All Chapters of 彼女のいない世界: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話

祐介が、愛のために結婚式に乱入したというニュースは、瞬く間にトップ記事になった。誰もが祐介と愛奈の関係について、興味津々で噂をしていた。愛奈は、自分を乗せて車を走らせようとする祐介を見て、最高にロマンチックだと思った。やっぱり、祐介は自分のことをこんなに愛してくれているんだ。他の男と結婚させるなんて、できるはずがなかったんだ。「祐介先輩、私のためにこんなことして……若葉はどうするの?」祐介の運転する手が一瞬止まった。そして、淡々と言った。「若葉は物分かりがいいから大丈夫だ。それに、明日俺と結婚するんだ。騒いだりしないよ。若葉は成績がいいから、君の論文も彼女に頼んでおいた」「ほんと?」愛奈は嬉しそうに祐介の首に抱きつき、キスをした。「祐介先輩、ありがとう」その言葉が終わらないうちに、ゼミの先生から電話がかかってきた。愛奈は喜んで電話に出た。しかし、電話の向こうの先生から、いきなり怒鳴りつけられた。「平野!論文、一体何を提出したんだ?」先生の声はかすれていて、心底がっかりしたような怒りがこもっていた。「佐藤にしっかり指導してもらうように言ったはずだぞ。どうやら、私の理解とはずいぶん違う形で指導してもらったようだな!?恥知らずめ!どうして君みたいなのが私のゼミにいるんだ!」愛奈はわけもわからず怒鳴られ、完全に混乱してしまった。おそるおそる大学のウェブサイトを開いた。すると、課題ページに表示された内容を見て、悲鳴をあげた。「きゃっ!」愛奈の顔は、恥ずかしさと怒り、そして驚きで染まっていた。「祐介先輩、これって全部……あなたが撮ったものなの?私たちが前にどこでしたか……全部書き留めておいたの?」祐介は嫌な予感がして、愛奈からスマホを奪い取って画面を見た。そこには、自分が撮った愛奈のプライベートな動画と、30万字にもなる長文の日記が、課題ページに表示されていた。論文のタイトルは『先輩との恋愛日記』で、署名は愛奈の名前になっていた。祐介は目を見開き、急ブレーキをかけて車を停めた。まるで雷に打たれたかのように固まって、目の前の光景が信じられなかった。どうして、若葉が知ってるんだ?自分の最も隠していた秘密が白日の下に晒され、祐介は全身の血が凍りつくような感覚に襲われた。気づいたとき
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第12話

その言葉を聞いて、祐介は真剣な顔で言った。「結婚のことは後回しだ。今は若葉の居場所を見つけることが一番大事なんだ。一人でマンションに戻ってくれ。急用があるから、先に行く」走り去っていく車を見て、道端に置き去りにされた愛奈は思わず拳を握りしめた。絶対に、祐介の口から結婚の約束を取り付けなければ。祐介が家に帰ると、いきなり花瓶が飛んできた。「この馬鹿息子が!」祐介はさっと身をかわした。高価そうな花瓶は顔の横を通り過ぎ、後ろで派手な音を立てて割れた。「人の結婚式に乗り込んで花嫁を奪った挙句、あんな動画まで公開しやがって……佐藤家の顔に泥を塗ったんだ!」父親の佐藤聡(さとう さとし)は怒り狂って叫んだ。「夏川さんから婚約破棄を言い渡されたぞ!俺の目の黒いうちは、平野のような女をこの家の嫁にすることは絶対に許さん!」「婚約破棄?」祐介は信じられないというように、ゆっくりと顔を上げた。「お父さんまで、若葉の芝居に付き合うのか?あいつは9年も俺を想って、明日のためだけにずっと待っていたんだ。若葉が、俺との結婚を諦めるわけがないだろう?」「お前というやつは……」聡は、婚約解消の書類を祐介の顔に叩きつけた。「いいだろう。明日の結婚式に、夏川さんが本当に現れるか、見ものだな!」目の前の書類を見て、祐介の目に一瞬、迷いの色が浮かんだ。なにか大切なことを、忘れてしまっているような気がした。