Semua Bab 不仲と噂された財閥夫婦ですが、今夜も愛されています: Bab 11 - Bab 20

114 Bab

第11話 疑われる理由

不正という言葉は、いつも唐突に現れる。それまで積み上げてきた実績も、肩書も、信用も――たった一度の疑念で、すべてを塗り替える。鷹宮綾乃が「調査する側」から、「調査される側」に回ったのは、ある資料が提出された瞬間だった。「これは……」外部監査チームが提示したのは、海外エネルギー開発プロジェクトに関する送金記録の写し。送金承認者の欄に、はっきりと記された名前。――鷹宮 綾乃。「承認した覚えは、ありません」即答だった。記憶は、はっきりしている。だが、担当者は静かに首を振る。「電子承認の履歴が残っています。IDも、パスワードも、本人のものです」それは、“否定できない形”で用意されていた。(……完璧すぎる)不正は、ずさんだから露見するわけではない。最初から、誰かに被せるつもりで作られたものほど、綺麗だ。綾乃は、その場で理解した。――これは、偶然ではない。――狙われている。しかも、ただのスケープゴートではない。「もう一つ、気になる点があります」監査チームの一人が、資料をめくる。「この送金先ですが、九条ホールディングス関連会社と、間接的につながっています」その瞬間、空気が変わった。(来た……)「九条ホールディングスは、本件について“無関係”だと説明していますが」意味深な間。「奥様が関係者である以上、完全に切り離すのは難しい」――つまり。綾乃が疑われているのは、不正をしたからではない。九条ホールディングスとつながる“立場”にいるから。その夜。九条邸の書斎で、玲司は静かに資料を読み込んでいた。「これは、俺たちを一緒に沈める構図だな」「ええ」綾乃は、短く答える。「私個人の不正に見せかけて、九条ホールディングスも疑惑の輪に入れる」玲司は、口元を歪めた。「やり方が、古い」「でも、効果的よ」綾乃は続ける。「“夫婦”という関係がある限り、完全な否定はできない」そう。結婚は、今や鎖だ。玲司は、ふと視線を上げる。「……なぜだと思う?」「何が?」「なぜ、俺と君の結婚が、ここまで都合が悪いのか」その問いに、綾乃は一瞬、答えを躊躇った。だが、隠す必要はない。「九条ホールディングスは、次の大型再編で“中核”になる」玲司は頷く。「そこに、鷹宮財閥の血が入る」「ええ」綾乃の声は、静かだっ
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第12話 切られる者、残る者

南條邸の応接間は、昼間だというのに薄暗かった。重厚なカーテンの向こうで、冬の光が遮られている。「……失敗したわね」南條家の長女・南條沙耶は、静かにそう言った。手にしたグラスの氷が、かすかに音を立てる。「九条玲司が、あそこまで動くとは思わなかった」向かいに座る男――東亜リンクス商事・専務取締役、水城祐次は、顔色を失っていた。「い、いえ……私は言われた通りに……」「ええ。だからこそ、よ」沙耶は微笑む。だが、その目に感情はない。「あなたは“言われた通り”に動いた。そして――もう役目は終わり」男は理解した瞬間、喉を鳴らした。「ま、待ってください。私は――」「勘違いしないで」沙耶は、グラスを置く。「九条家に逆らうつもりはないの。だから切るのよ、あなたを」それは、復讐ではない。ただの整理だった。「鷹宮綾乃の不正疑惑は、ここで一度“誤解”になる。 九条ホールディングスが噛んでいる、という話も消える」「……では、私は?」「責任を取った“内部不正の首謀者”」男は、膝から崩れ落ちた。「南條家は、いつだって“負けない側”にいるの」沙耶の声は、どこまでも穏やかだった。――本当は、悔しかった。玲司は、本来“こちら側”に来るはずだった。政略でも、感情でも、選ばれるのは自分だと信じていた。それを、鷹宮綾乃という女が奪った。「夫婦、ですって……」沙耶は、唇を歪める。「厄介ね。でも――だからこそ、壊しがいがある」その目に、執着の火が宿った。同じ頃。九条邸のリビングで、綾乃はスマートフォンの画面を見つめていた。《東亜リンクス商事・専務取締役 内部不正の疑いで辞任》「……」肩の力が、すっと抜ける。「疑惑は、いったん沈静化する」背後から、玲司の声がした。「九条ホールディングスへの調査も、形式的なものに切り替わる」綾乃は、ゆっくり振り返る。「……ありがとう」その一言は、これまでになく小さかった。「礼を言われることはしていない」「それでも……」綾乃は、言葉を探すように一度視線を落とし、それから、ぽつりと続けた。「正直、怖かった」玲司は、何も言わずに聞いている。「自分が疑われるのは、慣れてる。でも……あなたの会社まで巻き込んだって言われた時、足がすくんだ」綾乃は、自嘲気味に笑った。「情けないわね」「
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第13話 輪郭だけの敵

