All Chapters of ディリアン公爵様、奥様が離婚を望んでいます!: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話

満足したか、だって?セレーネは、一度として満たされなかったことなどない。他の男を思い浮かべたことも、一度もない。なぜなら――いつだって、ディリアンが彼女を支配してきたからだ。夫の欲を受け止めるだけで精一杯なのに、どこに「不満」などあるというのか。ディリアンの性欲は異常なほど強い。三度抱いても、決して満足しない。しかも、夜の営みには「決められた日」がある。毎日ではないからこそ、その夜が来れば――彼の淫らさは、抑えがきかなくなる。一度だけ、北方領へ赴いたことがある。そこは、ディリアンの領地であり、祖母と母、そして側近たちが管理する土地だった。あの一か月。毎晩、眠ることを許されなかった。抱かれ、抱かれ、抱かれ続けた。あれは、最初の妊娠だった。そして、そのせいで、流産した。彼は、身籠った彼女を休ませなかった。自分の子を宿した妻を、壊すほどに求め続けた。あまりにも、皮肉で、あまりにも、惨かった。……寝室へ戻り、ディリアンはセレーネを大きな寝台へ横たえた。しばらく、何もせず、ただ、蒼白ながらも艶を失わない妻の顔を見つめる。「俺、やりすぎたか?痛かったか?」珍しく、心配そうな声だった。流産したばかりだという事実が、脳裏をよぎっているのだろう。「大丈夫ですわ」セレーネはそう答え、そっと寝具を引き寄せ、身体を隠した。だが――ディリアンは容易くそれを引き剥がす。白い肌が闇の中で際立ち、まるで、そこだけが光を放っているかのようだった。「ディリアン」弱々しく呼ぶ。「なんだ?俺は、まだ終わってない」セレーネの目が、見開かれる。――まだ終わってない?浴室で、あれほど長く、身体が限界だと、そう思っていたのに。ディリアンは寝台へ上がり、再び彼女を押し倒す。逃げ場はない。唇が重なり、深く、貪るように。まるで、終わりを拒むかのように。「ゆっくり、してください……」「無理だな」そう言って、彼は彼女の両手を頭上へ押さえつける。まるで、囚人のように。「あなたは恋人にも、こうなのですか?」確信を込めた問いだった。愛している相手なら、きっと、もっと。「恋人?誰のことだ」「ヴィヴィエンヌです!」ディリアンは、即座
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第12話

はあっ……はあっ……はあっ……荒い呼吸だけが残り、ようやくすべてが終わった。二人は並んで横たわり、セレーネは疲労に包まれながらも、隣でディリアンに抱き寄せられているのを感じていた。……どれほど眠っていたのか。目を開けると、カーテン越しの柔らかな光が差し込み、頬を淡く照らしている。そっと顔を向けた瞬間、セレーネの視線は、隣で眠るディリアンを捉えた。珍しい光景だった。いつもなら、目覚めたとき、隣は空っぽだ。ディリアンが朝まで共に眠ることなど、ほとんどない。最近は、何かが変わっている。けれど、その意味を、セレーネ自身も測りかねていた。夜明け近くまで続いたせいで、疲れ切って眠っているのか。それとも――ここが彼自身の部屋だから、安心して眠れているのか。身体を動かそうとして、失敗する。重たい腕が腹部に回され、逃がさぬよう、きつく抱き寄せられていた。首筋にかかる温かな息。セレーネは、動けずに息を整えるしかない。身体中が、信じられないほど痛んでいた。昨夜、何度も、何度も求められ、意識が遠のくほどだった。それなのに。頬が、また熱くなる。思い出しただけで。何年も共に床を共にしてきた中で、初めて――ディリアンが、彼女の名を呼んだのだ。「セレーネ」セレーネは、ぎゅっと目を閉じる。胸に突き刺さる、この正体不明の感情を、追い払うために。揺らいではいけない。