「いや、若葉は必ず来る」祐介は、その点については絶対の自信を持っていた。祐介はいてもたってもいられず、若葉の家へ向かった。しかし、家中を探しても若葉の姿はなく、電話も一向につながらなかった。あの動画のせいで拗ねているだけかもしれない。そう思うと、祐介は少しだけ落ち着きを取り戻した。翌日、祐介は仕立ての良いスーツに着替え、準備を万端に整えた。招待客全員が、祭壇に立つ祐介とともに、花嫁の登場を今か今かと待っていた。祐介は祭壇の上で、用意していた指輪を手に、ずっと入り口を見つめていた。あの見慣れた姿が現れることを願って。「祐介先輩!」純白のドレスを着た女性が現れ、祐介の顔が一瞬輝いた。だが、それが誰かを確認すると、その表情はすぐに暗く沈んだ。「どうして君がここに?」愛奈は、長いドレスの裾を引きずり
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第13話

祐介はどうしようもなくなり、若葉の姉の莉子に電話をかけた。「若葉は……一体どこへ行ったんですか?どうして今日、来なかったんですか?」「祐介、婚約解消の書類は2週間前に送ったはずよ。まさか知らないなんて言わせないわよ?」莉子はオフィスでデスクに座っていた。薄いレンズの眼鏡が、冷たく光を反射していた。「どういうことですか?」祐介は焦って言った。「どうして俺はそのことを知らないんですか!?」祐介が聞き終わる前に、莉子は一方的に電話を切った。大事な妹の心をズタズタにしたクズ男に、莉子はこれ以上話す気はなかった。祐介は、まるで殴られたように呆然とした。忘れかけていた細かいことを必死に思い返すと、若葉が何度か言い淀んでいたことを思い出した。でもあの時、愛奈のことばかり気にかけていた。だから、若葉が言おうとしたことなんて、まったく気に留めていなかったのだ。祐介はついに少し焦り始めた。それでも信じられなかった。若葉は9年も自分を好きだったんだ。急に好きじゃなくなるなんて、ありえない。もやもやした気持ちを抱えたまま、祐介はアトリエのドアを開けた。中に入ろうとしたその時、床に落ちている白い手紙が目に留まった。拾い上げてみると、それはくしゃくしゃに丸められた婚約解消の書類だった。それを拾ってよく見ると、署名の日付はちょうど2週間前だった。若葉は嘘をついていなかった。本気で自分から離れようとしていたんだ。自分が口走ったひどい言葉の数々を思い出すと、祐介の胸は少し痛んだ。「こんにちは、佐藤さんでしょうか?」祐介がぼうぜんとしていると、「タイムカプセル郵便」と書かれた制服を着た配達員が、アトリエのドアをノックした。祐介は少し不思議に思いながら言った。「はい、そうですが、何かご用でしょうか?」配達員は祐介だと分かると、ほっと息をついて言った。「いやあ、ご本人様でよかったです。実は、夏川さんから9年前にあなた様宛に書かれたお手紙をお預かりしています。ずっとお探ししておりまして、やっと見つけることができました」配達員が差し出したピンク色の封筒を見て、祐介は目を見開いた。「これが……若葉が9年前に俺に書いた手紙ですか?」「はい」配達員はにこやかに、書類へのサインを求めた。「こちらにサインをお
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第14話

祐介は手紙を読み終えると、一晩中黙り込んでいた。彼は一人アトリエにこもり、ひたすらタバコを吸い続けた。たった数百文字の手紙を、何度も何度も読み返していた。これほどまでにお人好しな人がいるなんて、祐介は想像もしていなかった。ほんのささいな手助けを、9年間もずっと胸に抱きしめ、恋心を育んでいたなんて。そして、自分は一度も若葉の話に耳を貸そうとしなかったことを、今更ながら思い知った。お見合いの日、嬉しそうに、でも少しぎこちなく話す若葉の様子が頭に浮かぶ。冷たく話を遮られた時の、あの悲しそうな顔も……胸が締め付けられるように苦しくなった。それは戸惑いのようでもあり、後悔のようでもあった。