All Chapters of 【推し声優の恋人になれたのに】ストーカーに追い詰められる私の日常: Chapter 11 - Chapter 20

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第9-2話 違和感②

週末。土曜の昼、蓮くんと会う約束をしていた。夜は康太と会う予定だ。蓮くんには、夜は予定があると伝えてあった。『何の予定ですか?』と聞かれたけれど、『友達と約束があって』とだけ答えた。『……そうですか。じゃあ、昼間会いましょう』蓮くんの声が、少し冷たく感じた。約束の場所は、いつもの個室カフェ。蓮くんは既に席についていた。「美月さん、こんにちは」いつもの笑顔。でも——何か、違う気がした。「こんにちは」席に着く。蓮くんが、じっと私を見ている。「美月さん、今日は何時まで?」「八時には帰らないと……」「誰と会うんですか?」「友達です」「男性?女性?」「……女性です」嘘をついた。康太と会うと言ったら、また何か言われる気がして。「そうですか」蓮くんが少し目を細める。「美月さん、嘘ついてないですよね?」ドクンと、心臓が跳ねた。「つ、ついてないです……」「ならいいんですけど」蓮くんが微笑む。でも、その笑顔が怖かった。六時にカフェを出て、康太との約束の場所に向かう。駅前の居酒屋。暖簾をくぐると、温かい空気と賑やかな声が迎えてくれた。週末の夜、店内は混んでいる。奥の席に、康太が座っていた。手を振っている。「美月、久しぶり」「康太……」久しぶりに会った康太。変わらない、穏やかな笑顔。テーブルには、もう枝豆と冷奴が置いてある。「先に頼んどいた。美月、ビール飲む?」「ううん、烏龍茶で」「わかった」康太が店員さんを呼んで、注文する。その仕草が、昔と変わらなくて。少しだけ、肩の力が抜けた。「どうした?疲れてる顔してるけど」康太が心配そうに覗き込んでくる。「……ちょっと、色々あって」烏龍茶が運ばれてくる。グラスを持って、一口飲む。康太は、黙って私を見ていた。やがて、静かに口を開いた。「蓮くんのこと、調べたぞ」康太の顔が真剣になる。箸で枝豆をつまんでいた手が、止まる。「やっぱり、二年前にストーカー問題起こしてる。共演した声優に異常な執着を見せて、相手の家に無断で合鍵作って侵入したり、SNS全部監視してたり……事務所が金で揉み消したらしい」握っていた箸が、震える。テーブルに置いた。周りの客の笑い声や、ジョッキが当たる音が遠くに聞こえる。「美月、蓮くんは……多分、また同じこ
last updateLast Updated : 2025-12-17
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第10話 真実

「康太!!」叫んだ。康太が私を見る。蓮くんが、康太を睨む。「邪魔するな」低い声。「お前こそ、何してる。美月から離れろ」康太が私と蓮くんの間に割って入る。「美月さんは、僕の恋人です」「不法侵入だぞ。ストーカー行為だ」康太が蓮くんに詰め寄る。「美月を、脅すんじゃねえ」「脅してなんかいません」蓮くんの目が、狂気を帯びている。「愛してるだけです」「これが愛か?」康太が蓮くんの胸ぐらを掴んだ。「お前の愛は、歪んでる」「離せ!」蓮くんが康太の手を振り払おうとする。二人が揉み合う。「やめて!!」私が叫ぶ。床に、スマホが転がっている。蓮くんのポケットから落ちたんだ。私はそれを拾い上げた。震える手で、画面をタップする。110番。警察に、電話をかける。「もしもし、警察ですか……助けてください……ストーカーが家に侵入して……」住所を伝える。状況を説明する。「すぐに向かいます」オペレーターの声。「康太、警察がすぐ来るって!」康太に叫ぶ。康太が蓮くんを床に組み伏せた。「動くな」「離せ……美月さん……」蓮くんが私を見る。その目は——悲しそうで、それでいて狂気を帯びていた。「美月さん……僕は、ただ……美月さんを愛してただけなのに……」涙が溢れてきた。怖い。悲しい。何もかもが、崩れていく。五分後、警察が来た。蓮くんは、抵抗することなく連行された。最後まで、私を見ていた。「美月さん……僕を、見捨てるんですか……」「僕は、美月さんのために……」パトカーに乗せられる蓮くん。康太が、私の肩を抱いた。「大丈夫か」「…………」言葉が出てこない。ただ、震えていた。「もう大丈夫だ。俺が、ここにいる」康太の声が、優しい。私は、康太の胸に顔を埋めて泣いた。
last updateLast Updated : 2025-12-19
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第11話 崩壊と再生