東亜リンクス商事の社内は、表向きには静けさを取り戻していた。専務取締役**水城 祐次(みずき ゆうじ)**の辞任。それは、あまりに早く、あまりに都合のいい決着だった。社内向けの説明は簡潔だった。――「一部の取引において、独断による不適切な処理が確認された」――「会社として深く反省し、再発防止に努める」それ以上の説明はない。そして――鷹宮綾乃に対する、外部監査チームによる本格的なヒアリングは、行われなかった。形式的な書面確認だけで、調査は打ち切られた。だが。不正の“中身”が消えたわけではなかった。綾乃は、自室のデスクで、非公式に集めた資料を並べていた。数字。送金記録。海外子会社の契約書。「……ひどい」思わず、声が漏れる。問題は、単なる横領や粉飾ではなかった。■ 不正の核心海外エネルギー開発プロジェクト――それは、東亜リンクスが社運をかけて進めていた事業だ。だが実態は、・実在しない現地協力会社への多額のコンサル料・市場価格の3倍近い資材調達契約・成果未達にもかかわらず発生する“成功報酬”その送金の一部は、複数の海外ファンドを経由し、別の巨大資本へ流れていた。さらに致命的だったのは――「……保証」綾乃は、契約書の一文を指でなぞる。東亜リンクスは、その海外事業の損失に対し、連帯保証人になっていた。しかも、その保証額は――(会社が一度、傾けば……)いや、傾くどころではない。一気に、資金繰りが崩壊する。そうなれば、銀行は即座に手を引く。株価は暴落。連鎖的に関連会社が破綻する。「……倒産誘導」ぽつりと、綾乃は呟いた。これは、利益を抜くための不正ではない。潰す前提で仕組まれている。水城は、確かに実行役だった。だが――(この規模を、彼一人で?)ありえない。その夜。玲司は、書斎で同じ資料に目を通していた。「水城は、途中で気づいた可能性が高い」「……気づいて、引き返せなかった?」「あるいは、最初から“逃げ道”を用意されていた」玲司は、書類を閉じる。「辞任で済むように、な」綾乃は、静かに頷いた。「つまり……彼は捨て駒」「ああ」玲司の視線が、鋭くなる。「本命は、表に出ない。企業でも、個人でもない可能性が高い」「……財閥?」「それも一部だ」玲司は、短く息を吐いた。「
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第14話 切り離す手、繋ぎ直す意志