これまでずっと、若葉のことなど気にも留めてこなかった。それなのに、彼女は一体どうやって、ほんのわずかな希望だけを頼りに今まで耐えてこられたのだろうか?自分本位に生きてきた祐介は、初めて柄にもない罪悪感に苛まれた。この感情が何なのか自分でもよく分からない。でも、今すぐに若葉に会いたいと、強く思った。「祐介様、夏川様のスマホのIPアドレスを特定しました。江川市内にある廃工場です…」「廃工場だと?」祐介の心臓は、喉元までせり上がってくるような気がした。「女の子が一人で、そんな寂れた場所に何をしに行くんだ!住所を送れ!すぐに向かう!」廃工場に向かう車内で、部下が山道の監視カメラの映像を見せてきた。そこには、助手席で手足を縛られ、身動きが取れなくなっている若葉の姿が映っていた。それを見た祐介はいてもたってもいられなくなり、部下に車を飛ばすよう命じた。ようやく工場にたどり着き、辺りをくまなく捜索してが、見つかったのは若葉のスマホだけだった。スマホは壊れていて、持ち主の安否を暗示しているかのようだった。祐介は胸を痛めながらそのスマホを拾い上げると、鋭い声で言った。「3日以内だ。監視カメラに映っていたあの三人を見つけ出せ!そして、奴らをここに連れてこい!」部下の仕事は早かった。2日も経たないうちに、若葉を拉致した犯人たちが捕まった。廃工場に縛り付けられた犯人たちは、恐怖で顔を見合わせるだけで、誰一人声を出せない。祐介は容赦なく、リーダー格の男に蹴りを入れた。「言え。若葉はどこだ?」犯人たちは顔面蒼白になりながらも、ま
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第15話

男が言葉を言いかけた途端、祐介が突きつけたナイフの切っ先が目の前に迫り、男は肝を冷やした。「ああっ!は、話します!話しますから!」男は恐怖で震え上がり、もう何も隠さず、愛奈に若葉の拉致を指示された経緯を洗いざらい白状した。祐介は信じられないといった様子で、歯を食いしばりながら尋ねた。「もう一度言ってみろ。誰の仕業だ?」「ひ……平野さんです……」その言葉を聞いても、祐介はまだ信じられなかった。かつての、優しくて善良だった後輩が、こんなにも悪辣な心を持っているとは信じがたかったのだ。その時、後ろにいた部下が祐介にファイルを転送した。「祐介様、たった今、とあるIPアドレスから暗号化されたメールが届きました」祐介が見ると、それは音声ファイルだった。ファイルを開いて再生すると、もともと険しかった表情は、会話の内容が進むにつれてさらに曇っていった。犯人たちの話と、内容がすべて一致していた。そして、録音から自分の声が聞こえてきた時、祐介は黙り込んだ。ついに、若葉が何も言わずに去ってしまった理由を悟った。若葉は、すべてを聞いてしまっていたのだ。なぜだか、祐介は一抹の動揺を覚えた。「このIPアドレスは特定できるか?」部下は困ったように答えた。「難しいかと……相手は使い捨てのIPを使っています。追跡しても、おそらく偽のアドレスでしょう……」祐介は苛立ちに眉間を揉み、手を振ると、犯人たちは連れて行かれ、全員始末された。若葉を傷つけた者は、一人たりとも許さない。邸宅に戻った祐介は、愛奈に電話をかけて問いただそうとした。だが、書斎に向かうと、部屋から甘ったるい香りが漂ってきた。中を覗くと、愛奈がセクシーなレースのランジェリー姿でデスクにうつ伏せになり、9年前のラブレターを読んでいた。「祐介先輩、こんな幼稚で馬鹿げたもの、まだ持ってたの?」愛奈は笑いながらそれを放り投げると、さりげなくネグリジェの肩紐をずらした。「若葉のことはもう忘れて、私のことを考えてみたらどう?」祐介は鼻で笑った。ちょうど探していたところだ、と。次の瞬間、愛奈は天国から地獄へと突き落とされた。暗い地下室の中、ごつごつした冷たい石が肌を擦りむいた。愛奈は祐介と知り合って長いが、彼の顔にこんな表情が浮かぶのを初めて見