警察署で事情聴取を受けた。蓮くんが私の部屋に無断で入ったこと。合鍵を勝手に作ったこと。以前から束縛的な言動があったこと。監視されていたこと。全部、話した。警察官が言った。「柊木蓮さん、二年前にも同様のストーカー行為で相談があったんです。被害届は取り下げられましたが、記録は残っています」「……そうなんですか」「今回の件、住居侵入罪とストーカー規制法違反で立件します。被害者の方の安全を最優先に考えます」蓮くんは、逮捕された。翌日、ニュースになった。『人気声優・柊木蓮、ストーカー容疑で逮捕』『柊木蓮、交際相手への執拗な監視・侵入行為が明らかに』『声優業界に衝撃、柊木蓮のストーカー問題』Twitterが荒れた。『マジかよ……信じられない』『前もあったって噂本当だったんだ』『被害者かわいそう』『誰と付き合ってたの?』『こういう人、二度と復帰させないでほしい』『ファンを裏切った』『声優の資格ない』私の名前は、幸い出なかった。警察が配慮してくれたらしい。でも——全てが、崩れ去った。推しだった人。恋人になった人。あの優しかった声。全部、何だったんだろう。康太は、その日から東京に滞在している。「店舗の準備もあるし、ちょうどいい」そう言って、昼間は物件を見て回り、夜は私の様子を見に来てくれた。「一人にしとけねえから」康太の言葉が、胸に染みた。「部屋、引っ越した方がいいかもな」ある日、康太が言った。「合鍵作られてたんだろ?気持ち悪くねえか」「……うん」「俺、手伝うから。落ち着いたら、新しいとこ探そう」「ありがとう、康太」康太が微笑む。「当たり前だろ。幼馴染なんだから」半年後、裁判があった。私は、出廷した。証言台に立つ。蓮くんは、被告席に座っていた。視線が合う。蓮くんが、微笑んだ。その笑顔が——あの頃の、優しい笑顔だった。まるで、何も起きていないかのように。背筋が凍った。この人は、本当に——自分が何をしたのか、わかっているんだろうか。「被害者の方、証言をお願いします」裁判官の声。私は、ゆっくりと話し始めた。最初は推しだったこと。やり取りが始まったこと。告白されて、嬉しかったこと。でも、徐々に束縛が強くなっていったこと。監視されていたこと。合鍵を勝手に作られていた
last updateLast Updated : 2025-12-22
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第12話 春の予感

