All Chapters of 依存の代償は、恋だった~抱かれて呼吸を取り戻す社畜と、音を失った天才: Chapter 61 - Chapter 68

68 Chapters

61.中立地帯としての部屋

部屋の扉が閉まった瞬間、外の反響が一枚剥がれた。空港のロビーに満ちていた金属音やアナウンスの残り香が、ホテルの絨毯に吸われていく。代わりに、白い灯りの静けさが落ちてきて、空調の乾いた風が首筋を撫でた。史人は息を吐き、吐いた息がどこにも引っかからずに落ちていくのを感じた。逃げ場を閉じたというより、ここから先は自分たちの選択でしか進まない、という薄い緊張が部屋の空気を支えている。律はキャリーケースの取っ手から手を離し、肩のストラップを指でずらした。指先が少し赤い。長い移動と、空港の冷気が残っている色だ。律は部屋の中を一度だけ見回した。ベッドの白いシーツ、机の上の小さなメモ帳、備え付けの冷蔵庫の低い唸り。窓の外は暗く、その暗さの中で滑走路の点滅だけが規則正しく続いていた。点滅は人の呼吸のようで、呼吸のようでいて、機械的な冷たさもある。律の喉が小さく動き、軽口が上がってきそうな気配がした。けれど、今夜はその膜を張らないまま、律は黙っていた。黙っているのに、黙りが苦しくない。苦しくないことが、史人の胸を少しだけ温めた。史人は自分の手のひらに汗が滲んでいるのを感じ、指を握り直した。触れたい。抱きしめたい。けれど、触れたい衝動のまま触れたら、また過去の再演になる。宵だまりから部屋へ流れて、白い灯りの下で言葉を置き去りにして、体温だけに頼る。あの夜が救いだったことを、史人は否定しない。否定した瞬間、自分の弱さまで否定することになる。けれど、今夜は違う形にしたい。違う形にできると、二人とも知ってしまっている。史人はキャリーケースに視線を落とした。車輪の底に、空港の床の埃が少しだけついている。律の生活が、遠い場所からここまで来た証拠だ。史人はそれを見て、胸の奥が静かに鳴った。「水、いる?」史人の声は思ったより低かった。律は一瞬だけ史人の顔を見て、それから頷いた。「いる」史人は備え付けの冷蔵庫の前にしゃがみ、扉を開けた。冷気が顔に当たり、眠気と緊張がいっぺんに押し寄せる。ペットボトルの水を二本取り出すと、プラスチックが指先に冷たく貼り付いた。史人は一本を律に渡し、もう一本は机の上に置いた。律は受け取って、すぐには開けなかった。指でキャップを
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62.触れる前に、止まれる

史人の額が律の肩に触れたまま、二人の呼吸が同じ速度を探す。ホテルの空調は乾いていて、肌の熱を少しだけ奪う。その奪われる感覚が、逆に熱をはっきり輪郭づけた。汗と石鹸の匂いが混ざり、遠い場所の移動の疲労が、今ここでほどける準備をしている。律は史人の手を握ったまま、ゆっくり指を絡めた。絡める指先が、急がないことを約束するみたいに丁寧だった。史人はその丁寧さに胸が痛んだ。痛みは罪悪感ではなく、ようやく触れられる場所に触れてしまった感覚だった。律が顔を上げ、史人の目を見た。見て、確かめる。以前なら、目を合わせる前に身体で答えを取りに来た。今は目を合わせてから、返事を待つ。律が小さく言う。「触ってええ?」史人は頷くのが遅れそうになり、慌てて頷いた。頷きは声より先に出る。それでも、声も出した。「ええよ」律の口元がわずかに緩む。笑いではない。安心の形だ。律は史人の頬に触れ、指の腹で擦る。擦る圧が柔らかく、史人の皮膚がすぐに反応する。反応することが恥ずかしいと思う癖が、まだ胸の奥に残っている。史人はその癖を息で押し戻した。恥ずかしいのではなく、今夜は選んでいる。選んだ結果として身体が動いている。律の指が首筋に滑り、鎖骨のあたりで止まる。止まると、そこに空白が生まれる。空白があると、史人は自分の意思を置ける。史人は律の手首をそっと掴み、掴んだまま自分の唇を寄せた。触れられるだけでは足りないと、身体で返した。律が息を吸う。吸う音が短い。史人はすぐに気づく。短い吸い方は、律が緊張に引きずられている兆候だ。史人は唇を離し、律の手を握ったまま動きを止めた。「大丈夫?」律は一瞬だけ目を逸らし、すぐ戻した。逃げる目ではない。自分の中を確認する目だ。「…まだ大丈夫」史人はその言葉を信じるだけでなく、信じた上で待つことを選ぶ。待つことができるのは、欲望が薄いからではない。欲望が強いからこそ、制御が必要だと知った。律は史人の肩に額を寄せた。額の重みが少しだけ増す。増した重みが、頼っている証拠になる。史人の胸がきゅっと縮む。縮むのに、息は止まらない。止まらない息が、
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63.窓の外の機体灯