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第16話

祐介は、ついに堪忍袋の緒が切れた。彼は愛奈の頬を強く殴りつけると、そのまま蹴り飛ばした。愛奈の体は、一瞬で数歩分ほど宙を舞った。「ああっ!」全身を襲う激痛で、悲鳴をあげる気力もなかった。愛奈はボロ布のように隅でうずくまった。体中が痛くて、手足がバラバラになりそうだった。愛奈には理解できなかった。ほんの数日前まで、あんなに情熱的に自分を求めてきた男が、今ではまるで地獄の鬼のように恐ろしい形相をしているなんて。祐介は何も言わず、あらかじめ用意しておいた録音と証言を再生した。自分の声が聞こえてくると、愛奈の顔はみるみるうちに青ざめていった。何か言い訳をしようとしたが、祐介はその言葉を遮った。「あの犯人たちの通話記録は確認した。最後に連絡をとったのは、君だった。誰のことを『男に弄ばれた』だって?」祐介はゆっくりと身をかがめると、残酷な笑みを浮かべながら言った。「なんで若葉にあんなことをしたんだ?君の小細工には、これまでずっと目をつぶってきた。なのに、あんな酷いことをする必要はなかっただろ」「あなたは若葉が嫌いだったんじゃないの?あなたが嫌いな人なんだから、私がどうしようと……構わないでしょ?」愛奈はしばらく黙っていたが、やがて弱々しい声で言った。「あなたが一番愛しているのは、私だと思ってたのに……もしそうじゃないなら、どうして私たちの愛の証を大切に取っておいて、私の好きなものまで覚えていて、あんなことまでしてくれたの……若葉があなたと結婚するのが、ただただ許せなかったの。なんで、最後にあなたの隣にいるのが私じゃないの……」祐介は一瞬黙り込んだ後、口を開いた。「だからと言って、若葉を傷つけていい理由にはならない」祐介の顔に初めて迷いの色が浮かぶのを見て、愛奈は何かを悟ったように、顔を歪めて笑った。「まさか……若葉のこと、好きになったの?彼女が9年間もあなたのそばにいても、全然心惹かれなかったくせに……まさか、あんなラブレター一枚で?祐介……本当に、最低な男」祐介は眉をひそめた。「なんだと?」「フフフ……教えてあげる!もう手遅れよ!」愛奈は開き直ったように、狂ったように笑い出した。「そうよ、私がやったわ!それが何だって言うの!私からあなたを奪った女がどうなるか、思い知らせてやりたかったの
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第17話

若葉がD国に来てから、しばらく経っていた。この間、最高の療養所で静養していた。祐介が結婚式に乱入した件や、自分の失踪騒ぎについては、海外にいても耳に入っていた。でも今の若葉には、もうどうでもいいことだった。「どうだい?ここでの生活には慣れたかい?」ドアの方から、ある男が若葉の好きな果物を手に部屋に入ってきた。その手には、造花の花束も抱えられている。「うん、とても快適よ」若葉は造花を受け取ると、少し戸惑ったような目で男を見た。「隼人、どうして私を助けてくれたの?」新井隼人(あらい はやと)に助け出されてから、二人は一緒にD国へ渡り、新しい身分で暮らしていた。祐介への匿名の暗号化メールも、隼人が手配してくれたものだ。隼人は、本当にたくさんのことをしてくれたのだ。「お前が俺を呼んだんじゃないか?」隼人は面白そうに笑いながらベッドのそばに腰を下ろした。琥珀色の瞳が、キラリと光る。「お前のことがすごく心配だったんだ。莉子さんも心配してたぞ」姉のことを思い出すと、若葉の胸はさらに痛んだ。「私が意地を張ったからこんなことになっちゃった……お姉ちゃんに申し訳ないことをしたわ……」「そうやって冷静に考えられるなら大丈夫だよ。自分をそんなに責めるな」隼人の言葉で、若葉はたくさんのことを思い出していた。実は、D国へ向かう道中で、若葉は隼人にいろいろなことを尋ねていたのだ。実は二人は幼馴染だった。しかし、隼人は自由と旅を愛し、早めに全ての課程を修了すると、一緒に世界を旅しないかと若葉を誘ったのだ。