春が来た。桜が咲いて、街が薄紅色に染まる。私は、今日も会社に行く。いつもの電車。いつものルート。でも——去年とは、何もかもが違う。スマホの目覚ましアプリは、もう入っていない。蓮くんの声で起きることは、もうない。普通のアラーム音で、目を覚ます。それでいい。康太は、三ヶ月前に東京に引っ越してきた。渋谷に、とんぼ玉の雑貨店を開いた。「美月のそばにいたいから」そう言って、本当に東京に来てくれた。引っ越しも手伝ってくれた。今は、蓮くんが知らない場所に住んでいる。蓮くんとの関係は切れた。康太は何も言わない。私も、何も言わない。ただ、週に一度、一緒に食事をする。たまに、康太の店を手伝う。そんな、穏やかな関係。でも——最近、気づいた。康太の笑顔を見ると、胸が温かくなる。康太の声を聞くと、安心する。康太がそばにいてくれると、怖くない。これは、何だろう。ある日、康太の店に行った。桜が満開の、土曜の午後。「美月、来たのか」康太が笑顔で迎えてくれる。「うん。手伝いに来た」「ありがとな」店番を手伝いながら、ふと窓の外を見る。桜が、風に揺れている。「綺麗だな」康太が隣に立つ。「うん……」二人で、しばらく桜を見ていた。「美月」康太が口を開く。「ん?」「お前、最近笑うようになったな」「……そう?」「ああ。前は、無理して笑ってる感じだったけど」康太が私を見る。「今は、自然に笑ってる」その言葉が、胸に染みた。「……康太のおかげだよ」「俺?」「康太が、ずっとそばにいてくれたから」振り返って、康太を見る。「ありがとう」康太が少し照れたように視線を逸らす。「礼なんていいよ。俺、美月のこと……」言葉を切る。「美月のこと?」「……いや、なんでもない」康太が頭を掻く。その仕草が、優しくて。温かくて。——好き。その感情が、静かに芽生えていることに気づいた。でも、まだ言えない。まだ、怖い。「康太」「ん?」「私……もう、大丈夫だよ」康太が、私を見る。「蓮くんのこと、まだ完全には忘れられないかもしれない。怖い夢も、まだ見る。でも……」言葉を選ぶ。「前を向いて、歩けるようになった」康太が微笑む。「そっか」「だから……」何を言おうとしてるんだろう。自分でもわからない。
last updateLast Updated : 2025-12-24
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【第二部】第1話 三年後の春

春が来た。三回目の、春。桜が咲いて、街が薄紅色に染まる。私は今、出版社で働いている。三年前のあの事件の後、半年ほど休職していた。毎日悪夢に襲われて、外に出るのも怖くて、何もできなかった。でも——康太が、少しずつ私を外の世界に連れ出してくれた。カウンセリングにも通った。そして、私は職場に戻ることを決めた。「美月が望むなら、俺は応援する」康太はそう言ってくれた。最初は怖かった。蓮くんが、私の勤務先を知っていたから。通勤ルートも、全部知られていたから。でも、逃げ続けるのは嫌だった。日常を、取り戻したかった。職場の人たちは、温かく迎えてくれた。事情を知っている上司は「無理しなくていいから」と言ってくれた。今では、普通に仕事ができるようになった。編集の仕事。本を作る仕事。この仕事が、好きだった。そして週末は、康太の店を手伝っている。渋谷の裏通りにある、小さなガラス工芸の店。「とんぼ玉工房 空」康太が三年前に開いた店は、今では地元で人気の工房になっていた。平日は出版社、週末は工房。忙しいけど、充実している。この生活が、私を少しずつ癒してくれた。今日は土曜日。朝から康太の工房に来ている。「美月、これ棚に並べといて」康太が、新作のガラスビーズを渡してくれる。透明なガラスに、色とりどりの模様が封じ込められている。青、緑、赤、黄色——そして、瑠璃色。「……綺麗」ガラス玉を手に取る。深い青緑。見る角度によって、青にも緑にも見える、不思議な色。柔らかな光を宿している。三年前は、この色を見るのも怖かった。瑠璃色のペン。蓮くんが拾ってくれた、あのペン。全ての始まりの色。でも、今は違う。少しずつ、この色を取り戻している。「気に入った?」康太が覗き込んでくる。「うん」「じゃあ、美月にあげるよ」「いいの?」「ああ。お前のために作ったんだから」康太が照れくさそうに笑う。その笑顔が、温かい。私たちは、二年前から恋人になった。あの事件から一年後。ゆっくりと、少しずつ。康太は急かさなかった。「美月のペースでいい」そう言って、ずっと待っていてくれた。トラウマと向き合いながら、カウンセリングに通いながら、少しずつ心を開いていった。康太の優しさが、私を癒してくれた。今では、悪夢を見る頻度
last updateLast Updated : 2025-12-24
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第2話 忍び寄る影

