飛行機がトラブルで急降下した、暗闇の8秒間。最初に頭に浮かんだのは、私が帰らなかったら、空港で待つ夫・北条亮太(ほうじょう りょうた)はどんなに悲しむだろうか、ということだった。隣に座っていたカップルは、しっかり抱き合って泣いていた。私と同じ、危うく死ぬところだったんだ。空港が用意してくれたラウンジでは、みんなが電話で無事を知らせている。周りの人たちがすぐに電話を繋いでいるのを見て、私は思わず自嘲気味に笑った。さっき無事に着陸して、息つく暇もなく、私は急いで亮太に電話をかけた。でも、ワンコールで切られてしまった。きっと亮太は、到着ロビーで私のことを心配して待ってくれているはず。そう自分に言い聞かせた。亮太にメッセージを送ろうとしたとき、彼が数分前にインスタを更新していたことに気づいた。それは、彼の幼馴染の内田結衣(うちだ ゆい)とのツーショット写真だった。二人は肩を寄せ合い、頬がくっつきそうなほど顔を近づけて、山の頂上で写真を撮っていた。投稿には【60歳になっても、こうして君とはしゃいでいたいな】と添えられていた。たった一言で、生死の境をさまよっていた私の心配は、笑い話になってしまった。空中で機体が急降下したあの8秒間、夫が私の死を悲しむんじゃないかってばかり考えていた。それなのに彼は、別の女と残りの人生を共に過ごしたいと願っていたなんて。それから30分もしないうちに、私が乗っていた便の事故のニュースが、ネットのトップを飾った。操縦室の窓ガラスが突然割れたらしい。機長は極寒と減圧に耐えながら、手動で飛行機を無事着陸させたそうだ。ニュースを見た両親からはすぐに連絡が来て、友人たちからもメッセージが次々と届いた。なのに、ピン留めしていた亮太からだけは、何の連絡もなかった。彼とのトーク画面は、4時間前に私が送ったフライト情報のままだ。亮太からの返信は、ない。彼が空港に迎えに来てくれるなんて、期待した私が馬鹿だった。隣のカップルの男の子みたいに、彼女を心配して目を赤くしてくれるだなんて、ありえなかったんだ。飛行機の墜落で激しく波打っていた鼓動が、この瞬間、嘘みたいに静かになった。私はメッセージを送った。【離婚しよう】1分後、私のスマホが鳴った。亮太からだった。彼の声は不機嫌そのも
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