All Chapters of 洪水に沈んだ家族の愛: Chapter 1 - Chapter 10

10 Chapters

第1話

家族と海外旅行に来ていたとき、突然大きな洪水に巻き込まれた。私――江ノ上浅乃(えのうえ あさの)の婚約者、宍戸言人(ししど ことひと)は、足の悪い妹・江ノ上葉菜(えのうえ はな)を背負ったまま、私のことなど一度も振り返らずに外へ走り去った。両親は私のことには構いもしないで、葉菜に買ったばかりのインコだけはしっかり連れて行った。彼らはその夜のうちに急いで帰国し、家族のグループラインでは「本当にみんな無事でよかった」と、生き延びたことを互いに喜び合っていた。でも、その中に私のことは入っていなかった。長女の私は、そのときまだ洪水の中で一人取り残されていた。目を覚ました私は、迷わず恩師に電話をかけ、大事な決断を伝えた。……半月ほどして、私は全身傷だらけのまま家に戻った。家の中は笑い声であふれ、床には色とりどりのリボンやプレゼントの箱が散らばっていて、この家にどれだけお祝いごとがあったかを物語っていた。家族ライングループには、親戚や友だちが、洪水から生き延びた「その一家」を祝うために集まったことを、楽しそうに書き込んでいた。婚約者の言人は私に気づき、ほんの一瞬だけ、申し訳なさそうに目を曇らせた。洪水が起きたとき、彼が真っ先に思い浮かべたのは妹の葉菜で、婚約者であるはずの私は、頭の片隅にさえいなかった。両親がこちらを見たときも、その表情はどこか気まずくて複雑だった。あのとき三人は、逃げる準備は何もかも整えていた。葉菜を笑わせるためのインコまでかごごと抱えていたくせに、ただ一人、長女の私は置き去りにされた。言人がそっと歩み寄ってきて、ためらいがちに口を開いた。「浅乃、大丈夫か……あのときは本当に危なくてさ。葉菜は足が悪いだろ。だからまずはあいつを助けるしかなかったんだ」そう言いながら、彼はいつものように私の頭に手を伸ばしてこようとした。私はさりげなくその手を避けて、冷めた目で言人を見つめた。母さんは目を赤くしながら、ぎゅっと私を抱きしめてきた。「浅乃、本当に辛かったわね。お父さんもお母さんも、わざと置いてきたわけじゃないのよ」葉菜がこの家に戻ってきてから、母さんの腕の温もりを感じることなんて、ほとんどなくなっていた。前の私なら、それだけで泣きそうになるほど嬉しかったかもしれない。けれど今の私は
Read more

第2話

翌朝早く、お母さんはプレゼントをいくつか抱えて私の部屋に入ってきた。ひと目で、葉菜に選り分けられた残り物だと分かった。声だけはやわらかいのに、言っていることははっきりした文句だった。「浅乃、本当に気が利かない子ね。帰ってくるなら一言連絡しておきなさいよ。それに、お父さんにあんな冷たい態度取って……あのときあんたのことまで気が回らなかったのは悪かったと思ってるけど、だからって私たちを恨むのは違うでしょう……」母さんの言葉がまだ続いているうちに、私はカーテンを引き開けた。まぶしい光が一気に私の体を照らす。薄いネグリジェ一枚の私の姿があらわになって、お母さんはようやく気づいた。視線の届くところすべて、私の体じゅうが傷だらけなことに。そのときになってやっと、私がどんな目に遭ってきたのかを理解したのだろう。震える両手で傷に触れようとしてきたお母さんの手を、私は無表情のままそっとかわした。ちょうどそのとき、言人が部屋に入ってきて、その光景を目にした。何か言おうとして、口を開く。「浅乃、こんなにひどい怪我して……どうして言ってくれなかったんだよ……」私は二人を、冷めきった目で見つめ返した。「言ってくれなかった」って、何それ。最初から二人の頭の中には葉菜のことしかないくせに。葉菜は連れ去られた先の家で散々な生活を強いられ、栄養も足りず、体もすっかり弱っていた。だからちょっと風邪をひいただけでも、家族総出で病院に連れて行く大騒ぎになる。その一方で、私が急性の胃腸炎で意識が遠のくほど苦しんでいたときも、両親は見て見ぬふりをして、微熱の葉菜を連れて病院に走った。私のほうは、たまたま様子に気づいた近所の人が119番に通報してくれなければ、そのまま倒れていたかもしれない。それなのに病院で私の姿を見つけたとき、二人が口にしたのは「自分に構ってほしくて、わざと大げさにしてるんじゃないのか」という言葉だった。私の目つきがあまりにも冷たかったせいか、彼らの目に一瞬だけ不安そうな色がよぎる。無理もない。葉菜が家に戻ってきてからの私は、ずっとお父さんとお母さんの前では低姿勢で、嫌われないように必死で機嫌を取ってきたのだから。言人は落ち着かない様子で私の手を握り、そのとき、薬指にはめてあった婚約指輪がなくなっていることに気づいた。「浅
Read more