スクロールする手が、止まる。リプライが続いている。「マジ?声優復帰あるかな」「無理でしょ。あの事件のせいで事務所クビになったし」「でも声は良かったよね…」「被害者のこと考えろよ」「三年前の事件、覚えてる人いる?ストーカーで逮捕されたやつ」「執行猶予終わったら自由だよね」「接近禁止命令出てるから被害者には近づけないはず」「守るかな?」蓮くんの名前。三年ぶりに見る、その名前。息が、止まった。「美月?どうした?顔色悪いぞ」康太が心配そうに覗き込む。スマホを見せる。康太の表情が、一瞬で変わった。目が鋭くなる。「……そうか。もう三年か」執行猶予三年。あっという間だった。いや、長かった。どっちだろう。私の中で、時間の感覚が狂っている。執行猶予が終われば、蓮くんには何の制約もなくなる。刑の執行は免除される。接近禁止命令は残っているけど——あの人は、それを守るだろうか。「待っていてください」裁判の日、最後に言われた言葉が、蘇る。あの微笑み。穏やかで、それでいて狂気を帯びた目。護送される蓮くんの姿。最後まで、私を見つめていた。「美月さん、待っていてください」あの声が、耳に蘇る。「美月」康太の声で、我に返る。「何かあったら、すぐ俺に言えよ」「……うん」「一人で抱え込むなよ。約束だ」「わかってる」でも、心の奥で小さな不安が芽生えていた。また——あの日々が、戻ってくるんじゃないか。会計を済ませて、店を出る。夜風が、少し冷たい。康太と並んで歩く。いつもの帰り道。同じマンションだから、帰り道も一緒。それが、当たり前になっていた。マンションのエントランスに着く。オートロックを解除して、中に入る。エレベーターに乗る。「気をつけろよ。何かおかしいと思ったら、すぐ電話しろ」「大丈夫だって。心配しすぎ」笑ってみせる。でも、康太は真剣な顔のままだった。「美月、俺は本気で心配してる」「……わかった。気をつける」エレベーターが、康太の階(5階)に着く。ドアが開く。康太が降りる前に、私の頭を軽く撫でる。その手が、温かい。「何かあったら、すぐ下りてこい。俺、505号室だから」「わかってるって」「いつでも飛んでくから」康太が真剣な目で言う。「うん」エレベーターのドアが閉まる。
last updateLast Updated : 2025-12-26
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第3話 白い手紙

月曜日の朝。目覚ましが鳴る。ベッドから起き上がって、カーテンを開ける。朝日が差し込んできた。新しい一週間が、始まる。顔を洗って、着替える。鏡の前に立つ。少しやつれた顔。昨夜、結局あまり眠れなかった。康太の声を聞きながら眠りについたけれど、何度も目が覚めた。蓮くんの夢を見た。でも——「大丈夫」鏡の中の自分に言い聞かせる。今日も、普通に仕事をする。普通に過ごす。それが、一番大事なこと。マンションを出て、駅に向かう。いつもの道。いつもの通勤ルート。周りを見渡す。誰かに見られている気がする。——気のせい。そう思おうとする。でも、視線を感じる。振り返る。誰もいない。ただ、通勤する人たちが行き交っているだけ。深呼吸をして、駅に向かった。電車に乗る。いつもの車両。いつもの時間。スマホを見る。康太からのLINE。『おはよう。ちゃんと眠れた?』少し、安心する。『おはよう。うん、大丈夫』嘘だった。でも、心配かけたくない。『今日も気をつけてな』『ありがとう』スマホをしまって、窓の外を見る。流れていく景色。いつもと変わらない、朝の風景。でも——心の奥に、小さな不安が残っていた。出版社に着く。「おはようございます」同僚たちに挨拶をして、自分の席に座る。デスクの上には、今日の仕事の資料が積まれている。編集の仕事。著者との打ち合わせ。原稿のチェック。やることは山ほどある。「水野さん、おはよう」隣の席の先輩、田中さんが声をかけてくれる。30代前半の女性で、いつも明るく優しい人だ。「おはようございます」「顔色悪いけど、大丈夫?」「ええ、ちょっと寝不足で」「無理しないでね」田中さんが心配そうに笑う。優しい人だ。三年前、私が復職した時も、温かく迎えてくれた。仕事を始める。パソコンを立ち上げて、メールをチェック。著者からの原稿が届いている。今日中に、一通り目を通さなければならない。集中する。仕事に集中すれば、余計なことは考えなくて済む。蓮くんのことも、忘れられる。午前中は、順調に進んだ。昼休み。田中さんが「一緒にランチ行かない?」と誘ってくれた。「はい、お願いします」近くのカフェに行く。サンドイッチとコーヒーを頼んで、二人で席に座る。「最近、どう?調子
last updateLast Updated : 2025-12-29
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第4話 事情聴取