でも、当時の若葉は祐介に夢中で、どうしても祐介を諦めることができなかった。そして二人は、一度交わった二本の直線のように、それぞれ別の道を歩み、離れていった。もう二度と会うことはないと思っていた。でも、9年の時を経て、隼人は再び目の前に現れたのだ。「私と一緒に旅行したら、あなたの計画の邪魔にならない?」空港へ向かう車の中で、若葉はおずおずと尋ねた。「すごく迷惑かけちゃうんじゃないかなって……」実を言うとあの日、隼人に電話をかけた時、彼が出てくれるなんて思ってもみなかった。ましてや、ためらうことなく同意してくれるなんて、全くの予想外だったのだ。「若葉、いつからそんなに他人行儀になったんだ?」隼人
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第18話

こうして若葉は、隼人に付き添われ、世界を巡りながら心を癒す旅に出た。高山の雪景色を見たり、世界一の美術館を訪れたり。海辺の夕日を眺め、オーロラの下で願い事をした……旅先での人々との出会いや美しい自然は、若葉に失恋の痛みを忘れさせてくれた。彼女はただ目の前の景色に心を奪われ、夢中になっていた。若葉が景色に見とれている間、隼人はいつも、そんな彼女のことだけをじっと見つめていた。いくら見ていても、見飽きることがないというように。旅の間、隼人はいつもそばにいて、何から何まで細やかに若葉の世話を焼いた。若葉の好みも、病気のこともよく分かっていた。そして、彼女を傷つけた男の話は、一度も自分から口にしなかった。若葉がどこかの景色を気に入ると、隼人はいつも足を止め、彼女が次の場所へ行きたいと言い出すまで、好きなだけそこにいさせてくれた。自然は心の傷を癒す薬だと言われる。この旅で日記をつけ始めた若葉は、最近のページが旅の思い出で埋め尽くされていることに気づいた。祐介から離れても、こんなに素敵な人生を送れるんだと、初めて実感した。「本を書きたいのか?」隼人は裏庭でレモンを一つもぎ取ると、手慣れた様子で洗い、若葉のためにレモンティーを淹れてくれた。「いいじゃないか。自分の好きなことをすればいい」「この旅で見たことや感じたことを全部記録して、本にして出版したいの」若葉は隼人の方を振り向き、少し不安そうに尋ねた。「でも、書いても誰も読んでくれなかったらどうしよう?」「ほら、砂糖少なめのレモンティー」心がすっとするようなレモンティーのカップが差し出される。顔を上げると、ちょうど隼人の優しい笑顔と目が合った。「言っただろう。お前はお前自身のために書けばいいんだって。書きたいものを、なんでも書けばいい。俺の中の若葉は、ずっと前から、やりたいことをちゃんとやる、自信に満ちた自立した女性だよ」隼人は若葉の隣に座ると、その肩をそっと叩いた。「やりたいことをやりなよ。何をしようと、俺はいつでも応援するから」不思議だった。隼人に肩を叩かれると、まるで心に力が湧いてくるようで、顔までほんのりと熱くなってきた。若葉はうつむいてレモンティーを一口飲んだ。爽やかな口当たりが、心の中の迷いや不安をきれいに洗い流してくれる。そう
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第19話

しばらく旅を続けていたある日、莉子から電話がかかってきた。「若葉、旅行はどう?」若葉は本格的なエスプレッソとデザートを楽しんでいた。そんな時、莉子から電話がかかってきて、とても嬉しくなった。「うん、すごく楽しいよ。体調も、もうほとんど元に戻ったから」「隼人は、あなたに何か変なことしてないでしょね?」その言葉に、若葉は必死に聞き耳を立てている隼人のほうをちらっと見て、思わず吹き出してしまった。「ううん、全然。むしろ、すごく優しくしてくれるよ」若葉が元気を取り戻しつつあると聞いて、莉子はほっと胸をなでおろした。「そういえばこの間、祐介があなたを訪ねてきたわ」「そうなの?それで、なんて言ったの?」「あなたの居場所は知らないって。