第3話

あっという間に、私と葉菜の誕生日がやってきた。正確に言えば、それは葉菜だけの誕生日だった。私と葉菜の誕生日は本来同じ日だった。でも、彼女が七歳になった誕生日の日、遊園地で迷子になって、そのままいなくなった。あの日から、彼女は十年間行方不明で、その十年のあいだ両親はずっと探し回っていた。ようやく、ある事件の捜査の中で、十七歳になった葉菜が見つかった。家に戻ってきて、葉菜が最初に口にしたのは「もしあのとき姉さんがわざと私を置いていかなかったら、迷子になって連れて行かれたりしなかったのに」という一言だった。その日、両親は初めて、私にあからさまな失望の色を向けた。お父さんは私の言い分なんて聞こうともせず、思いきり頬を打った。それからこの家に、私の居場所はなくなった。それ以降、誕生日を祝ってもらえるのも、葉菜ひとりだけになった。お父さんとお母さん、それに言人が、お姫さまみたいなドレスを着た葉菜を囲んでケーキの前まで連れていき、ろうそくに火を灯して、誕生日の歌を歌いながら、彼女が願い事をするのを待つ。部屋の隅にいる私に、目を向ける人は誰もいない。家で働いている家政婦でさえ、「浅乃様は、ご主人様と奥様の前にはあまり出ないほうがいいですよ。当時あのことさえなければ、葉菜様がこんなに長いあいだ行方不明になることもなかったんですから」なんて、平気で口にする。どんな願い事をしたのかは分からないけれど、目を開けた葉菜は、揺れるろうそくの灯りを味方にするみたいに、素早く言人の頬にキスをした。お父さんもお母さんも止めようともしないで、その様子をどこか嬉しそうに見つめていた。二人はずっと前から、葉菜が言人のことを好きだって知っていた。昔、私が言人を初めて家に連れてきたとき、葉菜は彼を一目見ただけで夢中になって、泣いたりわめいたりしていた。お母さんも何度か、こんなふうに私を説得した。「葉菜は実の妹なんだから、あの子があんなに苦労したのは元をたどればあんたのせいでもあるのよ。ちゃんと償ってあげなさい」その頃の私は頑として譲ろうとしなかったし、言人も両親の前で「一生愛するのは浅乃だけです」とはっきり口にしていた。なのに今の彼は、穏やかに微笑む葉菜を見下ろして、その目にははっきりとした恋しさが滲んでいた。葉菜がろうそくを
Read more