それは、あまりにも静かな形で始まった。東亜リンクス商事・社内通達。件名は簡潔だった。――鷹宮綾乃 課長海外関連案件より一時的に外れること理由は、「外部からの不要な憶測を避けるため」。配慮という言葉で包まれた、事実上の“切り離し”だった。(……来た)綾乃は、通知画面を閉じ、深く息を吐いた。疑いは和らいだはず。だが、完全に晴れたわけではない。そして何より――自分が中心にいる限り、九条ホールディングスが標的になり続ける。それが、黒幕の狙いだった。同じ頃。九条ホールディングスでは、別の“圧”がかかっていた。主要取引銀行からの、非公式な打診。「最近の件を踏まえると――ご家庭の事情が、経営判断に影響しているのでは?」露骨な言い方ではない。だが、意味は明白だった。――妻を切れ。玲司は、表情を変えずに聞いていた。「ご心配には及びません」「……では、鷹宮課長が、個人的に動いている件については、ご存じですか?」その一言で、黒幕が“夫婦を分断しに来ている”ことは、はっきりした。その夜。九条邸。綾乃は、先に書斎に入っていた。「私、会社を一時的に外されることになったわ」玲司は、眉一つ動かさない。「想定内だ」「……あなたの方も?」「来ている」短い会話。だが、その間に、二人は同じ結論に辿り着いていた。「ねえ、玲司」綾乃は、静かに言った。「このままだと、“夫婦でいること”が、あなたの弱点になる」「……だから?」「だから」綾乃は、視線を逸らさずに続けた。「私は、あなたの庇護の下から出る」一瞬、空気が張り詰める。「単独で動く?」「いいえ」綾乃は、首を振った。「表では、あなたと距離を取る」「裏では?」「裏では、“見限られた人間”として動く」玲司の目が、わずかに細くなる。「危険だ」「わかってる」それでも、綾乃は退かなかった。「でも、今の私は――守られている限り、駒でしかない」机の上に、彼女は一枚の紙を置いた。それは、東亜リンクス内部でまだ誰も把握していない**“保証契約の裏付け資料”**だった。「これを、私が追う」「綾乃」「これは、私が始めた仕事」声は震えていなかった。「私が終わらせたい」長い沈黙。やがて、玲司は低く言った。「……一つだけ条件がある」「何?」「一人で動く
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第15話 味方の顔をした距離

その男と再会したのは、あまりにも偶然を装った場所だった。東亜リンクス商事本社ビル近くの、昼時には少し遅いカフェ。「……綾乃?」声をかけられ、顔を上げた瞬間、胸の奥が微かにざわついた。「久しぶりだな」柔らかく笑うその顔を、綾乃は忘れていなかった。神崎 和真(かんざき かずま)三十三歳。神崎財閥の御曹司で、現在は関連投資会社の専務。そして――幼い頃から、同じ世界で育った男。「……驚いたわ。こんなところで」「本当は、連絡しようか迷ってた」そう言って、和真は向かいの席に腰を下ろした。(迷ってた、ね)昔から、彼はいつもそう言う。距離を測るように、一歩だけ近づいて、相手が拒まなければ、もう一歩。「最近、大変そうだな」和真は、そう切り出した。「週刊誌も、業界も、君の話題で持ちきりだ」「……心配してくれてるの?」綾乃がそう言うと、和真は少し困ったように笑った。「当たり前だろ」その言葉は、昔と何も変わらなかった。「君が不正をする人間じゃないことくらい、俺は知ってるよ」綾乃は、カップに視線を落とす。(“知ってる”……か)それは、玲司が使わない言葉だった。彼は、「証明できるか」しか問わない。「今、君は孤立している」和真の声は、低く、穏やかだった。「東亜リンクスも、九条ホールディングスも、完全には君を守りきれていない」「……」「でも、俺なら動けるし、君を助けられる」綾乃は、眉をわずかに寄せた。「どういう意味?」「神崎グループとして、裏から情報を集めることもできる」さりげない口調。だが、その中身は重い。「君が表で動けないなら、俺が代わりに手足になってやる」綾乃の胸に、一瞬だけ、温度が戻る。(……優しい)少なくとも、そう見えた。「綾乃」和真は、名前を呼ぶ。「君は、強い」昔から、彼はそう言ってくれた。「でも、一人で全部背負う必要はないだろ」その言葉に、綾乃の指先が、ほんの少し震えた。――弱っている時に、――“理解者”として現れる。危険だと、理性は告げている。それでも。「……ありがとう」そう言ってしまった自分に、綾乃は驚いた。和真は、ほっとしたように息を吐く。「よかった」そして、何気ない調子で続けた。「それに……君、最近、九条さんとうまくいってないって聞いたけど」空気が、一瞬だけ
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第16話 役に立ちすぎる助言