そう、分かっているのに――そのとき、腹部に回された手が、動いた。視線を向けると、ディリアンが目を開けていた。眠気を帯びた、赤い瞳。「起きていたのか」掠れた低い声。答えず、セレーネは顔を前に向ける。だが、次の瞬間、身体を引き寄せられ、隙間なく密着させられた。背後で硬くなった感触に、セレーネの顔が一気に赤くなる。恥ずかしい、それなのに、全身が粟立ち、勝手に強張ってしまう。「何をなさっているのですか?」もがくように問う。ディリアンは身を屈め、耳元で囁いた。「起きちまった。もう一回、欲しい」「な?!あなた、正気か――っ!」抗議は、最後まで言わせてもらえなかった。完全に包囲される。今朝の彼女は、間違いなく「獲物」だった。満足を知らぬ夫。拒否を許さぬ夫。
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第13話

「死ぬ、だと?」ディリアンの声が跳ね上がり、彼は勢いよく上半身を起こした。鋭い視線が、まるで突き刺すかのようにセレーネを射抜く。「馬鹿なことを言うな」そう吐き捨てると、彼はベッドを降り、長い一日に備えるかのように身支度を始めた。「わたくしも、いつかは死にます」セレーネの声は低く、しかしはっきりとしていた。ディリアンが振り返る。その視線が、妻の顔に深く突き刺さる。「あなたも、いずれは、時が来れば、死ぬでしょう」静かに、感情を揺らさぬまま、セレーネは続けた。沈黙が落ちる。ディリアンは何も言わず、ただ思考だけを巡らせているようだった。どう答えればいいのか、分からない、そんな気配。「ただ、知りたかっただけです」セレーネの声は小さい。だが、震えを含んでいた。「もし、わたくしがいなくなったら、あなたは、どう感じるのか」ディリアンは小さく息を吐き、向き合うのを拒むように視線を逸らす。「意味のない話をするな」冷たく言い捨て、彼は浴室へと入っていった。残されたセレーネは、ベッドに横たわったまま天井を見つめる。空気には、まだ夫特有の匂いが残っていた。それは、なぜか心を落ち着かせると同時に、胸を鋭く刺した。気づけば、再び眠りに落ちていた。……日が高く昇ったころ、セレーネは目を覚ました。身体は重く、昨夜の名残が全身に残っている。身を起こし、簡単に室内を整える。ディリアンが、自分の私室に他人が触れることを嫌うのを、彼女はよく知っていた。身支度を終え、食堂へ向かう。扉を開けた瞬間、足が止まった。そこには、オデット、祖母、そして、ディリアン。三人分の視線が、一斉にセレーネに向けられる。整えられた髪、美しいドレス。だが、首元に残る赤い痕は、隠しきれなかった。祖母が、意味深な笑みを浮かべる。「なるほど、朝食に来ないわけだね。昨夜はずいぶん励んだようだ。次の子を作るために」セレーネは、すっと頭を下げる。「遅れてしまい、申し訳ありません。祖母様、義母様」意識的に、祖母の方だけを見る。いつもならディリアンの側に寄り添うのに、今日は違った。その微妙な距離に、ディリアンは理由の分からぬ落ち着かなさを覚える。オデットが、穏やかながらもはっきりと言
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第14話

「公爵は、やはりおかしいと思います?」セレーネは、隣を歩くイラルドにそう尋ねた。「はい、奥様」イラルドは一切迷いなく、正直に答える。「やっぱり、わたくしだけじゃありませんでしたね」セレーネはそう呟くと、それ以上言葉を交わさず歩みを進めた。……日が落ち、夜が近づいていた。ディリアンは、本当に、夕食前に戻ってきた。約束通りだ。だが、彼は一人ではなかった。ヴィヴィエンヌが、ぴたりと彼の腕に縋りついている。二階の回廊から、セレーネは冷ややかにその光景を見下ろしていた。感情の波が胸を揺らすが、その視線には一切の温度がない。二人は並んで広間に入ってくる。