第4話

病院からの海外派遣のメンバーが発表されて、同僚たちはみんな私を祝ってくれた。この派遣プロジェクトに選ばれれば、昇進のチャンスがぐっと近づくと言われているからだ。でも私は、そのチャンスをもう必要としていないことを、誰にも話さなかった。もうすぐ恩師について、国境なき医師団として働きに行くことが決まっているからだ。葉菜も同じ病院で働いていて、派遣メンバーの一覧を見つめたまま、目のふちを赤くしていた。その日の夜、お父さんとお母さんは自ら台所に立って、私のためにごちそうを用意した。食卓で、お父さんはどこか気まずそうな顔で言った。「浅乃、この前は本当に悪かったな。向こうのニュースで洪水のことを見たよ。あのとき、どれだけ怖かったか……」お母さんも目を潤ませていた。「浅乃、お母さんね、あなたの体中の傷を見たとき、どれだけ胸が締めつけられたか分かる?」二人は、自分たちがどれだけ出来の悪い親かを、何度も何度も口にした。昔のことをいつまでも根に持って、私を責め続けるべきじゃなかったとも言った。何度も「ごめん」と繰り返し、許してほしいと頭を下げた。涙声で訴え続ける二人の様子に、私は危うく信じてしまいそうになった。でもすぐに、二人の口ぶりはするりと変わった。「浅乃、病院の海外派遣の枠が発表になったそうだな。葉菜も、もう少しで選ばれるところだったんだってな。あの子の一番の夢が、立派なお医者さんになって人を救うことだって、お前も分かってるだろ……だから、その枠を葉菜に譲ってやれないか?」私の顔が曇るのを見て、お母さんが慌てて言葉を継いだ。「別にお母さんたちが葉菜ばかり可愛がってるわけじゃないのよ。ただ、あの子はあの頃本当に酷い目に遭ってきたんだから、今少しぐらい埋め合わせしてあげるのは当然でしょう?それに、あんたなら放っておいてもすぐ出世できるけど、葉菜はそうはいかないんだから……」思わず笑い出しそうになるくらい、怒りで胸がいっぱいになった。あの子に償うためだと言われれば、お父さんとお母さんの愛情だって、私は譲ってきた。婚約者まで、あの子に譲った。今度はたった一つの昇進のチャンスのためにまで、昔の話を持ち出して私を追い詰めようとしている。私が黙ったままでいると、葉菜は有無を言わせず私の目の前にひざまずき、ぽろ
Read more

第5話

もうとっくに何も感じなくなっていて、この人たちのことでこれ以上傷つくことなんてないと思っていた。お父さんとお母さんの表情が、ほんの少しだけ揺れた。でも、これ以上何を言われても聞くつもりはなかった。「葉菜、海外派遣に行きたいんでしょ。その枠なら、譲ってあげてもいいよ」葉菜はぱっと顔を輝かせて私を見て、お父さんとお母さんも慌ててうなずいた。「私はもう何もいらない。全部葉菜にあげるよ。お父さんとお母さんの愛情も含めてね」お父さんは訳が分からないといった顔をした。「浅乃、お前、その言い方はどういう意味だ?」私は一枚のキャッシュカードを取り出し、お父さんとお母さんの前に差し出した。「このカードには、ここ何年かで私が貯めたお金が入ってる。だいたい2000万くらい。大学に入ってからは家のお金なんて一銭も使ってない。これで今まで育ててもらった分の礼には十分でしょ?」二人が戸惑っているのが分かって、私はさらに踏み込んで言った。「海外派遣の枠と、この2000万。これでお互い、もう貸し借りなしってことにしてくれない?」お母さんの表情が一気にうろたえたものに変わる。「浅乃、どうしてそんなこと言うの!あんたもお母さんの大事な娘なのよ。そんな突き放すようなこと、よく平気で言えるわね……」もうこれ以上言い合う気にもなれなくて、私は肩をすくめた。「じゃあ、海外派遣の話はなかったことにするしかないね」お父さんとお母さんは一瞬で黙り込み、顔を見合わせてから、ためらいながら口を開いた。「……じゃあ約束しろ。あの枠は、必ず葉菜に譲るって」思わず吹き出しそうになるのを、なんとかこらえた。これが「あんたも大事な娘だ」って、口では何度も言ってきたお父さんとお母さんの本性だ。実の両親は、今回も迷うことなく私より葉菜を選んだ。私は上司に、海外派遣の枠を葉菜に譲りたいと申し出た。上司は私を信頼してくれているから、すぐに了承してくれた。ついでに退職願も出すと、国境なき医師団に行くつもりだと知った上司は、小さくため息をついた。「浅乃、国境なき医師団は危険が多すぎるわ。あなたが行ったら……」私は静かに首を振った。この世界に、もう執着するものなんて何もない。それなら、少しでも意味のある場所に身を置いたほうがいい。言人が珍しく病
Read more