和真と別れた帰り道。夜風は思いのほかやわらかく、ビルの谷間を抜けていく空気さえ、どこか軽やかに感じられた。綾乃は、自分でも驚くほど足取りが軽くなっていることに気づいた。ヒールの音が、いつもより高く、規則正しく響いている。(……気を抜きすぎね)小さく息を吐き、わざと歩幅を落とす。だが、胸の奥に広がる解放感までは抑えきれなかった。頭の中では、彼の言葉が何度も反芻されていた。――「神崎グループとして、裏から情報を集めることもできる」表で動けない今の自分にとって、それは、あまりにも都合のいい申し出だった。九条ホールディングスの立場上、彼女は不用意に動けない。一歩間違えば、政治的圧力や株主への説明責任に発展する。だからこそ、“裏”で動ける存在は喉から手が出るほど欲しかった。(利用するだけ。そう割り切ればいい)自分に言い聞かせながらも、心のどこかで別の感情が芽生えかけていることを、綾乃はまだ認めようとしなかった。翌日。和真から、暗号化された簡易メッセージが届く。通知音は短く、それでも鼓動を跳ね上げるには十分だった。「東亜リンクスの外注先、三年前に一度、社名変更してる。旧名、気にならないか?」綾乃は、思わず息を呑んだ。視線が画面に縫い付けられる。(そこは……私が、引っかかっていた部分)彼女が追っていたのは、海外エネルギー開発に絡む“保証会社”。一見すればただの金融スキーム。だが、その実態は曖昧で、登記も複雑に組み替えられていた。株主構成は頻繁に入れ替わり、役員名簿にはペーパーカンパニーの名が並ぶ。不自然なのに、決定的な証拠がない。「どうして、そこまで……」独り言のように呟く。彼に聞こえるはずもないのに。和真の返事は早かった。「偶然だよ。投資先の洗い直しで、たまたま目に入った」偶然。その二文字が、やけに軽く見える。だが、その偶然は、あまりにも“正確”だった。まるで、彼女の思考の先回りをするかのように。和真から渡された資料を精査するほど、綾乃の中で、点と点が線になっていく。机上に広げた書類。画面に映る送金履歴。送金ルート。名義貸し。海外子会社を経由した資金の循環。どれも単体では違法と断定できない。だが、流れとして見れば――意図が透ける。(……これ)喉がひりつく。これが表に出れば、東亜リンクス
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第17話 違和感の正体

九条玲司は、机に置かれた報告書から、ゆっくりと視線を上げた。重厚な執務机の上には、整然と並ぶ資料。その中央に置かれた数枚のコピーが、妙に浮いて見える。「……早すぎる」それが、最初の違和感だった。綾乃が掴んだ新情報。内容は精緻で、裏付けも取れている。送金経路の流れ、関連企業の変遷、役員の入れ替わり――筋は通っている。だが――出どころが、見えない。偶然にしては出来すぎている。内部調査にしては痕跡が薄い。「彼女が単独で、このスピードで辿り着くのは無理だ」静かな声でそう言うと、向かいに立つ秘書が慎重に言葉を選んだ。「外部協力者がいると?」「いるな。しかも……」玲司は、指先で資料の端を軽く叩いた。乾いた音が室内に響く。「“財界の内側”の人間だ」単なる調査会社ではない。株主構成の裏まで辿れる位置にいる人物。もしくは、それに準じる権限を持つ者。その夜。九条邸。広すぎる廊下に、互いの足音だけが響く。表向き、不仲。必要最低限の会話。それが二人の“形”だった。だが、すれ違いざま、玲司は低く声を落とした。「……最近、誰かと会っているか」綾乃の足が、一瞬止まる。ほんの刹那の間。それでも、彼は見逃さない。「どうして?」「勘だ」短い答え。それは、彼の一番信用できる感覚だった。数字よりも、報告書よりも、最後に彼を救ってきた直感。綾乃は一拍置き、視線を逸らさずに答える。「幼馴染よ」躊躇はなかった。「神崎財閥の、神崎和真」玲司の表情が、ほんの僅かに変わる。目の奥に、計算が走る。(神崎……)記憶の奥で、ある名前が、静かに浮上する。――南條家と、妙に距離が近い投資家。水面下で動く資金。穏やかな顔の裏で、決して損をしない男。「情報をもらっている?」「少しだけ」「役に立つか」問いは端的だった。「……ええ。正直に言えば」その答えで、玲司は確信した。(近すぎる)助言が的確すぎる。踏み込むべき点を、正確に示している。善意にしては、踏み込みが深い。「綾乃」「何?」「――信じるな、とは言わない」珍しく、言葉を選ぶ。命令ではなく、助言として。「だが、“頼りすぎるな”」綾乃は、わずかに眉を寄せた。「嫉妬?」その言葉に、玲司は一瞬、言葉を失った。否定は簡単だ。だが、それでは伝わらない。だがすぐ
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第18話 父のワインと、不穏な噂