まるで、世界に他の人間など存在しないかのように。「ディリアン……」ヴィヴィエンヌの声は甘く、しかし確かな圧を含んでいた。指先が彼の腕を強く掴み、「自分のもの」だと誇示するように。周囲の使用人たちの視線など、まるで気にも留めていない。「お母様とお祖母様は帰ったのよね。それじゃあ、今度はわたしを追い出すつもり?」高い天井に声が反響し、場の空気が張り詰める。普段なら、セレーネの前では距離を保っていた二人。だが今日は違った。仮面は剥がれ、すべてが露わだ。公然と二人だけの世界を作り上げている。ディリアンの視線は冷たい。だが、吐き出された言葉は、それ以上に鋭かった。「俺とお前の悪い噂は、もう北部にまで広がっている。お母さんとお祖母さんに、これ以上『お前を捨てろ』と迫られたくない」一瞬、間を置いてから続ける。「だから、これからどうやって、俺のそばに残るつもりか。よく考えろ」沈黙。それを聞いた者たちが、息を呑む。それは否定でも、弁解でもなかった。あまりにも露骨な、事実の肯定。「わたしは、あなたを愛している、ディリアン」ヴィヴィエンヌの声が震え、感情に耐えきれず崩れる。二階で立ち尽くすセレーネの身体が、強張った。かつてなら、その一言で心は粉々に砕けていたはずだ。もう平気だと思っていた。だが、違った。痛みは確かに残っている。それも、より深く。昨夜、あの男はわたくしを抱き、優しく名前を呼び、まるで「わたくしだけ」が特別であるかのように囁いた。それなのに今は、別の女が、公然と
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第15話

「これを用意したのは、お前か?」ディリアンがイラルドに問う。「いいえ、旦那様。すべて奥様が整えられました」ディリアンは黙り込んだ。脳裏に浮かぶのは、常に彼の身の回りを気にかけてきたセレーネの姿。どれほど無視してきても、彼女は変わらなかった。「そうか。風呂に入る」短く告げ、彼はその場を離れた。湯を使い終えた後、ディリアンの足は自然と一つの扉の前で止まった。セレーネの部屋だ。ためらいもなく、彼は扉を開ける。室内では、薄いローブを纏ったセレーネが、モナとデイジーに手伝われていた。突然入ってきたディリアンに、彼女はわずかに眉をひそめる。「まだ終わっていません」冷えた声。「構わない。待つ」「今夜は夜伽の日ではありません。何の用ですか?」「俺はいつでも入れる。あなたは俺の妻だ」その一言で、モナとデイジーは顔を見合わせ、静かに退室した。扉が閉まり、二人きりになる。「明日、出征する」ディリアンの言葉に、セレーネは小さく頷いただけだった。「出発まで、そばにいろ」その言葉に、セレーネは眉を寄せる。「冗談ですか?」答える代わりに、ディリアンは彼女の腰を掴み、乱暴に口づけた。「やめてください……」「無理だ」唇を離さず、低く言い切る。「あなた、いつもと違います……」「戦争に行く。妻を求めて、何が悪い」重く、逃げ場のない声。セレーネは言葉を失った。「俺はまだあなたの夫だ。だから、あなたには俺を受け入れる義務がある」耳元で囁かれ、セレーネは息を詰める。「分かりました。でしたら、あなたの部屋で」だが次の瞬間、ディリアンは彼女の体を抱き上げた。「ディリアン!下ろしてください!」抵抗も虚しく、彼はそのまま寝室へ運び、ベッドへ放り投げる。衣服が一枚ずつ外され、鍛えられた体が露わになる。そこに刻まれた古傷の数々に、セレーネは思わず言葉を失った。「なんだ俺を見る目は、よそよそしいぞ」「慣れていないだけです」セレーネは小声で答えた。ディリアンは距離を詰め、彼女の衣を引き下ろす。「お前は、これを待っていたじゃないのか?」セレーネは視線を逸らさず、静かに言い返す。「ディリアン……あなたが今まで、わたくしの気持ちを気にしたことがあ
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第16話