第6話

飛行機が着陸した途端、着信とメッセージの通知が山ほど入ってきた。私はその全部を無視して、そのまま恩師の胸に飛び込んだ。先生は大学時代に私と葉菜を教えてくれた人で、私たちのこれまでのことを一番よく知っていて、ずっと私の側に立って信じてくれた。大学の頃から、「葉菜は落ち着きがなくて、腰を据えて物事に向き合えない。でも浅乃は落ち着いていて、地道に頑張れる子だ」とよく言っていた。どうして両親がそこまで無条件に葉菜ばかり可愛がるのか、先生にはどうしても理解できないのだという。先生には子どもがいないから、私のことを本当の娘みたいに扱ってくれる。国境なき医師団の活動がどれだけ危険かも分かっていて、最初は何度もやめるよう説得された。それでも私が本気で決めたと知ると、一緒に行こうと言ってくれた。私たちの働く場所では毎日どこかで砲声が響き、負傷した民間人が次々と運び込まれてくる。気づけば、昔の自分のことなんて考えなくなっていて、目の前の傷病者を助けることだけに心も体も注いでいた。宿舎のネット環境は不安定で、向こうの様子を追う余裕もないまま日々が過ぎていった。そんなある日、先生が、私の両親の「捜索願い」の動画がネットで話題になっているのに気づいた。一年ぶりに画面越しに見る二人は、まるで十年分一気に老け込んだみたいで、カメラに向かって涙ながらに訴えていた。「浅乃、今どこにいるの?私たちが悪かったから、お願いだから一度でいいから帰ってきてちょうだい。会いたくてたまらないんだよ。これからはもう二度と葉菜ばかり可愛がったりしない。あなたも葉菜も、私たちにとって同じくらい大事な子どもだよ。必ず同じように大切にするって約束するから」コメント欄は、私を責める言葉で埋め尽くされていた。【いくら親がえこひいきしてたって、育ててくれた親を捨てて出て行くなんてあり得ない。どれだけ親不孝なの】葉菜は新幹線で急患の手当てをした一件で、「最も美しい医者」なんて持ち上げられていた。その取材の中で、言人の腕に自分の腕を絡ませて、カメラの前に笑顔で並んでいた。「姉さん、姉さんが私のこと好きじゃないのは分かってる。でも、そのせいでお父さんとお母さんまで置いて行くなんて、あんまりだよ。当時わざと私を置き去りにしていなくなったことも、もう恨んでない。お
Read more

第7話

お父さんとお母さんは、私が説得に耳を貸さないのを見ると、私が帰る気になるまでここにいると言い張った。贅沢な暮らしに慣れきっている二人は、すぐに慣れない環境にやられて寝込んでしまった。私は負傷者の世話だけじゃなく、二人の看病までしなければならなくなった。お母さんは高熱を出したのをきっかけに、私にべったり頼りきりになった。「浅乃、家に帰ったらあのキャッシュカード返すからね。中のお金、全然手をつけてないのよ。親が娘のお金なんて使うわけないじゃない」そんな弱った姿を見ていると、さすがの私も少しだけ胸が揺れた。でもその夜、両親の病室の前を通りかかったとき、中で葉菜とビデオ通話をしているのが目に入った。「やっとお姉ちゃんを連れ戻せそうだよ。本当に葉菜は頭が回るな。安心しなさい。お姉ちゃんには、ちゃんとお前と言人の結婚をこの目で見届けてもらうからな」ドアの外に立ち尽くしたまま、全身の血が一気に冷えた。危険を承知で遠い国まで私を捜しに来たのも、結局は葉菜の幸せを私に見せつけるための、同情を買う芝居にすぎなかったのだ。何も知らないふりをして、私は葉菜の結婚式に出席すると返事をした。葉菜が着るウェディングドレスは、かつて私と言人が一緒に選んだあのデザインだった。会場の装飾にいたるまで、もともと私のアイデアそのままだ。言人は私の姿を見つけると、目の奥にうしろめたさをにじませて言った。「浅乃、本当に悪かった」でも私は、とっくに彼への気持ちなんて失くしていた。彼の心が葉菜のほうへ傾いた、そのときから。式が進むあいだじゅう、お父さんとお母さんは涙が止まらず、娘と離れる寂しさをこれでもかと周りに見せつけていた。その最中に、思いがけない乱入者が現れた。錯乱したような女の人が壇上に駆け上がり、葉菜めがけて何度もナイフを突き立てた。「このクソ医者!あんたのせいでうちの子は死んだんだよ!息子を返せ!」会場は一気に大混乱に陥り、私はただ冷めた目でその騒ぎを見ていた。外からはサイレンの音がいくつも重なって聞こえてくる。言人は血だらけの葉菜を抱きかかえ、私に向かって叫んだ。「浅乃、早く葉菜を助けてくれ!」葉菜は意識のないまま救急車で運ばれ、私たち医師チームは総出で処置にあたった。失血がひどく、しかも血液セン
Read more

