夜が明けても、九条邸は異様なほど静かだった。綾乃は、ベッドの上で目を覚ましたまま、しばらく動けずにいた。カーテンの隙間から差し込む光が、やけに現実味を帯びている。――あの写真。昨夜、秘書経由で送られてきた一枚の画像が、頭から離れなかった。神崎和真と並ぶ、自分の姿。一瞬を切り取られただけのはずなのに、“言い逃れできない距離”に見える構図。(……見たのよね。あの人も)玲司が同じ写真を見ていることだけは、確信していた。それでも、連絡はない。責める言葉も、確認の一言もない。それが、何より怖かった。朝食の時間になっても、ダイニングに玲司の姿はなかった。使用人は、何事もなかったように食事を並べる。「社長は、もう出られたの?」綾乃の問いに、使用人は一瞬だけ間を置いた。「……いいえ。本日は、まだお屋敷に」その答えに、心臓が強く脈打つ。(同じ家に、いるのに)避けているのか。考えているのか。それとも――すでに、結論を出しているのか。耐えきれず、綾乃は立ち上がった。向かったのは、書斎だった。扉の前で、一度だけ深く息を吸う。ノックをしようとして、手が止まる。(……私から?)先に口を開けば、言い訳をしているように聞こえるかもしれない。でも、黙っていれば、“認めた”ことになるかもしれない。逡巡の末、綾乃は扉をノックした。「……入れ」低い声が返ってくる。書斎に入ると、玲司はデスクに向かったまま、こちらを見なかった。机の上には、あの写真が裏返しに置かれている。それだけで、胸が締めつけられた。「……おはよう」綾乃がそう言うと、玲司は、ほんの一瞬だけ顔を上げた。「起きていたのか」それだけだった。重い沈黙が落ちる。先に口を開いたのは――綾乃だった。「……あの写真」その瞬間、玲司の指が止まる。「誤解よ」声が、わずかに震えた。「和真とは、何もない。あれは――」「どこまでだ」玲司の声は、感情を削ぎ落としたように平坦だった。「どこまで、何もない?」綾乃は、言葉を失う。疑われている、というより、事実を確認されているだけ。それが、余計に苦しかった。「……信じてないの?」その問いに、玲司は即答しなかった。数秒後、静かに言う。「信じるかどうかは、証拠の話じゃない」「じゃあ、何なの?」「――覚悟
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