「俺はお前を、永遠に手放せない」その言葉は、夜明けを迎えてもなお、セレーネの耳にこびりついていた。彼女は先に目を覚まし、隣で眠る男を見つめる。ディリアンは穏やかな寝息を立て、昨夜のすべてが夢だったかのような顔をしている。けれど、セレーネにとっては違った。身体に残る痛みも、心を縛る鎖も、あまりにも現実的だった。ディリアンが目を開けると、その視線は真っ先にセレーネを捉えた。満足げな、かすかな笑みが浮かぶ。まるで、妻がまだ自分の傍にいることを確かめるかのように。「いつまで、そうして俺を見ているつもりだ」掠れた声に、セレーネの肩がわずかに強張る。「いいえ。もう朝ですわ。ご出立の準備をなさってください」そう言って身を起こした瞬間、掛け布がずり落ち、朝の光が白い肩を照らした。ディリアンの視線が鋭くなる。次の瞬間、彼は身支度をするどころか、セレーネの身体を軽々と抱き上げた。「ディリアン……!」突然のことに、セレーネの身体が硬直する。冷たい眼差し、所有を誇示するような笑み。「一緒に風呂に入ろう」拒む余地はなかった。昨夜と同じように、セレーネはただ身を委ねるしかない。夫の執着に絡め取られたまま。ディリアンは浴室へと足を進める。立ち上る湯気が空間を満たし、石鹸の香りと、二人の残り香が混じり合った。「降ろしてください。わたくし一人でできますわ……」震える声でそう告げると、ディリアンは大理石の床にゆっくりと彼女を降ろした。だが、腰に回した腕は離さない。セレーネが距離を取ろうとした瞬間、彼は顎を掴み、無理やり視線を合わせる。「そんなに早く、俺を手放したいのか?」問いかけというより、脅しに近い声だった。セレーネは言葉を失う。その眼差しも、その力も、抗えるものではない。シャワーの水が落ち、二人の身体を濡らす。逃げる暇すら与えず、ディリアンはセレーネを強く抱き寄せ、首元に唇を押し当てた。熱く、執拗で、逃げ道を許さない。「ディリアン……」セレーネの声が震える。「昨夜の後で、まだ拒むつもりか?」低く掠れた声とともに、彼の身体がさらに迫り、二人の間の距離は完全に消えた。流れる水で肌は滑り、触れ合うたびに逃げることが難しくなる。ディリアンの腕に抱きすく
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第17話

「お前は、俺のものだ」その言葉が、今もなおセレーネの頭から離れなかった。そして、昨夜の言葉――「俺はお前を、永遠に手放せない」寡黙なディリアンが口にした以上、それは単なる言葉ではない。一つ一つが誓いのようで、呪縛のようで、彼女をより強く縛りつけてくる。けれど、セレーネには分からなかった。彼の心はヴィヴィエンヌのものではなかったのか。彼の愛は、とうに別の女へ向けられているのではなかったのか。それなのに、なぜ、まるでわたくしが手放せない所有物であるかのように語るのか。その問いは、昼を迎えるまで、彼女の思考を占領し続けた。城の中庭には、鋼の靴音が響き渡る。兵士たちの行進、舞い上がる砂塵。空は熱を帯びているはずなのに、セレーネの身体には冷えが這い上がってきた。回廊に立ち、長いドレスの裾を風になびかせる。表情は静かでも、胸の奥は揺れていた。その時、ドアが開いた 。姿を現したのは、戦装束に身を包んだディリアン・レヴェンティス。陽光を反射する鋼は威厳に満ちていたが、セレーネの目には、獲物を狙う魔の影のように映った。紅いその眼差しが、真っ直ぐに彼女を射抜く。兵士でも、将軍でもない。ただ、彼女だけを。魂の底まで見透かされるようで、セレーネは思わず息を止めた。「悲しくはないのか」低く、冷たい声。セレーネは背筋を伸ばす。胸の震えを押し殺して。「何を悲しむ必要がございますの?」ディリアンは薄く笑ったが、その瞳は鋭い。「本当に変わったな」セレーネは視線を逸らす。