それ以外は、何も話してないから」「そっか、ありがとう。今はまだ、祐介に会いたくないの」姉妹はしばらくおしゃべりを続けた。若葉がまた本を書き始めようと思っていることを伝えると、莉子は何度も頷いてくれた。「もちろんよ。出版のことは心配いらないわ。私と隼人でなんとかするから」「うん、ありがとう、お姉ちゃん」電話を切ると、若葉の心は晴れやかだった。「やっとまた、書けるんだ」この旅の間に、原稿はかなりの量になっていた。若葉は出来栄えに自信がなくて、隼人に読んでもらうことにした。ところが、原稿を一目見た隼人は、なぜか長いこと黙り込んでしまった。若葉は少し不安になった。「どうしたの?」我に返った隼人は、少し赤くなった目元を隠すようにうつむいた。「ううん……なんでもないよ。お前がまたペンを取って、自分の物語を書き始めたことが、本当に嬉しいんだ」「それにしても……そんなに感動しなくてもいいでしょ?」「長年好きだった作家が9年ぶりに新作を出すんだ。お前だったら、どう思う?」まだ信じられないといった顔の若葉を見て、隼人は静かに彼女のペンネームを口にした。「『ひまわり』、俺は、誰よりも熱心なファンなんだ」その名前を聞いた瞬間、若葉は息をのんだ。そして驚きのあまり、自分の口を手で覆った。「どう……どうして私のペンネームを知ってるの?」「ずっとお前の作品を追いかけてたからだよ、おバカさん」それでも信じられない様子の若葉に、隼人はスマホを取り出し、自分の本棚の
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第20話

若葉が祐介の前から姿を消して、もう半年以上が過ぎた。愛奈に八つ当たりしても、もう何の満足感も得られない。代わりに募っていくのは、日増しに強くなる罪悪感と後悔だけだった。祐介はこの感情が何なのか、自分でもよく分からなかった。これを好きという気持ちと呼んでいいのか、なんだかハッキリしない。自分の気持ちを、認めたくなかった。これまでの期間、若葉を探し回って、祐介は心身ともに疲れ果てていた。使える手はすべて尽くしたが、それでも見つからない。挙句の果てには莉子の会社まで押しかけて居場所を尋ねたが、莉子からはいつも冷たい顔をされるだけだった。何事もそつなくこなしてきた祐介にとって、これは初めて味わう大きな挫折感だった。あの犯人たちが口にしていた謎の男のことを思い出すと、嫉妬心が蔦のようにゆっくりと心に絡みついてくる。祐介は、その男と若葉の関係が気になって仕方がなかった。いったい誰なんだ?若葉とは、どういう関係なんだ?そんなことばかり考えていると、仕事に集中できなかった。祐介の指揮する動画は何度も編集し直され、スタッフも次々と入れ替えられた。しかし、チーム全体が悲鳴を上げても、祐介の満足する映像や脚本を誰も作れなかった。口には出さないものの、祐介が誰のことを想っているのか、みんな分かっていた。若葉がそばにいないせいで、祐介の精神状態は日に日に悪くなっていった。そんな情けない姿に、家族みんなが呆れ果て、ついに父親の聡までが怒鳴りつけた。「祐介、お前は一体どうしたいんだ?家業のこともほったらかしで、自分の動画もめちゃくちゃじゃないか!世の中に女はごまんといるだろう。なぜ夏川さんじゃなければならないんだ?」祐介は言い返すこともなく、ただうつむきながら呟いた。「俺が悪かったんだ。まさか、若葉は本当に俺の前からいなくなってしまうなんて……」祐介は、なぜ若葉が自分のもとを去ったのか分からなかった。ただ、彼女を見つけ出して、理由を問いただしたい、その一心だった。ついに万策尽きた祐介は、夏川家を何度も訪ね、莉子に答えを求めて懇願するしかなかった。しかし、莉子はうんざりした様子で、仕事やスケジュールを言い訳にして、祐介を追い返すばかりだった。だが、莉子は祐介の粘り強さを見くびっていた。一ヶ月もの間、彼は手土産や仕事
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