 富裕層、超富裕層のみが名を連ねる社交界では、噂はいつも静かに、だが確実に広がる。 そして今、九条家と鷹宮家――若き夫婦の不仲説が、ささやき声の裏で育ち始めていた。 パーティーの前日、九条玲司は鷹宮財閥の邸宅を訪れていた。 綾乃の父、鷹宮正隆に呼び出されたのだ。 驚くほどの広さを誇るリビングに通され、執事から差し出されたワイングラスを受け取る。 玲司は一口でそれを飲み干した。「……もっと味わって飲みたまえ」 低く、重みのある声が背後から響く。 振り返ると、正隆がワインボトルを指していた。「これはシャトー・ムートン・ロートシルト 1990年だよ。 せっかく婿殿が来たから、もてなそうと思って開けた」 正隆が目線を送ると、執事は再び玲司のグラスに静かにワインを注いだ。「お義父さんは、飲まれないのですか?」 そう尋ねると、正隆は穏やかに笑った。「きみのために開けたんだ。私は残りを少しいただくよ」 そう言ってソファに腰を下ろし、向かいを示す。 玲司もそれに従った。 しばらく、正隆は何も言わず玲司の顔を見つめていたが、やがて口を開いた。「結婚して、まだ半年ちょっとだが…… もう不仲だという噂がある。本当か?」 玲司はワイングラスを手にしたまま、迷いなく答えた。「はい」 一瞬、空気が張り詰める。「噂があるのは事実です。ただ――私は、綾乃を大切に想っています」 正隆はその目を見逃さなかった。 長年、財界の頂点に立ち続けた男の直感が、嘘ではないと告げている。「そうか……」 正隆は小さく息を吐く。「綾乃は、子どもの頃から人より恵まれて育った。 その分、わがままなところもあるだろう。 だが、きみが若くして九条ホールディングスを背負っていることも、私は理解している」 言葉を切り、難しい顔で続けた。「それでも、私は娘を愛している。 きみにも、いつかは、そうなってほしい」 玲司は顔を上げ、まっすぐに答えた。「はい」「私の父や母の跡を、きみがたどる必要はない。 ……残念ながら、私は見習ってしまったがね」 正隆は自嘲気味に笑い、続ける。「私は、きみなら―― どちらかを選ばずとも、どちらも守れると思っている」 そう言って、白い封筒を差し出した。「明日のパーティーの招待状だ。きみたち夫婦で、参加しなさい」 その言葉
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第20話 ― 事実より先に、噂が夫婦を裁く ―