中庭の端に、近づくこともできず立ち尽くすヴィヴィエンヌの姿が見えた。その唇に、皮肉な笑みが浮かぶ。「わたくしより、あなたの恋人の方がよほど辛いのではなくて?」皮肉を込めた言葉。それでも、ディリアンは振り返らない。視線は、ただセレーネに向けられたまま。「恋人は、あちらにおりますわ。お傍に行かれては?」セレーネが静かに言う。「だが、俺の妻はここにいる」その一言が、胸を刺した。一瞬、心が揺らぐ、だが、すぐに硬く閉ざす。これは、人前での体裁に過ぎない。そう言い聞かせた。「一体、何をなさるのです?」困惑した声。「それは俺の台詞だ」セレーネは深く息を吸う。「これ
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第18話

――ディリアンが戻る頃、わたくしは、もうここにいないかもしれない。それが、セレーネの決意だった。待つつもりは、もうなかった。逃げるための準備も、すでに整っている。何故なら、どれだけあの男を待っても、すべてが無駄になる事実を、彼女は分かっていた。そのときだった。城門の前で、セレーネの足が止まる。目の前に立っていたのは、ヴィヴィエンヌ。豪奢なドレスに、きらびやかな宝石。まるで自分の価値を世界に誇示するかのような装いだった。セレーネは、その顔を静かに見つめる。作り笑いと虚飾に塗り固められた表情。もはや隠しきれていない本性。周囲の誰の目にも、ヴィヴィエンヌが嫉妬と傲慢を抱えたまま、恥もなく近づいてくるのは明らかだった。派手な装いも、セレーネの簡素な気品を打ち消すことはできない。「皆の前でディリアンに口づけされたからって、いい気にならないで。あの人があなたを愛しているなんて、思い上がらないことね」腕を組み、冷たく言い放つ。セレーネは動じない。「ご忠告、感謝いたしますわ」その一言に、ヴィヴィエンヌは言葉を詰まらせた。言い返す?いつものセレーネなら、あり得ない。「自分の姿を見なさい!あなたがディリアンに釣り合うとでも?!」声を荒げ、周囲の視線を集める。セレーネは小さく息を吐いた。高価な宝石、真紅の豪華なドレス、すべてディリアンから贈られたもの。それを彼女は知っている。なぜなら、すべて帳簿に記されていたのだから。「わたしの方が、あなたよりよほど相応しいわ」ヴィヴィエンヌは胸を張り、尊大に言い放つ。「まあ。わたくしに口づけされたことが、そんなに悔しかったのですか?」セレーネは淡々と返す。争う気すらなかった。「違うわよ!そんなことで何を誇れるっていうの!」声が甲高くなる。セレーネは薄く微笑んだ。「わたくしは、公爵夫人ですもの。正妻ですわ」ヴィヴィエンヌは唇を強く噛みしめた。「それでも、わたしは彼の女よ!ディリアンがいなくても、わたしは城に来続けるのだから!」必死に体面を保とうとする。「どうぞ、ご自由に」セレーネは静かに告げる。「ですが、お義母様やお祖母様がいらした時、わたくしがあなたを庇うことは、決してありませんわ」
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第19話

ヴィヴィエンヌの言葉は、決して思い込みだけではなかった。彼女は理解している。ディリアンが自分を必要としていることを。でなければ、セレーネの背後で、あれほど長く関係が続くはずがない。ヴェラは控えめに微笑むと、主の後に続いた。ほどなくして馬車は、モロー伯爵家の邸宅の前で止まる。屋敷に足を踏み入れた瞬間、柔らかな声が迎えた。「まあ、ヴィヴィ。恋人のお見送りをしてからのご帰宅かしら?」モロー伯爵夫人が、嬉しそうに目を細める。ヴィヴィエンヌは顎を上げ、満足げに微笑んだ。「さすがお母さん。はい、その通りです。しかも、謝罪の手紙までいただきましたの。贈り物付きで」「贈り物ですって?」伯爵夫人は身を乗り出す。ヴィヴィエンヌは、ディリアンの書簡に添えられていた書類を差し出した。