未明のホテルの部屋は、昼の白さをすっかり失っていた。壁の灯りは落とされ、ベッドサイドのスタンドだけが、淡い円を床に作っている。空調の乾いた息が一定の間隔で吐かれ、肌の汗を薄く冷やした。窓の外には、滑走路の点滅が規則的に並び、黒い空を切り取るガラスに、細い光が浮かんでいる。機体灯が遠く動くたび、ここが「空港の夜」だと改めて突きつけられる。史人はベッドの端に座り、手のひらを膝の上で組んだ。指先に残る体温が、まだ熱い。熱いのに、落ち着いている。さっきまでの熱が、虚しさに沈んでいかない。それが不思議で、怖かった。怖いのは、これがただの一夜の慰めに戻れないからだと、史人は薄く理解していた。律は浴室から出てきたところだった。濡れた髪をタオルで乱暴に拭きながら、部屋の薄い灯りの中で一瞬だけ立ち止まる。ホテルの部屋着は体の線を隠しきれず、肩から首筋にかけての白さが、灯りを柔らかく受けている。史人は視線を逸らすべきか迷い、迷ったまま見てしまった。見てしまっても、律は何も言わない。言わないまま、窓の方へ歩く。窓際に置かれた小さなテーブルの上には、さっき律が飲んだ水のボトルが半分残っている。律はそれを指で回し、キャップの感触を確かめるように握った。握った指が、ほんの少し震えた。震えは寒さのせいではない。史人は、それが「言葉」を出す前の揺れだと感じた。史人は息を吸い込み、吐いた。吐く息は長くする。長くすると胸の奥が少し広がる。広がった場所に、律の存在が入ってくる。入ってくるのに、押し潰されない。押し潰されない自分になったのだと、史人は思い込みたい。律は窓の外に目をやった。点滅する灯りを眺めながら、喉の奥で何かを飲み込む仕草をした。言葉を選ぶときの癖だ。梅田で、鍵盤に触れる前も、こんなふうに息を止めかけた。あの時は音が先で、言葉は後だった。いや、言葉は後に来なかった。来なかったことが、ずっと史人の胸の奥で残響になっていた。律が背中越しに言う。「なあ」史人はすぐに返せない。喉が固まる。返事をしない沈黙が、律を追い詰めるかもしれないと思い、史人は無理に声を出した。「うん」律は振り返らなかった。振り返らないまま、続ける。
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64.チェックアウト、ここから先の現実

