あの夜、成景は慌ただしく立ち去った。枝織が部屋に戻った時、リリはすでにぐっすり眠っていた。彼女は慎司に礼を言った。「娘の名前、やっと決まったと思う」「何て?」「明珠よ」枝織は言った。「和泉明珠(いずみ あけみ)」これからはこの子を永遠に自分の一番大切な宝物にする。枝織の手が、眠って火照った明珠の頬を優しく撫でた。その拍子に袖が滑り落ち、赤く腫れた腕が露わになった。慎司はわずかに眉をひそめた。「……彼にか?」枝織が「ええ」と頷くと、慎司はすぐに彼女をリビングへと引っ張った。「薬はどこだ?」慎司はまるで枝織自身を宝物のように扱い、優しく薬を塗ってくれた。薄暗い灯りの下で、枝織の顔が赤く染まった。慎司は彼女を気まずくさせないよう、あえて話題を変えた。「あの懸賞金の件、俺の方で何か処理しようか?」あの一億円という懸賞金はあまりにも大きな騒ぎになっていた。枝織は今やネット中の人々から「恩知らずのクズ女」と罵倒されていた。彼女はこの分野のトップクラスの人材でありながら、夫がALSと診断された直後に失踪した。かつて二人の奇跡の愛を羨んだその言葉は、今やすべて裏返り、鋭い刃となって、枝織の心をズタズタに引き裂いた。彼女はもはやネット全体から袋叩きに遭っていた。だからこそ、慎司は何かできることはあるかと尋ねたのだ。だが、枝織はただ静かに首を振った。「ネットなんてそんなものよ。昨日まであれだけ持ち上げていたかと思えば、今日はもう手のひらを返す。放っておけばいいわ」今の自分がそうされているように、いつか成景もまた同じ目に遭うと枝織は知っていた。ただ、その日がこれほど早く来るとは思っていなかった。その日、枝織は病院を出て、明珠の大好物であるサンドイッチを買うため、近所の店に向かっていた。店の入り口に差し掛かった時、小さな人影が不意に飛び出してきた。「ママ!」枝織はその勢いに押され、危うく転びそうになった。嗅ぎ慣れた匂いがふわりと鼻をかすめた。枝織の心が一瞬だけ揺らいだった。たしかに血の繋がりこそ無かったけれど、陽向とは何年もの歳月を共に過ごし、彼女はずっとあの子を実の子として扱ってきたのだ……だが、彼がかつて口にした言葉を思い出すと、込み上げた同情もすぐに飲み込んだ。枝織は陽向を
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