茶室の空気は、やけに静かだった。 畳の匂い。 湯の立つ音。 それだけが、はっきりと聞こえる。 「……来ると思っていたわ」 声が落ちる。 正面に座る女性――絵里奈が、 静かにこちらを見ていた。 いつもと同じはずの姿。 なのに、 どこか違う。 「先生……」 莉央が小さく呼ぶ。 絵里奈は微笑んだ。 けれど、 その目だけが、冷たい。 「真耶さんのことね」 言い当てられる。 息が、詰まる。 「……どこにいるの」 澪が問う。 絵里奈は、少しだけ目を伏せた。 「すぐには、戻れない場所よ」 曖昧な言い方。 でも、 それが嘘ではないことだけは分かる。 「どういう意味」 声が強くなる。 「説明して」 静かな沈黙が落ちる。 湯の音だけが、間を埋める。 「……あなたのお母さんはね」 ゆっくりと、言葉が紡がれる。 「とても優しい人だった」 当たり前のこと。 でも、 その言い方が、どこか遠い。 「誰にでも手を差し出して、全部守ろうとして」 絵里奈の視線が、 ほんの一瞬だけ揺れる。 「……選べなかったの」 その言葉が、静かに落ちる。 「夫か、子か、それとも――」 言いかけて、 止まる。 「全部を守ろうとした」 「それの何がいけないの」 思わず言う。 正しいことのはずだ。 間違っているはずがない。 絵里奈は、ゆっくりと首を振った。 「“向こう側”では、それは許されない」 その一言で、 空気が変わる。 冷たくなる。 「……向こう側って」 知っている言葉。 でも、 まだ繋がらない。 「境目の向こう」 絵里奈が静かに言う。 「あなたたちが、もう触れてしまった場所」 羽のことを思い出す。 影のことを思い出す。 全部が、一本に繋がる。 「……先生、何なの」 問いかける。 逃げないように。 目を逸らさないように。 絵里奈は、少しだけ微笑んだ。 「私はね」 ゆっくりと、 言葉を選ぶように。 「選ばせる側の人間
Last Updated : 2026-05-04 Read more