Se connecter社会人の水野美月は、人気声優・柊木蓮の大ファン。 イベントでの出会いをきっかけに交際が始まり、推しが恋人になる夢が叶った。しかし、蓮の愛は次第に異常な束縛へと変わっていく。毎日何十件ものLINE、行動の監視、友人との交流の制限——そしてある夜、合鍵で侵入してきた蓮は。 推しへの憧れが檻に変わった時、本物の愛とは何かを知る——声優ファンと人気声優の、ダークサスペンス・ラブストーリー。
Voir plus「美月さんは、僕のものです」
壁に押し付けられた。身体が震える。蓮くんの両手が、私の両肩を掴んでいる。
逃げ場がない。
「ずっと、そう決めてたんです」
蓮くんの手が、私の髪に触れる。
「最初に会った時から。美月さんは、僕だけのものだって」
涙が溢れてきた。
怖い。
この人は、私が知っている蓮くんじゃない。
「美月さん、泣かないでください」
蓮くんが優しく微笑む。その優しさが、何よりも恐ろしい。
「僕が、ここにいますから」
「助けて……」
小さく呟く。
「誰も来ませんよ」
蓮くんが私の涙を拭う。
「この部屋、防音しっかりしてるじゃないですか」
「やめて……」
「二人きりで、ゆっくり話せますね」
バッグが、肩から滑り落ちた。中から、スマホが床に転がる。
「スマホ、取りたいんですか?」
蓮くんがそれを拾い上げた。
「警察に電話?それとも、康太に?」
「返して……」
「どっちにしても、させません」
蓮くんがスマホを自分のポケットに入れる。
「美月さん、わかってください。僕は美月さんを愛してるんです」
「これは……愛じゃ……」
「愛ですよ」
蓮くんの目が、じっと私を見つめる。
「僕は美月さんを、誰よりも愛してる。だから、誰にも渡したくない」
「蓮くん……」
「美月さんだけを見てきました。ずっと。美月さんが何を食べるのが好きで、何色が好きで、朝が弱くて、コーヒーに砂糖を入れないことも。休日の過ごし方も、好きな本も、全部」
蓮くんの声が、どんどん低くなる。
「美月さんの全部を、知ってます」
「それは……」
「だって、好きだから」
蓮くんが微笑む。
「好きな人のこと、全部知りたいって思うの、普通じゃないですか」
「普通じゃ……ない……」
「普通ですよ」
蓮くんの手が、私の首筋に触れる。
冷たい。
「美月さんは、僕だけを見ていればいいんです」
「やめて……」
「他の男を見る必要はない」
「康太!!」
叫んだ。
ありったけの声で。
「康太!!助けて!!」
蓮くんの手が、私の口を塞ぐ。
「静かにしてください」
蓮くんの声が、冷たい。
「誰も来ませんから」
涙が溢れて、止まらない。
もう、駄目だ。
誰も、助けに来ない。
五年前
私が柊木蓮の声に恋をしたのは、人生で一番辛い時期だった。
その声は、優しくて、温かくて——
私を、救ってくれた。推しが、恋人になった。
夢が叶った。
そう思っていた。
でも——
その声が、いつから檻に変わったのだろう。
イベントから三日後の夜。残業を終えて帰宅し、シャワーを浴びてベッドに倒れ込んだ。疲れた。今週は締め切りラッシュで、毎日終電だった。スマホを開いて、Twitterをぼんやり眺める。タイムラインには蓮くんの新しい出演情報が流れてきた。「来月、新作ドラマCDか……」呟きながら、画面をスクロールする。その時、通知が来た。DMのマーク。「また営業DMかな……」興味なさげに開いて——固まった。画面に表示される、差出人の名前。柊木蓮(公式)「……は?」声が出ない。なりすましだろう。蓮くんが一般人にDMなんて——認証マーク。公式の、青いチェックマーク。本物だ。画面を見つめる。メッセージが表示されている。『先日はイベントにお越しいただき、ありがとうございました。お手紙、読ませていただきました。五年間応援してくださっているとのこと、本当に嬉しいです。あの時ペンをお返しできなくて……すみません。もしよければ、次回お会いした時にお返ししたいのですが』「……………」もう一度読む。