第8話

お父さんとお母さんは、葉菜の血液型のことが気になって、まだ落ち着かない様子だった。そんなとき、一本の電話がかかってきて、お父さんが思わず声を上げた。「……は?どういうことですか。まさか、うちの子――人違いだったって言うんですか?」お母さんが不思議そうにお父さんを見ると、お父さんはスピーカーモードに切り替えた。電話口の警察官の声が、はっきりと部屋に響く。「申し訳ありません。当時、担当した研修中の警察官が記録を取り違えていたことが判明いたしました。現在ご一緒に暮らしている江ノ上葉菜さんは、ご夫妻の実のお子さんではなかったという結果が出ています。葉菜さんは、別のご家庭から連れ去られていたお子さんで、年齢が本来の娘さんと近かったため、当時の照合に誤りが生じたものと考えられます」お父さんとお母さんは息を呑み、信じられないという声で問い返した。「そ、そんな……じゃあ、うちの本当の娘は?」警察官は重い口調で続けた。「首謀者の供述によると、当時連れ去ったお子さんは、その後まもなく息が弱くなり……そのまま川に投げ捨てた、と」その言葉を聞いた途端、お母さんはその場で崩れ落ちそうになり、私が慌てて支えた。お父さんは必死に気持ちを落ち着かせ、礼を言おうとしたところで、警察官の声が再び聞こえてきた。「それから、首謀者の手元には、当時お子さんが身につけていたペンダントのうち、一つが残っておりまして……犯人の供述によれば、当初は二人のお子さんをまとめて連れ去るつもりだったものの、上の娘さんが激しく抵抗し、蹴ったり叩いたりしたため、ペンダントを引きちぎることしかできなかった、とのことです」お父さんは震える声でようやく言葉を絞り出した。「じゃあ……浅乃は、わざと葉菜を置いて行ったわけじゃなかったのか……?」「そんな意地の悪いお姉さんがいるなんて、考えにくいですよ。犯人も、『あの子は最後まで妹さんを助けようとしていた』と話しています。ただ、当時はまだ小さくて力も足りず、大人にはどうしても敵わなかった。それでも、自分だけでも逃げられたのは、本当に奇跡に近いことだったそうです」その瞬間、ようやくすべての真実が明らかになった。当時の私には言うこともできなかった説明を、やっと別の誰かが両親に伝えてくれた。そのときになってようやく、二人はこの何
Read more