朝の光は、夜の約束を容赦なく薄める。ホテルのカーテンの隙間から差し込む白さは、昨夜のスタンドの円い灯りとは違って、輪郭をはっきりさせた。ベッドのシーツの皺も、床に落ちたタオルの端も、窓の外の滑走路の線も、現実の線として並び直される。史人は目を開けた瞬間に、自分が息をしていることを確かめた。胸の奥が浅くならない。終電の計算も、通知音の幻も、今はない。代わりに、隣の体温がある。体温があるのに、逃避の甘さだけではない。昨夜、言葉で合意した「止まれる」という感覚が、まだ身体の奥に残っている。律はまだ眠っていた。横顔の角が、梅田の夜より少しだけ丸く見える。寝ているのに眉間の皺が薄い。眠りが浅いときに出る肩の硬さも、今はない。史人はそれを見て、胸の奥が熱くなりそうになり、熱くなりすぎる前に息を吐いた。熱くなるのは悪いことではない。ただ、熱だけで動くと、また同じ場所に戻る。戻る場所が、宵だまりと1Kだけになってしまう。史人は静かにベッドを抜けた。床は冷たい。足裏が冷えると、頭が少し冴える。洗面台の前で顔を洗う。水が頬を叩き、夜の余韻を削る。鏡の中の自分は、寝不足の目をしているのに、目の奥が変に澄んでいた。澄んでいるせいで、怖い。澄んでいると、逃げ道がない。逃げ道がないのは、悪いことではない。選ぶしかないからだ。コーヒーメーカーのボタンを押すと、低い振動音が小さく響いた。豆の香りが、空調の乾いた匂いに混ざり、部屋に生活の気配を増やしていく。史人は紙コップに注ぎ、湯気を見つめた。湯気はすぐ消える。消える速度が、今の自分の生活と似ていると思った。整えても、放っておけばまた散らかる。散らかる前に手を入れるしかない。律が身じろぎをした。布団の擦れる音が微かに聞こえ、次に、息を吸う音が聞こえた。律は目を開け、天井を見て、状況を確かめるように瞬きをした。目が史人を見つけるまでに一拍ある。その一拍が、昨夜の「止まれる」拍に似ていた。律が掠れた声で言う。「……朝やな」史人は頷いて、コーヒーを差し出した。「飲む?」律は起き上がり、受け取った。指が史人の指に触れ、触れた瞬間に引っ込めない。触れたまま、律は紙コッ
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65.ストリートピアノの余韻

ホテルを出た瞬間、空気が変わった。夜の間に溜まった湿り気が、朝の光に薄く引き延ばされている。ロビーに漂うコーヒーの匂いはまだ強く、スーツケースの車輪が床を擦る乾いた音が、どこか遠い。窓の外には滑走路が見え、昨夜と同じ点滅が今は淡く、昼に飲み込まれかけていた。史人はカードキーを返却機に入れる前、指先に残るプラスチックの角の感触を一瞬だけ確かめた。握りしめれば、昨夜の熱まで握りしめられそうで怖い。握りしめないほうがいい。逃避に戻らないために、ここで眠ったのだと、自分で決めたのだと、忘れないために。律はフロントを横目に見ながら、ひとつ息を吸った。浅くない。胸の奥まで入って、肋骨の裏側に柔らかい重みが広がる。その重みが「生きてる」を支えるのだと、律は知っている顔をしていた。以前の、息を止める顔ではない。史人はそれに気づいた瞬間、言葉が喉に詰まった。上手く言えない。おかえりの次に何を置けばいいのか、まだ分からない。ただ、呼吸が止まっていない。それだけで、胸の中の硬い塊が少しだけ溶ける。連絡通路を渡ると、窓が大きくなり、海の色が見えた。空港の外側は、思っていたより明るい。明るさは現実を連れてくる。昨夜の余韻を抱えたまま現実に踏み出すと、いつか転ぶ気がする。史人はその恐怖を、足の裏の感触で誤魔化した。床が固い。歩ける。歩くしかない。電車の時間を確認しようと、律がスマホを取り出す。画面の白さが朝の光と重なり、史人は反射で身構えた。通知音が鳴っていないのに、身体が先に構える癖は、まだ完全には抜けていない。律の指先が画面を滑り、数秒、止まる。律は眉を少しだけ上げた。見つけたのは、情報だった。脅しでも、契約書でもない。ただの、駅周辺の案内の一行。けれど律は、その一行に目を留める顔になった。逃げ場を探す顔ではなく、自分で選ぶ顔。「なあ」声は小さく、滑走路の遠い音に溶けそうだった。それでも史人は聞き取る。「ちょっと寄り道したい」史人は足を止めた。すぐに理由を聞きそうになって、飲み込む。理由を聞けば、正しさで埋めてしまいそうな気がした。今は、正しさより、律が今ここで何を欲しがっているかを確かめたい。「寄り道?」
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66.鍵を渡す日

