「小夜子……」(お前はどうなんだ。大事にしてもらったというが、俺はお前に報いているのか? お前がくれた温かさを、俺は返せているだろうか) 相手を思う心。今までの隼人になかった視点だった。(俺は形ばかりを模倣しようとしていたのか。中身のない箱に、いくら綺麗な包装紙を貼り付けたところで、それはゴミと変わらない) 隼人は茶を一口すすり、深く息を吐いた。◇ グランドオープンを目前に控えた夜。ロビーには静けさが満ちていた。 深夜のミーティングで集められたスタッフたちは、疲労の色を隠せないでいる。無理な笑顔を作り続けた代償だ。 隼人は彼らを見回し、短く告げた。「昨日のマニュアルは破棄する」「え?」 スタッフたちが顔を見合わせた。「装飾品もすべて撤去だ。元の『聖域』に戻す」「し、しかし社長。それではまたM氏に酷評されてしまうのでは……」「いや、全てを元に戻すわけではない。少しだけ変える」 隼人は言葉を切り、小夜子へと視線を移した。彼女は壁際で静かに微笑んでいる。「無理に笑わなくていい。話しかける必要もない。ただ、目の前の客を観察しろ」 隼人の声は以前のような張り詰めた冷たさではなく、地に足の着いた重みがあった。「今、その客が寒がっていないか。喉が渇いていないか。誰かと話したがっているか、あるいは放っておいてほしいのか。それだけを見ろ。Mが言った『中身』とは、そういうことのはずだ」 数値を追うな。人を見ろ。それはかつて効率至上主義だった隼人が出した、精一杯の「人間宣言」だった。 スタッフたちの肩から力が抜けていく。安堵と、新たな使命感を含んだ空気が広がった。「解散。明日はヴァレンティン氏が来る。過度な演出は不要だ。ただの人間として迎え入れろ」「かしこまりました」 スタッフたちが持ち場へと散っていく。残された広大なロビーに、隼人と小夜子だけが残った。
Last Updated : 2026-01-26 Read more