何度読んでも、意味がわからない。ペンを返す?なんで蓮くんが私にDMを?どうやって私のアカウントを見つけたの?パニックになりながら、康太に電話をかけた。呼び出し音が二回鳴って、繋がる。「もしもし?どうした、こんな夜中に」電話越しに聞こえる、康太の声。「康太、聞いて。落ち着いて聞いて」「美月、声震えてるけど」「蓮くんから、DMが来た」受話器の向こうで、三秒の沈黙。「…………はあ?」「寝てない!本当なの!スクショ送る!」電話を耳に当てたまま、画面をスクショして送信する。五秒後、電話越しに康太の声が跳ね上がった。「待って!!これ!!本物!?」「わからない!!でも認証マーク付いてる!!」「どうすんの!?返信すんの!?」受話器を握る手が震える。「わからない!!何て返せばいいの!?」二人で一時間、パニックになった。結局、康太のアドバイスを受けて、こう返信することにした。画面に文字を打ち込む。『こんばんは。お忙しい中ご連絡ありがとうございます。ペンのことは大丈夫です、お気になさらないでください。イベント、とても感動しました。これからも応援しています』当たり障りなく、丁寧に。送信ボタンを押す手が震える。「送った……」電話越しに
イベント当日。電車の中で何度も深呼吸をしていた。黒いワンピース。薄くメイク。三十一歳らしく、落ち着いた雰囲気を心がけた。若作りして浮くのが一番怖い。蓮くんのファンは二十代前半が多い。私なんておばさんの部類だ——そう思いながら、会場の劇場に到着した。入り口には長い列。みんな、私と同じように緊張した顔をしている。でも、その目はキラキラと輝いていた。座席は前から五列目。ステージがよく見える。隣に座った女の子同士の会話が聞こえる。「ねえ、今日のお渡し会で何渡す?」「手紙と、クッキー焼いてきた!」「えー、すごい!私は色紙」みんな準備万端だ。私はというと、手紙を一通。便箋三枚に、五年間の感謝の気持ちを綴った。何度も書き直して、やっと完成したもの。——これを、蓮くんに渡せるんだ。照明が落ちた。ステージに光が当たる。会場がどよめく。そして——彼が現れた。「こんにちは。柊木蓮です」声。生の、柊木蓮の声。いつもイヤホン越しに聞いていた声が、空気を震わせて直接耳に届く。「今日は『月夜の恋文』朗読劇イベントにお越しいただき、ありがとうございます。精一杯お届けしますので、最後まで楽しんでください」深々とお辞儀をする蓮くん。黒いシャツに、濃紺のジャケット。すらりとした長身。柔らかく微笑む表情。写真で見るより、ずっと綺麗な人だった。朗読劇が始まる。物語は、戦場に向かう騎士と、彼を想う令嬢の恋。二人は文通でしか想いを伝えられない。蓮くんが演じるのは、騎士。『——君の手紙を読むたび、僕は生きる理由を思い出す』低く、優しく、それでいて切ない声。『どうか、待っていてほしい。必ず、君のもとに帰るから』胸が締め付けられる。演技なのに、本当に誰かを想ってるみたいに聞こえる。声だけで、こんなにも感情が伝わってくる。朗読劇が終わる頃には、会場中がすすり泣きで包まれていた。私も、泣いていた。「……ありがとうございました」蓮くんの声が震えている。彼自身も、感情が入りすぎて涙ぐんでいるようだった。カーテンコール。鳴り止まない拍手。「皆さんの温かい拍手が、本当に嬉しいです。ありがとうございます」何度も頭を下げる蓮くん。そして——お渡し会の時間。列に並びながら、ずっとドキドキしていた。手紙を握りしめた手に、汗が滲