翌朝。康太の部屋で目が覚めた。リビングに行くと、康太がすでに起きていた。「おはよう」「おはよう。よく眠れたか?」「……うん」嘘だった。何度も目が覚めた。蓮くんの顔が、夢に出てきた。「朝飯、作ったぞ」テーブルには、トーストと目玉焼き、サラダが並んでいる。「ありがとう」二人で向かい合って座る。「今日、会社休むか?」康太が心配そうに聞く。「ううん、行く。普通に過ごしたい」「……わかった。でも、無理すんなよ」「うん」朝食を食べ終えて、身支度をする。康太が、駅まで一緒に来てくれた。「何かあったら、すぐ連絡しろ」「わかってる」「今日も、迎えに行く」「でも、康太だって仕事が……」「いいから。お前の方が大事だ」康太が、私の頭を撫でる。温かい。子供の頃から変わらない仕草。嬉しいけど——この人、私のこと本当に恋人だと思ってるのかな。「じゃあな。気をつけろよ」「うん。ありがとう」電車に乗る。いつもの通勤。でも、今日は違う。周りの人たち、全員が怪しく見える。誰かが、私を見ているんじゃないか。誰かが、私を監視しているんじゃないか。スマホを握りしめる。大丈夫。康太がいる。警察も動いてくれている。そう、自分に言い聞かせた。出版社に着く。「おはようございます」いつものように挨拶をして、席に座る。「水野さん、おはよう」田中さんが声をかけてくれる。「あれ?今日は化粧薄いね。どうしたの?」「……ちょっと、寝不足で」「大丈夫?無理しないでね」「はい……」仕事を始める。でも、集中できない。パソコンの画面を見ていても、文字が頭に入ってこない。昨夜の手紙。あの写真。蓮くんの文字。全部が、頭の中でぐるぐる回っている。「水野さん」田中さんが、心配そうに覗き込んでくる。「本当に大丈夫?顔色悪いよ」「すみません……ちょっと、トイレに……」席を立って、トイレに駆け込む。個室に入って、ドアを閉める。深呼吸をする。一回、二回、三回。落ち着け。大丈夫。でも——手が震える。息が苦しい。スマホを取り出して、康太にLINEを送る。『康太』すぐに返信が来る。『どうした?』『怖い……』『大丈夫。俺がいる。深呼吸しろ』康太の言葉を見て、少し落ち着く。『うん……』『無理なら、会社休ん
last updateLast Updated : 2025-12-31
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第5話 証拠不十分