第9話

葉菜は目を見開いてお父さんを見つめ、腫れた頬を押さえながら泣きじゃくって言った。「お父さん、どうして叩くの?お母さん、見てよ、私、死にかけたのに……どうしてそんなひどいことするの?」お父さんは鼻で冷たく笑って言った。「俺をお父さんなんて呼ぶな。俺はお前の父親じゃない」葉菜は涙目のまま、すがるように一歩踏み出した。「お父さん、ちゃんと見てよ。私はお父さんが一番可愛がってきた娘、葉菜だよ」なのにお父さんは、あからさまな嫌悪を浮かべて彼女を突き飛ばし、そのまま床に倒れさせた。縫ったばかりの傷口がまた開き、お母さんの目に一瞬だけためらいがよぎったが、それでも近寄ろうとはしなかった。そこでようやく、葉菜も何かがおかしいと気づいた。「お父さん、お母さん、どうしちゃったの?姉さんがまた何か言ったの?」私のほうを、必死に縋りつくような目で見上げながら言う。「姉さん、あのとき本当はわざと置いていったわけじゃないよね。たとえ私のことが気に入らなくても、お父さんとお母さんとの関係まで壊そうとしないでよ……分かったよ。これからは姉さんが欲しいものは何でも譲る。けど、お父さんとお母さんだけは、誰にも取られたくないの……」私は冷ややかな視線を向けたまま口を開いた。「葉菜、あんたも分かってたでしょう。あんたはお父さんとお母さんの子どもじゃないって」だからこそ、採血の話が出るたびにあんなに嫌がっていたんだ。血液型を調べられたら、自分の正体がばれるって分かっていたから。葉菜の顔から血の気が引き、視線を泳がせながら言い訳をする。「私だって知らなかったの。ただ、小さい頃に怪しい人たちに連れて行かれた記憶しかなくて……」お父さんは堪えきれず、勢いよく蹴りつけながら怒鳴った。「お前、自分の口で『浅乃に置き去りにされた』って何度も言ってただろうが。どうして今になって覚えてないなんて話になるんだ」葉菜は血で染まった病衣を引きずりながら、みっともなく床をはって壁際に逃げた。「だって、お父さんとお母さんが、『どうして姉さんは連れて行かれなかったのに、お前だけいなくなったんだ』って聞くから、私……そんなこと、子どもの私が自分から言えるわけないじゃない……」お父さんは顔を真っ赤にし、ついに怒りを抑えきれずスマホを投げつけた。「ふざけ
Read more

第10話

恩師と一緒に戦地を駆け回り、昼夜を問わず負傷者の治療にあたった。病気の子どもを死のふちから救い出して、あの子たちが感謝の笑顔を向けてくれるたびに、胸の奥が満たされていくのを感じた。昔の私は、自分に自信が持てなくて、お父さんとお母さんの愛も、恋人の愛も、必死に追いかけていた。でも今は、自分で自分を大事にすることこそ、一番大切なんだと分かっている。お父さんとお母さんは私と連絡がつかないまま、またネット上に娘を探す投稿を上げ始めた。あり金をほとんど使い果たし、世界中を探し回っているらしい。回線の調子がいいときに、たまたまその動画が流れてきたことがある。動画の中の二人はすっかり髪が白くなっていて、【愛する娘 浅乃を捜しています】と書かれたボードを掲げていた。「浅乃……お前が俺たちの顔なんて見たくないのは分かってる。それでもせめて、声だけでも聞かせてくれ。会いたいんだ。本当に。全部、悪いのは俺たちだ。ずっとお前のことを誤解してきた。お前はずっと、俺たちが一番誇りに思ってきた娘なんだよ。その道を選んだんだろう?だったら俺も母さんも、何も言わずに応援する。命を救う仕事ほど胸を張れるものはない。これからもずっと、お前を愛してるよ……浅乃」どこから聞きつけたのか、言人が私の居場所を探し当てた。何かを言い出す前に、高熱を出してその場に倒れ込んだ。診察の結果、疫病が流行している地域の子どもに接触していて、すでにウイルスに感染していることが分かった。ワクチンは高価なうえに数が限られていて、一番近い救急センターから取り寄せるにしても、早くて二日はかかると言われた。自分の余命が長くないことを悟ったのか、言人はベッドに横たわり、かすかな息を繰り返していた。「浅乃、お前に会えただけで、もう十分だ。ここで働いてるお前の姿を見てたらさ、昔の、眩しいくらい明るかった浅乃を思い出した。本当に後悔してる。どうして俺は、あんな馬鹿みたいにお前を手放しちまったんだろうな。ああ、そうだ」私のほうへ手のひらを広げると、その真ん中に、小さな指輪が静かに乗っていた。「浅乃……ほら、指輪。必死に探して、ようやく取り戻したんだ。これは、お前だけのものだよ。俺が心から愛してるのは、ずっと浅乃だけだ」そう言い終えると、差し出されていた手
Read more
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status