「——おはよう」低い声が、部屋に響く。掠れて、それでいて艶のある声。耳の奥に染み込むような響き。まるで恋人が枕元で囁くように、柊木蓮の声が私の朝を連れてくる。「今日も一日……僕と一緒に頑張ろうか」水野美月——三十一歳。都内の出版社で編集アシスタント。彼氏いない歴イコール年齢。最後に告白されたのは大学時代。もう十年も前のことだ。スマホの画面には、柊木蓮の笑顔が映っている。三年前のイベント特典でもらった目覚ましアプリ。何百回と聞いた声なのに、毎朝この声を聞かないと一日が始まらない。——もう一度。指がスマホに伸びる。もう一度、あの声を。「おはよう」再生。低音が身体の芯まで響く。喉が震える。胸の奥が疼く。これが、私の生きる理由だった。五年前、深夜アニメ「黎明の騎士団」で初めて聞いた、あの声。蓮くんが演じたのは、主人公の親友である騎士・アルベルト。正義感が強くて、不器用で、大切な人を守るためなら自分を犠牲にする——そんなキャラクター。最終回。アルベルトが主人公を庇って倒れるシーン。『……行け。お前は、お前だけは……生きろ』掠れた声。呼吸の音。消えゆく命の儚さを、声だけで表現していた。あの日、私は号泣した。アニメのキャラクターの死で、あんなに泣いたのは初めてだった。それから——柊木蓮という声優を追いかけるようになった。三十過ぎて何やってるんだろうと思わなくもない。でも、蓮くんの声を聞いていると、灰色だった日常に色がつく気がした。会社で嫌なことがあっても、帰りの電車で蓮くんのボイスドラマを聞けば頑張れる。休日に予定がなくても、蓮くんの出演する朗読劇の配信を見れば孤独じゃない。誰にも必要とされてない気がする夜も、蓮くんの「おやすみ」で眠れる。——推しの声で、生きている。「……ダメだ、起きなきゃ」声に出して、ようやく身体が動いた。時計を見る。午前八時。出社時刻まで三十分しかない。飛び起きて洗面所に向かう。イヤホンからは蓮くんのラジオが流れている。『今日のメール。ペンネーム「蓮くんの声で目覚めたい」さんから……って、これ毎週送ってくれてる人だ。ありがとうございます』私が投稿したメール。読まれた時の感動を、今でも忘れない。東京に来たのは九年前。憧れだった出版社に就職が決まって、故郷の奈良を出た。一人暮
「美月さんは、僕のものです」壁に押し付けられた。身体が震える。蓮くんの両手が、私の両肩を掴んでいる。逃げ場がない。「ずっと、そう決めてたんです」蓮くんの手が、私の髪に触れる。「最初に会った時から。美月さんは、僕だけのものだって」涙が溢れてきた。怖い。この人は、私が知っている蓮くんじゃない。「美月さん、泣かないでください」蓮くんが優しく微笑む。その優しさが、何よりも恐ろしい。「僕が、ここにいますから」「助けて……」小さく呟く。「誰も来ませんよ」蓮くんが私の涙を拭う。「この部屋、防音しっかりしてるじゃないですか」「やめて……」「二人きりで、ゆっくり話せますね」バッグが、肩から滑り落ちた。中から、スマホが床に転がる。「スマホ、取りたいんですか?」蓮くんがそれを拾い上げた。「警察に電話?それとも、康太に?」「返して……」「どっちにしても、させません」蓮くんがスマホを自分のポケットに入れる。「美月さん、わかってください。僕は美月さんを愛してるんです」「これは……愛じゃ……」「愛ですよ」蓮くんの目が、じっと私を見つめる。「僕は美月さんを、誰よりも愛してる。だから、誰にも渡したくない」「蓮くん……」「美月さんだけを見てきました。ずっと。美月さんが何を食べるのが好きで、何色が好きで、朝が弱くて、コーヒーに砂糖を入れないことも。休日の過ごし方も、好きな本も、全部」蓮くんの声が、どんどん低くなる。「美月さんの全部を、知ってます」「それは……」「だって、好きだから」蓮くんが微笑む。「好きな人のこと、全部知りたいって思うの、普通じゃないですか」「普通じゃ……ない……」「普通ですよ」蓮くんの手が、私の首筋に触れる。冷たい。「美月さんは、僕だけを見ていればいいんです」「やめて……」「他の男を見る必要はない」「康太!!」叫んだ。ありったけの声で。「康太!!助けて!!」蓮くんの手が、私の口を塞ぐ。「静かにしてください」蓮くんの声が、冷たい。「誰も来ませんから」涙が溢れて、止まらない。もう、駄目だ。誰も、助けに来ない。五年前私が柊木蓮の声に恋をしたのは、人生で一番辛い時期だった。その声は、優しくて、温かくて——私を、救ってくれた。推しが、恋人になった。夢が叶った。そう思ってい