えるようなものではなく、透明で淡々と波を立てない水面のようであったが、いつの間にか彼のその存在に慣れていった。そしてゆっくり彼に対して心の扉を開いていったのだ。晴斗は彼女を極端な考えから抜け出させてくれただけでなく、彼女に心理カウンセラーと
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第20話

「私があんたに探してって言った?」彩葉は冷ややかな声で詰問し、すぐに冷たい笑みを浮かべた。「五十嵐望、あんた今のそんな様子で何がしたいわけ?私たちはもうかなり前に離婚したでしょうが。私ももうはっきりと伝えたはずよ、私の世界から消えろってね!それなのに、あんたはどうしてまた私の目の前に現れるのよ、私を不愉快にさせるため?まさか、こうすることで深い愛情とやら表現してるとでも思ってんの?ただの嫌がらせでしょ!」望は彩葉の言葉を聞き、ただ頭の中で騒音が鳴り響いているように感じた。彼はまさか彩葉が彼のことをそのように思っているとは考えてもいなかった。この三年間彼女のことを必死に探し続けてきたことは、まるで滑稽な笑い話のようだった。彼の声は少しぎこちなくなった。「彩葉、俺、君のために一夜で髪が真っ白に……」彩葉は彼の真っ白に変わってしまった髪とやつれて骨ばった体に数秒目をとめ、また冷笑した。「自業自得でしょ」望は彼女の皮肉が混じった表情を見つめ、心がパリンと割れて粉々になってしまったようだった。彼の声は苦痛で震えていた。「彩葉、俺に対してそんなあんまりだよ。俺は君を愛してるんだぞ。俺が間違ってたって分かってる。君をあんなふうに利用すべきじゃなかった。裏でこそこそとあの女と一緒にいるべきじゃなかったんだ。本当にあいつがこんなことをしてたなんて、俺知らなくて……彩葉、俺さ、あの女にはしっかり罰を与えてやったんだ。あいつが君にやったことと同じことをやって復讐してやった。ここ数年は、あいつ精神病院でもがき苦しんでいるんだよ、彩葉……」「ねぇ、あんたさ」彩葉は彼の言葉を遮った。「また私を騙して連れて帰ろうとして、何を企んでんの?」望は雷に打たれたような衝撃を受けた。望は彩葉をじっと見つめ、唇を震わせていたが、何を言えばいいのか分からなかった。すると、彼は突然力を込めて彼女の顎を上にあげ、まるで狂ったように彼女にキスをしようとした。彩葉はまた彼の頬にビンタを食らわせたが、彼は少しだけ動きを止め、また引き続き顔を彼女に近づけた。その次の瞬間、後ろから何か巨大な力が彼を彼女から引き剥がし、拳で激しく彼の顔を殴った。晴斗は常に体を鍛えており、拳一つで、望は鼻血を大量に噴き出した。しかし晴斗はそれでも手を止めることはなく、一発、ま
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