史人の部屋の鍵は、いつもより重かった。金属の重さではなく、手の中で鳴らない重さだ。ポケットの底で触れたとき、冷たいはずの感触がぬるく感じる。身体が勝手に体温を乗せる。自分のものだったはずの鍵が、誰かの手に渡る前に、別の意味を帯び始めるのが怖い。玄関の前に立つと、廊下の蛍光灯が白くて、少しだけ梅田の白を思い出した。あの白は人を干上がらせる。ここは違うと分かっていても、白は白だ。史人は息を吸い、吐いて、鍵穴に差し込んだ。音が小さく、乾いている。回す指の腹が少し汗ばんでいるのが分かる。背後で足音が止まる。律が立っていた。空港から戻って数日、律は祖父母の家に荷物を置き、必要なものだけをリュックに詰めて来た。史人の部屋で一度、試す。そこまでを二人は言葉にした。試す、という言葉が便利なだけではないと、史人は知っている。試すと決めることは、いつでも止まれると決めることだ。止まる権利を最初に置く。それが今回の合意だった。ドアを開けると、部屋の匂いがした。洗濯洗剤と、パソコンの熱が残ったような乾いた匂いと、少しだけ煙草ではない紙の匂い。律の匂いはまだ混ざっていない。混ざっていないことが少し寂しく、同時に安心する。混ざったら戻れない気がして、どこかで怖い。「入って」史人はそう言った。言葉が短い。短くないと、余計なものが紛れ込む。「お邪魔します」律は靴を脱ぎ、揃えた。揃え方が丁寧すぎて、史人は笑いそうになり、笑わなかった。律は気を張っている。気を張っているのに、張り詰めていない。張り詰める一歩手前で、止まれる感じがする。それが留学の成果なのだろうと、史人は勝手に思った。リビング兼寝室の狭さは変わらない。ベッドと机と、本棚と、最近買った折り畳みの小さなテーブル。宵だまりで飲んだ帰りに、何度もこの部屋へ戻った。その導線に律が乗ると、過去の逃避が一瞬だけ顔を出す。史人は喉の奥がきゅっとなるのを感じた。律は視線を部屋の隅に滑らせ、軽く息を吐いた。息が止まっていない。史人はそれだけで少し落ち着く。「荷物、ここでええ?」律がリュックを持ち上げる。置き場所を聞くのが、律の条件提示の仕方だと史人は理解している。勝手に置かない
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67.境界線を引く言葉