翌日の朝。康太と一緒にマンションを出た。エントランスを抜けると、春の風が頬を撫でる。桜の花びらが、舞い落ちていた。三年前の春にも、こうして桜を見た。蓮くんと付き合い始めた、あの春。あの頃の私は、まだ何も知らなかった。「今日も迎えに行くから」康太の声が、いつもより少し低い。昨夜の手紙のことを、まだ気にしているんだろう。「ありがとう」駅で別れる。康太は渋谷の工房へ。私は会社へ。電車に乗り込む。いつもの景色が、窓の外を流れていく。でも今日も、周りの視線が気になる。誰かが私を見ている気がする。スマホを握りしめる。大丈夫。気のせい。そう自分に言い聞かせる。でも手は、震えていた。——もう大丈夫なはずなのに。——なんで、まだ怖いんだろう。出版社に着く。「おはようございます」いつものように挨拶をする。デスクに座って、パソコンを立ち上げる。メールが山積みになっていた。今日は著者との打ち合わせがある。資料を確認する。原稿のチェックリスト。修正箇所のメモ。集中しなければ。仕事をしている間だけは、余計なことを考えずに済む。それだけが、今の私の救いだった。「水野さん、おはよう」隣の席の田中さんが声をかけてくれる。30代前半の女性。いつも明るくて、優しい人だ。三年前、私が復職した時も温かく迎えてくれた。「今日は顔色いいね。少し元気になった?」「はい、大丈夫です」嘘だった。昨夜もほとんど眠れなかった。康太の部屋で、康太の匂いに包まれていたのに。それでも目を閉じると、蓮くんの顔が浮かんだ。「良かった。無理しないでね」田中さんの優しい笑顔が、少しだけ心を軽くしてくれる。午前中。打ち合わせは、無事に終わった。著者は穏やかな人で、修正箇所についても丁寧に対応してくれた。こういう仕事が、私は好きだ。本を作る仕事。誰かの物語を、形にする仕事。昼休み。田中さんが「今日もランチ行く?」と誘ってくれた。「はい」近くのカフェに行く。パスタとサラダを頼む。二人で向かい合って座る。「水野さん、最近大変そうだけど、何かあった?」田中さんが心配そうに聞いてくる。彼女の優しい目に、少しだけ胸が詰まる。「……ちょっと、色々あって」曖昧に答える。「康太くんとは、大丈夫?」田中さんは、康太のこと
last updateLast Updated : 2026-01-01
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第6話 疑惑

翌日。康太と一緒に警察署に向かった。朝から雨が降っていた。冷たい雨。傘を差しても、服が濡れる。「大丈夫。俺がいる」康太が、私の手を握ってくれる。でも、手は震えていた。警察署に着く。受付で名前を告げると、また応接室に通された。山田刑事が入ってくる。その表情が、前回より冷たい気がした。「水野さん、お忙しいところありがとうございます」「いえ……」「こちらの方は?」「浅井康太です。美月の……恋人です」康太が、私の隣に座る。山田刑事が、少し眉をひそめた。「今日は、水野さん一人でお話を伺いたかったのですが」「美月を一人にはできません」康太の声が、低い。山田刑事が、ため息をついた。「……わかりました」資料を開く。「改めて確認させてください。三日前の夜、手紙が玄関のドアに挟まっていたと」「はい」「その時、誰か見ましたか?」「いえ……部屋に入ってから気づいたので」「防犯カメラの映像を確認しましたが、不審な人物は映っていませんでした」山田刑事が、私を見る。「水野さんが部屋に入る前の3時間、誰もそのドアに近づいていません」「そんな……」「カメラの死角から近づいた可能性は?」康太が聞く。「可能性としてはゼロではありません。ただ——」山田刑事が、少し間を置く。「その場合、かなり防犯カメラの位置を把握している必要があります」——蓮くんなら、できる。——あの人なら、絶対にできる。「それから、筆跡鑑定の件ですが」山田刑事が続ける。「手紙の筆跡は、柊木蓮本人のものではありませんでした」「でも、似てました」私が言う。「確かに似ていますが、専門家の鑑定では別人です」山田刑事が、私を見る。その目が、冷たい。「水野さん、正直にお答えください」「……はい」「あの手紙、ご自身で書かれたのでは?」「違います!」声が大きくなる。康太が、私の肩に手を置く。「それはないです」康太が、山田刑事を睨む。「柊木蓮が、誰かに書かせたんです」「それを証明する証拠は?」「……ありません」康太が、悔しそうに答える。「では、こちらも証拠がない以上、柊木蓮を逮捕することはできません」山田刑事が、資料を閉じる。「水野さん、もう一度お聞きします」その声が、さらに冷たくなった。「あの手紙は、本当に誰かから届いたもので
last updateLast Updated : 2026-01-05
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