パーティーが終わった翌朝。綾乃は、いつもより早く目を覚ました。カーテン越しの光は、穏やかなはずなのに、胸の奥がざわついて落ち着かない。理由はわかっていた。昨夜の光景が、断片的に何度も脳裏をよぎる。――和真の距離。――沙耶の視線。――そして、途中で姿を消した玲司。「……考えすぎよ」そう呟きながらスマートフォンを手に取った、その瞬間だった。秘書からの未読メッセージが、画面いっぱいに並んでいる。一番上の件名に、綾乃は息を止めた。【確認をお願いします】タップすると、短い文章とともに、画像が表示された。それは、昨夜の洋館前。夜の照明に照らされた中で――神崎和真が、綾乃の手首を掴んでいる瞬間。綾乃は、驚いた表情で彼を見上げている。振りほどこうとしているのか、迷っているのか、写真だけでは判断できない。だが――“親密そう”には、十分すぎるほど見えた。「……っ」指先が、冷たくなる。続けて、別の画像が送られてきた。今度は、テラス。煙草の煙の向こうで、南條沙耶が玲司の背中に密着している。彼女の腕は、はっきりと玲司の腰に回されていた。玲司の表情は写っていない。振り払おうとしていたのか、立ち尽くしていたのか――それも、わからない。わかるのは、“そう見える”という事実だけ。【すでに数名の投資家筋に回っています】【週刊誌ではありませんが、財界内では広がり始めています】綾乃は、ゆっくりとスマートフォンを伏せた。胸の奥が、じくじくと痛む。怒りでも、悲しみでもない。もっと厄介な感情。――疑念。(……説明、してくれる?)そう思った瞬間、自分に腹が立った。聞けるはずがない。聞けば、この写真の“力”を認めることになる。一方で。九条ホールディングスにも、同じ写真が届いていた。玲司は、執務室でそれを見つめ、無言で画面を閉じた。部下が気まずそうに言う。「……奥様と、神崎専務の件ですが」「事実確認は不要だ」玲司の声は、低く、冷静だった。「これは、“事実”の問題じゃない」部下は言葉を失う。「問題なのは―― これが、信じたい人間にとって、信じられる形をしているという点だ」同時刻。別の場所で、南條沙耶はワイングラスを傾けていた。「ふふ……綺麗に撮れてる」隣にいた友人が、怪訝そうに聞く。「ここまでやる必
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第21話 ― 同じ写真、違う夜 ―

夜は、均等に訪れる。だが、その意味は、人によってまるで違う。綾乃は、自室のソファに座ったまま、照明もつけずにいた。カーテンの隙間から、都心の灯りが淡く差し込んでいる。テーブルの上には、スマートフォン。画面には、あの写真。神崎和真に手首を掴まれた、自分。何度も見返しているのに、そのたびに、違う感情が浮かぶ。(……拒んでいるようにも、見える)(でも……迷っているようにも、見える)真実は、知っている。あの瞬間、和真の手を振りほどけなかった理由も。――昔から、彼は強引だった。――拒絶すると、必ず傷ついた顔をする。――その顔を見るのが、綾乃は苦手だった。(それだけ……それだけなのに)けれど、写真は説明しない。意図も、事情も、感情も。あるのは、“掴まれている”という事実だけ。綾乃は、スマートフォンを伏せ、目を閉じた。(玲司……)名前を呼んでも、声は出ない。同じ邸にいるのに、彼からの連絡は………まだない。「信じてる」「説明して」そのどちらも、今は言えなかった。同じ夜。九条邸の書斎で、玲司は一人、グラスを傾けていた。部屋は静かだ。執事も、秘書も下がらせた。机の上には、プリントアウトされた写真。綾乃と、和真。そして――沙耶と、自分。「……くだらない」そう呟いたが、胸の奥に、確かな違和感が残る。(俺は、沙耶を突き放した)(綾乃は……どうだった?)その問いが、思考を止める。“信じる”とは、相手の行動を肯定することではない。疑わないことだ。玲司は、それができる人間だと思っていた。だが、今は違う。写真が、理性より先に、感情を刺激する。――もし、綾乃が。――もし、俺に何も言わず。考えかけて、グラスを置いた。「……違うな」これは、“疑いたい自分”が生まれている証拠だ。そしてそれは、敵にとって、十分すぎる成果だった。南條邸では、沙耶がベッドに横たわり、スマートフォンを見つめていた。表示されているのは、自分と玲司の写真。角度も、距離も、完璧。「……ね」誰もいない部屋で、囁く。「これを見て、平気でいられる女なんて、いないわ」彼女は、くすりと笑った。「夫婦って、不思議よね。一番近いはずなのに、一番、疑いが刺さる距離にいる」写真を閉じ、別の画面を開く。そこには、和真からの短いメッ
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