昼の光は、夜より残酷だと史人は思うことがある。夜は暗さが隠してくれる。昼は輪郭が出る。輪郭が出ると、見ないふりをしていたものが、机の上に置かれてしまう。午前の作業を切り上げて、史人はノートパソコンの蓋を閉じた。独立してから、閉じるタイミングを自分で決められるようになった。それでも、手が反射で震える瞬間がある。蓋を閉じても通知が鳴る気がする。梅田の終電レースが、身体の裏側にまだ貼り付いている。史人はその感覚を、呼吸で押さえた。最近は呼吸が少しだけ役に立つ。律の呼吸を見て学んだのかもしれない。台所から味噌汁の匂いが漂ってきた。律が小鍋を火にかけ、湯気を見ながら味噌を溶いている。湯気は祖父母宅の台所の湯気と似ていて、生活の匂いは人を油断させる。その油断の隙間に、影は入り込む。律のスマホがテーブルの上で震えた。音は鳴らない設定になっている。震えだけで十分だ。律の肩が、ほんの少しだけ上がる。上がった肩がすぐに落ちる。律が呼吸を選んだのが分かる。それでも指先は冷たくなるらしく、律は鍋の取っ手を握り直した。史人は椅子から立ち上がりかけて、止まった。止まることが、今の二人の合図になっている。何かが起きたとき、勢いで触れない。勢いで聞かない。まず止まり、息を整える。律は鍋の火を弱めてから、スマホを手に取った。画面を見て、目が一瞬だけ固くなる。固くなったのに、息は止まらない。律は親指で画面を滑らせ、通知の内容を確認する。確認したあと、スマホを伏せた。伏せる動作がゆっくりで、生活の動作に戻そうとしているのが分かる。史人は声を出さず、コップに水を注いで律の横に置いた。律は頷いて水を飲んだ。喉が鳴る。喉が鳴ると、史人の胸の奥の緊張が少しだけ緩む。律は水のコップを置き、息を吸って吐いた。吐く息が長い。長い息は、戻るための息だ。史人は言葉を選んだ。大丈夫? は言わない。大丈夫と言わせる言葉になるからだ。代わりに、必要なことだけを確認する。「今、読む?」律は一瞬だけ史人を見た。目の奥に影がある。影は恐怖の影だ。恐怖はまだ消えていない。でもその影の中に、薄い光もある。光は、境界線を引けるようになった光だ。「読む」
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68.ノクターンの続き

夜の部屋は、昼の部屋より狭い。狭いのに、隙間が多い。照明の下でだけ明るく、照明の外側は薄い影になって、そこに音が溜まる。冷蔵庫の低い唸り、換気扇の回転、隣室の水道の気配。遠い車の音が、窓ガラスで一度ひしゃげてから入ってくる。史人はテーブルの上に置いたスマホを、何度も見た。画面は暗い。通知はない。暗いままの画面が、かつては救いだった。今は違う。暗いままでも、胸の奥が勝手に騒ぐ。来るはずのない通知を待つ癖が、身体に残っている。それでも、いまは呼吸がある。逃げ場の呼吸じゃない。戻るための呼吸だ。律は台所に立ち、エプロンを胸元で結び直した。結び目を確かめる指が丁寧で、丁寧さが強がりではなくなっている。イタリアで身につけた動作だと史人は思った。向こうの市場の匂いを、ここへ連れてきたみたいに。「何作る?」律が振り返って言った。声は軽い。軽い声は膜ではなく、確かめの声になっていた。史人は冷蔵庫の中身を思い浮かべた。買い物は帰りに済ませている。袋から野菜を出して冷蔵庫に押し込み、冷える音と一緒に少しだけ安心した。生活は音があると分かりやすい。音があると、空白が薄まる。「鍋、でもええ?」史人が言うと、律は少し考えてから頷いた。「鍋はええな。あったかい」律の言葉に、史人の胸が少しだけ緩んだ。あったかい、は一番単純な答えで、一番強い合意でもある。鍋は誰かの体温を借りなくても、あったかくなる。逃避ではなく生活として、そこにある。史人はまな板を出し、包丁を手に取った。刃の重さが、手に馴染む。仕事のキーボードより、ずっと素直な道具だと思う。切れば切れる。切った分だけ形になる。進捗表の色みたいに、何をしても詰められることがない。切り口が揃わなくても、誰も責めない。律は野菜を洗い、手を拭いたタオルをきちんと掛け直した。掛け直す動作が、境界線の動作に見える。雑に扱わない。雑に扱うと、自分が雑に扱われる。律がその理屈を身体で知っているのが分かる。史人は白菜を切りながら、律の横顔を盗み見た。頬の線が少し柔らかい。けれど目の奥はまだ鋭い。鋭さは恐れの鋭さではなく、選ぶための鋭さだ。鍋に出汁を張る
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