それを開いた瞬間、伯爵夫人の目が大きく見開かれる。「自動車?!」驚愕の声が上がる。「はい、お母さん。皇族しか所有できない特別仕様のものです」「まあ、それは……」伯爵夫人は胸に手を当て、感極まったように息を呑んだ。「それほどまでに、あなたは公爵様にとって大切な存在なのね……」ヴィヴィエンヌは誇らしげに微笑む。「はい。欲しいものは、何でも与えてくださいます。あの田舎者とは、大違いです」「お父様も、きっとお喜びになる」「父はどこに?」「ここだ」落ち着いた低い声が響く。モロー伯爵が部屋に入ってきた。「お父様!」ヴィヴィエンヌは駆け寄り、伯爵は穏やかに娘の髪を撫でる。「公爵様から、自動車をいただきましたの」弾む声で報告すると、伯爵は眉を上げた。「自動車か……それなら、専属の運転手を探さねば」「自分で運転したいですわ」「ヴィヴィエンヌ」伯爵の声が低くなる。「それは玩具ではない。それに、公爵が贈ったのは象徴として、軽々しく扱うものではない」「ええ、そうよ」伯爵夫人がすぐに頷く。「あなたを大切に思っていらっしゃるからこそ、よ」その言葉に、ヴィヴィエンヌの表情が曇った。彼女はソファに腰を下ろし、唇を尖らせる。「大切、ですか。でも、昨夜も一緒に泊まることを断られましたわ。『結婚前だから』って、いつも、そう言い訳なさるの」伯爵と伯爵夫人は、顔を見合わせる。「そ
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第20話

「さすが、わたくしの娘ですわ」抑えきれない誇らしさを滲ませ、伯爵夫人は微笑んだ。その瞳は輝き、賞賛と自慢がないまぜになっている。ヴィヴィエンヌは勝ち誇ったような笑みを返した。まるで、この瞬間すべてが自分のために用意された舞台であるかのように。背筋を伸ばし、優雅でありながら揺るぎない自信をまとって、両親を見渡す。ほどなくして、足音も控えめに執事長のベルナールが入室した。「旦那様、ご報告がございます。お荷物をお届けに来た者がおります」丁寧で落ち着いた声だった。「荷物だと?」伯爵は眉を上げる。興味は引かれたが、まさか度肝を抜かれるとは思っていない。次の瞬間、ヴィヴィエンヌが勢いよく立ち上がった。「それ、きっと自動車ですわ!大きな車体でした?」期待に満ちた声は、まるで欲しかった玩具を前にした少女のようだった。伯爵夫人も手を叩き、同調する。「ええ、ヴィヴィ。素晴らしいことですわ。自動車ですよ?わたくしたちほどの家でも、そう簡単に持てるものではありません。まして、娘が、だなんて」「はい、奥様」ベルナールは一礼する。「受け渡しには、ご署名が必要とのことです」ヴィヴィエンヌは顎を上げ、尊大な態度で立ち上がった。その姿は、周囲の誰にも引けを取らぬ、まさしく貴族の令嬢そのものだった。「案内して」待つことなく歩き出し、ベルナールが先導する。伯爵と伯爵夫人も、その後に続いた。屋敷の正面庭園に出た瞬間、三人は思わず言葉を失った。漆黒の車体。夕陽を飲み込むかのように艶めき、異質な存在感を放っている。洗練された未来的な設計でありながら、気品を失わないその姿は、並の貴族では到底手に入らぬ代物だと、一目で分かった。「本物、なのか?」伯爵は目を見開き、近づいてそっと車体に触れる。「まさか、我々の家が、こんなものを所有する日が来るとは……」伯爵夫人は身を屈め、内部を覗き込む。「ご覧なさい、ヴィヴィ。革張りの座席、滑らかな操縦桿、細部に至るまで完璧ですわ。皇帝陛下でさえ、そう多くはお持ちでないはず」ヴィヴィエンヌは満足げに微笑んだ。「ご覧になりました?これすべて、公爵様からの贈り物ですわ。わたしのための」その声には、誇りと、隠しきれぬ優越感が滲んでいた。「詫び
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